第十六話:超帆船・暁の淑女号
帆船。
文字通り、帆に風を受けて推進する船だ。
人間、魔族ともに機関による推進方法が確立されるまでは主流であった船で、最盛期には五本のマストを掲げた巨大な帆船が就航していたと聞く。
風という人間にも魔族にも自由に操れないものが動力源となるため、思い通りに動かすためには帆の構造を複雑化させることが必要で、さきほど言った五本マストの帆船は、逆風以外であればどの角度からくる風も推進力に変えることができたという。
また、ごく一部に帆に魔法をかけて推進する船を作る動きもあったが、魔力機関の方がはるかに安定していたので、主流を勝ち取ることはできなかった。
なお、俺が封印される前でも後でも帆船は一部で運用されている。封印前は懐古趣味の面が強かったが、封印後はアリス曰く、燃料を使わない船として運用されているらしい。
さて、目の前へと近づきつつある帆船はどうであろうか。
マストは二本。随分と古めかしい帆をかけている。ほかに細かい補助用の帆はなく、かなり単純な造りだ。あれでは、推力に変えられる風の向きはかなり限られるだろう。
船体の方に目をやってみる。全長は雷光号よりも長いようだが、全幅は雷光号よりもかなり細身で、見た目だけで言えばかなりの快速船のようだ。武装は小口径の砲塔が前方にひとつだけだが、それがより足の速さを誇示しているように見える。もっとも、実際戦闘になった場合かなり頼りなさそうであったが。
しかし、いくら速そうでも帆船では——もしや。
「もしや、機帆船か……?」
「『機帆船?』」
アリスと二五九六番がほぼ同時に声を上げる。
「港から出るときなど、風がなくても動きたい時に機関を利用する船のことだ」
「でも、蒸気機関の煙突が見えませんよ」
『そもそも動力反応ねぇしな』
わかっている。わかっているが、どうしてもただの帆船が最速の座を争うために勝負をふっかけて来たとは思えない俺であった。
「あ、発光信号きました。『あたしの船に横付けになりなさい!』だそうです」
「二五九——」
『雷光号』
「——雷光号、言われた通りにしてくれ」
『あいよ!』
鮮やかな舵さばきで、雷光号はその細身な帆船へと横付けになった。
「甲板に上がる。アリスはここで待機していろ」
「わかりました」
操縦室兼船室を出る。今回も周りに目があるため、交渉用の変装は怠っていない。
「よく来たわね!」
帆船の後部にある露天式の艦橋で、メアリとやらは仁王立ちになっていた。
「こちらを巻き込んでおいて、言う台詞ではないな」
もはや地を隠すことすらせずに、俺。
「しかしまさか、帆船とはな」
「あら、ただの帆船だと思っていると、痛い目見るわよ。あたしの超帆船『暁の淑女号』は速いんだから!」
どうやら、ただの帆船ではないらしい。
実際、なにかしらの仕掛けはあるとみていいだろう。
いまのところ、その兆候はまったくみられないが。
「それで、勝負方法は?」
「簡単な話よ。このまままっすぐ進んだ先にこっちが設置した大きな浮きがあるわ。そこを折り返してここに帰ってくるだけ。進入方向は……貨幣を投げて表裏を当てて、勝った方が好きな方を選べて、負けた方はその逆方向から入る。それでいいでしょ?」
「ああ、それで構わない」
「じゃあ、あたしは表!」
「なら俺は裏になるな。ああ、そちらが投げていい」
「言ったわね! それじゃ行くわよ——裏!?」
「では俺は進行方向右側から入る」
「あたしは左からね。わかったわ」
「始まりの合図はどうする」
「前方に小舟を出すわ。それが空砲を撃ったら開始よ」
「理解した。では、少し船を離すぞ」
「ええ、そうした方がいいわね。それと——」
「なんだ?」
この期に及んでなにかふっかけられるのだろうかと身構える俺。
だが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
「いい勝負にしましょう。勝っても負けても、お互い恨みっこなしよ?」
「——そうだな」
どうやら、メアリとやらもただ単純に自分勝手というわけではないらしい。
もっともそれでも迷惑なものは迷惑ではあるがな……そう思いながら、俺は船室へと身を翻した。
「おかえりなさい、マリウスさん」
『おかえり、大将』
迎えに出てくれたふたりに、俺は勝負の概要を話す。
「早速だが横付け解除だ。ある程度間を開け。あとで文句を言われないよう、前には出るなよ」
『まかせな! 』
二五九六番が、即座に対応し、雷光号は暁の淑女号と舳先を並べたまま、徐々に距離を取っていく。
「小型船来ました。同時に発光信号——と、船長さんの手旗信号です」
「なんと言っている?」
「ええと……発光信号の方は『まもなく開始となる。準備せよ』、手旗信号の方はちょっと訛っていますけど——『楽しまなきゃ損よ!』だそうです」
