第三二九話:シロクロヒナゲシ
「おはようございます! みなさま、お早いのですね!」
ヒナゲシが起き出してきたのは、クリスの圧縮睡眠騒動からまるまる一時間経ってからであった。
「おはようございます、ヒナゲシちゃん。朝から元気だねっ!」
声の主は、いうまでもなくアイアンワークスの諜報員、ミュートである。
ヒナゲシが起きてくる直前に、前日に集合場所と決めたユーリエの私室——何度も別の部屋を用意するよう勧めたのだが、無駄に広い上に新しい部屋を用意するのが大変なのでと断られたのだ——に現れたのは、おそらく機を伺っていたのだろう。
「そういうミュートはきつそうだが」
「あはは……あたし、朝弱いんですよ」
やはり夢を介した魔力による秘匿通信は、心身に負荷がかかるらしい。
どことなく萎れた雰囲気を隠せていないのは、演技ではなさそうであった。
「みなさーん! あさごはんですよっ!」
そこへ、アリスがクリスを伴って下の階から上がってきた。
盆に並んでいるのは、いつかのように堅焼きの上に干した果物や塩漬けの魚の切り身などをのせたものである。
「ミュートさんとヒナゲシさんは、好きなものを、ゆっくり食べてくださいね。まだ本調子じゃないと思いますから」
「ありがとうございます、アリスさん」
「感謝いたしますわ、アリスさん! まぁ……こんなに煌びやかな——! ダンタリオン流の食卓は、こんなにかわいらしいのですね!」
正確にはアリス流である。
ユーリエが何か言いたそうであったが、俺は否定しなかった。
「全員食べながら聞いてくれ。この後屋上にある星見の小広場で、ヒナゲシによる陰陽術の実践をみせてもらう。ヒナゲシ、何か用意するものは?」
「そうですわね……紙と筆記用具と、浮草を少々。適当な器にいくつか入れていただければ助かりますわ」
「浮草——? わかった。手配しよう」
ユーリエに視線を送ると小さく頷いたので、ここでは簡単に手に入るものなのだろう。
……俺の知っている浮草は淡水性であって、海水性は存在していなかったのだが、そこに気を取られるわけにはいかない。
現に、ミュートがさりげなくこちらの様子をうかがっているからだ。
そういうわけで。
「それでは、みていてくださいませ!」
ヒナゲシは祭祀用の服の袖から装飾性の高い短剣——いや、刃が片方にしかついていないので、短刀というべきか——を取り出すと、ユーリエが用意した紙を細く切り、筆記用具で何かを書き記しはじめた。
それはまるで札をつくるようにみえたが、俺の知っているそれとはちがい、魔法陣の類はいっさい書かれていない。
代わりに、内容はいっさいわからないものの呪文の詠唱と思しき文言が丁寧かつ美しさを感じさせる筆跡で記されており、陰陽術を励起させるためのものであることが想像できた。
「ヒナゲシさん、浮草はこれくらいでいいですか?」
桟橋まで降りたクリスとアリスが、水桶に四株の水草を浮かべたものをヒナゲシの前に置く。
「ありがとうございます。クリスさん。それで十分ですわ!」
水草の様子をながめてからひとつ頷き、ヒナゲシは作った札を四枚、器用にも指の間に挟んで同時に持つ。
「それでは行きますわよ、『おいでなさって、水草の兵隊さんたち!』」
そこからは、圧巻であった。
水草が突如として水面から浮かび上がると、その根を急速に増殖させ、身体を形成したのである。
それらはヒナゲシよりもひとまわり小さい——申し訳ない例えなのだが、クリスと体型が近い——大きさに成長すると、一斉に根でできた腕で敬礼したのであった。
「なるほど、これであたしの仮想竜と戦ったんですね」
ミュートが腕を組んで、納得したように頷く。
「ええ。皆さん勇敢でしたわ……!」
ヒナゲシ曰く、ミズミカドの戦列艦には、緊急時の食糧を兼ねて——え、食べられるのか?——水草が水槽に入った状態で貯蔵されているらしい。
そして何らかの理由で正規の乗組員——ヒナゲシ曰く、水師科の生徒——が行動不能になったり退艦する場合、陰陽科の生徒がこの浮草の兵隊を作ってひとりで操作するのだという。
「ちょっといいか?」
「はい?」
ヒナゲシが返事をする前に、俺は水草の兵士とヒナゲシの間の空間を走査して、驚愕する。
「これは……魔力的繋がりがない!?」
「はい。それが陰陽術ですもの。緊急時やより細かい動きが必要な時以外は、音声のみの指示で動きますわ」
「ということは、自律している……のか?」
「ええ。術者の簡単な命令なら独自に解釈し、遂行不能なら次善策を取れるくらいはできますわ」
「すごいな」
いってみれば、即席でニーゴを作ったといっているに等しい。
俺も魔力を編んで使い魔を作ることができるが、その運用は浮草の兵士とは、根本的に異なっている。
あちらは決められた以上の動きを行うことができないから、常に魔力で繋がっている必要があった。
「ただ、命令系統が少々むずかしいんですの」
「というと」
「たとえば、『お店で卵を五個買う。リンゴがあれば、三個買う』こう命令したらどのような結果になると思いまして?」
「卵が五個、リンゴが三個だろう」
「通常はそうですわね。でも、浮草の兵隊——わたくしたちは『式神』とお呼びするのですが——は、リンゴがあれば、卵を八個買ってきますわ」
「——ああ、なるほど。リンゴがなければ卵は五個か」
「そういうことですわ。さすが顧問のマリウスさま、鋭いですわね」
つまり、〜があれば、なければが、前の単語にかかるというわけだ。
この場合、浮草の兵士には卵をいつつ、リンゴをみっつ買うと指示すればいい。
そうすれば、あったぶんだけのものを彼らは入手してくるのだろう。
「最初に書いた札は? あれはただ単に起動させるためのものか?」
「そうですわ。もっとも、いま申し上げましたように言葉の意味をしらないと、起動させるのもたいへんですけれど」
「いいのか? ヒナゲシ。陰陽術の仕組みをそこまで詳しく話して」
「かまいませんわ。陰陽術は、式神の作成だけではありませんもの」
「そうか……なるほどな」
そう話している間にも、浮草の兵士たちは自らの判断で準備体操を行なっていた。
いつでも動き出せるようにということなのだろう。
その様子を、両手杖を握りしめてユーリエが食い入るように見つめ、
いまいち俺の魔法と区別がついていない様子で、アリスとクリスが眺める。
「ヒナゲシ、貴様は——」
「はい?」
「陰陽師、なのだな」
「ええ、陰陽科の筆頭にして副生徒会長、そして指導部の資格も持っておりますわ!」
アリスとクリスの隣で、ミュートが一生懸命メモをとっている。
一見するとまじめに勉強している生徒に見えるが、口元が少しだけひきつっている。
無理も無い。彼女も俺と同じ結論に至ったのだろう。
もうまちがいない。
御美苗ヒナゲシは間者ではない。
本物の、副生徒会長である。
「ふーん、陰陽師ってかわいいのね」
「臣もはじめてみました」
「もっとこう、うさんくさい、顔が濃い、テト◯ス派何だと思ってたわ」
「それ以上はおやめくだされ?」
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