第四十七話:魔王で学ぶ、耳掃除のしかた。
「耳掃除で悶絶? いくらマリウスが作った耳掻きが良くできていて、マリウスの自身の腕が良かったとしても、そんな悶絶するほどのことなんてありえないでんあああああああーっ!?」
つくづく、わかりやすいメアリだった。
「噂の確度からして、相当のものだと忠告したはずなのに」
耳掃除を終えてもなお、長椅子でぴくぴくと悶絶しているメアリを眺めなら、祈るようにドロッセルがそういう。
「貴様もされてみるか?」
「遠慮する。絶妙な耳掃除の腕、体験してみたいのは山々だが——蕩け顔を晒すのは、さすがに恥ずかしい」
なるほど。
その場にいたアリスとクリスが顔を赤くしてそっぽを向いたのも考えると、そういうものなのだろう。
「むしろ、その技術を教えてほしい。そうすれば、私がメアリをいつでも悶絶させることができる」
ポケットから購入したと思しき耳掻きを取り出し、ドロッセル。
「そ、そうか……」
あの耳掻きだが、クリス曰く飛ぶように売れたらしい。
実際、こちらがわの収入としてかなりの現金が振り込まれたので間違いはないだろうが、まさか耳掻き数十本でひと財産とは、魔王軍将兵六万余名も驚いたことだろう。
「いっそのこと、講義を開いてはどうか」
「耳掃除のしかたを教えるということか? さすがにそこまですることはないと思うが——」
肩をすくめてそう答えた時だった。
「大将、来客〜!」
最近、ニーゴ状態で門番をする機会が多くなった二五九六番が声をあげた。
「通せ」
前回クリスが司令官の権限で飛び込んできた件以来、その手のことには二五九六番も俺も、少し気を使うようにしている。
もっともあれは、俺の不手際が原因であったわけだから、あまり大きくは言えないのだが。
さて、来訪者は——。
「ふむ、ここが雷光号ね。なかなかに興味深いわ!」
図書館の主人にして船団の情報部門筆頭、ヘレナ司書長だった。
同じく船団の防衛部筆頭、クリスと並ぶ重要人物でもある。
「司書長!? まさか、図書館を離れてここまで来るなんて——!」
クリスが驚いている。
そういえば、前に出かけたのは、クリスが護衛艦隊司令官の継承に関する騒動に巻き込まれた時だと本人が言っていたが……。
住んでいるのだろうか、あの艦橋後部の図書館に。
「どうしたんだ、ヘレナ司書長。なにか厄介ごとでも?」
「いいえ? ある意味それが起こりえるかもしれないけど、それ以上に大事な用事があるからここに来たのよ、私は」
そう言って、ヘレナ司書長は羽織っている白衣のポケットに手を突っ込むと、耳掻きを引っ張り出してみせた。
「買ったのか」
「ええ。ただね、少し問題があるわ」
「改良なら難しいぞ。耐久性をあげると耳掻きの掻き味が落ちるし、逆にそれを上げようとすると、折れやすくなる」
一見すると単純な造りに見えるかもしれないが、耳掻きというものはそれだけ繊細な均衡を保っているものなのだ。
「ああ、それはわかるわ。私が言いたいのはね、マリウス君、この耳掻きを操る技術なのよ。具体的にいうと——」
そこでヘレナ司書長は肺に空気を溜め込むと、
「私もこれでクリスちゃんを悶絶させたいのおおおおおおおお!」
はっきりと、そう言った。
「本人の前でいうな、本人の前で」
傍で聞いていたクリスが、真っ赤になっている。
■ ■ ■
そういうわけで、急遽耳掻きの使い方を講義することになった。
ヘレナ曰く、耳掻きを買ったはいいものの耳掃除がうまくできない者、つい癖になってしまい耳を掻きすぎる者、耳掻きが買えなくて粗悪な模造品に手を出して怪我する者が続出しているのだという。
「最後のは、俺にはどうしようもないが」
「そっちは私がどうにかしておくわ。今は耳掃除のしかたを教えることに集中すべきよ」
「それはそうだが……」
受講者は、アリス、クリス、メアリ、ドロッセル、ヘレナ、そして船団の中枢船に住む耳鼻科の医師三名、船団に所属する船の船医八名、そして多数の住民とかなりの数になっていた。
当然、そんな人数を雷光号には収納できないので、クリスとヘレナの計らいで、講堂をひとつ借りる。
……しかしまさか、魔王たるこの俺が人間に講義を開くときが来ようとは。
封印される前なら、絶対にあり得なかったであろう。
「それでは、時間になりましたので講義をはじめます」
慣れない照明と教壇に、少し辟易とする。
——いや、魔族の諸侯を集めた時の会議が、ちょうどこんな感じであったか。
「まずは耳掻きの持ち方からですが、これは筆記具のそれとあまり変わりありません。理由は、この握り方が一番細かい作業に向いているからです。間違っても、握り手で持たないように」
会場で小さな笑い声が上がる。おそらく、冗句か何かのように聞こえたのだろう。
だが実際には昔、大鬼族がそうやって耳掃除をしていたので止めた覚えがある。
もっとも彼らの皮膚は岩のように硬く丈夫であるため、そこまでしないと耳垢が取れなかったらしい。
無論、そんな彼らには竹などやわすぎるものであったらしく、しかたがないので剣に使われている鋼で耳掻きを作ってやったこともあった。