「返信。『言われなくてもやってやる』だ。二五——雷光号、機関全開。いつでも突進できるようにしておけ」
『おうともよ! 大将、嬢ちゃん、安全帯忘れるなよ?』
アリスが慌てて座席の安全帯で身体を固定させている間に、船内を重低音が包み込む。
二五九六番が、機関を高出力で運転させているためであろう。
「空砲、射撃用意しました! 仰角を取って——撃ちます! いま!」
「行け!」
『おうよ!』
雷光号が、弾かれたかのように加速した。
「相手はどうした?」
何か仕掛けがあるとはいえ、帆船だ。急には加速できまい。
□ □ □
「はじまったわね! 最初から飛ばしていくわよ! 封印、解除!」
□ □ □
『すぐそばで魔力反応! 本当に近ぇ!』
真っ先に反応したのは、その手の装備が充実している二五九六番だった。
遅れて俺もそれを検知し、全身の毛を逆だてる。
「マリウスさん!?」
俺の異変を察知したのだろう、アリスが即座に声をあげた。
「俺のことはどうでもいい! それより周辺を警戒! ありえないことが起こっているはずだ!」
「ありえないこと——あ!」
「どうした!」
「相手の船……ぴったりついてきてます」
「映像回せ!」
即座に操縦席前方に、後方視界の映像が映し出される。
そこにはたしかに、暁の淑女号が、雷光号を追い抜くべく肉薄してきていた。
『どうなってんだよこれ! なんだあの加速力!』
「帆だ……帆が魔法具になっている……風の魔法を噴き出しているのか、あれは! だとしたら——くそっ!」
どうしていままで気付かなかったのか。思わず先ほどまでの自分を呪いたくなる。
あの帆は、機動甲冑向けに試作したマントだ。
かつて機動甲冑に跳躍力を付与した際、その補助とすべくマントに推進力を吐き出させる魔法を組み込んでおいたものが流用されているのだろう。
マントの試作結果は上々ですぐにでも量産させようとした矢先に決戦となってしまい、実戦配備には間に合わなかったが、まさかこんなところで、こんな使い方をされているところを目撃することになるとは思わなかった。
「あの、魔法具ってなんですか?」
席から投げ出されないよう肘掛けを掴みながらアリスがそう訊いてくる。
「簡単に言えば魔力を溜め込む装置だ。特定の魔法のみを発動させたいときに使えば、一度に複数の魔法を使う必要がないので、その分使用者が楽になる」
「なるほど——それと、魔法ってなんですか?」
……しまった。が、もう遅い。
「俺が普段使っている、お前のいう『なんかすごい力』のことだ。あとで、詳しく説明する」
「——わかりました。相手の船、さらに接近!」
『くっそ! 引き離せねぇ!』
二五九六番が、初めて弱音を吐いた。
そのような情緒があるのに驚きながらも、俺は声を上げる。
「気をつけろ、雷光号。相手の方が高速航行には適した船体をしているぞ!」
『だろうよ! でもオイラも、負けてらんねえ! せっかく嬢ちゃんが雷光号って名前を付けてくれたんだ!』
「……二五九六番ちゃん」
『名前負けするわけにゃ、いかねえだろお!』
急に、体内の魔力がごっそりと失われた。
同時に雷光号がさらに加速する。
本来の性能以上に、俺の魔力を機関出力へと回したのだ。
『大将! 浮きが見えてきた!』
「速力が落ちない範囲で、最短距離を旋回せよ!」
『いいのかよ!? 船内がめっちゃ傾くぞ!』
「かまわん。それより機会は一度きりだ。気をつけよ!」
『嬢ちゃん?』
「いけます!」
どこから取り出したのか、細身の綱を使って自分自身を座席に固定させながら、アリスが答える。
『よっしゃ、大将と嬢ちゃんの覚悟はわかった! いっくぞおおおおおお!』
浮きに対して、雷光号が進行方向右から侵入した。
ほぼ同時に、暁の淑女号が進行方向左から侵入する。
「これって、下手すると衝突しちゃうんじゃ……!」
大きく傾く船内の中で、必死になって座席にしがみつきながらアリスが叫ぶ。
「そうだ! 相手より内側を、速度を落とさずに進んだ方が勝ちになる!」
勝負方法を提案されたときに気付いていたが、メアリとやらはかなり過激な勝負を挑んでいた。
意識していたのかはわからないが、お互いの実力が拮抗すれば拮抗するほど、危険な状況を作り出すようにしていたのだ。
現に今、雷光号と暁の淑女号は一歩間違えば衝突する軌道で、お互い急速接近している。
俺は映像を暁の淑女号、その艦橋へと合わせた。
見れば、雷光号と同じように派手に傾いた窓もなにもない露天式の艦橋で、メアリが操舵輪にかじりつき仁王立ちになっている。
俺やアリスのように安全帯をせず命綱一本でその身体を固定しており——その貌は、不敵に笑っていた。
その胆力、かつてのあの忌々しい勇者に勝るとも劣らない。だが——!
