第十七話:魔王の告白
どちらが言ったわけでも無く、そしてどちらからというわけでもなく、俺達は船室に降りていた。
『周辺の様子はオイラが見ておくからよ、ふたりでゆっくり話し合いな』
二五九六番が、気を利かせてくれる。
「さて——」
いつもの長椅子に座りながら、俺は声を発した。
「どこから、聞きたい」
「最初からです」
向かいの椅子に座って、アリスが静かに答える。
「では、まずは前提からだ。魔族という言葉に心当たりは」
「ありません」
「では、魔王という言葉には?」
「ないです」
「そうか——」
思わず天井を見上げる。
アリスと出会ってからこの船団に至るまで、注意深く群衆を観察してきたつもりだった。
だが、魔族はひとりも見つけられなかった。
そして、アリスは魔族という言葉に心当たりはないという。
予想してことだが、少なくともこの海域での魔族は、俺ひとりだけらしい。
「では、俺がかつて、貴様ら人間に反乱を起こしたといったらどうする?」
「反乱? わたしたちと戦ったんですか?」
「ああ。いくつもの国を滅ぼしたこともある」
強力な装備を揃えた、騎士団が自慢の城塞都市。
屈強な女戦士たちのみで構成され、犠牲を厭わない苛烈な攻撃を行う密林都市。
弓に特化した野伏を大量に配置し、昼夜を問わず奇襲をかけ続けてきた森林都市。
それらすべてを、この手で滅ぼしてきた。
「国ってなんですか?」
「今で言う船団だな」
「それです!」
急にアリスが声音を変えたので、俺は片眉を上げた。
「なにがだ?」
「それなんです。マリウスさん時々『今の——』とか、『今は——』とかいいますよね」
「——そうだな」
言われてみて気がついた。
確かに、俺はその言葉を多用してしまっている。
「前から気になっていたんです。それって、今とマリウスさんの『いま』が違うってことですよね。それなら、マリウスさんの『いま』って、『いつ』なんですか?」
——鋭い。
嘆息しながら、俺は答えを返す。
「実はな。それがわからないから、苦労している」
「……どういうことですか?」
「初めて会った時を覚えているな? 貴様が見たとおりなら、俺は封印された石から出てきたそうだが」
「はい。それははっきり覚えています」
「では訊くが、今の人間にそんなことができるのか?」
「それは……できないと思います」
今の質問は、我ながら質が悪い
封印される前だって、それができたのはあの忌々しい勇者だけだったからだ。
「では、誰だったらできる?」
「そうですね……前にお話しした伝承に出てくる、古き神を封印した天の使いなら——あっ!」
「そうだ」
姿勢を崩して俺は言う。
こんな馬鹿馬鹿しいことをお行儀よく言えるほど、俺は生真面目ではない。
「その古き神とやらが、俺だ」
「神さま……なんですか?」
「そうみえるか?」
「わからないです。マリウスさん、なんでもできますし」
アリスの率直な感想に、俺は思わず苦笑する。
本当に神であったのなら、どれだけよかったか。
「貴様にはそうみえるかもしれんがな。もし俺が神などというものであったとしたら、天の使いとやらに封印なぞされやせんだろうよ」
「言われてみれば……同じ神さまならありそうですけど、片方は天の使いですしね」
「そもそもなんだ、天の使いの天とは。空か? 空なのか? いつから空がそんなことをできるようになったというのだ」
「それも、変だといえば変ですね」
おそらくその表記に何かがある。
いずれは、それを確かめる必要も出てくるだろう。
「それで、この伝承、具体的にはいつの頃と記されている?」
「ごめんなさい……そこまでは詳しくないです」
「いや、気にしなくともいい」
もとより、自分で調べるつもりだからだ。
「とにかく、この伝承そのものが、目下の手がかりだ。古銭共々、徹底的に調べ上げるつもりだから、そのつもりでいろ」
「わかりました」
「古銭を握りしめて伝承を調べるなぞ、はたから見れば滑稽だと思われるだろうがな」
「そんなこと、ないですよ。それより——教えてください、マリウスさん」
少しだけ身を乗り出して、アリスは言葉を続ける。