そのおかげで見た目が鉤爪のついた槍のようなものが出来上がってしまったのだが、彼らは喜んでそれを使い、がりがり、ごりごりと耳掃除をしていたものだ。
——閑話休題。
「次に、耳掃除をする範囲です。こちらの人形をご覧ください」
壇上に用意してもらったは、アリスとクリスを模した人形だ。髪型はクリス、髪の色はアリス、背の高さはアリスで体つきはクリス——と、とにかく複雑な造りをしている。
なんでそんな珍妙なものを作ったのかというと、それにはちゃんとした理由がある。
最初は、ヘレナの手配する『きれいどころ』が呼ばれるはずであったのだが、クリスとアリス、特にクリスが猛反対したのだ。
なんでも、無関係の人が巻き込まれるのは忍びないとのこと。
それならわたしとクリスちゃんが出ればいいのではとアリスが提案したのだが、これはヘレナから制止が入った。さすがに防衛部の筆頭、護衛艦隊の司令官を患者の見本にはできないのだという。
……当たり前と言えば、当たり前の話なのだが。
そのあとも喧々諤々の論議が交わされたのだが、結果として、アリスとクリスを模した人形を作ることで決着がついた。
「二体も人形を作る必要性を感じないのだが」
「では、私とアリスさんを元に一体の人形を作ってはいかがでしょうか」
「それ、いいですね!」
「いいのか?」
いっそのこと耳だけを模した模型でいいのではと提案したのだが、こちらもヘレナに却下された。
曰く、集客効果は大事らしい。
そういうわけで、材料を集めてもらい、一気に製作することにする。
そして出来上がりをふたりに見てもらったのだが……。
「ふと思ったんですが、このお人形にマリウス船長の要素を加えると、私たち三人の子供みたいになりませんか?」
「クリスちゃん——すごいです! その発想はありませんでしたっ!」
「絶対に足さないからな」
そもそも俺たち三人の子供とはなんだ。どうやってもふたりまでだと思うのだが。
そういうわけで、作られたのが、アリクリス(仮称)である。
その人形を元に、耳掃除の基本を説明していく。
一見すると見ずらいことこの上ないようにみえるかもしれないが、このために図書館の備品である超大型拡大鏡が運び込まれており、小規模の講堂でならある程度見やすくなっていた。
「耳の掃除範囲ですが、基本的に見える場所までです。手探りで耳掻きなどを入れないように」
そんなことをしても、取れるわけがないのだ。
「あの、我々医者の場合はそういうわけにもいかないときが」
前列にいた耳鼻科医が、挙手してそういう。
たしかに、痛みなどの異常を訴えられて耳を診る場合は細部まで調べる必要があるだろう。
「その場合は、こちらを使用してみてください」
そう言って、俺はそれをアリクリス(仮称)の耳につけてみせた。
講堂、特に医師の面々がざわめく。おそらく見たことがないからだろう。
「とりあえず、耳鏡と名付けました」
耳につけてみせた器具——表面を磨かれた金属でできており、ラッパ状の筒になっている——を説明する俺。
「これにより耳道を真っ直ぐにする効果があります。それに加えて、金属の反射で灯を奥にまで届かせる効果があります」
現に、アリクリスの耳の奥、鼓膜までもが簡単に見えるようになっている。
「ただし、通常の耳掃除には不要です。故にこの器具の販売は医師の方に限らせていただきますので、悪しからず。次に掃除の仕方ですが耳掻きで耳道をひっかくのではなく、あくまではがすように——」
■ ■ ■
「お疲れ様、マリウス君! おかげで企画は大成功だったわ!」
ヘレナ司書長の労いに黙って頷く。久しぶりに長時間喋り通して、疲れてしまったのだ。
「私自身もいい勉強になったわ! これでクリスちゃんをいつでも悶絶させてあげられるようになるわね!」
だから、本人の前で言うなと。
現に、それを聞いたクリスが慌てて両手で耳を塞いでいる。
「あとは練習ね! それは手近な図書館員か、司書でなんとかするわ!」
それはまた、気の毒に。
「あの、マリウスさん。このお人形どうします?」
会場の撤収を手伝っていたアリスが、遠慮がちに聞く。
「どうしたものかな」
解体するには、少し本人達に似せすぎてしまい、やや抵抗がある。
「では図書館の資料として預かるわ」
「変なこと、するなよ」
「クリスちゃん百%ではないから大丈夫よ!」
「それもそうか」
いやな信頼感だった。
「それより、あの耳鏡、すごいことになったわね。全種売り切れでしょう?」
「ああ」
魔族も人間も、耳の穴の大きさには個人差がある。それゆえ各種寸法の耳鏡を用意していたのだが、それらをその場にいた医師達は全員買い上げてしまったのだ。
「あとは竹に変わる素材も必要だな。耳掻きの増産がおっつかなくなる」
「それについてはこれなんてどうかしら?」
ヘレナが投げたものを受け取る。
これは……耳掻きだ。だが、その素材は——みたことがない。
「なんだ? これは」
「これは樹脂と呼ばれるものよ。産出場所は——海底遺跡」
「海底——遺跡!?」
「そう。それでお願いなのだけれど……」
怪しい笑みを浮かべて、ヘレナは続ける。
「ちょっと海底遺跡に潜って、この樹脂の塊をとってきてくれないかしら?」




