第五十四話:クラゲ問答
「超帆船『超!暁の淑女号』ですか」
肩にかけた長銃を背負い直しながら、クリスはそう言った。
「ああ。超帆船『超!暁の淑女号』だ」
「なんというか、その……」
「超が沢山あって、賑やかですよね」
クリスと同じ形の長銃を同じように肩にかけて、アリス。
「——アリスさんのその前向きな捉え方、すごく頼りになりますね」
「えっ?」
「ああ。俺も頼りにしている」
「えっ? えっ?」
会話の内容を把握しきれていないのだろう。
歩きながら大量の疑問符を頭の上に浮かべるアリスであった。
「まぁとにかく、これで船団の索敵能力は格段に上がったと言ってもいい」
「すごく助かります。また、例のクラゲみたいなものが出てきても困りますし」
「まぁ、これからそれとのご対面だがな……」
「ですね……」
おそらく、一筋縄ではいくまい。
クリスと揃って、溜息をつく俺だった。
■ ■ ■
「こちら、クリス。準備よしです」
「同じくアリス、準備できました」
「よし。……ヘレナ、後ろから動くなよ」
「わかっているわ。この中で一番戦闘能力がないのは、他ならぬ私だものね!」
だが、この中で一番余裕があるのもまた、ヘレナだと思う。
俺もかつてはこんな感じで余裕があった気がするのだが、いつ頃無くしたのだろうか……。
——いや、いまそれはいい。
「では解凍するぞ」
「どうぞ」
「だいじょうぶです」
「任せるわ」
クリス、アリス、ヘレナからの声を確認して、俺は氷結の魔法を解きはじめた。
宙吊りにされている、氷結弾によって全身を凍らされたクラゲに向かって。
全身を覆っていた氷が溶け、それにより宙吊りが解除され、クラゲは下に用意された大きな水槽に落ちた。
「……む? 動く?」
「目覚めの気分はどうだ」
「これは——」
護衛艦隊、特一級大型保管庫。
わざわざその中身を全て移した後に中央に巨大な水槽を置き、その正面から少し距離を置いて、俺はいる。
背後にはヘレナ。
後方右にはクリス。長銃を構えている。
そして後方左にはアリスが、同じく長銃を構えていた。
射線はバツの字を描くように交差している。加えて装填してあるのは拳銃よりも強力な氷結弾だ。
いざというときは、クリスとアリスが射撃を開始。水槽ごと凍りつかせる算段であった。
「ふふふ——詰んだな。これは」
はやくもそれを把握したクラゲが、そう呟く。
「察しが良くて助かるよ」
「ふふふ……しかしまさか、船団の防衛と情報の筆頭がお出ましとは。どうやら私が仕掛けた離間の計は失敗したようだ」
「そして貴方に隙があるのもね。私の顔を知っていることは伏せた方がよかったはずだもの」
「ふふふ……これはしたり!」
ヘレナの指摘に対し、自分の頭を掻くようにクラゲは触手を動かした。
このクラゲ、時々魔族や人間のような仕草をする。
「それで、このような場を設けたと言うことは——取引かね?」
「そうだ、取引だ」
「先に報酬を聞こうか。こちらが欲しいものは自由であるのだが」
「残念ながらそれはない。が、貴様の安全は保障してやってもいい」
「ほう?」
クラゲの目がどこにあるのかいまいちわからないが(確か触手の付け根だったか?)、確かにその視線が俺に向いたのを感じた。
相手が興味を示したことを確認して、俺は話を切り出す。
「貴様と俺が遭遇した海底遺跡の下層、工場区画か。あの空間に住むことを保障する。もっとも、外に出る扉は封鎖させてもらうが」
「それだけではただの監禁ではないかね?」
「下層にある施設を使用する権利を一部認めるのと、貴様の食事も保障すると言ったら?」
「ほう……それはそれは。それで、それに対して私はなにを対価にすればいいのかね?」
いいぞ。乗ってきた。
俺は内心安堵しつつ、表情は全く崩さずに続ける。
「いくつかの質問に答えるだけでいい」
「聞こうか。全ての質問に答えられるとは限らないが」
「それでいい。まずは最初の質問だが……あの遺跡で何をしていた?」
クラゲが小さく身を震わせた。
小さく笑ったのだ。
「なにをしていたとはね……自分の家でくつろいでいたと言っても納得しまい?」
