第六十二話:提督少女vs提督令嬢 砲撃戦
『あー、やっぱりこうなっちまったか』
雷光号に戻るなり、二五九六番は嘆息するようにそう言った。
「こうなる、とは?」
自分の席に着き、各種状況を確認しながら、俺。
『あの赤ぇの、ずっと臨戦状態で待機していたからよ』
「なるほど、な」
『んで、アレとやんの?』
「やるといえば、やる。やらないといえば、やらない」
『ってえと?』
「模擬戦だそうだ」
『へぇ……そいつは面白そうじゃん! 遠慮会釈なしにやろうぜ、大将!』
「いや、やるのは俺じゃない」
『……へ?』
「クリスだ。クリスが指揮を執る」
『マジか』
「ああ」
そこで俺は、自分の席を立った。
「さぁ、この模擬戦が終わるまではこの席を使ってくれ。クリス」
「本当ににいいんですか?」
「もちろんだ」
「ニーゴさんも……?」
『大将がいいってんなら、オイラは何も言わねぇよ。むしろよろしくな、提督の嬢ちゃん』
「はい。よろしくお願いします」
制帽を被り直して、気合いを入れるクリスだった。
「では……雷光号、出港!」
■ ■ ■
模擬戦の規則を纏めると、次のようになる。
まず、模擬戦に参加する艦は全ての弾薬を降ろす。
次に、通常の弾薬の代わりに塗料弾という弾薬を使用する。これは相手に命中すると、塗料を広範囲にぶちまけるものだ。
そしてこの塗料弾により、艦橋をすべて塗料まみれにするか、全ての砲塔に塗料を当てた方が、勝者となる。
ただし、砲塔に塗料が当たったからといって、その砲塔が使えなくなることはない。あくまで、全ての砲塔に塗料が当たった場合、敗北となるだけである。
「しかし塗料弾か。便利なものもあるのだな」
いつもはクリスが座る提督席で、俺はそう呟いた。
ちなみに今の俺の立ち位置は、クリスの参謀といったところだろうか。
『こいつがありゃ訓練捗りそうだけどよ、提督の嬢ちゃんのとこじゃ使わねぇの?』
二五九六番が口を挟む。
「使いませんね。私、模擬戦も塗装弾も好きじゃないんです。どちらも海が汚れますし」
「……確かに、な」
言われてみて、気がついた。
特にクリスの船団は、海の下に昔の街を抱えている。
それを壊したり汚したりしかねないことは、俺も心情的に避けたかった。
「実戦では仕方がないですけれど、それ以外ではできるだけ汚したくはないですね。もちろん、訓練を怠っていいというわけでありませんが」
「そうだな……この旅が終わったら、海を汚さず、海底も壊さないまま実戦さながらの演習ができる装置でも作ってみるか。——さて」
表示板と海図を見比べる。
「そろそろ演習海域に入るな」
「はい。前方の小型艦より発行信号! 『まもなく演習海域、準備されたし』とのことです」
同じように表示板を注視していたアリスが、そう報告した。
「返報。『ご忠告、痛み入る』でお願いします。それにしても……」
操縦席で刻一刻と変わる情報を目で追いながら、クリスが呟く。
「すごいですね、この表示板……敵も味方もどこにいるのか、まるわかりじゃないですか」
「少し卑怯かもしれないが、実戦では卑怯もへったくれもないからな」
「同意します。それに、向こうはこっちが不利だと思っていますからね」
実は演習の直前で、アステル中将から彼女が座乗する高速戦艦『ステラローズ』の同型艦を使わないかという打診があったのだ。
向こうからしてみれば、戦闘条件をより公平にするための提案だったのだろう。
だがクリスは乗組員が足りないことと、その艦の操縦に慣れていないことを理由に断った。
あくまでも、表向きの理由は——だが。
「ただしクリス、気をつけろ。相手の方が主砲が一回り大きい分、射程が長く、面制圧力が広い」
「その代わり、機動力と感知力はこちらが上ということですね。気をつけます」
慣れぬ雷光号の指揮であるはずなのに、クリスは次々とその性能を把握しつつあった。
そこはやはり、十二歳にして司令官の椅子に座っているだけのことはある。
「後方、先ほどの小型艦より発行信号!『まもなく模擬戦開始。繰り返す、まもなく模擬戦開始。なお本信号に返礼は不要』とのことです」
緊張を孕んだ声で、アリスがそう報告する。
「了解しました。ニーゴさん、『ステラローズ』の位置はわかりますか」
『おう。間も無くそっちにも映るぜ!』
表示板の一番上、つまり進行方向一番奥に、赤い光点が灯る。
「雷光号、全速前進!」
『おう!』
弾かれたかのように、雷光号は加速した。
「『ステラローズ』発砲!」
アリスが叫んだ。
『この距離で当てる気かよ!?』
二五九六番が、驚いた様子でそう言う。
「いえ、これは……」
クリスが言い終わる前に、巨大な水柱が林立した。
「これは……もしや」
「ええ。こちらの視界を奪ったんです」
『はっはーん! オイラの目をごまかすつもりだな。そんなことをしてもオイラには丸見えだっての——』
直後、雷光号の艦首を主砲弾がかすめ、前方に盛大な水柱を生み出した。
「至近弾です!」
驚きを押し殺しながら、アリスが報告する。
「ニーゴさん、気をつけて! 今の至近弾は艦首をかすめました。つまり相手は、こちらがかなりの高速性能を持っていると予測しています!」
『減速すんの?』
「いえ、加速です。パーム中将はこちらが慌てて減速すると踏むはず!」
『あいよっ!』
クリスの言う通りだった。
雷光号が加速した直後、艦尾をかすめるように至近弾があったからだ。
