第一五八話:箱庭との別れ
おそらく、限界だったのだろう。
俺が鬼斬雷光号に戻った直後、機影の自動甲冑は崩れ落ちるように自壊した。
刀を鞘に収めた鬼斬雷光号が、敬礼でそれを見送る。
操縦室内では、アリスもクリスもそれぞれの席で敬礼していた。
□ □ □
「まずひとこと言わせてくれ」
タリオンの箱庭、第三階層。揚陸艦『鬼斬改二・前半部分』指揮所。
傾斜している水面の上で再び集合する中、真っ先に口火を切ったのは、エミルだった。
「なんだよあの格好良いの。リョウコのとこだけそんな改造するなんて、ずるいぞオイ」
「水母戦艦『轟基』は修理する箇所がなかったからな……」
リョウコ座乗の戦艦『鬼斬』はこの箱庭で一度大破し、それを俺が浮城『鬼斬改』として修繕、そして資材が集まったところで再度自力で動けるよう、揚陸戦艦『鬼斬改二』として再改造した経緯がある。
その際に、念のためにと付与したのが、今回の『雷光号との合体機構』であった。
「本来使う気はまったくなかったのだが……とはいえ勝手にこのような機能を付けたのもまた事実、すまなかった。リョウコ」
「いえ、こちらこそ助けられた身ですから構いませんが……ただその、元に戻せます――よね?」
その心配は、もっともだった。
「鬼斬雷光号、分離せよ」
『おう!』
鬼斬雷光号の鎧兜が変形し、『鬼斬改二・後半部分』の装甲となる。
そして、『鬼斬改二・前半部分』が小さく揺れた。
後半部分と合体して、元の『鬼斬改二』に戻ったのだ。
「……すげぇ機能だな、これ」
「そういってもらえると、改造したかいはあったな」
「次からはちゃんと話しとけよ」
エミルのいうことももっともな話だった。
「あとな、オレの方もいつか頼むわ」
「むしろ頼むのか!?」
「だって格好良いじゃねぇか!」
さすがは船団フラットというべきなのだろうか。
すべての基準の上に、格好良さがあるらしい。
「エミルさん、マリウス艦長、それくらいにしてください。……ではみなさん、いいですか?」
この場で最年少ながら、もっとも階級の高いクリスが、音頭を取る。
本来指揮権は各船団によって縦割りとなっているのだが、非常時であるため三艦隊合同司令官として、元帥であるクリスが自然と指揮を執る形になっていた。
もっとも、それももうすぐ終わりに近づいているが。
「まずマリウス艦長、貴方がこの迷宮の管理者になった。それで間違いありませんね」
「ああ」
卵形の鍵を手に、俺。
機影が言い遺したとおり、この鍵をもってみるとの箱庭内のありとあらゆることが把握できた。
「出口はどこか、わかりますか?」
「ああ、わかる。この斜面をくだっていけばいい」
俺達が機影を倒す前までは、そこは最初の階層に繋がっていた。
もし機影を倒しきれずに斜面を下りきっていたら――またはじめからやりなおしになるところだったのだろうか。
「確認しますが――生存者は私達だけなんですね」
「ああ、残念ながらな」
そう。
生存者はいま近くにいる三艦、すなわち『雷光号』『鬼斬改二』『轟基』にしかいない。
クリスもリョウコもエミルも憂慮していた、単独で巻き込まれた遭難者は、存在していなかった。
そしてそれが起こりうる原因となる入り口は、現在俺の権限で閉じてある。
これにより、あらたな遭難者は発生しないはずであった。
「出る際に、なにか不都合はありますか? 私達の知らない海域に放り出されるとか」
「いや、そういうことはない」
箱庭は稼働中、第三者によって持ち運ばれることは無い。
管理者も中に入っていることがありうるからだ。
よって、出るときの座標は俺達が入ったときの海域で間違いなかった。
「わかりました。では、皆さん各自の艦に戻ってください。マリウス艦長、私たちの雷光号は——」
「ああ。殿だな」
「そうなります。念には念を入れねばなりませんから」
雷光号が先に入った後、他の艦が出られなくなるのではないか。
そう思う者がひとりでもいる可能性を鑑みると、クリスの判断は妥当であると思う。
□ □ □
そういうわけで、『鬼斬改二』と『轟基』を両翼前、雷光号を殿とした鶴翼陣で俺達は航行を続けた。
