第四十四話:クリスの思い出
■登場人物紹介
【今日のお題】
アンドロ・マリウス:勇者に封印されていた魔王。二百三十六歳。
【耳かき派? 綿棒派?】
「耳かきだな」
アリス・ユーグレミア:魔王の秘書官。十四歳。
【耳かき派? 綿棒派?】
「誰かにする時はどっちでもいいんですけど、自分でする時は綿棒ですね。耳かきだと、ちょっと怖くて」
二五九六番:元機動甲冑。現海賊船雷光号。鎧時はニーゴと名乗る。年齢不詳。
【耳かき派? 綿棒派?】
『主砲を掃除するブラシ。あれめっちゃ気持ちいいぜ!』
メアリ・トリプソン:快速船の船長。十八歳。
【耳かき派? 綿棒派?】
「綿棒ね! 耳かきだとついかきすぎちゃうのよ!」
ドロッセル・バッハウラウブ:メアリの秘書官。十六歳。
【耳かき派? 綿棒派?】
「竹の耳かき以外は認めない」
クリス・クリスタイン:提督。護衛艦隊の司令官。十二歳。
【耳かき派? 綿棒派?】
「綿棒です。耳かきだと、くすぐったくて」
ヘレナ・ニューフィールド:図書館の司書長。二十八歳。クリス大好き。
【耳かき派? 綿棒派?】
「両刀よ! 全力でクリスちゃんの耳を掃除して気持ちよくなってもらうだけでもう……! もう……!」
「なるほど、つまり君は——」
あの筆舌に尽くしがたいおとぎ話だか恋愛小説だかよくわからないものを読んでから数日後。
俺はアリスを伴って読める古語の一覧(いうまでもなく、俺が封印される前の文字。そしてこれもいうまでもないことだが、すべてではなく、難解な言葉は省略してある)をヘレナ司書長に提出しに図書館を訪れていた。
その際、例の物語に対する所感を求められたのだが——。
「——このおとぎ話が偏っていると、結論づけるのね?」
「……そうだ。天の使いとやらに関してはそこそこ正確なのだろう。なにせ歴史の勝者だからな」
「なるほどね。では、敗者である古き神については?」
「存在はしていたのだろう。だが、その記述はでたらめなのではないかと推測する」
「存在はしていた——つまり、神がいたと?」
「ちがう。旧支配者だ。古い支配体制の長を倒しただけなら、それはあまり神聖視されない。だから古き神としたんだ」
「なるほど……それは一理あるわね。つまり古き神についてはほぼでたらめと?」
「ああ。総じてこの歴史を記したおとぎ話は不正確なところが多いとみられる」
だが、一部は正確で俺の背筋を凍らせる描写があった。
ヘレナ司書長に話すつもりは毛頭無いのだが、最終決戦のくだりはまるで見てきたかのように記されている。
となれば、問題は誰が書いたということなのだが……。
あの場にいた両軍は、俺とあの忌々しい勇者を残して全滅していた。
俺が封印された以上、これを記したのはやつだということになるがしかし……。
「どうしたのマリウス君? 難しい顔をして」
「いや……著者が気になってな」
「それは私も気にしているわ。今日のクリスちゃんの水着のように……!」
「紺色だろう……?」
クリスが普段着に着ている、あるいは制服の下に着ている水着なら、何度か見ている。
「甘いわね! クリスちゃんの水着は確かに紺色よ! でもたまに肩紐の部分が白かったり、胸の所に模様が入っていたり、ごく希に大人を意識して切れ込みがちょっとだけ過激なものになっていたりするの!」
「そ、そうか……」
そういえば、前にアリスさんとおそろいですっ! といって白い肩紐の水着にしたことがあったか。
それにしても……。
「クリスのことが、本当に好きなんだな」
「当然よっ!」
無駄に格好を付けて、ヘレナ司書長は断言した。
「よければ、理由を教えて貰えないか」
「あ、それわたしも気になります」
いままで発言を控えていたアリスも、そう言う。
「いいわ! とくと聞きなさい!」
俺達に長椅子を勧めて、ヘレナ司書長は椅子に座り直した。
■ ■ ■
あの日は、雨が酷かったわ。
めったに外出しない私は自分の分を持っていなかったから、館員から雨除けの外套を借りると、護衛艦隊の詰所兼司令部——ああ、今の場所じゃないわ。移転する前の場所ね——の隣にある、司令官の自宅を訪れたの。
……あんまりよろしくない、情報を胸に納めてね。
「あの、どちらさまでしょうか?」
応答に出たのは、当時十一歳のクリスちゃん自身だったわ。
「ヘレン・ニューフィールド。図書館の司書長よ」
自分の身分を表す指揮杖——ああ、これクリスちゃんも持っているわ。今度見せてもらいなさい——を見せながらそういうと、クリスちゃんはすぐに家の中へと迎え入れてくれたわ。
先代の司令官による教育の賜物でしょう。私の顔は知らなくても、指揮杖が本物かどうかすぐにわかったみたいね。
「ご存知かと思いますが、父が現在船団会議で出かけておりまして……たいしたおもてなしもできず、申し訳ないです」
