第六十六話:魔王謹製『百合の湯』
「なるほど、こういうことか……」
アステルに通してもらった、中枢船の機関を見て、俺は静かに唸った。
発掘品、すなわち魔法具を用いた機関というものは、基本的に魔力を持たない者が扱うと補充ができず、使い捨てになる。
では、それをできるだけ長く使うにはどうすればいいのかというと、出力を小出しにして燃費を抑えるか、どこかから魔力を補充すればいい。
アステルの中枢船機関の場合は、前者だった。
魔法具機関を普通の機関で補っていたのだ。
「これならば、まだまだ保つだろうな」
「いつ切れてしまうのか、心配ですけれどね。技師曰く、その構造は全くの不明だそうですわ」
「だろうな」
蒸気機関ならボイラーに相当する部分が、魔力を動力に変える転換装置に置き換わっているといえばいいのだが、その転換装置が魔法の使えない人間から見れば、巨大な水晶、あるいは宝石の原石にしか見えないのだから仕方があるまい。
「少し、いいか?」
「ええ。貴方なら悪いようにはしないでしょう」
アステルに許可をもらって、魔法具機関に残された魔力の残量を確認する。
魔力の残りは、あと半分といったところであった。
「アステル、この機関はいつからあった?」
「そうですわね……正確にはわかりませんが、三〜四百年といったところでしょうか」
「なら、このまま使えばまだ同じくらいの年数を耐えられるだろう」
「まぁ……それは素敵ですわね」
正確にいうと、いまついでに魔力の補充を済ませておいた。
これにより、六〜八百年は保つだろう。
魔族の寿命もだいたいそのあたりなので、俺が責任を取れる範囲では稼働し続けられるというわけだ。
「さて、これなら——そうだな。雷光号のそれに限りなく近い機能の風呂を作れることができるぞ」
「そのお言葉が、聞きたかったのです!」
感極まったように、両手を合わせるアステルであった。
「それで、どこに造ればいいんだ?」
「そうですわね、『薔薇の湯』を潰すわけにはいきませんし——ああ、あそこがいいかしら。ついてきてくださいな」
アステルに案内され、城内を進む。
「懐かしいな……」
城の様式は、今ままで訪れたどの中枢船のそれよりも、魔族の形式に似ていた。
機関が魔法具であったことを考えると、ここを造ったのは間違いなく魔族なのだろう。
「あら、お城に住んでいらっしゃたの?」
「似たようなものにはな。それも、遠い昔の話だ」
本当に、遠い。
なにせ、いまだに俺は何年封印されていたのか、その手掛かりすら掴めていないのだから。
「アステル、この中枢船を造ったのは誰か、記録は残っているか?」
「いいえ。残念ですけれど何故か破棄されておりますわ。ただ、面白おかしく脚色された伝承は遺っておりますけれど」
「というと?」
「なんでも、この船を造ってわたくしたちの先祖に与えた者は、あの古き神に仕えていたそうですのよ。船団ジェネロウスの者が聞いたら、泣いて悔しがりそうなおとぎ話ですわ」
「ああ、そうだな」
確定した。俺の元配下の者だ。
これだけの船を建造したとなると、誰がそうしたのか絞れるはずだがさて——。
「着きましたわ!」
アステルの声で、我に帰る。
「なるほど、水浴び場か」
程よくひらけた城の一室に、浅い浴槽の跡が残っている。
「ええ、だいぶ前に使わなくなって、『薔薇の湯』を作ることになったのです。マリウス大佐ならこちらをうまく活用できますでしょう?」
「ああ、そうだな。あとは資材だが——」
「大理石でよろしくて?」
「それはまた豪勢だな……だが、いいだろう。用意してもらえるか」
「かしこまりましたわ」
「ただし、ひとつだけ条件がある。作業中は俺の秘書官であるアリスと、上官であるクリス以外は通さないようにしてくれ。これは厳守で頼む」
「心得ましたわ。作ることそのものにも、秘密はありますものね」
「では、早速作業にとりかかる。終了の報告はどこにすればいい」
「先程クリスさんやアリスさんと別れたサロンにお願いいたします」
「わかった」
「それでは、失礼いたしますわ」
「あぁ」
——さて。
ふ。
ふは。
ふはは!
