第一二〇話:我が臣下、タリオン
――それは、封印される前の話だ。
「演習地が、足りないだと?」
その報告を受けて、俺は眉をひそめた。
「演習用の土地なら、魔王城の北に広がる荒野がいくらでもあるだろう」
「おそれながら――真っ平らすぎるのです。陛下」
上奏した臣下である武官が再び頭を垂れる。
「ここ最近、人間どもは野伏せを用い、少人数で地形を活かした奇襲攻撃を繰り広げております。これに対応するためには、我らも地形に合わせた訓練を行わねばなりません。ですが――」
「なるほど。それは必要だな。必要だが……」
しばし考え込む。
建物程度ならすぐに用意できるが、擬似的な地形を作るとなるといささか骨が折れる。
さて、どうしたものか……。
「陛下」
それまで俺の右前方に控えていた男が、声を発した。
「発言を、お許しいただけますか?」
「発言を許す。タリオン、申してみよ」
俺より背が高いのに体格が細いため、一見すると優男に見えるこの者はしかし、俺に匹敵する魔力を持ち、俺を凌駕する魔道の知識に長けた、宮廷魔術師である。
そして数少ない、旗揚げの時から共にいる仲間のひとりであった。
「なければ、作ればいいのです」
「すぐにできれば苦労しない」
「いえ、できます」
「ではその方法を申してみよ」
我が意を得たりとばかりに、タリオンが微笑む。
「『箱庭』です」
「築城や、逆に城攻めの検討時に作るあれか」
「仰せの通り。ですが、なにも駒遊びをするわけではございません」
「というと?」
「我らが、駒になればよいのです」
「――なに?」
「縮小の魔法で使用者である我々を小さくすればよろしい。模型であれば陛下もすぐに作れますでしょうし、わたくしめでも作ることができますゆえ」
「縮小の魔法は、いちいち誰かがかけるのか?」
「いいえ。それでは効率が悪うございましょう。箱庭そのものに対し、使用するもの全員にかかるように致します。それに――」
「まだなにかあるのか?」
「ええ。あの憎き人間どもに対する罠にもなります。不用意に接近したものを箱庭の中に送り込み、準備万端の我が軍により奇襲――やつらめの野伏戦法の逆をつくのは、さぞかし胸がすくでしょうなぁ」
つまり、罠としても使えると進言したいのだろう。
なら――。
「許す。タリオン、ただちに『箱庭』の製作に取りかかれ」
「仰せの通りに、陛下」
かくして、いくつもの『タリオンの箱庭』が作られた。
あるものは多種多様な戦略、戦術を研究できる場として、またあるいは人間に対する罠として、大いにその効力を発揮したのだ。
□ □ □
「これが……そのひとつだと?」
目の前の光景を見つめながら、クリスはそういった。
「ああ、多分な」
「よく似た他のものという可能性はないんですか?」
アリスが、そう訊く。
「それは俺も疑った。疑ったが――二五九六番?」
『だめだね。オイラの探査がまるで役に立たねぇ』
索敵用の表示板が点る。
本来なら円状に周囲の状況がわかるのだが、いまは水の壁に阻まれ通路状にしか見えない。
「このように、魔力を遮断している。水の壁の向こうに何があるのか、俺にもわからん」
「そういうことができるのは、そのタリオンという方でないとできないと」
「ああ」
まず人間には(ごく少数だが)魔力を弾くことは出来ても遮断させることは出来ない。
次に並の魔族であるなら、俺の魔力の方が上なので探査の魔法が貫通する。
それらふたつの要素を含めると、この箱庭を作ったのは、タリオンということになる。
「あの、マリウスさん。そのタリオンさんは……」
「ダン・タリオン。前に話した気がするが、決戦時には脱出組を率いていた。どうやら無事に逃げおおせたようだな……」
その事実だけでも、俺にとっては吉報だった。
「側近ということは、わたしの先輩ってことですね」
「話を聞いている限りでは、御友人のようにも聞こえましたけど」
「いや、彼は――」
なんというか、難しい。
確かに俺が魔王になる前は友といって差し支えなかった。
だが俺が即位した後は、ひたすら臣下として振る舞っていた。
だから、アリスの見解もクリスの推測も正しい。
「そうだな、いいやつだった――といったところか」
今も無事にどこかにいるのだろうか。それだけが気になる。
「それで、これからどうするんです?」
「『箱庭』には、そこを出るための条件がある。設定された目標を達成するか、配置した敵を殲滅させるか、だ」
「敵?」
クリスが、表情を引き締める。
「魔力で動く玩具のような存在だ。だが、いまの俺たちは元の大きさの十分の一から百分の一くらいになっている。十分に手強いぞ」
「わかりました。きをつけます」
