第四十話:海の下の街
「えっ!?」
待ち合わせの場所で、メアリは驚いたような声をあげた。
「ニーゴ、あなた泳げるの?」
「おう! オイラ全身がまほ——いやいや、発掘品みたいなもんだからよ。すげぇぜ?」
親指を立てて、ニーゴ状態となった二五九六番がそう答える。
メアリが驚くのも無理はない。
ふつう、全身鎧が海に入るなど、自殺行為だろう。
だが、ニーゴ状態の二五九六番は、両脚に二基、背中に二基の推進装置を備えている。
下手をすれば俺たちより高速かつ高機動で泳ぎ回れるはずであった。
「錆びないの?」
そっちが気になると言わんばかりに、ドロッセルが訊く。
「元があのでっけえやつのもんだからなぁ。錆びないらしいぜ?」
「そういえば、そうだった」
そう、ニーゴの身体はもともと発掘島に隠されていた死の罠、自動的に動く機動甲冑を基にしている。
あれは海に入れれば沈むものだが、錆びることはないのだ。
そういうわけで、調査隊は俺、アリス、ニーゴ、メアリ、ドロッセルの計五名となった。
あとは、護衛艦隊より潜航艇の操縦兼案内役の人員がひとり派遣されて来るはず——。
「おまたせしました」
「——クリス?」
「はい。私ですがなにか?」
護衛艦隊司令官、直々のお出ましであった。
「司令官がみずから……いいのか?」
「構いません。もともとこの点検調査は私が直轄でやっていることですので」
なるほど。
逆に言えば、そこまで信頼してもらっているということか……。
こうして計六名となった調査隊は、クリスの案内で潜航艇の停泊する場所へ向かう。
護衛艦隊に所属する船の中でも、かなり珍しいものであるため、普段はそう簡単に立ち入りできないらしい。
いくつかの門をくぐり(その度に衛兵から敬礼され、それをクリスが敬礼で返し)、専用の港に着く。
「これが、潜航艇……」
「はい。我が護衛艦隊の中でも、海底の調査という面においては随一のものです」
誇らしげに胸を張って、クリスがそう答える。
大きさは、暁の淑女号よりさらに一回り小さいくらいだろうか。
だが、その船体は装甲に覆われており、甲板から上は、分厚いガラスの半球体に覆われている。
「海の下に行ける船って、なんかすごいですよね」
アリスが、感心したかのようにそう呟いた。
「本当にな」
実は、雷光号も潜行することができる。
ただし、観測機器はそれほど積んでいないことと、なにより目立つため、今回は雷光号で潜ることを俺は早くから除外していた。
「ではみなさん、潜航艇に乗る前に着替えを済ませてください」
クリスが指し示す先には、なにやら厳重な建物がある。
「着替え?」
水着じゃだめなの? と、メアリ。
「はい。潜航艇の中にずっと残るのならともかく、今回は外——海の下の街を直接歩きますので」
「なるほど。つまりは潜水服か」
「そういうことです。もっとも、今回は比較的浅いので呼吸装置のある頭部だけでも構いませんが」
それでも、あるとないとでは雲泥の差であろう。
「あ、中は男女共用でした」
——ちょっとまて。
過日のアリスとクリスを検査したときを思い出し、俺は硬直する。
「なので、先にマリウス船長とニーゴさんからどうぞ」
「……ああ。助かる」
一緒に着替えようとか言われなかったことを、ここから安堵する。
「って、ニーゴさんはその鎧で海に入るつもりなんですか?」
「ああ、これ? オイラにとっては、これが身体なんよ。だから着替えるのも無しで大丈夫だぜ」
「えぇ……?」
そういえば、クリスはニーゴの事情(という名の設定)を知らなかった。
俺はかいつまんで、そこの話をクリスに教える。
「そんなことが……苦労されたんですね」
「まぁなー。でもおかげで海の上だろうと中だろうとおかまいなしよ。ほれ大将、さっさと着替えてきなって」
「あ、男性用は2着しかないのですぐにわかると思います。寸法が合っている方を着用してください」
「わかった」
たしかにニーゴの上に強制的に潜水服を着せた場合、内蔵した推進器が使えないので沈んでしまう。
もう少し小型化軽量化すれば、あるいは……そんなことを考えながら、更衣室に入る。
現在の潜水服は——なるほど、こういう造りか。
納得しながら、手早く着替える。
背中に背負うのがおそらく空気の貯蔵庫、首回りに余裕のある頑丈な輪が付いているが、こちらはおそらく透明な兜をかぶるためのものだろう。
そしてその透明な兜と、背中の貯蔵庫が管でつながっている。これで、水中でも呼吸できる仕組みなのだろう。
「着替え終わったぞ」
そう言って、建物から顔をだす。
途端、女性陣から一斉に視線を浴びることになった。
な、なんだ……?
