第一七七話:妖精の涙
「いや、わりぃわりぃ……」
ようやく笑いの収まったエミルが、目尻に浮かんだ涙を拭いながらそういった。
そのほかの面子はというと、アステルとリョウコは程度の差こそあれ驚いているし、アンに到っては感動したまなざしで見つめられている。
意趣返し(なのだろう、たぶん)に成功したドゥエはニヤニヤとしているし、ヘレナはさすが情報部門筆頭といったところか、表情を崩していない。
アリスはというと、表情は普通であったが、雰囲気的に怒っていた。
どうも、俺がネタにされたことに内心腹を立てているらしい。
そして肝心のクリスはというと――いまだに、顔色が青白いままであった。
俺に対する疑念は、ある程度払拭されたというのに。
「さて――魔王うんぬんの話は、まぁわかった。ああ、一応言っておくが、ここではあくまで大佐としてマリウスとして接するぜ? 他の船団、しかも異種族、おまけに大昔となると、ちょいと扱いに困るからな」
「それでいい。事実上、俺は亡国――滅びた船団の王みたいなものだ。それならば、現代の地位で接してもらえるとありがたい」
「そういってもらえると、こっちも助かるぜ。……ああ、これだけはいっておく」
ややまじめな口調になって、エミルは続ける。
「オレ達は、マリウス大佐および麾下の雷光号全乗組員が、今回の船団シトラス乗っ取りの首謀者、もしくは黒幕であるという疑いは、完全にないと断定した」
「それはまた、どうして」
疑いが晴れた側だが、一応訊く俺。
明確な理由無しに、疑いませんといわれては、逆に不安になろうというものだ。
「単純な話だよ。交戦した海賊どもと雷光号が結託すりゃ、オレ達は全軍をあてても必ず負ける。そいつはアステルもドゥエも、リョウコもわかってるだろう?」
エミルにそういわれて、各司令官達は一瞬顔を引き締めた。
頷きこそしなかったがそれだけで、肯定しているという意味はみてとれる。
「腹の立つ話だが、事実だからな。オレも轟炎を喪っちまったし、無人水雷艇のそのほとんどは撃沈されちまった。大破こそあったものの、通常の艦艇が一隻も沈まなかったのが奇跡だったくらいだ」
死者の報告は、受けていない。
正確にいうならば、俺はそういった報告をすべて掌握できるほどの立場ではない。
だが、撃沈こそなかったものの大破した――おそらく、緒戦で白き七八の荷電粒子砲を食らった――艦からは、出ているのだろう。
エミルたちがなにもいわなかったので、俺はそこに関してはなにもいわないでいた。
「雷光号だって、クリスの指揮と、それを汲み取ったリョウコの采配がなかった危なかった。違うか?」
「いや、そのとおりだ」
俺は肯定する。
もしあそこでクリスの判断がなかったら、そしてリョウコが突撃してこなかったら。
雷光号は負けはしなかったであろうが、俺が直接出撃することになっただろう。
もっとも、結果は同じくこうして呼び出されることになっただろうが。
「そいつを考えると、あのひょろ長いのと知り合いだろうが友だろうが部下だろうが、共謀していることはないだろうなってのがオレの結論だ。どうだ、異議はあるか?」
会議室を見渡して、エミルは訊く。
それに対して、反論はどこからもでなかった。
「ちなみに、あのひょろ長いのはなにをしたいんだ? それはわかるか、マリウス」
「それは、俺が知りたい」
「そっか……そいつがわかりゃ、このあと楽だったんだがな」
椅子の背もたれに体重を預け、エミルがぼやく。
たしかにそれがわかれば、今後の方針はより楽に決められただろう。
「んじゃま、あいつがいっていた北の船団がどうのこうのは、最後にまわそうか」
「では、次ですわね。ある意味こちらの方が重要でしてよ?」
エミルの後を引き継いで、アステルが発言する。
同時に、クリスがわずかに握り拳に力を込めた。
「クリス・クリスタイン元帥? 貴官はマリウス大佐の事情を――いつから把握していましたの?」
……なるほど、そうか。
クリスがもっとも恐れていたのは、それか。
「返答します。マリウス艦長が、海賊狩り認定を受けるための航海に出る少し前――からです」
クリスが、緊張した口調で返答する。
「ってことは、実質最初からか」
「……ですね」
「そうなるわね」
エミル、リョウコ、ドゥエはそう呟く。
アンがなにかをいいかけたが、ドゥエに片手で制止された。
あくまでここは、司令官同士の会合であるからだ。
「では、船団シトラスは魔王と呼ばれる強力な存在を隠蔽して、どうするおつもりでした? わたくしたち他の四船団を制圧しようとでも?」
アステルが再び訊く。
その質問は、クリスはともかく――俺にとっては時々首をもたげる誘惑ではあった。
「そんなことはしません……!」
声を上擦らせて、クリスは否定した。
「では、そちらの情報部は? そもそも把握されておりました?」
