第六十話:提督令嬢、ステラローズ公女アステル・パーム
赤い高速戦艦『ステラローズ』の先導により、俺たちの雷光号は無事に船団『ウィステリア』中枢船に入港できた。できたのだが……。
「申し訳ありませんが、下士官の方は船でお待ちください」
というわけで、まずはニーゴ状態の二五九六番が入船不可となった。
「待ってください。以前は下士官でも中枢船に入ることができたはずですが」
クリスが、入港係官に問いただす。
しかし、入港係官は眉ひとつ動かさず、
「申し訳ありません、元帥閣下。生憎のことですが規則が変わりまして。詳細は我らが司令官、ステラローズ公女殿下にお尋ね下さい」
「——わかりました」
ここでとやかく言っても仕方がないと判断したのだろう。クリスはあっさりと引き下がった。
そしてどうやら、この規則はあの赤い艦の一番上にいた形容しがたい格好の少女、アステルが関わっているらしい。
というかクリスと同じく司令官なのか……あの格好で。
「気にするなよ、提督の嬢ちゃん。オイラはここで船の様子を見てるからさ」
「本来は主だった乗組員は全員参加のはずなんです。それがこうなるなんて——」
「いいっていいって。ここで大将がハンコ貰えない方がまずいんだろ? ならオイラはここで待ってるからよ。それに——」
「どうした?」
鎧の中から漏れ出る殺気に、俺は問いただす。
「いや、なんかちょっとキナ臭くてよ」
「わかった。留意する」
「おう、大将も嬢ちゃんも、提督の嬢ちゃんも気をつけてな。オイラはいつでも出港できるようにしておくわ」
そういうわけで、俺とアリス、そしてクリスが中枢船の内部、外からも見えた城郭に向かうことになった。
「ウィステリアにようこそ、クリスタイン元帥閣下」
その城郭で迎えてくれたのは、ひとりの女性士官だった。
年の頃は二十歳あたりといったところだろうか。
髪を短く切りそろえ、ウィステリアのものと思しき制服に身を包んでいる。
幸いにして、あのアステル中将のように過激な水着をさらけ出すようなことはしていなかった。
「そしてそちらの方々にはお初にお目にかかります。私はウィステリア海軍司令官・ステラローズ公女が秘書官、カリウム子爵ファム・アセスル中佐と申します」
その歳で子爵とは。
俺の基準でいえば、かなりのものだった。
「ご挨拶ありがとうございます。私は雷光号艦長、アンドロ・マリウス大佐、こちらは秘書官のアリス・ユーグレミア少尉です」
驚愕を押し殺した俺の挨拶に合わせて、アリスがクリスの護衛艦隊に合わせた敬礼をする。
「こちらが、船団『シトラス』で『海賊狩り』の推挙を受けられた方ですね?」
「恐縮です」
入港する前に、発光信号で大体の事情は知らせてある。
それをアセスル中佐も把握済みなのだろう。
「ところでアセスル中佐、パーム司令官はどちらに?」
要件を早く済ませたいのだろう。クリスが単刀直入に切り出す。
「ステラローズ公女でしたら、現在入浴中です。潮風に当たったままだと髪が傷むとのことでして」
「——そうですか」
クリスが、独特な瞬きをした。
あれは——発光信号?
「(アリス)」
「(“だったら、外に出なければいいじゃないですか!”だそうです)」
「(……なるほどな)」
「ですので、こちらでしばらくお待ちください」
そういうわけで、俺たちは応接室に案内された。
「マリウス艦長」
「盗聴、および監視はされていないようだ」
透視と感知を駆使して部屋の内部を走査し、俺はそう断言した。
「そうですか……なんというか、挑発されていませんか、私達」
「されているな」
応答こそまともだが、階級差を押し付けたり、くだらない理由で待たされたりと、わりと随所随所で挑発されている。
「ですけど……」
気になったかのように、アリス。
「どちらかというと、マリウスさんに向けてというより、クリスちゃんに向かって挑発しているように感じられます」
「そうだな。俺もそう思った」
最初は平民である俺が南方の海を自由に渡れる『海賊狩り』の称号を得るのをよしとしないと思っていたのだが、どうも俺はおまけであり、クリスの性格を熟知した上で、彼女を挑発しているように感じられるのだ。
「初めて会ったときから、そうなんですよ……」
と、クリス。
「前に私が司令官に就任した時、挨拶に向かったのですが急に実力を知りたいと言って模擬戦を仕掛けられまして」
「それで、どうなったんだ?」
「三本勝負だったんですけど、一勝二敗で負けました……!」
悔しそうに、クリス。
「気持ちはわかるが、再戦はしないほうがいいだろうな」
「もちろん、そのつもりです。今回はマリウス艦長の『海賊狩り』の承認が目的ですから」
そこは流石に司令官、クリスはしっかりと自分の感情と職分を切り離していた。
「それにしても、あの形容しがたい服を着たのは、中将と名乗っていたな」
「はい。ですが事実上は私と同じ司令官です」
と、苦い顔でクリス。
「大将や元帥が存在しないのか?」
