第一六〇話:状況確認
「大将、コイツは変だ」
同じ艦として気になったのか、それとも仲の良い乗組員がいるからか――おそらくその両方だろう――いち早く『暁の淑女号』の様子を精査しはじめたニーゴが、そんな声を上げた。
「小口径の砲撃痕ばっかりだ。この程度で撤退なんて、妙だぜ」
「やはりそうか」
確かに小口径の銃撃とおぼしきものがいくつかある。
気になるのは、貫通力だ。
船体を右から左へ貫いたような銃撃痕がある。
いくら木製の『暁の淑女号』とはいえ、この口径なら受け止められるはずだ。
――現在の、人間の技術力なら。
「それで」
感情の全くこもっていない声でクリスが聞く。
「乗組員の皆さんは無事ですか」
それは聞こえようによっては無関心に感じるが、そうではない。
感情が大きくぶれないよう、必死になって抑えているためであった。
俺と同じ結論に到ったのだろう。
アリスが、そっとクリスの側による。
「はい……こちらに」
エミルの副官、屈強な大男ユウザに誘われて、俺達はエミルたちが使う酒保へと足を運んだ。
■ ■ ■
「ごめん。あんたとの約束、守れなかったわ……」
船団フラットの中枢船の酒保は、高級士官用とおぼしき個室がいくつかあった。
そしてその中のかなり広い大部屋で開口一番に謝ったのは、『暁の淑女号』船長、メアリ・トリプソンだった。
「気にするな。それより、なにがあったのかを話してほしい」
短いつきあいだが、メアリはそう簡単に物事を投げ出すような人物ではない。
彼女が指揮する『暁の淑女号』が撤退したのなら、そこには必ず理由があるはずであった。
「それについては、あたしが話すより彼女に話して貰った方がいいわ」
と、少し疲れた様子でメアリ。
おそらく彼女の秘書官であるドロッセルのことだろうが……わざわざ彼女と呼ぶのは少しおかし――。
「わかったわ!」
その声で、クリスの肩が大きく震えた。
「ヘレナ」
俺も、驚きを隠せない。
声の主は、船団シトラス情報部筆頭、ヘレナ司書長であったからだ。
「久しぶりね、みんな。特にクリスちゃん、しばらくみないうちに逞しくなったわね。とっても嬉しいわ」
「お久しぶりです、ヘレナ司書長。それでその……船団に――シトラスに、なにがあったんですか?」
身近にいた人物がいるため少し安心したのだろう。
クリスの声が、少しだけ震えている。
だが、気付いているだろうか。
普段中枢船にある本拠地を頑として動かないヘレナがここにいるということは、それだけの重大な事態がおきているということに。
「そうね、それを話すしかないのよね……」
言葉に憂いを込めて、ヘレナはそう答える。
「全員、落ち着いて聞いてちょうだい。特にクリスちゃん、はね――」
■ ■ ■
夜の闇の中を、雷光号が全力で駆ける。
「驚いた……ここまでの高速性能があるとは」
そう呟いたのは、『暁の淑女号』秘書官、ドロッセル・バッハウラウブ。
メアリと共に、同乗してもらっていた。
「っていうかあんた、出発したときと微妙に形変わっているじゃない。なにがあったのよ」
ようやく本調子になってきたのか、海図を描きながらメアリがそうぼやく。
『まぁ、オイラにもいろいろあったんだよ』
言葉ではそういうニーゴであったが、口調はそれほど軽くは無かった。
事態が、思っていた以上に深刻であったからだ。
「海賊が九隻、突如水面下から出現。そして侵攻を開始した……あっているな?」
「ええ。実際問題うまく虚を突いたものだと思うわ。なにせ『暁の淑女号』の哨戒圏内に出現したんだもの」
同じく同乗した、ヘレナが頷く。
「九隻……一個中隊か」
「なにか心当たりある数字なの?」
「ああ。機動甲冑は三機で一個小隊、三個小隊計九機で、一個中隊だった……」
そして隠密活動を行い、敵の監視網をくぐり抜けてから突如侵攻を開始するのも、我が魔王軍の常套手段だった。
今回それを行ったのが……。
「知性のある方の、海賊か……」
それを聞いていたアリスの顔が、少しだけ曇る。
つまり、いままで相手していた動く屍のような知性のない海賊ではない。
雷光号が、ニーゴがまだ二五九六番と名乗っていたときと同じ、本来の意味での海賊なのだ。
それが、徒党を組んでまるで魔王軍のように活動している。
気味が悪いこと、この上なかった。
「間もなく、夜が明けます」
アリスがそう報告する。
ややあって、俺達の後方から日が昇ってきた。
「目標海域、近いわ」
ずっと海図を描いていたメアリが顔を上げていう。
「――」
そこで、それまでずっと黙っていたクリスが双眼鏡片手に外に出た。
操縦室からの映像の方がずっと遠くのものを拡大して見られるのにもかかわらず、だ。
「雷光号。進路そのまま、速度落とせ。俺も外に出る」
『あいよ。……大将、小さい嬢ちゃんを頼むぜ』
「ああ」
夜明けの風は、少し肌寒かった。
雷光号の舳先で、クリスは双眼鏡をのぞき込み、真っ正面を見つめている。
後方から前方を朝日が照らしだし、それまで計器だよりだった実際にその目でみえてくるようになる。
「――クリス」
クリスは、答えなかった。
ただ黙って、双眼鏡をのぞき込んでいる。
しかし、その手が震えてきているのは、隠せなかった。
周辺の海域は浅い。
それにより、ここからでも、遠見の魔法を使わなくてもだいたいは察せられた。
「……クリス」
震えが大きくなっていく彼女の手に、そっと震える。
そこが、限界だったのだろう。
クリスは双眼鏡を放り投げ、俺の胸元に飛び込んだ。
「……いまはいい。それでいい」
その背中をそっと抱き、俺は真正面を見つめる。
そこにはクリスの乗艦であった戦艦『バスター』が、大破着底した姿をさらしていた。