「なにか、着方がおかしかったか?」
思わずクリスに聞いてみる。
「い、いえ。そうではないです。ただその……」
「その——なんだ?」
「いえ……こうしてみると、マリウス船長、胸板厚いですね」
「そこか!?」
そういえば、この潜水服。動きやすさを重視してか、身体に密着している。
そのため、身体の線が不必要なまでにはっきりとわかるようであった。
「しかもカチカチよ、カチカチ!」
「勝手に人の胸を触るんじゃない!」
「いいじゃない。減るもんじゃなし」
なおもぺたぺたと触ってくるメアリを、片手で追い払う。
「あの、では……」
そこで手を挙げたのは、なんとアリスだった。
「お願いしたら、触ってもいいですか?」
「……構わないが」
断る理由が思いつかなかったので、そう答える。
「では、失礼します——本当だ、硬いですね」
「あの! 私も、私も触ってみていいですか!」
「なぜそんなに人の胸板が気になる……」
とはいえ断る理由もないので、クリスの申し出にも許可する。
「本当ですね。すごく硬くて先代……お父さんみたい——あっ」
「……? どうした、クリス」
「い、いえっ! なんでもないです」
時には話を聞かなかったことにするもの、大事なことであろう。
特に、魔王であっても魔王でなくても。
「んじゃ、つぎはあたしたちが着替えてくるわね!」
湿っぽい空気が基本的に苦手なのだろう。いつもより明るい声でメアリが女性陣を率いて更衣室に入って行く。
「はいおまたせ!」
予想はできていたが、女性用も身体の線が丸わかりであった。
特にメアリとアリスは、その豊かな胸の形が——ってなにを凝視しているのだ、俺は!
「ドロッセルさん! 私たちも負けないように、頑張りましょう」
「……クリス提督、貴方はまだ成長期だから余地がある。だが私は——絶望的」
「じゅ、十六歳でもまだ成長期ですよ……?」
アリスが慰めるが、あまり効果はなさそうだった。
■ ■ ■
明るい海の中を、クリスが操縦する潜航艇が行く。
「いい腕しているわね」
同じく操船技術をもつメアリが、感心したかのようにそう呟いた。
「ありがとうございます。操船ならそれこそ子供の頃から練習していましたので」
「だが、普通の船と同じというわけにはいかないだろう」
と、俺。
普通の船と違って、前後左右だけでなく、上下にも動くわけだから、その分気を使わなければならないはずだ。
「よく気づかれましたね。その通りなんです」
「もしよかったら、どのように制御しているか教えてもらっていいか」
「舵輪ですよ。これを押し込むと潜航、引き出せば浮上です」
「なるほどな。足元にあるふたつのペダルは?」
「これは潜航艇の左右の傾きを制御するものですね。水中は傾きを加えると旋回しやすいので」
「そういうことか。勉強になる」
俺がなんらかの理由で潜航艇を作るときは是非とも参考にしようと思う。
「それにしても、綺麗ですね……」
座席から、半球状のガラスを見上げて、アリスがそう呟いた。
「そうだな」
そこかしこを色鮮やかな大小の魚が泳いでいる。
点在する海草や珊瑚、あるいはイソギンチャクはまるで森のように、多種多様な生物層を形成していた。
——ふと、上が暗くなる。
見上げると、巨大な船底が水面付近にあった。
「中枢船の下を通過します。照明つけますね」
前方が明るく照らし出される。そこは、海の下の街であった。
——ついに来た。
かつての地上に名残に、俺はやってきたのだ。
「先にクジラ——クラゲでしたっけ?——が通過したところまで行きます。そばに広場の跡がありますから、そこから調査を始めましょう」
そう言って、クリスが舵輪を緩やかに回す。
やがて、その広場が見えてきた。
クリスは慎重に舵輪とペダルを駆使して、その広場に近づいて行く。
「着底します……」
かすかな振動と共に、潜航艇の動きが止まる。
海底に、到着したのだ。
「みなさん、底部後方の潜水室へ」
操縦席から立ち上がりながら、クリス。
俺たちはそれに従い、潜航艇の底にある潜水室に移動する。
「いいですか。潜水用の兜をかぶったら、必ず相互確認してください。緩みやガタが決して無いように。そして必ず背中の空気貯蔵装置と管がつながっているのも同じように確認してください。こちらも緩みやガタがないことを確認してください。絶対ですよ」
