第三十二話:湯気と、ブラシと、新たなる希望。
■登場人物紹介
【今日のお題】
アンドロ・マリウス:勇者に封印されていた魔王。二百三十六歳。
【現代社会ならどんな音楽を聴く?】「クラシックだな。特にパイプオルガンが魔王っぽくて落ち着く」
アリス・ユーグレミア:魔王の秘書官。十四歳。
【現代社会ならどんな音楽を聴く?】「うーん、なんでも聴きそうですね」
二五九六番:元機動甲冑。現海賊船雷光号。鎧時はニーゴと名乗る。年齢不詳。
【現代社会ならどんな音楽を聴く?】『そらワンダバよ』
メアリ・トリプソン:快速船の船長。十八歳。
【現代社会ならどんな音楽を聴く?】「そりゃもうアニソンよ、アニソン!」
ドロッセル・バッハウラウブ:メアリの秘書官。十六歳。
【現代社会ならどんな音楽を聴く?】「越天楽」
クリス・クリスタイン:提督。護衛艦隊の司令官。十二歳。
【現代社会ならどんな音楽を聴く?】「あ、アイドルソングとかでしょうか。同い年くらいの子の曲とか、すごく勇気付けられますし……」
「護衛艦隊の者が、酒場で聞いた話なんですが」
船団に腰を落ち着けて数日後の夜、予告なしに現れたクリスはそういった。
護衛艦隊司令官の制服ではなく、普段着として着用している紺色の水着に赤い革の背負い箱という格好からみて、私的な用事で訪れているのだろう。
「マリウスさんたちの船は、お風呂がすごいというのは本当ですか?」
——メアリか。
真っ先に容疑者が浮かび上がる。
大方酒場で酔っ払った時に酒の肴として話したのだろう。
「さらには、お願いすれば入れてくれるとか——女性限定だそうですが」
それはなんというかこう、非常にいかがわしい話になってないか。
「……たしかにそういうことをしたことがあるが、誰彼とも構わないというわけではない」
断固とした態度で、俺はそう答えた。
「そうでしたか……わかりました。では、護衛艦隊の諜報員に、お風呂がすごいという情報だけに修正するよう伝えておきます」
「お、おう……」
いるのか、諜報員……。
予想以上に組織として強大なことに内心舌を巻くが、よく考えてみれば船団の自警組織としては無いと困るのだろう。
できれば風呂の話もなかったことにしたいところだが、噂というものはそうすぐには消えないのは、封印される前から骨身にしみてわかっているので自重する。
「では、私も無理ですね……。急に押しかけて申し訳なかったです」
「いや、クリスが入りたいのなら構わないが」
明らかに落ち込んでいる女の子を追い返すほど、俺は鬼ではない。……魔王ではあるが。
「本当ですかっ!?」
「ああ。アリス、後で案内してやってくれ」
「わかりま——」
『《モウスグ、オフロガワキマス——オフロガ、ワキマシタ》』
「す、すごいですね。お風呂を自動で入れられて、しかも通知ができるなんて!」
「……案内してやってくれ」
「はい、わかりました。クリス提督——」
「クリスでいいです、アリス秘書官」
「じゃあ、クリスちゃんで。あと、わたしのこともアリスでいいですよ」
「あ、はい。わかりました、アリス……さん」
「それじゃ、こっちに——」
「よろしく、お願いします」
アリスとクリスが風呂場へと向かう。
それを確認してから、俺は室内の壁を軽く小突いた。
「二五九六番、貴様クリスが風呂のことを話し始めてから、速攻で用意していたな」
『そりゃそうよ。今までメアリの姉ちゃんやドロッセルの姉ちゃんでも入れてたろ。仲間はずれはよくねぇよ』
「それはそうだが……」
『あと、念のため言っておくけどよ。あの小さいお嬢ちゃんでも、監視は切らねぇからな。いかにお偉いさんだろうともよ』
「ああ、それでいい」
そこの線引きは、重要だ。
いかに今は俺に命令を下せる立場でも、特例を作るとあとあと面倒なことになる。
——浴槽が深いので、少し心配しているというのもあるのだが。
「でも、映像は絶対に見せちゃだめですからね!」
「それはとうぜ——もう戻ってきたのか、アリス」
「はい。クリスちゃん、人前で着替えるのが恥ずかしいみたいでしたし」
「それは誰だって恥ずかしいだろう」
「女の子にとって、大人と子供の間は特にそうなんですよ」
「そ、そうなのか……」
さすがにそこまでの機微はわからない俺であった。
『あ』
「どうした!?」
「どうかしましたか!?」
二五九六番が急に声をあげたので、俺とアリスはほぼ同時に腰を浮かせる。
『あの小さい嬢ちゃん——』
やはり浴槽が深すぎたか。
急いでアリスを向かわせねば——、
『風呂場で、めっちゃはしゃいでる』
俺は、倒れこむように腰を下ろした。
すでに駆け出そうとしていたアリスに至っては、派手に転んでいる。
「大丈夫か、アリス」
「はい、なんとか……」
『気になるなら、映像回そうか?』
「だ・め・で・す・!」
『なんならすっぱだかな部分は見えないようにできるぜ? 湯気とか、謎の光とかで』
「余計な気はまわさんでいい!」
そもそもそんな機能をつけた覚えはないのに、どうやって使えるようにした!