「いえ、押しかけたのはこちらだから構わないわ。私のことは、お父さんからなにか聞いている?」
「お名前は存じております。おとうさ——父が不在時になにかあったとき、その方を頼れと」
「そう、それは光栄ね。ところで、護衛はどうしたの? 貴方には始終護衛が付いていると聞いていたけど」
「それが……さきほど急報が入ったと言って司令部の方に……」
「——そう」
クリスちゃんのお母さんはね、クリスちゃんを生んだ時に産後の肥立ちがよくなくて、すぐに亡くなってしまったの。だから平時は護衛艦隊司令官である彼女のお父さんが自ら、彼がなんらかの理由で航海中は、護衛艦隊司令部の誰かが必ず護衛についていたのよね。
でも、それがいなかった。
「あの人たちだけではありません。いま、護衛艦隊の皆さんが浮き足立たれていて……なにか、変なんです」
「……でしょうね」
「何か理由を、ご存知なのですか?」
「ええ。でも、落ち着いて聞いてね」
「は、はい……」
次の一言を伝えるのには、本当に勇気が要ったわ。
ええ、もう、本当に。
「貴方のお父さん座乗の、護衛艦隊旗艦『スマッシャー』が、撃沈されたわ」
「……え?」
これだけははっきり言っておきたいんだけど、
その時見た、絶望に打ちひしがれるクリスちゃんの顔だけは、もう見たくない。
「なぜ、それを私に……?」
「ことが急を要するからよ。そして、あいつが——貴方のお父さんが、私に対してことづけた『何かあった時に、娘を頼む』という約束を履行しているわけ」
「どういうこと……ですか?」
「これはここだけの情報だけど、君のお父さんに何かあった時にね、政治部——つまり、行政の長たる船団長は、前々から君の若さを憂慮し政治部より代理を立てようとしているわけ。具体的にいうと、今の船団長の息子を立てたいそうよ」
この船団が政治、情報、護衛のみっつに分立しているのはクリスちゃんから聞いてる?
そう、それならいいわ。
それぞれには長がいるの。すなわち——。
政治部たる行政府の長、船団長。こちら、息子がいい年の御老人よ。
情報部たる図書館の長、司書長。これが私。
防衛部たる護衛艦隊の長、司令官。これが——その時は、空位になったわけ。
これらの長はね、本来代々のお家から輩出されていたのよ。
ところが、クリスちゃんは若かった。そこに、政治部は目をつけていたみたいのね。
まぁ、全部私に筒抜けだったんだけど。
「——それは……道理が通りません」
「そのとおり。だけど、貴方はにはいくつか道があるの」
「道、ですか?」
「ええ」
政治部の露骨な工作は防衛部の長——つまりクリスちゃんのお父さんには把握されていたの。まぁ、私が伝えたのだけど。
それに対して、彼は私に常々こう言っていたわ。
俺に何かあった時、クリスには必ず、選択肢を提示するように——と。
「まずはこの提案を受け入れ、普通の女の子として暮らすこと。護衛艦隊司令官の血脈は途絶えるけど、これが一番波風が立たないでしょう。次に、君がある程度成長するまで、誰かの下につくこと。そうして、君にある程度力がついてから、司令官の座につけばいい。そして最後に——これが一番修羅の道であるけれど……」
「私が今すぐ、護衛艦隊司令官を継ぎ、政治部からの要求をはねのける——ですか?」
「そう。その通り。でもそれが一番険しい道よ。君はいますぐ、その双肩にこの船団の安全、この船団の自警、そしてなにより、ひとつの船団を一瞬にして滅ぼすことが出来る力がのしかかってくる。だから、私としては二番目の選択肢をお勧めするわ」
おそらく権力闘争が勃発するけど、そのときクリスちゃ相応の力をつけているはず。それならば、それが一番クリスちゃんにとっては楽だと、その時には思っていたのよね。でも……。
「なりません。人は、一度手に入れた権力をそうそう手放したりはしません。そうなる前に、手を打たねば」
クリスちゃんは、はっきりとそう言ったわ。
「それは、三番目の道を選ぶということ? そうなるともう、普通の女の子には戻れなくなるわ。それでも?」
その時、私を見つめ返すクリスちゃんの瞳は……もう十一歳の女の子の目じゃなかった。
「私はオスカー・クリスタインの娘、クリス・クリスタインです。いずれ護衛艦隊の司令官を務める身であれば、それがいますぐでも構いません」
「そう……」
「ひとつ、教えてください」
「ええ、私が答えられるものなら」
「父の——いえ、先代の最後は、立派でしたか」
「そのように、聞いているわ。他の船団の護衛艦を逃がすために殿に立ち、超大型の海賊と一対一で、圧倒的不利な状況に陥ったのにもかかわらず、相討ちにもちこんだと聞いている」
「そうですか……先代、らし……い……です……」
「もっと泣いてもいいのよ。貴方には、その権利がある」