命に関わることなので、全員真剣に確認する。俺はアリス、クリスと。メアリはドロッセルと装備をしあっていた。
「あと、これも大事なことですが、水中では声による会話は限定的になります。会話が必要だと思ったら、話したい相手と兜同士を接触させてください。それ以外は腰に提げられている携帯用発光信号装置で。発光信号が使える人は?」
アリス、メアリ、ドロッセルが挙手する。
俺は未だに誤読するし、ニーゴは純粋に読めないので手は挙げない。
「では、マリウス船長は私とアリスさんとで。ニーゴさんはメアリ船長とドロッセルさんと行動するようにしてください。って、ニーゴさんはどう会話すれば——」
「ニーゴは全身のどこに接触しても話せるはずだから、安心していい」
「そ、そうなんですか。すごいですね……それでは、これから注水します。異常があったらすぐに申し出てくださいね!」
そう言って、クリスが操作桿を倒す。
すると警告音が響いたあと、足と元から海水が満たされてきた。
それはすぐに頭上を越えて、潜水室を満たす。
クリスが、先ほどの操作桿をさらに倒す。
今度は、潜水室の一角がゆっくりと開いていった。
『……街ですね』
アリスがこつんと兜を接触させてから、そういった。
『ああ』
目の前にあるのは、間違いなく街だ。
かつて俺が過ごしていた地上にあった、街だ。
クリスがまず先行した。その後をメアリ、ドロッセル、ニーゴが続く。
俺は——まだ踏み出せなかった。
『行きましょう、マリウスさん』
アリスが、俺の手を引く。
『すまない……いや、ありがとう。アリス』
『いえいえ、どういたしまして』
藻に覆われた、広場に踏み出す。
恐らくは外から入ってきた馬車を停める場所であったのだろう、かなりの広さがあった。
その外は普通の海底が広がっており、反対側には民家が広がっていた。
上を見上げると、水面が鏡のように日の光を反射していた。
少し遠くにある巨大な影は、船団の中枢船だろう。
『みてください』
兜を接触させてから、クリスが街の外を指差す。
そこには、なにか巨大なものが通過していった痕があった。
あの忌々しい勇者の次に忌々しいクラゲが通っていった跡なのだろう。
『街には目に見える損害はありません。マリウス船長、あなたの功績ですよ』
『ありがとう、クリス。だが、これは俺だけの功績じゃない。作戦を補佐し、実際に艦隊を動かしてくれた護衛艦隊の功績でもあると、俺は思う』
『……そういってくれるんですね……ありがとうございます』
少し照れくさそうな声でクリスはそっと離れていった。
さて——。
ひとつ、確かめたいことがあったので、俺は民家のひとつを見定めると、水中を跳躍する。
比較的綺麗に形を残している二階の窓から中を覗き込み——。
「よかった……」
おもわず、ひとりごちる。
『どうしたんですか?』
気になったのだろう。同じく跳躍したアリスが、水中兜を接触させてそう訊いてくる。
『これをみてくれ。戸棚がしっかりと施錠されている。箪笥もだ』
『そう……ですね。つまり……?』
『これはな、避難するのに余裕があったということだ』
もし急に逃げなくてはいけないという場合、こうはいかない。戸棚は開け放たれ、箪笥の中身は散乱していただろう。
だが、今見た民家では、そのような兆候はない。
それは、この街が急な災害で海に沈んだわけではないことを示していた。
『なにか、興味深いものでもみつけましたか?』
『ああ、まぁ』
クリスたちも聞きにきたので、俺は簡単に説明する。
『なるほど。そういう見方があるんですね。勉強になります』
『なにか、そういったことを示す史料は残っていないのか?』
『あるにはありますけど、少し荒唐無稽でして——今度、図書館にご案内しましょう』
『ああ。頼む』
『それより、今は街を回ってみましょうか。ついてきてください』
『頼む』
クリスの先導で、街の各所を回る。
さきほどの広場を囲むように広がる宿屋街、看板の跡が未だに残る商店街、二階建ての建物が多い住宅街、そして、街の機能を預かる政庁と、住民の憩いの場になっていたと思しき広場……。