「でも、ちょっと安心しました」
ほっとした様子で、アリスがそういう。
「クリスちゃん、年の割に落ち着き払っていて、ちょっと心配でしたから。ちゃんと子供らしいところもあるんですね」
「そうだな。それは俺もそう思う。が、アリス。わかっていると思うが——」
「お仕事の時は、クリスちゃんではなくてクリス提督ですね。マリウス様」
秘書官の顔になって、アリスははっきりとそういった。
そういう切り替えの早さは、クリスと遜色ないと思う。
「ああ、それでいい。わざわざ確認してすまなかった」
「いえ、いいんですよ。そういうのは、大事ですから」
「そうか——そう言ってもらえると、助かる」
俺からしてみれば、アリスだってもうちょっとクリスのようにはしゃげるときにはしゃいで欲しいのだが……多分アリスのことだ。俺が目的を達成するまでは後回しでいいと言うのだろう。
そういう意味でも、今の世界がこうなった理由を早く知りたい俺であった。
「お風呂、ありがとうございました」
ほどなくして、クリスが風呂から上がってくる。
服装は入る前と同じ紺色の水着であったが、背負い箱は手に持っており、頭のリボンはつけていない。
おそらく、髪がまだ乾ききっていないのだろう。
「クリスちゃん、こっちにきてください。髪を梳いてあげますから」
戸棚からブラシを取り出して、アリスがそういう。
「いえ、流石にそこまでは。自分でできますし。そもそもそのままでもいいですし」
「クリスちゃんの髪長いから、自分でやると大変でしょ? それにそのままだと髪がふわって広がって大変だし、夜風にあたると風邪ひいちゃうかもしれないから、こっちにきて」
「……わかりました。おねがい、します」
観念したというより、梳いてもらうのを我慢していたのだろう。クリスはおずおずとアリスの前に座る。
そんなクリスの髪にそっと手にとって、アリスは丁寧にブラシで梳っていった。
「クリスちゃんの髪、綺麗ですねっ」
「あ、ありがとうございます。アリスさんも、その金髪綺麗ですよ」
「ふふ、ありがとう」
端からみていると、微笑ましい光景だった。
『ヽ(´ヮ`)ノ』
話すわけにもいかない二五九六番が、俺たちでは判別できない奇妙な音を出す。おそらく、俺と同じ気持ちなのだろうが。
「——? いまのは?」
「機関からの音だ。気にすることはない。いまちょっとニーゴが調整中でな」
『(b´∀`)b』
また妙な音がした。今のは良い判断だといいたいのだろうか。
「なるほど……そういえば、この船には煙突がありませんね。もしかすると……」
「そうだ。発掘品を機関としている。正確には、この船そのものが発掘品だ」
「やはりそうでしたか。お風呂といい、それを知らせる装置といい、普通の船だとは思っていませんでしが……よければ、そのお話をしてくれませんか?」
「ああ。長くなるが——」
以前アリスと一緒に決めた、『設定』を話す。俺は発掘品を収集、調査する家の出で、海賊どもに襲われて発掘品であるこの船でひとり逃げ出し——という例のあれだ。
クリスに嘘をつくのは少し心苦しかったが、だからといって魔王であるという素性を話すのも気が引けた。
立場と場合によっては、クリスが俺を敵と認識せざるをえない状況に追い込まれる可能性もあるからだ。
「とまぁ、そういうわけで……今はちょっと歴史的興味から古銭の由来を追っている」
「古銭って、あの天の使いが古い神を封印したとかいう、いまいち意味がわからない伝承が残っているあれですか?」
「そう、それだ! 天の使いが神を封印するという伝承、どう考えても変だからな」