「マリウスさん。エミルさんから『なぁ、なんか傾斜きびしくなってね?』とのことですが……」
「実際になっているな」
「今度はリョウコさんからです『兵がおびえています。なんとかなりませんか?』返信、どうしますか?」
「『稼働中はその仕様を書き換えることは出来ない。すまないがあと少しの辛抱だ』これで頼む」
「了解しました。返信します」
「あと少しですか……そうですか」
自分の席の肘掛けをしっかりと掴んで、クリスがそう呟く。
「この区域に来てすぐに戦闘になったから、ちゃんと訊いていなかったが……やはり水面が傾斜していると怖いか」
「平気ですといいたいところですが――当然ですよ! マリウス艦長だって、地面が常に傾いていたら嫌じゃないですか?」
なるほど、たしかにクリスのいうとおりだ。
この光景が見渡す限りの坂であり、しかも傾斜がどんどんきつくなっていくとしたら、俺でも不安をぬぐい去ることはできないだろう。
「そういう意味で、アリスさんはすごいですね」
「ありがとうございます」
そういえばクリス達がそれぞれ不安を漏らす中、アリスだけは平常運転だった。
「こわくはないのか?」
「それはもちろん、多少はこわいですけど……マリウスさんがあと少しというのなら、我慢できますから」
「そ、そうですか……なんというか、すごいですね。アリスさんは……」
俺もすごいと思う。
盲信の類いでなしに、ここまで信じてくれるのは封印前の臣下でもそうそういなかった。
それこそタリオン――そう、タリオン。
機影によれば、彼はまだどこかで生きているという。
俺は、その事実だけをアリスとクリスに話した。
「なるほど。海賊狩りに認可されたら、次はそのタリオンという方を探すんですね」
クリスがやや寂しそうに、そういう。
「……そうか、そうだったな。ルーツとフラットから認可を受ければこの旅は終わりか」
道中に色々ありすぎてすっかり失念していた。
それはつまり、アリスとはともかく、クリスとの旅は終わるということになる。
「――もっとも、しばらくは船団シトラスで休むつもりだがな」
「そうですね。いくらマリウスさんでも、少しは休まないと」
アリスがそう同意する。
「おふたりとも、ありがとうございます」
帽子の庇を下げて、クリスはそう答えた。
俺はアリスと顔を見合わせて、笑顔を交わす。
そうしている間にも傾斜はどんどんひどくなっていった。
これはもう何をやっても戻れない角度だ。
「前方に光の柱!」
アリスが報告する。
「あれが出口だ。間違いない」
念のため卵形の鍵で確認しながら、俺。
「それでは発光信号を送ります! 『前方が出口、突入されたし』」
返事を送る前に『轟基』が、やや遅れて『鬼斬改二』が突入した。
「雷光号、進路そのまま。突入!」
『おうよ!』
ニーゴの返事とほぼ同時に、辺りが暗闇に覆われた。
■ ■ ■
着水の感覚はあった。
だが、周辺が暗くて何もみえない。
「これは、外なんですか?」
クリスが少し不安そうにそう呟く。
だが、俺は逆に安心していた。
「時刻を確認してみればわかる。いまは真夜中だ」
そう。
『タリオンの箱庭』に、季節と時間の概念は無かった。
ゆえに空は常に晴れ、日が沈む――それどころか太陽そのものがなかった――ことがなかったのだ。
そこへ急に夜が訪れたということはなく……。
「ということは――」
雷光号が波によって穏やかに揺れた。
「エミルさんとリョウコさんからほぼ同時に発光信号! 外に出たことを確認できたそうです!」
操縦室内を、安堵の気配が広がる。
それはクリスだけでなく、アリスも発せられていた。
やはり、不安ではあったのだ。
『天候は晴れだ。外出てみな、しばらくみてなかったものがみえるぜ』
ニーゴがそういうので、全員で甲板に出る。
「あ――!」
アリスが、それを真っ先に見つけた。
「なるほど、たしかにこれは久しぶりに見ますね」
クリスが目を細める。
「そうだな。確かに久方ぶりだ」
俺も目を細めて、それを見上げた。
それは、俺が封印される前から、唯一変わっていないもの。
満天の星空が、頭上に広がっていた。




