第一〇七話:歌劇『聖女簒奪』
「『聖女とは……』」
舞台の上で、聖女アン本人の声が響く。
聖女臨席——この場合はドゥエの方——での合同予行練習。
本番さながらに用意された舞台の上で、俺たちはここ数日練習にかかりきりだった独自の歌劇を披露していた。
「『聖女とは――このようなものだったのでしょうか。来る日も来る日も謁見と説教ばかりの日々……もっと、もっと、民の皆さんを救える方法があるのでは……?』」
ここで一曲を歌う。聖女自身の孤独と理想を表した歌だ。
歌劇『聖女簒奪』
脚本はクリス。
作詞作曲は聖女アン。
衣装はアリス。
大道具と小道具は俺。
そしてもちろん、出演者は全員。
その体制で駆け抜けた数日間を経て、まずは内部でお披露目と言うことになったのだ。
「『姉さん、あなた疲れているのよ……少しの間だけ、わたしが代わってあげる』」
「『いいのですか――?』」
アンの双子の妹役としてアリスが舞台の上にあがる。
普段は並んでもそれほど似ていないふたりであるが、衣装を合わせ、化粧を合わせ、そして演技を合わせると双子とまではいかなくとも、まるで姉妹のように見えるのが、不思議と言えば不思議だった。
「『もちろんよ。姉さんはゆっくり外の世界を観てきて』」
「『ありがとう。それでは、いってきますね』」
おっと。そろそろ大道具としての俺の出番だ。
機をあわせ、舞台裏に配置した紐を引く。
「『あれは――聖女のみが使用を許される狼煙……!? ま、まさか』」
ここらへんから、聖女アンが話した内容をクリスが脚本に落とし込む際に改変が加えられている。
そして――。
「『これは、これはいったいどういうことなのです!?』」
「『アハハハハハハ! まんまとひっかかったわね!』」
「『……え?』」
「『跪きなさい……! ここにいるのは、貴方の妹ではなく、聖女なのだから!』」
みたことのないアリスが、そこにいた。
「アリスさんというより、アリス閣下と呼んだ方がしっくりきそうですね」
舞台袖で、クリスがそう呟く。
「閣下なのはあなただからね、クリス」
いまはどうだかわからないが、少なくとも俺の軍では将官以上のものには『閣下』の称号がつけられていた。
俺? 俺はそれを授ける側の『陛下』だ。
「『どうして!? どうしてこんなことを?』」
「『さぁ? 聖女を簒奪するのに理由なんているの?』」
舞台の奥にある上座からアンを見下ろすアリスは、支配者そのものの風格を備えていた。
普段は、そんな気配など微塵もないのに。
ここで曲が入る。
いつもは優しげな歌を唄う事が多いアリスだが、このときは怪しくも艶めかしい、そして力強い曲調で唄う。
「それにしても、アリスさんって演技力高いですね」
「そうね……」
舞台の上で唄うアリスは、普段の明るくて朗らかな俺の秘書官ではない。
冷酷かつ妖艶な雰囲気を漂わせた、聖女簒奪者だ。
光沢のあるタイツに切れ込みの鋭い黒のレオタードスーツ、そして長手袋にマントに、とどめとばかりに深紅の口紅と、往事の魔王軍女性幹部でもそこまでやらなかった格好が、不思議と似合っている。
あと……。
普段より生き生きとしているのは、気のせいだろうか。
気のせいだろう。
気のせいだと思いたい。
「『衛兵たちよ! この聖女を名乗る不埒ものを捕らえなさい!』」
「『そんなっ!?』」
「さて、そろそろ私の番ですか」
クリスの役は古き神――いまだにみとめがたいが、俺が伝承化したものらしい――初代聖女とされる灰かぶりだ。
実は、練習期間中にクリスに頼み込んだことがある。
「できるだけ『忠実』にお願い」
「忠実――ですか。では」
ふ。
ふは。
ふはは!
ふはははははっ! ふはははは!
ハハハハハ! ハーハッハッハァ!
「どうでしょうか」
「途中で『は』が多いところがあったわね。ふたつほど」
「むぅ……難しいですね」
というか、そこが忠実なのだろうか。
「でもそれって——」
自分の場面を練習し終えていた聖女アンが、汗を拭きつつ指摘する。
「古き神ではなく、マリスさんが時々やる発作みたいなものですよね」
「ちょっとまって」
発作とは呼ばないで欲しい。発作とは。
「発作云々はともかく、確かにそうですね」
「はじめてみると、誰のことかわからないかもです」
くっ……!
クリスやアリスにまでそう指摘されるとは……!
「伝承通りにしないといけないってことね――」
「あの……それ以前に何故古き神をマリスさんでやろうと……?」
「マリスさんを、尊敬していますので」
しれっと、そう答えるクリスだった。
それで、結局どうなったのかというと……。
「『——聞こえる? 囚われの聖女よ。いまあなたの頭の中に直接話しかけているんだけど』」
「『あ、あなたはいったい……?』
「『あたしは灰かぶり、あなたたちが初代聖女と呼ぶものよ!』」
こうなった。
多くの船団で伝えられている古き神、そしてここでは初代聖女灰かぶりと呼ばれている俺は、伝承通りの性格付けとなったわけだ。
「『いい! こんなことでくじけちゃダメ!』」
「『し、しかし——』
「『奪われたなら取り返しなさい! それが聖女ってものよ!』」
「『は、はい!』」
ほぼ素でそう答えるアンだった。
ここで一曲が入り、クリスが伝承の古き神に則った歌を披露する。
それはとても可愛らしいものであった。
ものであったのだが……。
……俺?