『あぶねっ!』
「やはり……!」
揺れる船内で制帽を抑え、クリス。
「これは、近寄られたくないのか」
「でしょうね……ですが間も無く目視距離です!」
正面の映像に、赤い艦影が映し出された。
「目視!」
「副砲、弾幕を張ってください。水柱で『ステラローズ』を撹乱させます!」
『よしきた!』
雷光号の両舷から、軽快な射撃音が響く。
「撹乱されると思うか……?」
「いえ、まったく! ですが、こちらを狙う精度は落ちるはずです」
「なるほど、それが狙いか。それで本命は?」
「このまま接近し、すれ違いざまに主砲副砲をありったけ撃ちます。その後は旋回して、同じ事の繰り返しです」
「つまり、こちらの高速性能と小回りの良さを利用したわけだな」
「はい。あとは私の意図が、パーム提督にどれだけ読まれているか……!」
そう話している間に、雷光号と『ステラローズ』との間の水柱はどんどん増えていく。アステル中将側も、副砲による牽制射撃を始めたのだ。
『何発か当たってんぞ! こっちも当ててるけどよ!』
人に狙われて、しかも当たるのは初めてなのだろう。二五九六番が動揺した様子で、そう伝える。
「主砲、一番砲塔、及び二番砲塔、若干の被弾!」
こちらは緊張しているものの、冷静な声でアリス。
「こちらには艦橋がないのが幸いだな」
そう、雷光号には艦橋がない。外からみてそう思うのは、もともと二五九六番の頭部であった複合測距儀であって、本来の意味である艦橋はすべて船体の内部に収められている。
これは、雷光号が機動甲冑であった名残なのだが、それがこのような意外な効果を及ぼしていた。
「事情を知るまでは、潜水艇を意識しているのかと思っていました」
と、クリス。たしかにあれも艦橋がなく、船体内部で操縦するものだった。
「ですが、今はその利点、充分に利用させてもらいます! 主砲、副砲、斉射準備!」
目の前に、高速戦艦『ステラローズ』が迫っていた。
「『ステラローズ』、迂回も減速もせず、まっすぐ進んでいます」
「すれ違いざままで引き寄せてください!」
緊張したアリスの報告に、同じく緊張した面持ちでクリスが指示を飛ばす。
『ほぼ真横をつっきるぞ!』
「いまです、撃て!」
轟音と激震が、同時に船室を包んだ。
「くっ……!」
クリスが唇を噛む。
『ここまで近付いて撃ち合うの、オイラはじめてだぜ!』
「主砲、一番二番三番四番被弾! ただし塗装面積は全面ではありません! それに対し、副砲右舷側、全て被弾! 全面的に塗料にまみれました!」
「被害状況はあちらも同じはず、次は左舷側から行きます! 雷光号、左旋回!」
『おう、一気に行くぜ——ってなんじゃありゃあ!?』
「『ステラローズ』急速旋回! こちらより早いです」
「馬鹿な——錨か!」
望遠映像で、『ステラローズ』錨の片方を降ろしているのを確認する。それを利用して、一気に旋回したのだ。
「『ステラローズ』こちらの横腹を狙っています!」
「こちらも錨を!」
『おう!』
雷光号の錨が片方投錨され、衝撃と共に急旋回する。
「雷光号、進路『ステラローズ』正面へ! ニーゴさん! 衝突やむなしですけど、いいですか!」
『いいぜ!』
「『ステラローズ』、方向を変えません!」
「総員耐衝撃姿勢!」
まるで剣の切っ先同士がぶつかって弾かれるように、雷光号と『ステラローズ』はお互いの艦首をぶつけ合った。
その際に全重量の少ない雷光号が、大きく弾かれる。
その隙に生まれた好機を、クリスは見逃さなかった。
「よし——! 向こうの照準が迷いました! 一番、二番主砲! 目標正面! 撃——」
撃てという前に、背後に水柱が林立した。
「——いまのは、実弾!?」
信じられないといった様子で、アリスがそう報告する。
「まさか——」
「マリウスさん、海賊です!」
そのまさかだった。
演習海域の外から、複数の海賊が出現。そのまま船団『ウェステリア』に向けて進軍を開始したのだ。
「周辺で模擬戦の様子をみていた小型艦が迎撃態勢をとっています」
「模擬戦中止! アリス少尉っ『ステラローズ』に発行信号! 『模擬戦中止』!」
「了解しました!」
「とにかく一度戻って、実弾に入れ替えを——」
『あ、やべぇ』
二五九六番が、不吉な声を上げた。
「どうした」
『なんかでけぇのがでてくる!』
「な——」
雷光号と『ステラローズ』のそばに、巨大な光点が出現した。
「大型海賊……!」
クリスが、かすれた声を出す。
それは、いつもみるあの醜悪な海賊より、ひとまわりのふたまわりも大きかった。
船体部分もさることながら、機動甲冑の上半身部分も大きく、ちかよれば殴りかかられそうだった。
殴り——殴り?
『……なぁ、大将。今のオイラなら、やれるぜ』
気付いたのだろう。二五九六番がどう猛な声を出す。
「そうだな……やるか」
「なにを言ってるんですかマリウス艦長。実弾もないんですよ?」
「ああ、そうだな」
少しいらだった様子のクリスに対し、俺はあくまで冷静に言葉を返す。
「だが、俺なら——いや、俺達ならやれる。本当はここで見せたくなかったが——」
『どうせいつか見せるんだ、さっさとやっちまおうぜ』
「ああ、それもそうだ。——クリス?」
「手段があるのなら、お任せます。マリウス艦長」
「ああ、任された!」
クリスと席を交換する。
模擬戦で色々と消耗したが、ここからが正念場だった。




