第一二一話:提督剣姫、参上!
「ん……」
「気がついたか」
司令塔――艦橋の下にある、もっとも堅牢な部分。
艦隊の指揮と、予備の艦橋があるここが、擱座した戦艦の乗組員が最後まで抵抗した場所だった。
そしていま、そこで御息女を呼ばれた指揮官、リョウコ・ルーツが目を覚ましたというわけだ。
「もしや、手当を……? かたじけない」
「いや、俺はなにもしていない。したのは――」
邪魔にならないよう、司令塔の隅にいた俺が手を指し示す。
「アリスさん! こちらの方の包帯、巻き終わりました!」
「次はあちらの患者さんです! 消毒は終わっているのでそのまま巻いてください!」
「わかりました!」
「ニーゴちゃん、お湯の方は?」
「もってきたぞ! 鍋一杯分!」
「まだ足りません。もっともっと沸かしてください!」
「あいよ!」
そう、いま現在司令塔内部は野戦病院となっていた。
中心となっているのはアリスであり、それを補佐する形でクリスが、そしてニーゴが所狭しと動き回っている。
俺はといえば、アリスに頼まれて医療器具を作ったり、半壊した機関を再稼働させて、生活に必要な動力を整えるなど、完全に裏方に回っていた。
同じ魔族なら応急処置の類いはだいたいわかるのだが、人間の場合加減を間違えるとまずいので、アリスに一任したのだ。
「なんと……では、周囲にいた敵は――?」
「俺たちが殲滅した。一応周囲は監視しているが、しばらく敵襲はないだろう」
正確に言うと、敵襲の可能性はもうない。
俺が周辺に結界を張ったので、周辺をうろついているあれらにとっては、砂洲と擱座した戦艦の周囲は、なにもないようにみえるからだ。
「ならば――」
ルーツ少将が起き上がろうとする。
「もう立てるのか?」
「お恥ずかしい話ですが、疲労が溜まっていただけですので」
そうはいっても、まだ本調子ではないらしい。
少しだけおぼつかない足取りで、ルーツ少将は立ち上がった。
「砂洲に降りる」
「それでは、供は私が」
「いや、拙者が」
「いやいや、それがしが」
途端、入り口で待機していた乗組員やアリスたちの手伝いをしていた者が駆け寄ってくる。
中には怪我をして寝込んでいた者すら起き上がろうとしている。
それだけ、ルーツ少将の人望が高いことのだろう。
だが――。
「だめです!」
アリスの大音声に、乗組員たちが、ルーツ少将が、そして俺ですらも少しすくみ上がった。
「連れていくのなら、マリウスさんにしてください」
「いや、いやしかし、救助してくれた者を供にするのは」
「皆さん多かれ少なかれ怪我をしていますから、だめです。全員の様子を確認するまで、だれも動いちゃいけません!」
そう。ルーツ少将を除く、この船にいた誰もが多かれ少なかれ怪我をしていた。
アリスはその怪我の様子を確かめるといっているのだ。
それにしても、ここまで頑固だったとは。
意外な一面に内心驚く俺であった。
「そういうことだ」
「お心遣い、感謝する……うん?」
そこで、自分の格好――灰色の、足首から手首まではぴったりと覆った水着――に気づいたのだろう。
ルーツ少将は不安げに俺を見上げると、
「済まないが、マリウス大佐。私の鎧は?」
「寝るのに邪魔だから、脱がせた」
「き、貴公が!?」
「いやいや。俺ではなく秘書官のアリスとクリスが、だ」
「そ、そうか。それはよかった……刀は?」
「刀というのか。これは」
他に持っているものがなかったので、俺は預かっていた片刃の剣を渡す。
「かたじけない、マリウス大佐。ではあらためて――」
最初に出会ったときのように、鋭い目つきになって、ルーツ少将は続ける。
「砂洲へ」
■ ■ ■
甲板から新たに降ろした縄ばしごを伝って、俺とルーツ少将は砂洲に降りた。
砂洲そのものはそれなりの広さがあり、ルーツ少将は迷わずそこへと向かっていく。
そこには何かが連なるように突き立っていて――
「そういうことか……」
砂州の中央には、簡素な墓標が並んでいた。
そのほとんどが、本人が持っていたとおぼしき剣が鞘に納めされて墓標となっている。
どれもが、大なり小なり破損しており、なかには大きくねじ曲がっているものもあった。
つまり、剣の代わりに簡素な木の板を墓標としている者は――。
剣と、運命を供にしたのだろう。
「よかった。やつらが死者を辱めるような真似をしなくて――」
ルーツ少将が、砂洲に膝をつく。
あれらは確かに、人間の死体には興味が無い。
もっといえば、生きていてもあまり興味が無いのだが――そのことはいま、いいだろう。
「オーバ……カジワラ……ハタケ……ミウラ……ティバ……」
墓標には名前がない。
それでもわかるのだろう。ルーツ少将は淡々と続けていく。
「ワンダ……ヤタ……キゾ……ツーネ……ヨシカネ……すまない……!」
まるで慟哭するかのように、ルーツ少将が祈りを捧げた。
アリスとクリスを連れてこなくてよかったと、心から思う。
「申し訳ない、マリウス大佐。貴公にとっては無益なことにつきあわせてしまって」
「いや。戦っていった者たちを見送るのは、大事なことだ」
俺にも、経験はある。
六万を越える軍勢を、丸ごと喪ってしまったのだから。
「そういっていただけると、嬉しく思います。彼らもまた、同じ気持ちでしょう」
「それもまた大事なことだが……より重要なのは、生き残った方だ」
「というと?」
「死者と別れの挨拶を済ませ、前を向いて歩く。俺たち指揮官にとっては死んでいって者たちも大事だが……いま生きている部下もまた、率い続けなければならない。違うか?」
「……仰るとおりです」
恥じ入ったようにうつむいて、ルーツ少将はそう答えた。
だが、それも一瞬のこと。
再び俺を見上げるその目は、一隻の艦を預かる指揮官の目だった。
「マリウス大佐。私の戦艦『鬼斬』はもはや艦として動くことが出来ません」
「ああ」
「そしてまた、乗組員も大半が怪我か、あるいは喪われています。頼りになるのは、貴公の巡洋艦のみです」
「そうなるな」
「ですから――改めて、お願い致します」
俺の目を見て、ルーツ少将は続ける。
「どうか、この面妖な空間から帰還するためにお力添え願いたい」
「もとより、そのつもりだ」
そもそも、この空間を作り上げたのは推定だが俺の元部下だ。
で、あるならその上司――魔王であった俺が、対処すべきだろう。
「では、まずは?」
「そうだな……基本中の基本、衣食住から」
「わかりました。お手伝いできることがありましたら、なんなりと!」
後頭部で結わえたルーツ少将の髪が、弾むように揺れる。
それを眺めながら、俺は少将と共に擱座した戦艦へと帰還した。




