第五十六話:出港
「備品、食料、そのほか日用品の詰め込み、完了しました」
雷光号の通信士席で、アリスがそう言った。
『兵装、機関、弾薬、どれも問題ないぜ』
つづいて二五九六番からも、報告が上がる。
「出港準備、よしだな。クリス提督?」
「マリウス艦長にお任せします」
正装し、提督席で座っていたクリスが静かに頷く。
「では……雷光号、抜錨」
『おうよ!』
艦前方から、鎖を巻き上げる盛大な音が響く。
「機関やや開け。横進開始。離岸せよ」
『あいよ』
「横進開始。離岸します」
雷光号の白い艦体が少しだけ桟橋から横にずれた。
これで、前後に動けるようになる。
言い忘れていていたが、今回の改造では雷光号に塗装を施していた。
いままではいかつい無塗装であったが、今回からは船団の船として他の船団を回るのでそのままというわけにもいかない。
そういうわけで、今回より雷光号は喫水線から上を白、下を黒で塗装させてもらった。
護衛艦隊標準の塗装は喫水線から上を明灰色、喫水線下を赤にするものなのだが、あくまで独立した艦であることを示すため俺のわがままを通させてもらったのだ。
ちなみに、白は人間を、黒は魔族を表す。
これはクリスはおろか、アリスにも言っていないことだった。
「機関そのまま。後進開始」
『あいよ』
「後進開始します——桟橋から離れました」
このように雷光号が細かい動きをするときは、通信士席に表示されるのは周囲の映像となる。
それらを逐一確認して、アリスが報告を上げてくれるのだ。
同じ映像はクリスの提督席にも表示されており、クリス本人もそれを注視している。
何も言ってこないのは、いまのところこちらに特に問題がないからだろう。
ちなみに艦長席には前方の映像のみが表示されている。
前方といってもかなり広範囲に表示されているので、アリスの報告と合わせるとこの雷光号がどういう状態なのかが、よく把握できるというわけだ。
「後進そのまま、右回りに旋回開始」
『あいよ』
「旋回開始しました。船首——艦首、港湾部出口を向きます」
「機関そのまま、後進停止。各自、計器類最終確認」
『いけるぜ』
「問題ありません」
「よし。機関さらに開け。微速前進、開始」
「前進開始しました。まもなく港湾部を出ます」
屋根のある港湾部から、日の当たる外海へ、雷光号がその身を踊り出す。
その外海では、主だった護衛艦隊の艦が、左右に並んでいた。
「すごい……!」
アリスがそんな声を上げる。
「大型艦は『スラッシャー』『スレイヤー』『エクスキュースナー』ですね。見慣れない大型艦は、いままで外交で他の船団を巡っていた外遊艦隊旗艦『ブラスター』です。続いて小型艦ですが——」
提督席に座ったまま、クリスがすらすらと解説を続けてくれる。
さすがは護衛艦隊の司令官、全ての艦を把握しているようであった。
「——そして進行方向最奥にいるのは……いうまでもありませんね。護衛艦隊旗艦『バスター』です」
「その旗艦『バスター』より発光信号。『航海の無事を祈る』」
「返礼『司令官の安全はこの身に代えても守り抜く。ご安心召されよ』」
「なっ——」
クリスが少し赤くなった。
「あのですね、マリウス艦長。私だってある程度自分の身は自分で守れるんですが——」
「『バスター』より発光信号。『感謝する。我が司令官はなんでも抱え込みがちなので、よく補佐してほしい』だそうです」
「……もう! もう!」
声はむくれていたが、どこか嬉しそうなクリスだった。
こうして、雷光号は護衛艦隊の見送りをうけて船団の外縁部に達する。
流石にここまでくると船も見送る船もまばらに——いや。
「前方に暁の淑女号!」
心なしか声を弾ませて、アリスがそう報告した。