「つまり、上層を護衛艦隊が使っていることに気づいていなかったということか?」
「いいや、気づいていたとも。下層に入って来られるはずがないとたかをくくっていただけさ。だから監視装置を使って君達が時々なにかを搬入していたり、逆に搬出していたのはお見通しだ。時折、女性の艦隊員がきた時は監視装置の波長を変えて服を透かしてもらったりさせてもらったがね……ふふふ」
こいつは……。
「凍らせていいですか」
長銃を構え直して、クリスが即座にそう言った。
「今はちょっと我慢してくれ」
「私もここを利用したことがあるんですが」
「気持ちはわかるが、ちょっとだけ我慢だ」
最初にあった時アリスとクリスに粘液を吹きかけたときからそうではないかと思っていたが、このクラゲ、かなり俗なところがある。
それが逆に、交渉材料になるわけだが。
「監視装置の暗視系は停止させてもらう。文句は言うなよ」
「ふふふ……余計なことを言ったかな、これは」
いや、怪しいと思ったものは全部止めるつもりであったから、どのみち見つかるとは思うが。
「しかし、そんなことができるのかね?」
「可能だ。既にお前がしてこなかった生産工場の再起動も済ませてある」
「……なんと」
「どうやら俺の顔は知っていても、何が出来るか、どこまで出来るかは知らないようだな」
「ふふ……さて……」
クラゲが、あらぬ方向に少しだけ泳いだ。
おそらく、顔をそらしたのだろう。
「さて、次の質問だ。貴様、作られた生命だと自ら言っていたな」
「ああ。その通りだとも」
「——貴様を作ったのは、誰だ?」
「答えることはできないね」
「意味を問う。その答えることができないと言うのは貴様の意思か? それともそうなっているからか?」
あらぬ方向に向かって泳いでいたクラゲが、こちらに戻ってきた。
正面を向いたようだ。
「気づいていたか。後者だよ」
「——やはり」
「察しがついているようだが、言えば消滅する……そういうこともあるのだよ」
「自死細胞か」
「さすが、詳しいね」
随分とまぁ、えげつない真似をする。
「なんです? それ」
クリスが口を挟んだ。
「簡単に言うと、言ってはいけないことを言うと、死んでしまうということだ」
「そんなこと、できるんですか?」
と、アリス。
「できる。俺は禁じていたがな」
だがまあ、俺が封印された後なら守る義理もないだろう。
事実、ここにそういうクラゲがいるのだから。
「五十年ごとに船団に接近するというのも、それか」
「ああ。そうだとも。我々はその際集合して、あの大きさになり、任意の船団に接近するのだよ」
「五十年前に、そんな記録は残っていないわよ?」
ヘレナがそう指摘した。
「そうだろうね。五十年前には接近したのは君達とは別の船団であったし、なによりその時は我々が成功してしまってね」
「そういうことね……あとでほかの船団の壊滅履歴を洗ってみるわ」
めずらしくヘレナが顔を辛そうに歪めた。
もっとも、その気持ちはよくわかる。
「その目的は?」
「さぁ……これは半ば本能だよ。君らが繁殖しようとする目的を訊くのと一緒の内容ではないかね?」
つまり、それも仕組まれたことというわけか。
「ちなみに、五十年後に集合できないとどうなる?」
「どうとも。長い年月を我々も経ているのでね。時折ドジを踏んで、人間に討伐されることもあるし、どうにも逃げられなくなって人間に協力する者も現れる。この私もそうなりつつあるがね」
——なるほど。つまり他の船団にはこいつの御同類を保有しているところもあるということか。
振り返ってヘレナを見ると、彼女も頷いていた。後で確認を取るのだろう。
「いまも、他の個体とは繋がっているのか?」
「否だよ。集合時に互いの情報の交換、共有はするが、また分裂すれば再び集合するまで互いに連絡を取ることはない」
「そうか……」
つまり、いま俺との交渉は目の前の個体しか知らないということだ。
「あの海底遺跡は貴様がずっと拠点にしていたのか?」