「クリスタイン司令官が事情を察してすぐ、こちらと情報共有しました」
ヘレナがすました顔で答える。
普段であればクリスちゃんをいじめるやつは許さないわ! とかいって怒りそうなものであるが、そこはさすが情報部門の筆頭。おくびにも出さない。
「ただ、他の船団の不祥事が伝わるたびに、マリウス大佐をけしかけようとする誘惑があったのは、否定致しません」
「……耳が痛いわね」
ドゥエが口許をややひきつらせて、そういう。
隣では、アンが恥ずかしそうに顔を両手で覆っていた。
「ま、できたんだよ」
エミルが両腕を頭の後で組んで、そういう。
「でも、しなかった」
「むしろ、私達はマリウス大佐、ひいては船団シトラスの護衛艦隊に恩を受けました」
タリオンの箱庭での救助活動のことだろう。
リョウコが、そう言葉を引き継ぐ。
「従って……パーム中将?」
「ええ、わかっておりますわ。ルーツ少将」
あくまで優雅な仕草を崩さず、アステルは続ける。
「クリスタイン元帥、そしてヘレナ司書長。これが最後の質問です。マリウス大佐の件は……船団シトラスの政治部はご存じでしたか?」
「いいえ」
「政治部は知りませんでした」
クリスとヘレナが即答する。
「それはまた、どうしてですね」
「それは、もし知ったら――」
「そう、知ったら――」
ヘレナとクリスが言葉を重ねる。
「「他の四船団の制圧に乗り出しかねないから」」
エミルが爆笑した。
「信用ねーな、あいつら! まぁ、実際やらかしたしな!」
「あの船団会議のときも、わざわざ船団シトラスの戦力を裂いて自分たちの待避に当てましたからね……故に前司令官は、単艦で戦うざるを得なかった」
なるほど、そんなこともしていたのか。
クリスが船団長、そして麾下の政治部を嫌う理由が、ようやくにして判明した。
「あの、みなさん」
そこで、クリスが発言する。
「私は、今回の件が片付いたら辞任する意向です。ですから、どうかシトラスは――船団シトラスだけは――どうか!」
……そうか。
ここにいたって、ようやく気付く。
ここで船団シトラスが孤立すれば、船団として終わる。
それが、クリスがもっとも恐れていたことであったのだ。
「あー、つまり。オレらがそっちの侵略を憂慮して、復興の支援をうちきると?」
「もしくは、わたくし達が分割統治をするか、でしょうか」
エミルとアステルが、そういう。
「……はい。そうです」
「あるわけねぇだろ」
「ありえませんわね」
「えっ!?」
クリスが変な声を上げた。
「おいおい、疑われたくないっていうときに、そんな声あげてどうするよ」
エミルが、クリスを安心させるような声音で、そういう。
そしてアステルに目配せすると、されたほうは小さく肩をすくめて、
「そこは、いかようにもごまかせたはずですわ。マリウス大佐と口裏をあわせ、ヘレナ司書長が書類を改ざんしてしまえば、わたくしたちにはそれ以上追えなくなりますもの」
リョウコとドゥエが、頷く。
「そこを、クリスさんは正直に申し上げてくださったわけですわ。故に――」
「クリスタインに二心なし。ひいてては、船団シトラスに二心なしってわけだ」
エミルがまとめる。
「ですが、私は……」
「仕方ないでしょ」
ドゥエが言葉を遮る。
「あのときのジェネロウスに初代聖女ですなんていって上陸してみなさいよ。いまごろ影も形も残ってないわよ、うちの船団」
「そ、そのとおりです! 少なくとも私は絶対に生き残っていません!」
「いや、姉さん。そこはちょっと恥ずかしいから黙っていて」
頭が痛そうなドゥエ。
確かに、本来の聖女が自信満々にそういうのはどうかとは思う。
「……先ほども言いましたが」
と、リョウコ。
「我々の寝首をかく機会は、いつでもあったはずです。ですが、貴方がたはそれをしなかった。そうですよね? パーム中将」
「ええ、そうなりますわ。ルーツ少将」
「よって――おとがめなしだ。マリウスも、クリスも、ひいては船団シトラスも」
エミルが全員を見回して、結論を述べた。
「まったく、こういうのつるし上げみたいでいやなんだよな。さっさと終わらせようぜ」
「とはいえ確認は、大事ですもの」
「ですが、やることはひとつです」
「そうね……さっさと復興作業、終わらせましょう」
エミル、アステル、リョウコ、ドゥエが頷く。
「ありがとう、ございます……っ!」
クリスが、絞り出すような声で礼を述べた。
その目尻には涙が浮かび、ひとつぶふたつぶこぼれ落ちる。
はじめて、クリスが涙を目に浮かべたのをみた。
いつもはすぐに袖で隠すため、みることがなかったのを思い出す。
アンが席を立ってかけよろうとしたのをドゥエが全力で阻止し――。
アリスがそっと、クリスにハンカチを差し出していた。
「で、次の船団長はお前か? マリウス」
「なんでだ」