ふはははっ! ふはははは!
最近風呂しか作ってないか俺! ハーッハッハッハァ!
■ ■ ■
「できたぞ」
俺の一言で、アステルは茶を噴いた。
「ま、まだ一日しか経っておりませんわよ!?」
「そう言われてもな」
「ふっふっふ。アステルさんもまだマリウス艦長の実力を把握しきっていないようですね」
アステル、アリスと三人でお茶をしていたのだろう。クリスが得意げにそういう。
「まぁ、最初はみんなそうですから……」
「くっ、まだまだ修行不足ですわね——!」
アリスに慰められて、どうにか再起するアステルであった。
「それで、浴場ですけれども——」
「ああ。もう湯を入れて試験してあるから、見に来てくれ」
「そういうことでしたら」
「あ、わたしも気になります!」
クリスとアリスが、慌てて立ち上がる。
そういうわけで、いい具合に湯気で曇って来た浴場へと案内する俺であった。
「こ、これは——!」
アステルが、驚愕の表情を浮かべる。
「お湯が、ずっと湯船に注がれ続けていますね……」
興味深そうに、アリス。
「でも、これはさすがに勿体無いのではないですか?」
クリスが、当然といえば当然の質問をした。
「そのまま捨てるのであればな。この湯はそのまま濾過層を通るついでに再加熱され、再び浴槽に注がれるようになっているんだ。これにより、風呂そのものが冷めにくくなっている」
「な、なるほど……!」
魔王城の風呂がそういう構造だったので、ついつい真似をしてみた。
普通の船ではさすがに空間を無駄に使うため採用するのをためらう機構であったが、中枢船くらいの大きさになれば、そう言うことを気にせず作ることができるわけだ。
「というわけで、今ある公衆浴場が『薔薇の湯』だというので、こちらは『百合の湯』と名付けてみた」
「いいですわね!」
「念のため言っておくが、『ウミユリの湯』ではないからな?」
「マリウスさん、安心してください。百合はいまもちゃんとあります」
「そうか……それはよかった……!」
「あら、どういうことですの?」
「こちらの事情だ。気にするな」
ウミウシだの、フグだの色々なものを見てきた弊害だったのだが、それをアステルに説明すると魔王の話までしなくてはならなくなる。それはさすがに、避けたかった。
「まぁいいですわ。それより早速入りますわよ、クリスさん、アリスさん!」
「えっ!?」
「ええっ!? 今すぐですか!?」
「もちろんですわ。マリウス大佐も——」
「俺は遠慮しよう」
「あら、一緒に入りませんの?」
「そう自然に異性をお風呂へ誘わないでくださいっ!」
顔を赤くして、クリスがそう抗議する。
「流石に水着は着ますわよ。でないとお互いに目のやり場に困りますわ」
「……うっ!」
「あら、クリスさん。もしかして、わたくしが裸でお付き合いするとでも?」
「そそそ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「普通は水着でしょう。それが裸の話になるとはもしや……クリスさんもアリスさんも、マリウス大佐に肌をお見せになったのでは?」
「なっ、なんでそれを……!」
クリス、そこは腹芸で誤魔化して欲しかったのだが。
「——マリウス大佐。アリスさんはともかく、クリスさんはまだ子供が作れる身体ではありませんわよ?」
「いや、そういうことはしていない。あれはいわゆる事故だ」
「……ですわよね。クリスさんから脱ぎでもしないかぎりそういうことは起こりえないでしょうし」
「あああ、当たり前じゃないですか!」
真っ赤になってアリスが抗議する。
それは恥ずかしいというよりも、事実を言い当てられて狼狽しているのだろう。
「そういうわけで、俺は雷光号の風呂に入る。そちらはよろしくやってくれ」
「ええ、ではまたのちほど」
「ええっ、今から本当にお風呂なんですか!?」
こちらも狼狽しているアリスを残して、俺は雷光号に戻るべく歩き出した。
このまま残っていたらなんだかんだと理由を付けられて水着で混浴というのもあり得たし——、
なにより、いままで作業をしていたので、久しぶりに風呂でゆっくりしたかったのだ。