「いいや。この前はじめて君達と遭遇した後に見つけたものだ。もう少し時間があれば、もっと過ごしやすくしていただろうね」
「では、あの海底遺跡についてはどう思う?」
「ふふふ……そうだね。この付近にある設備としては最上級のものだろう。しかも生産工場を再起動させたとなると、随一になる。ほかの個体が知ったら押し寄せるだろうね」
「なら、独占しろ」
「ほう……私に他の個体を出し抜けと?」
「そういうことだ」
「ふふふ……面白いな、それは」
「ああ、そうだろう?」
なんか……久しぶりに魔王らしいことをしている気がする。
魔王といえば——大事な質問があった。
俺は、気を引き締めてかかることにする。
「では、最後の質問だ」
「ふむ?」
「心して答えろ」
「努力はしよう。それで?」
「あぁ……」
一度目を閉じてからから、俺はその質問をした。
「——なぁ、俺以外の魔族は一体どこにいった?」
「……マリウスさん」
「……マリウス艦長」
ヘレナだけは、なにも言わなかった。
アリスとクリスが、俺の左右後方にいてくれて、本当に良かったと思う。
何せ今の俺は、少しだけ情けない顔をしていたに違いないから。
「その質問に対して、こちらから満足のいく答えはできないだろうね」
そしてクラゲは、そのように答えた。
「どういうことだ?」
「ふふふ……簡単なことだよ。私はとある魔族によって作られた。が、それは本能として脳裏に刻まれているだけであって、実際に対面したことがないのだよ」
「だが、俺の顔とかつての地位は知っていたわけだろう」
「それも刻まれたものだ。私の制作者と君との繋がりも、わからない」
「そうか……そうか」
思わず肩を落とす。
「まぁ、ぬか喜びさせるかもしれないが……この世界のどこかにいることは確実だろうがね」
「なぜわかる?」
「我々が、五十年ごとに集合し続けているからさ。これは我々の本能であるが——制作者がいなくなれば霧散するものでもある。原理はよくわからないがね」
「——そういうことか」
「これで終わりかね?」
「ああ」
「こちらからも一点質問させてほしい。なぜこの私を海底遺跡に住まわせようとする?」
「そこに行くのがそれなりに大変だからだ。しかし、その遺跡には生産工場があることがわかった。ならば、それらに詳しい誰かしらを常駐させなければならない」
「ふふふ——なるほど、ね」
現状あの海底遺跡に詳しいのは、俺、ヘレナ、そしてそこのクラゲだけだ。
俺は近日中にこの船団を発たねばならないし、ヘレナは基本図書館にこもっていないと仕事ができない。
それならば残ったのは——ということだ。
「察するに、そこのヘレナ女史へ定時連絡をすればいいといったところかね?」
「御明察ね! その通りよ。貴方はマリウス君が護衛艦隊に所属するように、私の情報部、図書館の館員となってもらうわ」
「ふふふ……この私が図書館に属するのか。それは面白い。——いいだろう。契約しよう」
「——違えるなよ。違えたら……」
「安心したまえよ、魔王。私はこんな性格であるし、性癖も歪んでいるが——」
自覚があるのか!
「——約束を守るという魔族の特性もまた、この身に刻み込まれているのだよ」
「よし。では貴様はこれより海底遺跡の管理者だ。数日のうちに環境を整えるから、それが終わったらそこに移ってもらうぞ」
「ふふふ……いいとも」
アリスとクリスが、銃を収めた。
クラゲも特に動き出したりせず、大人しく水槽の中を漂っている。
内心、肩で大きく息をつく。
新しい、そして大きな手がかりを得たからだ。
俺以外の魔族がいる。
それも、この世界のどこかに。
一体どこにいるのか皆目見当もつかないが、それはか細くはあるものの一条の光として俺を指し示していた。
「マリウスさん」
「マリウス艦長」
そして俺の左右をアリスとクリスが寄り添ってくれる。
それならば、か細い光でも追いかけていけるだろう。本当に、そう思う。
「ふふふ……実は君の性癖もゆがんでいないかね? 魔王」
「うるさい。今度それを言ったら干して刻んで酢の物にして食うぞ」
「おお、こわいこわい」
口の減らないクラゲだった。