アリスが心得たとばかりに頷く。
「そういうわけだ。とどまっていても、意味は無い。進むべきだろう」
『どうする? 強襲形態のまま進むのか?』
「いや、通常形態でいいだろう。遭難者がこちらを敵と判断するとやっかいだからな」
『そりゃそうだわな。ほんじゃま――』
雷光号が、通常形態に変形する。
「各自、索敵を厳とせよ」
「了解です!」
『おうよ!』
「では――クリス?」
「はい。お願いします。マリウス艦長」
「承知した。雷光号、微速前進!」
雷光号が、そろそろと進む。
『大将、通路はど真ん中を進む? それとも壁沿い?』
「壁沿いはやめろ。中からなにが飛び出すかわからん。かといって中央も狙ってくれといわんばかりだ。だから、中央から少しずれた位置を進め」
『あいよ。ほんじゃま、後はなにが出てくるか――』
「右っ! なにか出てきます!」
いちはやく、アリスがそう叫んだ。
次いで水の壁から躍り出たのは、俺の予想通り機動甲冑だった。
おそらく無人だろう。動きが少しばかり有人のそれより遅い。
それ故、斬りかかられる前に主砲の照準はついていた。
「撃て!」
胸部をえぐられた機動甲冑がそのまま後ろに倒れ込み――沈んでいく。
『ちびっとびびったな』
二五九六番が、そう呟く。
「いまのは――前にみたそれより小さかったですね」
さすがというべきか、微動だにしなかったクリスが指摘する。
「あれが本来の大きさだ。それでいて、性能はこの前のうすらでかいのとほぼ同じときている」
「だとすれば、他の艦にとっては脅威ですね。あの出力のまま小型化されると小回りが効く分、接近されると厄介です」
「確かにな」
『それもあるけどよ』
二五九六番が、珍しく心配そうな声を出す。
『普通の艦ってやつは、オイラみたいに剣で戦えない上に、弾数が少ないんだろ?』
「たしかにそうだな」
艦を動かす員数が極端に低いことと、燃料を貯蔵する必要が無いため、雷光号の装弾数は同じ大きさの艦に比べてひと回りもふた回りも多い。
加えて、資材さえあれば俺が内部で弾薬を製造出来るのでいざというときはさらに装弾数を増やすことができる。
しかし何故いまそんなことを――そうか、そういうことか。
『それじゃ、遭難している艦っていまごろ――』
操縦室内が、先ほどの戦闘と同じくらいの緊張で満たされる。
誰もが、その事態に気付いたからだ。
「やむを得ないな。雷光号、通常速度で航行。同時に探査の範囲を最大に。アリス」
「はい!」
事の重大性に気づいたアリスが、凜とした声で答える。
「通信席の下に耳当てのようなものがあるだろう」
「はい。ありますけど……」
「それは聴音機といって、装着すると水中からかなりの遠方の音が聞こえるようになる装置だ。それで遭難者が発しそうな音を探ってくれ」
「つまり、航行するときの音とか、戦闘とかの音を拾えばいいんですね?」
「その通りだ」
飲み込みの早いアリスに驚きと頼もしさを感じつつ、俺は頷く。
『通路終わるぜ。広場に出――なんだ、ありゃ!?』
俺とクリスは、半ば腰を浮かしかけた。
小さな入り江ほどの空間。その真ん中に砂洲がある。
そしてそのすぐ側で、一隻の戦艦が擱座していた。
「アリス、機関の音は――」
「残念ですが、聞こえません……」
本来ならば、目視でわかることだった。
煙突から排煙がないのだから。
しかしそれでも、俺は確認せずにはいられなかったのだ。
「見覚えのある形です。この巨大な衝角を持つ形式は、船団ルーツ特有のものですね……」
再び提督席に座り直して、クリスがそう呟く。
しかし、その手は強く握られていた。
「かなりの長い間、戦い続けていたようだな……」
主砲塔は潰され、砲身は折られている。
瞠目すべきは、戦艦の甲板上に大破した機動甲冑が数体いるということだ。
どのようにやったのかはわからないが、零距離射撃あるいは白兵戦で、機動甲冑を斃したということになる。
「ですが大破着底……あれではもう……」
「まだです!」
両手で聴音機を押し当てていたアリスが、そう叫んだ。
「前方の戦艦から、戦闘音!」
「雷光号、至急前方の戦艦に接舷!」
今度こそ完全に、俺は操縦席から立ち上がっていた。
「アリスとクリスは船内に待機! 白兵戦! 二五九六番、ニーゴになってついてこい!」
「よしきた!」
まるでそういわれるのを待っていたとばかりに、ニーゴが起動する。
「ニーゴ、これを使え」
「お、大将の光帯剣じゃん。いいの?」
「構わん、予備がある。それより勢い余って自分を斬らないように気をつけろよ」
「おう! そんじゃ、嬢ちゃん、小さい嬢ちゃん、行ってくる!」