「いいえ。存在しています。ですが彼女は——ステラローズ公女、アステル・パーム中将は、本来の司令官であるステラローズ公、チクロ・パーム元帥が遅くに授かったひとり娘なんですよ」
「なるほど、そういうことか」
つまり、元の司令官はほぼ隠居状態になり、代わりに娘が権力を掌握しているという状態ということか。
「……で、なんであんな格好をしているんだ?」
そこがどうしても気になって、俺。
「マリウスさん——あんな格好が好きなんですか?」
「いや、違う」
どこか怖いアリスの口調に、心から否定する。
「それは良かったです。あの格好だけは真似できませんから。ね、クリスちゃん?」
「まったくです」
深く頷く、クリス。
「それであの格好ですが……なんでも貴族たるもの、自分の肉体を見られるくらいに磨かないといけないためだそうです」
「そ、そうか……」
「そして磨かれた身体なら見られても平気という卵が先か、鶏が先かみたいな話になっていまして」
いたなぁ……そんなの……。
「スパダカを、思い出すな」
「スパダカ……?」
アリスが首をかしげる。
「俺が封印される前に敵対していた人間の国のひとつでな。鎧など不要、鍛え上げた筋肉こそ至高という原理で戦う国だった」
「わからないでもないですね。白兵戦はつまるところ、そういうところがありますから」
私も、もうちょっと筋力をつけたいです。
と、クリス。
「その原理を推し進めすぎて、全裸に剣だけで戦いを挑んできたんだが」
「ごめんなさい、わかりません」
即座に彼らを否定するクリスだった。
「それでその、スパダカって国は、どうなったんですか?」
アリスが問う。
「最後は女子供だけを逃し、男だけ全裸で籠城してな。すごかったぞ。鈍器は効かないし、剣で斬っても筋肉に力を込めて傷を塞ぐんだ」
「人間なんですか、それ……」
クリスはそういうが、まごうことなき人間だった。
あの忌々しい勇者もたいがいだったが、彼らもまた、常識の外にいたのだろう。
「南方の国だったから、あのアステルとやらもその末裔かもな……」
「まってください! 南方の末裔だと私も含んでしまうんですが!」
「そういえば、クリスちゃんも二回マリウスさんの前で脱ぎましたよね」
「あああああ! そうでした!」
「しかもご先祖様も脱いだそうですし」
「ああああああ! いやですそんなスパダカだか素っ裸だかわからない人達が先祖なんて!」
「安心しろ、女はちゃんと服を着ていた」
「それを先に言ってください!」
「そうですわよ。いくら身体に自信があっても、何も纏わないのは流石にレディとしてどうかと思いますわ」
突如真横からかかってきた声に、俺たちは一斉にそちらを向く。
いつのまに、本当にいつのまに、アステル中将が俺たちのそばに佇んでいた。
「いったい、いつのまに……」
「たったいま、ですわ!」
そう言って、アステル中将は胸を張った。
その際マントのように羽織っている制服の上着を押しのけるように、際どい水着に覆われた胸が飛び出る。
「なかなか楽しそうな話題でしたわね。わたくしも混ぜてくださいな」
「公女殿下、お戯れはほどほどに」
彼女の後ろに控えていた、アセスル中佐が諫言する。
「ふむ、そうですわね。どうもクリスタイン提督は御用件を早く終わらせたいようですし」
「……っ!」
クリスがわずかに唇を噛む。
おそらく表情を読まれたことが悔しいのだろう。
「さて——貴方がクリスタイン提督より推挙を受けた『海賊狩り』の方からしら?」
「はい。雷光号の艦長、アンドロ・マリウス大佐と申します。公女殿下」
「あら……礼儀をわきまえていらっしゃるのね」
「恐縮です」
「しかも逞しい身体つきをされているわ。わたくしと子をなせばさぞかし優秀な後継者に育つでしょうね」
「お戯れを……」
一瞬にして、アリスとクリスの周辺温度が下がったことを知覚しながら、俺。
「パーム提督? マリウス艦長の言う通りです。ここはまず要件を」
「あら、クリスタイン提督の身体ではまだ子作りは無理では?」
「もういけますよ!」
そう言う生々しい話は、どうかよそでやってほしい。
感情のはけ口を得たクリスはともかく、未だ沈黙しているアリスの周辺温度が、もう氷の魔法で急冷したかのようになっていて、その……なんというか……怖いのだ。
「まぁ、クリスタイン提督の適齢期は後にいたしましょう」
あくまで自分の調子保ちつつ、アステル中将は話を続けた。
「結論から言いますと、わたくし、貴方の実力は信じてますの」
「では……」
「ですが、それを推薦した方の実力は計らなくてはいけませんわね?」
「……!?」
「なんですって!?」
クリスが再び口火を切る。
「ですから、マリウス大佐を推挙した、クリスタイン提督の実力を計らせてくださいませ」
いたずらっぽい表情を浮かべて、手近な椅子に座りアステル中将はそういう。
「そうですわね……三本勝負など、いかがかしら?」
どうも、はなから逃す気などなかったようだ。
……俺ではなく、クリスを。