……あれ、俺?
「伝承なんかには、絶対負けない……! なんて嘯いていたけれど——」
舞台袖で、思わず呟く。
「——伝承には、勝てなかったわ」
「そういうときもあります。元気出してください、マリスちゃん」
さきほどの凶悪な衣裳のまま、アリスがそっと肩を抱いてくれる。
嬉しいのはたしかなのだが、違和感が凄まじかった。
「ほら、そろそろ出番ですよ?」
「ありがとう、いってくるわ」
「『いい? いつだって、求めるものには与えられるのよ……! こうやって――』」
「『え……?』」
監獄を模した舞台の最奥から、扉を開けて俺は身を乗り出した。
「『なんということだ……本当におわすとは』」
「『あなたは?』」
「『私は駆逐艦《雷光号》の艦長です。夢の中で、初代聖女・灰かぶり様よりこちらに聖女様が監禁されているというお告げを受け、参上致しました』」
「『まぁ……』」
伝承の俺が役者である俺にお告げをするというと、本当に訳がわからないが、そこはまぁ置いておく。
ここで一曲が入る。
幸いにして俺が歌う曲は、勇ましい軍歌に近いものであった。
これでクリス、ましてやアリスが唄ったような曲を唄うことになっていたら、俺は練習中何度も転げ回っていたことだろう。
「『行きましょう、聖女様』」
「『いいのですか? 私を連れて行けば貴方も反逆者になってしまいます』」
「『私がお仕えする聖女様はここにおわします。ゆえに、反逆者となろうとも、恐るるに足りません。——聖女様、どうか』」
「『……苦労をかけます。よろしくおねがいします、艦長』」
「『仰せのままに。まずは——』」
腰の剣を引き抜き、聖女の戒めを斬りほどく。
「『さぁ、参りましょう』」
「『ええ……!』」
観客席で見学していた他の組から、黄色い声が上がる。
クリス曰く『計画通り……!』らしいのだが、どういう理由かは、よくわからない。
「『あ……』」
聖女アンがよろめくところを、素早く抱きかかえる俺。
「『監禁されていたせいでしょう。失礼致します』」
まるで物語に出てくる騎士のように、聖女を抱え上げる俺。
ここで再び観客席から黄色い声が上がる。
アリス曰く『みていていけない気持ちになります……!』だそうだが、やはり意味はわからなかった。
「『艦長。私は、聖女の位を取り戻せるでしょうか?』」
「『もちろんです、聖女様』」
「『しかし、それは誰かではなく、私が成さねばならないことなのですね』」
「『ええ。ですが、私は聖女様がそれを成し遂げられると信じています』」
聖女を抱えたまま、廊下を進む。その先には出口があるのだが……。
「『アハハハハ! そうやすやすと行かせると思って!?』」
ここで、剣を提げたアリスが立ちふさがった。
俺は抱え上げていた聖女を降ろし、静かに剣を抜く。
「『フン、やはり反逆者が出たわね』」
「『反逆者はお前だ、偽りの聖女よ――!』」
まさか舞台の上でとはいえ、アリスと剣を交えることになるとは思わなかった。
しかも、筋がかなりいい。
本人曰く、演技であって本当の剣技ではないというのだが……。
ここでまさかの、アリスと一緒に唄うという場面に転ずる。
剣戟を交わしながら唄うというのは正直骨の折れるものであったが、どうにかアリスの脚を引っ張ることはなかった――と、思いたい。
「『艦長、出口側が空きました!』」
俺とアリスが剣を交えている間に、ちゃっかりとすりぬけていた聖女アンが、出口を指さす。
「『ちいっ!』」
追いすがろうとするアリスを牽制しながら、俺も出口へと身を滑らせる。
「『フン! この場は見逃してあげる! でも二度と、この島に戻れるとは思わない事ね!』」
地を払うように剣を振って、アリス。
「『いいえ、私は必ずここに戻ります。聖女としての自分を取り戻すため、そして……あなたの真意を確かめるために!』」
俺の肩越しに、聖女アンが叫ぶ。
この部分、クリスの脚本だと『ブロシアさんが言いたいこと』となっている。
つまり、そういうことなのだろう。
「『いいわ! 奪い返せると思うのなら、いつでも来なさい! そのときが、おまえたちの墓標に刻まれる日となるのだから!』」
ここで一度大きく剣を打ち合わせて、俺とアリスは双方後ろに跳び――舞台の幕が下りた。
予想よりも大きな拍手が、観客席から響く。
「おつかれさまです。うまく行きましたね」
舞台袖でまっていたクリスが、そう労ってくれた。
「まだよ。舞台挨拶すませなくちゃ」
「おっと……そうでした」
出演者全員で横並びになり、再び幕が開いたところで一斉に礼をする。
再び、割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
その際、俺はドゥエのいる席に視線を這わせる。
ドゥエは表面上、率先して拍手をしていた。
だが、その目は決して喜んでいない。
そして俺の視線が向いているのに気付くと――。
――やってくれたわね……!――
唇だけを動かして、そう言ったのであった。
――やってやったわよ――
俺も唇の動きだけでそう返して、再び一礼する。
さて、これでドゥエに一矢報いることができた。
あとは本番の第三次選抜試験でどれだけの得点が取れるだろうか……。