「マリウスさんが古き神でないのなら、本当はなんなのですか?」
「最初に言っただろう。魔族という言葉、魔王という言葉に聞き覚えはないかと。魔族の王、つまり魔王だ。魔族というは——魔法が使える民だと思えばいい」
そして魔法とはこの世界にあるものを自在に操る力のことだと、俺はアリスに説明した。
「自然を操り、鉱物や木材の形を作り変え、時には自らに付与して剣や鎧の代わりとする。それが魔法だ」
「改めて聞くと、すごいですね……」
そのすごいという感情が憧憬になり、その憧憬が嫉妬になり、嫉妬が弑虐心を産んで、最終的に人間は魔族を虐待するようになり、結果として俺達魔族は蜂起したのだが、それは黙っておく。
「その魔法を使う民を率いて、マリウスさんはわたしたち人間と戦ったんですね」
「そうだ。最初は五分五分で、途中で八割ほど勝っていたが……たったひとりの男に全てをひっくり返されて、負けた。最終的には、封印されてな。……あぁ、天の使いなどという胡乱なものではないぞ。やつは勇者と呼ばれていた」
「ゆう……しゃ」
「その言葉にも聞き覚えは?」
「いえ、ないです」
「そうか……」
敗者の存在そのものを無かったことにするのは、勝者の特権だ。
現に、俺は古き神などというわけのわからないものにされている。
だが、勝者の代表であるあの忌々しい勇者が天の使いとされているのは、なにかがおかしかった。
「さて、全てを聞いた上でどうする?」
「どうするっていいましても……マリウスさんがその——魔王だから、わたしがどうするのかってことですか?」
「そうだ」
「もしかして、わたしが船を降りるとでも?」
「そこまでは言っていない。ただ、そうなっても俺は文句を言わないだけだ」
「それ、本気で言っているんですか?」
「なに……?」
「わたしの気持ち、本当に、ほんとうにわからないんですか?」
アリスが怒っている。それは今まで俺の正体を曖昧にしたことではなく、それを知ったアリスが俺から離れると予想したことに怒っていた。
「身寄りのないわたしですよ? 帰るべき船団も、もうないんです。そんなわたしを助けてくれたマリウスさんに、ついていかないとでも?」
「俺がまた野心を抱いて、貴様たち人間と争うことになってもか?」
「たとえ、マリウスさんが全船団を敵に回すとしても……」
俺の目をまっすぐに覗き込んで、アリスは——、
「ついていくに、決まっているじゃないですか」
はっきりと、そういった。
「……すごいな、貴様は」
「すごいのはマリウスさんです。わたしではありません」
ぴしゃりと、アリスは断言する。
「でも、ようやく納得できました。あの船の帆が、マリウスさんにとっては手がかりなんですね」
「あぁ。そうなる。アレは元々俺の部下が発案し、俺が少数を試作したものだ。見ての通り魔法が使えないものでも、特定の用途なら使えるようになっている」
もともとは魔法の才能差を埋めるものであったが、逆に言えば全く魔法が使えない人間でも、使いこなすことができるわけだ。
「少なくとも、どこで手に入れたのかは聞き出さねばな」
「わかりました。じゃあ、マリウスさんはメアリさんから話を聞いてみてください。わたしは——」
「まて、貴様もなにをするというのだ?」
「やりますよ? とりあえず、マリウスさんの力が周囲にわかったときに備えて『いま』のマリウスさんの肩書きを考えないといけませんから。だって——」
胸を張って、アリスは続ける。
「だってわたし、マリウスさんの秘書官ですからねっ!」
■今日のNGシーン
「初めて会った時を覚えているな? 貴様が見たとおりなら、俺は封印された石から出てきたそうだが」
「はい。それははっきり覚えています」
「では訊くが、今の人間にそんなことができるのか?」
「それは……できないと思います」
今の質問は、我ながら質たちが悪い
封印される前だって、それができたのはあの忌々しい勇者だけだったからだ。
「では、誰だったらできる?」
「そうですね……蒼井◯太さんなら——あっ!」
「あっ、じゃない」