「気をつけて! おそらく戦闘は艦橋の真下、最も装甲の分厚い中央指揮所からだと思われます。まずはそこを目指してください」
「わかった!」
雷光号が戦艦に接舷する寸前に俺とニーゴは飛び移った。
戦艦が座礁しているため、甲板の高低差はあまりなかったが、戦艦の方がやや傾いているので走るのにやや苦労する。
「こっちだ。ついてこい!」
「おう!」
半壊した扉をくぐり、クリスに言われた中央指揮所を目指す。
だが、それを取り囲むように――。
「なんだ、こいつら!?」
ニーゴが気色悪そうな声を上げた。
それは魚と魔族――いや、人間か?――を掛け合わせたような、醜悪な生き物であったからだ。
全身が深い青色に染まっており、頑丈そうな鱗で覆われている。
拳ほどもある目には白目がなく、そして意思らしき光もない。
首回りにある切れ込みは鰓だろうか。だが、陸上でも十分に行動できることを考えると、肺呼吸も出来るようになっているのだろう。
それよりも――。
「ニーゴ、首をはねろ。それで奴らは活動を停止する」
「おう! ――って大将、こいつらがなんなのかわかんの?」
「ああ。アリスとクリスを連れてこなくて本当によかった……!」
いずれ話す機会もあるだろうが、長くなるので後にする。
それほど『これ』はおぞましい生き物なのだ。
「――?」
中央指揮所を取り囲んでいたそいつらのうち、最外縁にいた連中がこちらに気づいた。
だが、もう遅い。
一体の首をはね、返す刃でもう一体も同じように斬り捨てる。
隣では、ニーゴは言われたとおり相手の首をはねていた。
どうも、前の船団で俺たちが雷光号を留守にしていた間に剣の腕を磨いていたらしい。
「みっつ、よっつ! 大将?」
「いま七体目だ」
「さすが!」
そこで、指揮所のひしゃげた扉が吹き飛ぶように開いた。
「敵はひるんだぞ! かかれぇ!」
「然り! ルーツ魂は消えず!」
「これしきの化け物ども、我が武で貫けぬはずもなく!」
「然り! 然り!」
いっせいに飛び出したのは、屈強な男たちだった。
皆、必要最低限の鎧に身をつつみ、片刃の長大な剣を構えている。
「首を狙え、頭を切り落とせばこいつらは行動できなくなる!」
「承知!」
そこからは、ほぼ一方的だった。
俺たちと寸分変わらぬ速さで、異形のものどもが次々と討ち取られていく。
「大将! いまので最後だ!」
ニーゴがそういって、光帯剣の刀身をしまった。
俺も、周囲を観察し、同時に周辺を魔力で探査し伏兵がいないことを確認して、光帯剣の刃を納める。
同じように、指揮所から飛び出してきた男たちもまた、片刃の剣を腰に下げた鞘に収めていった。
「まにあってよかった」
ひとりまだ抜剣していた男に、俺は声をかける。
雰囲気からして、彼がこの男たちのまとめ役なのだろう。
その男は、俺を一瞥すると、
「助太刀痛み入る。だが――」
切っ先が、ニーゴを向いた。
しまった。
俺はともかく、ニーゴの意匠は機動甲冑に似すぎている。
いままで機動甲冑と戦ってきた先方が、こちらを敵と誤認するのは致し方ない。
「その兜、脱いでもらおうか」
「あー……」
ニーゴが困った声を上げる。
やむを得まい。
こうなったら威力を落とした雷の魔法で失神させるしかないか。
そんな覚悟を決める。が、
「そこまで! 双方、剣を引きなさい!」
そこで、後方から幼くも鋭い声が響いた。
いうまでもない。アリスを従えた――。
「私は船団シトラス護衛艦隊司令官、クリス・クリスタイン元帥です。こちらは同船団所属の『海賊狩り』アンドロ・マリウス大佐、その麾下のニーゴ兵曹長!」
クリスが掲げているのは剣ではなく、元帥の権威を象徴する指揮杖、元帥杖であった。
「これは……シトラスの!」
安堵のため息が、その場を満たした。
「御息女どの! 救援が! 救援が来てくれましたぞ!」
ひとりの男が、あちらこちらがへこんだ指揮所に駆け込む。
ややあって――。
「来るのは隣のジェネロウス、勇猛果敢たる聖女かと思っていたが――」
ひとりの少女が、姿を現した。
身を包むのは、金色の鎧。
腰には片刃の剣を大小二本提げている。
「船団シトラスの『妖精』たる貴公でしたか。クリス・クリスタイン元帥」
「お久しぶりです。リョウコ・ルーツ少将」
「こちらこそ、元帥。こんな場所にまで救援に来ていただき、かたじけな――」
そこで、ルーツ少将は糸が切れた人形のように倒れそうになった。
ぎりぎりのところで、俺と、クリスをすり抜けて一気に間を詰めたアリスによって、かろうじて支えられる。
「まずは、負傷者の確認だな……」
「ええ、そうですね……」
アリスとふたり、頷きあう。
どうも、前途はまだまだ多難のようだ。




