第一九六話:魔王ですが、教師を探しています
「今日はむちむちの日らしいですね」
「——急にどうした、クリス」
「いえ、アリスさんもトライハル大尉も……むちむちだな、と思いまして」
「む、むちむち——まぁ、そうかもしれないが」
「マリウス管理官も、むちむちなのがお好みですか?」
「いや俺は……どうだろうな」
「もうっ、そうやってごまかすの——ずるいですよ」
「なるほど。そういうひ――そういう方でしたか」
ひとという表現を避けて、クリスはそんな感想を漏らした。
その配慮が、ふたつの時代を生きている俺にとってはありがたい。
「とても優秀な為政者だったようですね。見習いたいです」
「ほどほどに頼む」
念のため、釘を刺す俺。
クリスが一から十まで先の陛下を参考にするとは思えないが、万一そうしたら、また船団シトラスが上から下までひっくり返りかねない。
「うーん……」
対するアリスはというと、意外そうな声で唸っていた。
「なにか気になることがあったのか」
「いえ……ただ、マリウスさんが心酔するほどの方だったので、どれだけ完璧だったのかなって思ったら、結構破天荒だったので、ちょっとびっくりして」
「フハハ」
アリスには悪かったが、思わず笑ってしまった。
「俺も直接会うまでは、魔王という存在をそう思っていたな」
だが実態は決してそうではなかった。
「だがな、それを含めて尊敬に値する方だったよ」
「そうだったんですね……マリウスさんを見ていると、そう思います。すごく、優しそうな目をしていましたから」
「そ、そうか――?」
はじめてそんなことをいわれたので、少々動揺する、俺。
「為政者だけでなく、教育者として――いえ、先達としても優秀だったんですね」
と、クリス。
「ああ、魔王になる前は子供たちの世話をしていたらしい。――世が世なら、普通の教師として暮らせたのかもしれないな」
アリスもクリスも、そんな先の陛下から何故俺が魔王の地位を継承したのか、訊かなかった。
こればかりは、まだ話せない――あれから随分経ったというのに、心の整理がつかないのだ――から、それは本当にありがたいことだった。
『教師か……教師なぁ』
「どうした? ニーゴ」
いつの間にか、ニーゴが雷光号に戻っていたらしい。
共用の居間が狭くならないようにと、雷光号と合体状態になってこうして声だけを届けているのだろう。
『いや、この前マリスとも相談したんだけどよ』
と、困った声でニーゴは続ける。
『あいつらに一般常識を教えるの、無理』
「無理ときたか……」
そもそも俺自身にも、いまの時代の一般常識を教えられる自信はない。
なのでニーゴとマリスには、それぞれ自分が感じたことをそのまま伝えるように指示を出したのだが――。
『あいつら、オイラたちがそういうものだと思っていることを、どうしてそうなるのか? なんでそうなるのかって聞いてくるんよ。そうなると、オイラにもマリスにもお手上げでさ』
「――なるほどな」
どうやら、指示をだした俺の方に問題があるようであった。
同時に、スカーレット四姉妹の勉強意欲が予想以上であることに内心舌を巻いている。
このまま勉強を続けていれば、彼女たちは間違いなく優秀になるだろう。
『ってわけで、艦隊戦はオイラ、白兵戦はマリスが引き続き教えるけどよ、一般常識だけはなんとか頼むわ』
「わかった。手配しよう。クリス――クリス?」
クリスに視線を移すと、彼女はもう司令官の貌になっていた。
「あてがあるのか」
「あてもなにも、私達が採用するまで、子供たちに勉強を教えていたひとがいるじゃないですか」
そういえば、そうだった。
□ □ □
「確かに子供たちに勉強を教えていましたし、一般教養を教えた経験もありますけれど! それとこれとは別問題ですっ!」
俺からの打診を受けたミュウ・トライハル大尉の第一声が、それだった。
「いったいいくつ業務をかかえていると思っているんですか! これ以上はもう無理ですよっ!」
たしかにトライハル大尉のいいたいこともわかる。なので――。
「クリス?」
「はい。現在担当されている業務の一部をアリスさん、および主計課に回します。トライハル大尉のおかげで、だいぶ後進がおいついてきましたので」
「えっ」
自分の仕事が褒められているのに、何故か驚くミュウ・トライハル大尉だった。
「なので、その分を彼女たちの教育にあててほしいのですが」
「で、でも、でもですよ。他の船団に派遣されるような子たちに一般教育を教えるなんて大役、私には――」
船団の政治のことには正確な判断を下すミュウ・トライハル大尉だが、どうも自分のこととなると過小評価するきらいがある。
故にこの説得、難しそうであるが……。
「仰るとおりです。なので、この仕事を受けていただけるのであれば、少佐の地位を約束します」
ぴくりと、ミュウ・トライハル大尉の肩が動いた。
——仕事に関しては真摯なぶん、そっち方面ではこうなるわけだ。
「元帥である私がいうのもなんですが、お給料よくなりますよ?」
「そうなのか?」」
「ええ。どこの船団も同じかは知りませんが、少なくともシトラスでは大尉と少佐では給料が大幅に違うんです」
「具体的には?」
「これくらいですね」
クリスが明細をみせてくれた。
「こんなに」
「はい。佐官からは上級幹部みたいなものですから。ちゃんとした待遇で迎えないといけないんです」
「なるほどな」
いきなり大佐になったので実感が湧かなかったが、確かにこれは一般人にとっては魅力的であろう。
「で、でもですね……お給料でしたら、いまでも十分なんですけど……」
なおもそういって辞退しようとするトライハル大尉。
だが、彼女は仕事に関しては真面目に向き合えることを、俺達は知っている。
すなわち――。
「少佐になれば、裁量増えますよ」
クリスの言葉に先ほどより激しくトライハル大尉の肩が震えた。
「佐官からは、いってみれば独立した部隊の指揮官みたいなものだからな」
「そういうことです。尉官までは上官から上官へと何段階か繰り返して意見具申していたものですが、それが何段も省略――ものによっては直接意見できるようになります」
実はトライハル大尉からの意見具申は俺とクリスに直通で届くのであるが、それはいま置いておくこととする。
「ついでにいうと、トライハル大尉が一般教養の教官を引き受ける場合、私――司令官直下の部署となります。実質的にその部署の長ということになりますね」
つまり、そこでの仕事は誰にも邪魔されることはなくなるということだ。
三度、トライハル大尉の肩が震える。
それはいままでの躊躇をはらんだものではなく、決意の震えであった。
俺とクリスは、顔を見合わせ、大尉の背後で、アリスが嬉しそうな微笑みを浮かべる。
そういうわけで――。
ミュウ・トライハル大尉は、少佐になった。




