第十三話:ふたつの顔と、ひとつの心をもつ少女
服の支払いをすませて、さらには着替えの分も買い込み、港に戻っても、アリスは上機嫌なままだった。
『よぉ大将、お帰り。嬢ちゃん、いい服あったか——っていいなそれ! かっこかわいいじゃん!』
「ですよね! ですよね!」
試着したまま買い上げた秘書官の制服を着てきたアリスが、嬉しそうに一回転する。
『ヒュー! 似合っているぜ、嬢ちゃん!』
「ありがとうございますっ!」
これほど上機嫌のアリスを、はじめてみた。
『いえーい!』
「いえーい!」
『ほれ、大将も一緒に!』
「い、いえーい……」
一緒にはしゃぎたいのはやまやまだが、性分ゆえ控えておく。
だが——微笑ましい光景ではあった。
「さて、明朝だが」
夕食の——本来俺に食事は必要ないのだが、アリスに合わせて食べるようにしている——後に、俺は告げていた。
「行政区画に行くんですよね」
流石に平常運転に戻っていたアリスが——料理を作っている間ずっと鼻歌を唄ってはいたが——はきはきと答える。
「そうだ。だから——」
「わかりました。二五九六番ちゃんとお留守番していますね」
「なにを言っている」
「え?」
「アリス、貴様も来い。俺の秘書官になったのだからな」
「——はい! よろしくお願いします!」
再び明るくなるアリスであった。
——いや、もしかすると。
こちらのアリスの方が、本来の性格に近いのかもしれない。
故郷の船団を追われ、新たな働き口を探して船に乗り込んだもののその船も襲われたあげく、無人の島に置き去りにされ——。
そして、俺に出会った。
それゆえ、どこか陰のある印象を受けていたのだが……。
どちらにしても、数奇な運命であると思う。
「——マリウスさん? どうしました?」
「いや、なんでもない。少し明日のことを考えていただけだ」
『いいなぁ……オイラも行きたい』
「お前がそれをするのは、最後の手段が必要になった時だな」
可能な限り、そうならないようになってほしいものだが。
■ ■ ■
「ご足労、ありがとうございます」
翌日、アリスを伴って指定された場所に赴く。
第一甲板——すなわち、最上階にたどり着くと、昨日出会った男たちが待ってきた。
「どうぞ、こちらへ。艦橋へご案内致します」
物々しい衛兵を左右に下がらせ、男は俺達を案内する。艦橋とはいったが、元々とてつもなく巨大な船故、艦橋と言うよりもひとつの城のようであった。
その艦橋の、最上部に案内される。
内部は——剛健な造りの外観と比べて、随分と質素であった。
「おまちしておりました」
簡素ながらもしっかりとした造りの机から立ち上がったのは——。
「キッカ・ノイエと申します。こちらの船団の代表を務めております」
驚いたことに、船団の代表は妙齢の女性だった。人間の女性の年はわかりづらいが、アリスよりひとまわり年上といったところだろうか。人間がその歳でこれだけの規模の船団を管理しているというのは、俺が封印されるまではあまり考えられなかったことだ。
「昨日は海賊の襲撃にご対応いただき、誠にありがとうございました」
「痛み入ります。二五九六番の船長、アンドロ・マリウスと申します」
交易の時と同じ、よそいきの態度と声音で、俺。
その物腰はアリスからのお墨付きつきであるため自信があったのだが、ノイエ代表は少し困った顔をしている。
「あの、なにか?」
「いえ、その……二五九六番と仰いましたね。それが船のお名前でしょうか? 随分と変わった——」
……しまった!
