第一四五話:攻略再開!
「おお、いてぇ」
「まだ痛むのか……」
水母戦艦『轟基』艦橋横の物見台で、エミルが右の頬をさすっていた。
あの宴会の翌日のことだ。
みれば、エミルの隣にいるリョウコもだまって左の頬を抑えている。
別にあの宴会で喧嘩をしたわけではない。
歓談そのものはうまくいったようで、昨日からよくふたりで行動するようになっている。
では、なぜふたりとも頬をさすっているのか。
それはただ、ふたり揃ってクリスの前に出て、あの時のけじめをつけてほしいと言ったからだ。
それに対するクリスの返事は、明確かつ一瞬だった。
抜く手もみせない往復平手打ちを、エミルとリョウコにお見舞いしたのだ。
「いいですか。これで文字通りの手打ちです」
その瞳に小さな、しかし太陽の中核もかくやという炎を宿して、クリスは静かにそういった。
「私達の間で、この問題は解決しました。以降、この話題を、口にはださない。いいですね?」
有無を言わさない迫力に、エミルもリョウコも頷くしか無かった。
アリスも、ニーゴも、俺でさえ口を挟めなかったほどだ。
「クリスタインのヤツ、本当に十二歳か? 白兵戦訓練で思いっきり殴られたみたいだったぞ」
「ジェネロウスでどうすれば体力のなさを補えるか、じっくりと研究していたからな」
「マジかよ。こりゃあと数年経ったらやばいな」
オレも、もっと鍛えないとな……とエミルは呟く。
「俺からしてみれば、クリスのことをもう少し慮った方がいいと思うがな」
「――ああ、そうだな。でもやっぱり、けじめはけじめだ」
頬から手を離し、エミルはそう答えた。
「正直、平手一発で済むとは思わなかったんだよ。もっと罵倒されても足りないくらいだ」
「クリスはそういうことをしないだろう」
「そうだな……いわれてみりゃ、その通りだ」
当の本人はというと、艦橋でルーツやフラットの幕僚達と海図の作成を進めている。
新しい拠点が構築され、さらにはアリスの提案による宴会で士気を回復したと判断し、いよいよこの階層の攻略に全力をあげることにしたのだ。
「私達より少しだけ年下といえばそれまでですが――」
その様子を一緒に眺めていたリョウコがぽつりと呟く。
「本当にすごいですね。クリスさんは」
「同感だ。俺だってあの歳では、ここまでのことは出来なかったからな」
魔族と人間とでは年齢感覚が異なるとはいえ、俺もあれくらいの年格好の時は——まだ、普通の魔族だった。
「そういう意味で、よくやっていると思う」
一段落したのだろう。筆記具を置いたクリスが軽く延びをした。
そしてこちらに気付いたのか――艦橋の硝子に映っていた俺達をみたのかもしれない――、振り返って、艦橋から外に出る。
「皆さんで内緒話ですか?」
「ああ、そんなところだ」
「ずるいですよ、私もまぜてください」
「それはすまなかった」
珍しく年相応の拗ね方をするクリスに、内心苦笑する。
■ ■ ■
三隻の軍艦が、島々の間を航行する。
先頭を行くのが俺達の艦、特型巡洋艦『雷光号』。そのうしろを水母戦艦『轟基』、そして殿を揚陸戦艦『鬼斬改二』が務めていた。
「斥候の水雷艇より発光信号! 『この先に特異な島あり』」
「斥候に発光信号。『母艦に戻れ』」
「了解しました。発光信号、送ります!」
アリスが慣れた様子で発光信号装置の引き金を引く。
「そろそろ、音声そのもので伝達出来るようにしたいな」
「できるんですか……」
提督席に座って前方を見ていたクリスが驚き半分、呆れ半分といった様子でそう訊いてくる。
「ああ、可能だ。ただし、その装置は各艦に設置しなければならない。つまり――」
「現状で行うと、私達の船団だけで独占できる技術を広めてしまうというわけですね」
「そういうことだ」
船団シトラスと船団ルーツ、フラット、さらにはウィステリアにジェネロウスは緩やかな同盟関係にあるのは知っている。
だが、政治形式が大きく異なっていることに加え、各艦隊で独自の技術、戦略、戦術が使われているところをみると、それぞれの技術を積極的に公開しているようにはみえなかった。
「だから、やるとしたら色々と許可がいると思うのだが」
「そうですね……ですが、この状況で指揮系統が潤滑になるのは魅力的です」
「だろうな」
「そういう意味で許可したいところですね」
「そうか」
予想より柔軟な反応を示すクリスに、内心驚きながら、俺。
「それにマリウス艦長のことです。何かあったときのために、装置にからくりを仕組むくらいのことは普通にやるのでは?」
「そうだな。万一敵対したときは自爆するようにするつもりだった」
「よ、予想より過激ですね……」
今度こそ完全に呆れた様子で、クリスがそうぼやく。
「マリウスさん! 島がみえてきました!」
アリスの報告に、俺とクリスは座り直して、正面を見る。
先の報告では特異な島だとのことだったが――。
「これは――また……」
それを目の当たりにして、俺は言葉を詰まらせた。
海の中から、石柱状の島が突き出ていたのだ。
「登れということなのだろうな」
「登れということなのでしょう」
「登れということなんですね」
俺、クリス、アリスが順繰りにそう呟く。
おそらく、轟基でも鬼斬改二でもおなじやりとりがなされているのだろう。
そう思う俺だった。