みれば帆柱に鈴なりになって、暁の淑女号——本当は超!暁の淑女号なのだが、面倒臭いので従来の名前でよぶことにしている——の乗組員が手を振っている。
「暁の淑女号より、発光信号。『船団の目、任された』」
「返礼。『感謝する。帰還時には派手に飲もう』」
「了解しました ——返礼です。『たのしみにしているわよ!』とのことです」
『大将。向こうさん、砲塔で手を振ってるぜ』
「本当だな」
前方に一門だけある砲塔が仰角いっぱいに砲身をあげられて、ふりふりと左右に振られている。
それは二五九六番の言う通り、手を振っているようにみえた。
「こちらもやるか。三番、四番砲塔、仰角いっぱいで左右に振ってくれ」
『あいよ!』
後部からゴロゴロと音が響く。
それは普段物々しく聞こえるものだが、いまこの瞬間だけは、微笑ましく聞こえる音色であった。
「暁の淑女号、離れていきます。——船団から完全に離脱しました」
「了解した」
『んじゃ、ここからはオイラが全部の面倒みるわ。みんなお疲れさん!』
「ああ、頼む」
「え、当直だれもいないんですか?」
驚いたかのように、クリスが声を上げる。
「当直制にしようにも、乗組員が俺とアリスとクリスしかいないからな」
なので、基本的に何もない場合は二五九六番に大体のことを任せるようにしている。
もちろん、戦闘などが起こり得る場合は、その限りではないのだが。
「すごいですね、自動航行……」
「だから建前は船全体が発掘品なんだ」
「納得しました。今の技術の粋を集めても、ここまでのことはできませんからね。ところでみなさんはこれから何を?」
「俺は新しい兵装の設計だな」
「私は夕飯の用意ですね」
「な、なるほど……自分の時間をちゃんと使っているんですね。すごいです……」
言葉の割には、クリスの表情は少し冴えなかった。
席からも立たず、ただ所作なさげに、帽子のつばをいじっている。
——ああ、そういうことか。
「あの、クリスちゃん」
俺が思い至るのとほぼ同時に、アリスが声をかけていた。
「これから夕飯の準備をするんですけど、もしよかったらお手伝い、してみますか?」
「い、いいんですか?」
クリスの表情が、一気に明るくなる。
「はい。むしろお願いしたいくらいです」
「それでしたら、是非ともっ。って、この格好じゃお手伝いもなにもないですね。ちょっと待っていてください!」
そう言って、提督の制服を脱ぎ出すクリス。
その下に水着を着込んでいるのは知っているのだが、目の前で服を脱ぎ出すとあのとき——俺が魔王だとばれたとき——に、クリスが俺達の目の前で肌を晒したことを思い出し、俺は慌ててそっぽを向いた。
「そういえば、船の上だと料理の幅がどうしても狭くなると聞きますが、実際ところどうなんですか?」
「うーん……揚げ物はたしかに難しいけど、それ以外だったらどうにかなるかなぁ……」
「すごいですね、それ……雷光号の厨房も、アリスさんの腕も」
「もともと料理人志望だったんです」
「そうだったんですか……」
「あ、でも今はマリウスさんの秘書官も、クリスちゃんにもらった少尉も好きですよ。なろうと思ってなれるものでもないですし」
それはたしかに、そう思う。
「せっかくだから、マリウスさんも見学されますか?」
「そうだな……」
少しだけ、逡巡する。俺がいても邪魔かもしれないが——しかし。
「見学しようか。ひさびさにアリスの腕も見たいし、クリスの腕も見てみたい」
「わかりました」
「わ、私の腕なんてたいしたことないですよ? むしろお料理は全然したことがないので——あ、でもみたいと言うことでしたら、頑張りますっ!」
「ああ、頼む」
そう言うわけで、その日の夕飯は作るときからかなり賑やかだった。
たまにはそんな夜があってもいいんじゃないか。そう思う俺である。