一応船として認識していたが、もともと機動甲冑であったため『船としての名前』を失念していた。
いますぐにその俊足と火力を併せ持った、ふさわしい名前を——。
「雷光号です」
俺の傍らに控えていたアリスが、淀みなくそう言った。
「申し訳ありません、船長は時折形式番号で船のことを呼ぶ癖がありまして。特に雷光号は御自分で設計されて発注した船ですから、思い入れがあるのです」
「まぁ、そういうことでしたの」
「失礼、お恥ずかしいところをみせました」
本当に恥ずかしいところだった。アリスを連れていかなければ最初から俺に常識がないことが露呈していたのだから。
「紹介いたします。こちらが私の秘書官である、アリス・ユーグレミアです」
「よろしくお願いいたします。ノイエ代表」
「はい、こちらこそ。それでは……マリウスさん?」
「ええ」
今までが儀礼の時間なら、ここからは交渉の時間だ。
俺は後ろに半歩下がり、アリスに交渉を託す。
「海賊の撃破に伴う報酬ですが、こちらとしては弾薬の補充を希望します。それと、船の補修に使う資材と日用品も」
「それでしたら、この後すぐにでも」
「詳細は、こちらの方に」
アリスがノイエ代表に書面を渡す。
それは、彼女が昨日一晩で書き上げてきて、俺を驚かせたものだった。
「はい……はい……これでしたら、特に問題はありませんわ」
内心安堵した。
収入とは別に、資材や日用品を得られたことは大きい。
「しかしこれでは少し報酬としては少ないですね……少額ですけれど、貨幣を追加致しましょう。これくらいでよろしいかしら」
「そうですね——」
アリスがこちらにめくばせをしてきたので、書面をのぞき込み、頷く。
額面の価値はわからないが、アリスの表情からして、報酬は妥当なものであるらしい。
「ええ、問題はありません」
「では、こちらにサインを」
「マリウス様、よろしいですか?」
「あ、ああ」
マリウス、様——か。
まるで軍の参謀のようなアリスの怜悧さに、俺としたことが少しゾクッとした。
「では、この形で」
「はい、よろしくお願いします。それとですね——」
ノイエ代表は微笑んだ。
「わざわざお呼び致しましたのは、他の用があってのことですの——」
■ ■ ■
「ふぅ……」
ノイエ代表のいる艦橋を辞し、第三甲板あたりに降りたところで、アリスはおおきく息をついた。
同時に少しよろけたので、俺はそっと肩を支えてやる。
「あ、すみません……」
「いやいい。それよりも、よくやった」
ノイエ代表の『他の用』は思いのほか複雑なものだった。
だが、アリスはそれを利用してさらなる報酬を引き出すことが出来たのだ。
「いえ、秘書官として当然のことをしたまでです」
「そうだとしても、見事だった。俺ひとりでは、ボロをだしていただろうよ」
「そうしたら、二五九六号ちゃんが乗り込んで来ちゃうところだったんですよね。そうならなくて良かったです」
「ちがいない」
ふたりで、少しだけ笑う。
「しかしアリス、貴様そのような腹芸もできたのだな。まるで歴戦の秘書官のようであったぞ」
「歴戦だなんて、大げさですよ。わたしはただ、お店で働いていた時のことを思い出しただけです」
それだけであれだけ動けるのだとしたら、充分だと思う。
「それに——あ、ごめんなさい」
俺に抱きとめられていることに今気付いたらしい。アリスは少し慌てた様子で、俺から離れる。
「いや、構わない。それよりも、それに——なんだ?」
「いえ、わたしはマリウスさんに命を救われていますし、こうして働き口ももらえましたから……できるだけ恩返ししたいなって。そのためだったら、あれくらいなんてことないですよ」
「すごいな、貴様は……」
アリスの言うそれは、ひとりの人間の心構えというよりも、君主、あるいはそれに仕えるものの心の置きように近い。
「でも、安心してください。どんな顔をしても、わたしはわたしですから」
「……あぁ」
昨日、服を買ってはしゃいでいたアリス。
そして今日、その服を着て冷静な判断を下すアリス。
どちらも同じアリスだというのなら、それは封印される前の俺に近い。
ひとりの魔族としての俺と、魔王としての俺。
それはどちらも否定できないものだった。
おそらく、アリスもそうなのだろう。
「そういう意味では、俺達ふたりは似ているのやもしれんな」
「そうかもしれませんね」
そう言って、アリスは笑う。
その笑顔は、はじめて見たときと変わらない、ほがらかな笑顔だった。
——さて、余談ではあるが。
『おう、お帰りおふたりさん。んで、なんか土産もんでもあった?』
「お前に二つ名がついた」
『マジで!?』
「これからは『雷光号』二五九六番と名乗るといい」
『マジで!?』
二五九六番がものすごく上機嫌になったのは、言うまでもない。
■今日のNGシーン
『おう、お帰りおふたりさん。んで、なんか土産もんでもあった?』
「お前に二つ名がついた」
『マジで!?』
「これからは『やまと』二五九六番と名乗るといい」
『宇宙戦艦? 潜水艦? それともポニーテールのボインちゃん?』
「……潜水艦だ」
『——ッ!!』(かわぐちけいじ先生風の汗)
「——ッ!!」(かわぐちけいじ先生風の汗)
「ふたりとも、器用ですね……」