「いいえ……いいえ!」
私から顔をそむけて、クリスちゃんは顔を手の甲で拭ったわ。
本当に、それ一回だけだった。
「不要です。いまは、泣くときではありません」
「そう。強いのね、貴方」
「防衛部、護衛艦隊の司令官ですから。——早速ですが、協力を願います。いま、我が護衛艦隊は情報の収集が遅れ、まともに機能していません」
「いいでしょう。情報部が防衛部に介入するのは本来ご法度だけれど、政治部が介入しようとしているのなら、やり返さないとね」
「感謝します。司書長。まずは……艦隊を再編せねばなりません。そして、護衛艦隊は行動可能であることを示さねば——」
「司書長!」
そこで、うちの館員がひとり飛び込んできたの。
その慌てぶりから、おおよその自体は察したけどね。
私も、そしておそらくクリスちゃんも。
「どうしたの?」
「艦橋の方に動きが」
「情報を掴んだわね。クリスちゃん——いいえ、クリスタイン提督」
「詰所——護衛艦隊司令部へ向かいます。申し訳ありませんが、情報部たる図書館に防衛部たる護衛艦隊より要請します。司令部を掌握するまで、おつき合い願いますか?」
「心得たわ。同行しましょう」
「あの、私は?」
「君は至急艦橋に戻り、政治部の連中を足止めしなさい。館員、司書の連中を総動員して構わないわ。私が許します」
「わかりました! ただちに取り掛かります!」
■ ■ ■
「そこからは圧巻だったわよ。右往左往していた護衛艦隊の司令部に、正装した十一歳の女の子が乗り込んで、一喝したの。すこぶる爽快だったわ!」
そう言って、ヘレナは話を締めくくった。
「それで、どうなった?」
「当時の護衛艦隊もぼんくらではなかったのよ。ただ最上位たる五つ星の司令官が居なくなって混乱していただけ。そこにその継承者が現れて指揮を執ったのよ? すぐさまその機能を取り戻し、遅れてきた政治部の介入をはねのけたわ」
「それは……すごいな」
仮に封印される前の俺が何らかの事故で死んだとしよう。
その際、あらかじめて決めておいた魔王軍の引き継ぎが履行されるかどうかが……まったく自信はなかった。
なにせ、実力主義の我が軍だ。加えて、俺には配偶者も後継者のいなかったとくる。
「今はもう、クリスちゃんにはそういう介入はないんですか?」
目の周りを赤くさせたアリスが、そんなことを訊く。
「ちょっかいくらいはあるわね。でも、もう私の助けなしに、クリスちゃんはそれをはねのけることができるわ。あぁ、なんてたくましくなったのかしら! 抱いて!」
「怖いことを言うな」
誰にも得になりそうにないことは、言わないでほしい。
「つまり、司書長は先代の司令官——クリスの父親に、後見を頼まれていたわけだな」
「ええ。あいつは外交が多かったからね。昔っから自分の足を頼りにするやつだったわ」
「それでクリスの面倒を見ているうちに愛着が湧いたと」
「そう捉えてもらっても構わないわ」
——おそらく、それだけではないのだろう。
クリスの父親と司書長の間には、きっと固い絆があったに違いない。
それが友情なのか、愛情なのか、俺にはわからなかったが。
「失礼します、司書長。ここにマリウス船長とアリスさんがいらしていると聞いたのですが——」
「ク〜リ〜ス〜ちゃ〜ん!」
「わぷっ! アリスさん!? 急にどうし——さては司書長! あのときのことマリウス船長達に話しましたね!」
「ええ、禁じられていないもの」
「もうっ! いずれ私がおはなしするつもりだったのに——!」
「ク〜リ〜ス〜ちゃ〜ん!」
「ちょ、アリスさん、胸が、胸が当たって息がむぐぐ!」
「ああんっ! ずるいわずるいわ! 私も私も!」
「むぐっ!? むぐぐっ!? むぐ〜っ!?」
「クリスが窒息しかかっているんだが……」
もう一度、護衛艦隊を危機に陥れるつもりか。
そう思いながら、クリスを解放してやる。
「ふぅ——助かりました。マリウス船長」
「あれくらいなら、お安い御用だ。それより、帽子を脱いでくれ」
「はぁ……」
怪訝そうに帽子を脱ぐクリスの頭を、そっと撫でる。
「よく頑張ったな」
「あ……ありがとう、ございます」
それは、傍目からみれば子供扱いしているように見えたかもしれない。
けれどもクリスは、俺の手をはねのけたりせず、微笑みを返してくれたのだった。
■本日のNGシーン
「まずはこの提案を受け入れ、普通の女の子として暮らすこと。護衛艦隊司令官の血脈は途絶えるけど、これが一番波風が立たないでしょう。次に、君がある程度成長するまで、誰かの下につくこと。そうして、君にある程度力がついてから、司令官の座につけばいい。そして最後に——これが一番修羅の道であるけれど……」
「はい」
「アイドルを、めざすこと」
「アイドル」
「そうしたら私、全力で課金するわ!」
「課金」