「そうですね。神様同士で争うのは、やめてほしいです。人間同士でも十分ですよ、海賊なんてやっかいなものがいるというのに……」
クリスの言葉に、アリスが深く頷いた。
『設定』である俺とちがって、アリスはそれを実際に体験しているからでこそだろう。
「ところで、アリスさんはいつ頃からマリウス船長と?」
「つい最近ですよ。もともと料理人志望だったんですけど、それがうまくいかなくなって——その時に、マリウスさんに秘書官として雇ってもらったんです」
あえて故郷が海賊に襲われ、自身も同じ人間に襲われたことを隠して、アリスはそう答えた。今の流れでそれをいっては、クリスの重荷になると判断したのだろう。
「そうでしたか……もしよかったら今度料理を教えてもらってもいいですか? 私、料理をした経験があまりなくて」
「はい、喜んで!」
本当に嬉しそうに、アリスはそう答える。
……今度、料理を習ってみようか。
ふと、そう思ってしまう俺であった。
「はい、もういいですよ。リボンを貸してください」
「あ、はい」
赤い背負い箱からリボンを取り出して、アリスに手渡すクリス。
それを受け取って、アリスは丁寧にクリスの髪を一房結うと、リボンを結ぶ。
さすがは女の子同士といったところか、はじめて結ぶのに、その位置はいつもと寸分も狂っていなかった。
「ありがとうございます。アリスさん」
「いえいえ、どういたしまして」
「アリスさんみたいに年上のお姉さんにこうしてもらうの、はじめてだったので嬉しかったです」
「——そうだったんですね。でも、わたしとふたつしか違わないんですから、同世代だと思っていいですよ」
「えっ?」
「えっ?」
「……あ」
顔を見合わせるふたりをみて、俺は思い当たる。
そういえば、クリスはまだアリスの年齢を聞いていなかったか。
「あの、アリスさんはいまいくつなんですか?」
「じゅ、十四歳ですけど……」
「ほ、本当ですかーっ!?」
「は、はい……」
俺やメアリやドロッセルが聞いた時に比べて大仰に驚くクリスに、萎縮してしまうアリス。
「あの、もしかして何か悪いことでも」
「ちがいます! その正反対です!」
ものすごく嬉しそうに、クリスは力説する。
「あと二年で、私もアリスさんくらいの体つきに成長できるんですねっ!」
……なるほど、その発想はなかった。
確かに今現在、アリスとクリスの体格差——特に胸の大きさには、確かな隔たりがある。
「え、ええと——」
「そうなると、いいな」
「はいっ!」
心底嬉しそうに瞳を輝かせて、クリスは大きく頷く。
だが、俺は知っている。
かつて国民調査を行なった際に出てきた結果から、同じ栄養、同じ食事量、同じ運動量でも、成長には各個人の差が出てくることに。
これはおそらく、魔族であっても、人間であっても一緒であろう。
だが——案外、クリスはアリスやメアリを上回る恵まれた容姿になるかもしれない。
それはそれで、楽しみであった。
「私、新たなる希望が湧いてきました! これからもよろしくお願いします、アリスさん!」
「あ、はい。これからも、よろしく……お願いします?」
笑顔に困惑の色を混ぜて、アリスがクリスと握手をする。
それは不思議と、微笑ましい光景だった。
■本日の幕間
「なぁ、大将。この世にはいろんな魔王がいるみたいだけどよ」
「そうみたいだな。それがどうした?」
「『幼女を風呂で陥落させた魔王』って、大将ぐらいだよな!」
「やめろ! そんな恥ずかしい肩書きでは他の魔王に申し訳が立たないではないかっ!」