——これは。
『アリス』
今度は、俺から話しかける。
『どうしました?』
『この街、魔族の街だ』
『えっ!? でも、マリウスさんの領土からは遠いって』
『区画の作り方が俺の元領土と変わらん。人間が真似したとも思えん』
そもそも、人間の街の多くは、計画のけの字もない雑多な作りが多かった。
だが、この海の下の街は——何者かの意思、あるいは計画によって、しっかりと区分けされている。
そういう意味で、クリスの船団はかなり魔族の街と近いものがあった。もっとも、あちらは限られた空間を計画的に利用しているためであろうが。
『じゃあ、どこかにマリウスさんのことが記録に——』
『どうだかな……』
街の区分けはしっかりしているが、見覚えはない。
それはつまり、俺が封印された後に作られた街なのだろう。だとすれば、俺に関する手がかりはあるまい。
『あ、マリウスさん。クリスちゃんから発光信号です。広場の中央に行くそうですよ』
『わかった』
アリスと内緒話をしている間にすこし距離が開いていた。俺たちは急いでクリスたちに合流する。
『以前、古銭のお話で少し引っかかっていたんですが……』
クリスが指差す先、広場の中央には記念碑が建っていた。
『この石碑をみてください。似ていませんか』
『似ているというか、本人だな』
見間違えようもない。あの忌々しい勇者の浮き彫りだった。
古銭のそれよりも抽象化されていないため、いやでもわかる。
『藻が付いていないのが不思議』
『あー、それあれだわ。この記念碑、オイラの鎧みたいにあのでかいのと同じ素材でできてるんよ』
ニーゴのいう通り、この記念碑、機動甲冑の外装に使われているもので出来ている。
それゆえ錆びず、そして藻が繁茂することもなくこうして残ったのだろう。
『なにか、書いてあるわね。ドロレス、貴方読める?』
『古文であるのはわかるが、判読不明。あと、ドロレスはやめてほしい』
——そうか。今は読めないのか。
『《新たな守護者を讃える。
支配者ではなく、
新たなる守護者を》……だな』
『読めるの!? すごいじゃない!』
『さすがは発掘品の専門家』
『すごいですマリウス船長! 図書館の司書長が知ったら喜びますよ!』
事情を知っているアリスとニーゴは無言だった。
だが、その方がありがたい。
おそらく、この街は魔族が移住させられて作ったものなのだろう。
そして、俺を封じたあの忌々しい勇者を讃えさせられたというわけだ。
その苦渋、いかばかりか——ん?
『まてよ……?』
『どうしました? マリウスさん』
俺の独り言になにかを感じ取ったのか、アリスが即座にそう聞いてくる。
『いや、この記念碑な——』
縦横比がおかしい。
いささか細かいようで申し訳ないが、俺の治世では記念碑の類は量産のしやすさを見越して、縦横比を定めていたのだ。
その比率は、そう変更されることないように、魔族にとって神聖な数字をもとに算出されている。
だから、ここが魔族の街であるなら、この比率が変わるのはありえなかった。
もしや、なにかが隠されている?
『クリス!』
『は、はい!? 急にどうしましたか?』
『この記念碑、下にまだなにか書いてある』
『本当ですか?』
『ああ。持ち上げてみてもいいか』
『……いいでしょう。クリス・クリスタインの名において、許可します』
『感謝する。ニーゴ、手伝ってくれ』
『あいよ!』
俺とニーゴで記念碑を持ち上げる。
幸いにして、記念碑は台座に深く突き刺さっているだけで固定されていなかったため、少しずつ動いてくれた。
もう間違いない。ここに何かが隠されている!
『大将、一回下ろすぜ!』
『ああ!』
ふたりがかりでもちあげ、そのすぐ横に下ろす。
碑文に、追加されていたのは——。
『《新たな守護者を讃える。
支配者ではなく、
新たなる守護者を
されど、我ら支配者を忘れず。
我らを護り、導き続けた、
我らが支配者に栄光あれ》……』
感情を込めずに読み上げられたのは、我ながら大したものだと思う。
だが、それ以上言葉は続けられなかった。
『マリウスさん』
アリスが、俺の手を握る。
自然、俺もアリスの手を握り返していた。