『よっしゃああ! オイラたちが、内側だっ!』
二五九六番の言うとおり、雷光号の方がより内側だった。
そして恐ろしいまでの相対速度で、雷光号と暁の淑女号はすれ違う。
「最後まで気を抜くな! 直線に戻った途端さらに加速するかもしれんぞ!」
『おうともよ!』
だが、そうはならなかった。
雷光号も暁の淑女号も、あの旋回時に最高速度を出しきっていたのだ。
直線に戻った二隻の船の間はちょうど小型船一隻分くらいの距離であったが、それ以降縮まりも伸びもせず、俺達の雷光号が先に到着した。
船の上で観戦していた乗客たちが、どっと盛り上がる。
『やったな、大将!』
「勝ちましたね、マリウスさん!」
ふたりのねぎらいに、俺は頷いて答える。
さて——。
「雷光号、もう一度メアリの船に横付けしてくれ」
『お、おう!』
停止した暁の淑女号に、雷光号が再び横付けしようとする。
その間にも俺は安全帯を外して甲板へと飛び出し——
完全に横付けされる前に向こうの船へと跳躍していた。
メアリはというと、ちょうど艦橋で命綱を外し終えていたところだった。
「よくやったわね。速い速いって聞いていたけど、まさか本当にあたしたちより速いなんて思ってもみなかったわ。で、早速だけどつきあってくれた報酬をあげるわ。想像ついてると思うけど、観客同士で賭けをやっていたの。その掛け金を——」
「報酬ならくれてやる。それより教えてくれ。その船を、その帆を、どうやって手にいれた」
「へ? どうやって手にいれたって……話せば、長くなるんだけど」
「構わない。むしろ詳しければ詳しいほどいい。頼む! 教えてくれ! それをどこで手に入れた……!」
相手の手を両手で掴み——そこで我に返る。
端から見れば、俺はかなり奇矯にみえたであろう。
「……貴方、なんて顔してるのよ。まるで、ずっと大事にしていた玩具を盗まれた、子供みたいよ……?」
「——くっ」
思わず手で顔を隠す。
「……いいわ。教えてあげる。あと、報酬は返さなくていいわ。それは貴方が勝ち得たものなんだから」
そういうメアリの声は、急におかしな行動に出た俺に対し怒るわけでもなく、訝しむわけでもない、何かを諭すような口調だった。
「でもね、まずは貴方が自分の事情を説明しなさい。ほら——」
メアリが指さすほうを見る。
そこには、甲板に上がって心配そうな貌で俺を見つめている、アリスの姿があった。
……たしかに、そろそろ全てを話すべきかもしれない。
俺は姿勢をただし、アリスへと歩み寄る。
彼女は、俺の素性を知ったらなんというだろうか……?
■今日のNGシーン
「しかしまさか、帆船とはな」
「あら、ただの帆船だと思っていると、痛い目見るわよ。あたしの超帆船『暁の熟女号』は速いんだから!」
「熟女号……?」
「熟女号」
「なぜ熟女」
「その方が強そうでしょ?」




