第四十九話:少女を怒らせてはならない。なぜなら……。
「貴様、普通に話せたのか」
「ふふふ、予想外だったかね?」
しかも流暢に喋っている。
クリスたち護衛艦隊が秘密の倉庫として使っている調査済みの海底遺跡。
その奥にあった隠し扉から進んだ先には、稼働を停止したと思しき生産工場と、ガラクタが散らばった部屋と、過日船団の中枢船と衝突しそうになり、アリスとクリスに粘液を浴びせかけて逃走したあの忌々しいクラゲがいた。
もっとも、あのときは小山ほどの大きさを誇っていたのだが、今はどう見てもクリスかアリスと同じくらいの大きさになっている。
なので別個体なのかと思ったのだが。
「あの大仰なカタコト喋りはどうした」
「ふふふ、その方が雰囲気が出るかと思ってね」
「そのことを知っているかのように話したな。やはりあのときのクラゲか」
「ぬぅ……! ここはしらを切るべきだったか!」
どうやら、多少間抜けであるようだ。おまけに——。
『あっあ〜ん! 負けちゃう! 触手にまけちゃうの〜!』
「まずはそれを止めろ」
この部屋で春画を映像にしたものを観賞しているあたり、随分と好色なようであった。
「マリウスさん、観ちゃだめですよ」
銃を構えたままのアリスの声が、いつになく鋭い。
鋭いというか、少し怖い。
「安心しろ、ああいう陵辱ものを俺は好まない」
「わかりました。覚えておきます」
なぜかアリスではなく、クリスがそう答えた。
「いや、覚えなくていい」
「ほう、では私と同じく純愛系触手ものが好みだと?」
「貴様の好みと一緒にしないでもらおうか。というか、早く止めろ」
そもそもなんだ、純愛系触手ものとは。
「これは失礼したね。特にお嬢さんたちには、刺激が強すぎたかな?」
「格好をつけているつもりだろうが、思い切り軽蔑されているぞ、貴様」
おそらくクラゲは顔を赤らめているのを期待していたのだろうが、アリスもクリスも完全に軽蔑しきった顔をしていた。
俺に向けられているものではないが、なんというか心臓に悪い。
というか、ふたりともそういう表情ができることが、少し意外であった。
「ふふふ、これは手厳しい……」
「それよりも質問に答えろ。貴様、あのときのクラゲだな。だとしたら、何故縮んでいる?」
「ふふふ。縮んでいるときたか。それは思い違いというものだよ。そう、我らは個にして全、全にして個——」
「つまり、群体生物か」
「それだけで正解にたどりつかないでもらえるかね!?」
「残念だが、生物にはそこそこ詳しくてな」
配下に生物に詳しいものがいたので、よく教授を受けていたのだ。
「つまり貴様は、あのクラゲから分離した群体生物のひとつというわけか」
「完全生物と呼びたまえ」
「完全生物と名乗りたければ、まずはこの危機を乗り越えてみせるがいい」
久々に、魔王らしいことを言えたような気がする。
「ふふふ、いわれなくともそのつもりだとも!」
突如、クラゲが多いく後ろに飛んだ。
「ははは、さらばだ。また会おう——ぐあっ!?」
俺の予想通り後ろに飛んだクラゲが、無様な声を上げる。
そう、後方の床に脱出口らしき仕掛けが見えていたので、床ごと氷の魔法で凍結させてもらった。
雷が専門ではあるが、他の属性の魔法が使えないわけではないのだ。
「い、いつのまに——!?」
「さてな」
もちろん、クリスはおろかアリスにも気付かれないように、そっと凍らせてもらった。
アリスは察するだろうが、クリスはなんらかの道具を使ったものと判断するだろう。
「さて、貴様にはいくつか——いや、もっと多く訊きたいことがある。断ればどうなるか、わかるな?」
光帯剣を引き抜き、その名の由来にもなっている光の刃を形成させて、俺。
光の魔法を磁力の魔法と重力の魔法で刃状に固定したこの刃は、並みの魔法では防ぎきることはできない。
「ま、まってくれ。そこのお嬢さん方! どうかこの哀れな生き物を——」
こいつ、不利と見るや情に訴えるとは!
「さてはそのために喋られるようにしたな、貴様!」
「ふふふ、そういうことだ。さて、お嬢さん方、そこの暴虐非道な男からこの私を逃して——」
「へぇ……」
据わった目でそう返答したのは、クリスだった。
「誰が誰を助けるですって? まさか——私に粘液を吹きかけた、貴方が?」
「……あ」
「着ていたものがシミだらけになってしまったんですが——あの司令官の制服、高いんですよ……?」
「……」
「しかも、成長期に合わせてついこの間仕立て直してもらったばかりだったんです」
「……」
「でも、シミがどうしても抜けなかったので、新調する必要があったんですよね……」
クリスが銃を構える。俺がアリスのために作った拳銃とは違って、長銃を可能な限り切り詰められて作られたそれは、それでも元が元であったため、アリスのそれよりはるかに大型であった。
それを軽々と構えて、クリスは続ける。
「それと、よりにもよって私が最も信頼する船長を残虐非道と。それなら私も残虐非道でないと、道理が通りませんね?」
「こ、こわい! この幼女こわい!」
——馬鹿め。
内心、俺は舌を打つ。
今のがクリス最後の地雷だ。
その証拠に、幼女と言われたその瞬間、クリスは奥歯を噛み締めていた。
「そ、そちらのお嬢さん? できればこの怖いふたりをなだめていただきたいのだが——」
「わたしも、水着にシミができたので取り替えたんですけど。よく似合うって褒めてくれた水着を」
「……」
こちらは普段通りの口調で、アリス。
「それよりも、そのあとが大変だったんです。あの粘液を浴びたせいで——」
「いやいやまってほしいお嬢さん。あの粘液には毒はなかったはずだが」
「おっしゃるとおりです。クラゲさん」
アリスは、静かに答える。
「でも、毒があるかもしれない。感染症があるかもしれない。もし感染していて流行性のものだったら、船団規模で対処しないといけない——」
「……あ」
「——そこまで考えて、三日三晩徹夜で作業した人もいたんですよ」
がちゃりと装填桿を動かし、撃鉄を起こしながらアリスは続ける。
「そして検査が全て終わった時、なんともなかったってホッとしていたんです。肩透かしを食らったって、怒ってもいいのに、わたしたちのことを先に気遣ってくれたんですよ」
「……」
「なので——」
銃を構えて、アリスは続ける。
「絶対に逃しません」
「ま、ま、ま、待ってくれ! 君たちは人間だろう? 違うのかね!?」
「知性を期待して、平和的な交渉を進めたいのなら、最初に私たちに粘液など噴きかけるべきではありませんでしたね。というか、そもそも船団に接近するべきではありませんでした」
と、両足を肩幅ほどに開いて完全に射撃体勢を整え、クリス。
「いや、そうではない。そうではない!」
「ほかになにか?」
銃を構えたまま、アリスが小首を傾げる。
「いいかね、お嬢さん方。そこの男は——」
——!
“貴様ぁ!”
思わず、念話を送る。
“ふふふ! 切り札は取っておくものだよ、魔族——いや、魔王よ!”
そこまで知っていたか……!
「この男は魔王! 君たち人類に叛旗を翻し、滅ぼそうとした男だぞ!」
「それが、どうかしましたか?」
「「……なに!?」」
不本意ながら、俺とクラゲの声が重なった刹那——。
クリスは、容赦なく弾丸を撃ち込んだ。




