第五話:仄暗い水底から
『なぁ大将、この島の位置って記録しておく?』
出発にあったって、二五九六番がそう訊いてきた。
「ああ、しっかり記録しておけ」
敵味方識別装置の応用だろうか。位置を記録する装置とは、なかなか気が利いている。
『あいよ。でもこんな何もない島、なんに使うんだ?』
「あとあと役に立つ時が来る。それまで放っておけばいい」
そう。この何もない小島はかつて高山にそびえる俺の居城だった。
したがって、大規模な掘削装置をもってくれば城の内部に入ることも可能だろう。
そうすれば、手付かずの資材、施設、そして武具兵器の類いを引っ張り出すことができる。
そこまでできれば……そのあとは、ずっと楽になるだろう。
だが、とりあえず今は。
「アリス、お前の出身地はどこかわかるか?」
約束通り、アリスを元居た場所に送り届けなければならない。
「えっと、そのことなんですけど……」
言いにくそうに、アリスは続ける。
「まずわたし、陸生まれじゃないんです」
曰く、陸が極端に少ないので、船、あるいはその集団たる船団生まれが多いのだという。
「ついでにいうとその……わたしの出身船団、海賊に滅ぼされちゃってまして——」
からくも生き延びたはいいが、働き口を探すために他の船団への船に乗りこんだところ、また別の船に襲われてここに置き去りになったらしい。
『お嬢ちゃん、アンタ苦労してんのな』
「あはは……ありがとうございます」
滅ぼした側の種族に同情されるという、奇妙な光景だった。
「ならば船や船団がいそうな方角か……心当たりはあるか?」
「ごめんなさい、具体的にはちょっと……。ただ、北のほうに行くほど、海が荒れますから」
「南か」
「はい。ただ、南は南で行きすぎると暑さで大変なんですけど」
封印される前に放った斥候からの報告ではそこまで暑いというものはなかったことと、この水位の上がり方を考えると、おそらく温暖化の影響だろう。いずれは、しっかりと調べないとならないことだった。
「聞いていたな。二五九六番」
『おうよ!』
「では、進路を南に取れ。同時に敵味方識別装置の範囲を最大にしろ。どんな小さなものも見逃すな」
『あいよ、大将!』
推進装置の唸る音が、かすかに響いてくる。
そして『海賊船』は、ゆっくりと航海をはじめた。
「さて、まずは海図作りか」
封印される前の地形は完全に把握していたが、いまとなってはただの大海原だ。それにどこかで珊瑚礁や海底火山の噴火で新たな島ができている可能性もある。
「あの、その前にですね」
アリスが遠慮がちに声をかけてきた。
「そろそろ……その……」
再び、顔色が悪くなっている。何かあったのだろうか。
「どうした?」
「ええと……」
言いにくそうにしている。
まだなにか、あるのだろうか。
そう思った、次の瞬間——。
控えめながらも、腹の鳴る音が響いた。
——しまった。
「食事か。それと水も」
「すいません、お願いします……」
「いや、こちらこそすまない。すぐに対応する」
俺自身はどちらも必要がないので失念していた。
「まずは、水だな」
一度室内に降り、適当な容器を引っ張り出す。
そしてそれを甲板の上に置き、
「こうして——こうだな」
容器に手をかざす。
ほどなくして……。
「すごい、何もないところから水が」
「違うな。大気の湿度が高いから利用させてもらっただけだ」
水につけた手ぬぐいを絞るように、大気中の水分を凝縮させたに過ぎない。
古流の魔法であれば雨雲を呼ぶのが定番なのだが、見た目に反して効率が悪いので、俺は直接水分を抽出させる方を好んでいた。
「あとは食事だが……」
『大将、人間にはオイラたちみたいに魔力とやらを注ぎ込めないの?』
「無理だな。受け取る器官がない」
あればいろいろと便利なのだが、ないのだから仕方がない。
「そうなると、釣りか」
「道具がありませんけど……」
「せめて釣竿があればな」
「釣竿!?」
なぜか過剰に反応された。
「あの、いきなり最後の手段なんですか?」
……なに?
「お前たちは、何を使って魚を捕るんだ?」
「えっと、銛とか……」
銛。
「あと、大砲とか……です」
大砲。
「なにを……捕る気だ……」
「お魚です」
魚、だろうか。
なにかが、違うような気がする。
「まぁいい。それなら——」
手のひらの上に、魔力を凝縮させる。
編みあげたのは、蛍を模した斥候用の仮想生物だった。これを自ら発光させ、数匹を海に放つ。
「あの、今のは?」
「疑似餌だ。餌に見せかけて食わせたところで小さく爆発する」
「爆発!?」
「そうだ。あとは浮き上がってきたところを捕獲すればいい。そら、いまひとつ反応があったぞ」
『大将、アンタ時々エグいことするのな』
魔王だからな。
そんな言葉を飲み込み、全員で海面をみる。
すると徐々に影が——。
影が……。
影が、でかい。
「なんだ、あれは……」
浮かび上がってきたものは、名状しがたい形状をしていた。
第一に、魚として大きすぎる。
第二に、ヒレに何か触手のようなものがついている。
第三に、第三に——。
「AAAAAAAAAH!」
魚はこんな鳴き声をあげながら、痙攣したりしない。
「あ、高級魚ですね。高級魚! たしか、フカキモノグロマグロです!」
「なん……だと……!」
深海魚を捕らえてしまったのだろうか。それにしてはごく簡単に捕まえてしまった気がするが、いや、それよりも。
「本当に、本当に食うのか、これを……」
「はい、美味しいんですよ!」
本当に嬉しそうに、アリスは言う。
「よければご一緒にいかがですか? お料理でしたら、自信があるんです!」
ふ。
ふは。
ふはは!
ふははは! ふはははは!
ハハハハハ! ハーッハッハッハァ!
「文化が、違う……」
思わず見上げる空の色だけは、あの頃と変わらない蒼だった。
五話になって、ようやく話の流れが掴めてきました。