9 指輪と王太子
「芽が出たね」
嬉しそうにリズの部屋へやって来たのは神官ロイドだ。
「何で嬉しそうなんですか?」
「冷たいな。リズを見いだして王宮に連れてきたのは僕だよ。言ってみれば保護者みたいなものだろう?」
「違いますよ」
「本当、冷たいね」
そう言いながらも、ロイドはちっとも傷ついた様子もなくソファーに座って足を組み、楽しそうに笑った。
「神殿付きの侍女たちが嘆いていたよ。聖女候補たちがこぞって、捨ててある植木鉢をもらいに来る。
新しいものなら下級神官に頼めばいくらでももらえると言っても、いや古いものがいい、ひび割れていてゴミ同然のものでないと意味がない、と言い張って困るってね」
「……」
「ジャガイモ畑の土は半分に減ったそうだよ。せめて隣の玉ねぎ畑のものにしてくれないかと嘆いていた」
しかも率先して植木鉢と土をもらいに行ったのが、例のひそひそ三人娘だというから呆れる。
(「ジャガイモと間違えてるんじゃないの?」って鼻で笑ってたよね?)
ロイドが立ち上がり、窓辺に置いてあるリズの植木鉢をのぞきこんだ。
「……昨日、種をまいたばかりだよな?」
「そうです」
ロイドの戸惑いはわかる。
昨日生えたばかりの芽はあっという間に大きくなり、リズの膝くらいの高さまで成長していた。青々とした丸い葉がたくさんついている。驚くべき成長速度だ。いや、普通の速度ではない。
ロイドがリズと芽を見比べて小さく笑った。
「いいね。本当におもしろいよ」
何がおもしろいんだと言い返そうとした時、開け放たれた部屋の扉から侍女が顔を出した。
いつも元気で快活な侍女なのに、何だか元気がない。緊張の極致だとでもいうように頬が引きつっている。
「どうかした?」
ロイドが鋭く聞くと、侍女は大きくつばを飲み込んで言った。
「あの、リズ様。キーファ王太子殿下がお呼びです……」
呼び出されたのは、この前話した広間の前の廊下だった。
(会いたくない)
憂鬱でたまらない。
もちろんリズはものすごく怒っている。多大な怒りが前面にある。それは確かだ。
けれど、心の奥底には臆病なリズが――前世のセシルがいる。
キーファに会うと古傷がうずき感情が掻き乱されて、いつもの自分でいられなくなる。キーファは――前世のユージンは何とも思っていないだろう。それなのに一人で勝手に心をかき乱されている、そんな自分が悔しくて嫌でたまらない。
けれど王太子に呼ばれて無視するなんて大問題だ。伝えてくれた侍女にも多大な迷惑がかかる。
キーファ王太子は先に来ていた。一人のようで側近の姿は見えない。
リズは大きく深呼吸して廊下を歩いて行った。こちらの姿を認めたキーファが不審そうに眉を寄せた。
「君を呼んではいないのだが――」
――リズの隣にいる神官ロイドの事だ。どうしてもキーファに聞きたいことがあると言い張って一緒に付いてきたのである。
「僕は後でいいです。先に、リズと話をなさってください」
そう言ってロイドが壁際へと下がる。
リズはキーファと向かい合った。
(冷静になれ。平然としていればいいんだから)
ともすれば震えそうになる体を、両手を強く握りしめて堪えた。
そんなリズを一心に見つめるキーファもまた、こみ上げてくる様々な感情をのど元で押し殺している、そんな感じだった。焦げ茶色の目が悲しげに、けれど確かな熱量を持ってリズを一心に見つめている。
やがて無理やり想いを引きはがすように視線を外すと、かすれた声で言った。
「もう一度、改めて話がしたいと思ったんだ」
「……話なんてありませんよ」
「いや、聞いて欲しい。前世にあった事と今世の君の反応を、ずっと考えていたんだ。何かおかしい。上手くつながらない。もしかして俺は、いや俺たちは互いに何か思い違いをしているんじゃないだろうか?」
思ってもみなかった言葉に、リズは思わず目の前のキーファを見上げた。キーファは実に真面目な態度で、まるで懇願するように唇を引き結んでいる。
その真剣な口調に、真面目な態度に、ふといつもの冷静なリズが顔を出した。話の続きを聞いてみようか、と。
まじまじと見つめると、キーファはリズより頭一個分背が高いのだとわかった。確かに見とれるほど端正な顔立ちをしている。
前世のユージンは特に整った顔ではなかった。ちょっとたれた目が特徴の、普通の、人の良い顔をしていた。今世のキーファとは似ても似つかない。似ているところはどこもないのに。
(どうして、わかるんだろう)
前世で心から愛した人だと――。
思えば前世は結婚を約束していた恋人同士で一緒に住んでいたのだ。前世のユージンからかけられた甘い言葉や二人で過ごした時間、体の温もり、優しくふれられた感触なども、切ないほど全て覚えている。
脳裏に記憶があざやかによみがえって、思考が一気に前世へと引き戻されたようだった。
そこで――目が合ってしまった。
「「……!?」」
その瞬間わかった。キーファも同じ事を考えていたと。
ほぼ同時に顔をそらせた。
気恥ずかしくて互いの顔が見られない。
(やりにくい……)
ものすごく、やりにくい。何だ、これは?
背を向けあい、互いに決して相手に悟らせまいとして、しかし確実に心中もだえている二人に
「……何をしているんですか?」
と、壁際に下がっていた神官ロイドが不審そうに聞いてきた。
「君の話というのは何だったかな?」
意識をそらすように、その場の雰囲気を変えるように、キーファがわざとらしく咳払いをしながらロイドに聞いた。
ロイドは変な顔をしながらも
「これなんですが」
着ているローブの内ポケットから何かを出してキーファに差し出した。
「小神殿と周壁の間の地中に埋まっていたものなんです。神官長がこれはキーファ殿下のものだと言っていました。子供の頃、大事にしていたと」
ロイドの手のひらには丸い小さなものがのっている。
キーファが驚いたように目を見開き、そしてリズの視線を気にするように急いでポケットにしまった。
けれどキーファがポケットに隠す直前、見えてしまった。
指輪だ。リングの部分がなかば錆びて、よく見えなかったけれど青い石はちらりと見えた。
(見覚えがある……)
心臓が恐いくらい早鐘を打ち出した。
前世の記憶があざやかによみがえる。忘れたいのに脳裏に刻みついて決して離れない、そんな記憶だ。
グルド家のお嬢様の――ユージンの結婚相手の指にはまっていた大きな青い石がついた金の指輪。あれに似ていた。
キーファは生まれ変わっても、それを大事にしているのか――。
先程までの甘い感情が一瞬で冷めた。
自分は何をしているのだと、一気に現実に引き戻された気がした。
リズは食いしばった歯の間から言葉を押し出すようにして言った。ほとんど呻いていたと思う。
「……話したい事は何もありません」
少しでも期待してしまった自分がぶざまで仕方ない。前世から、ちっとも成長していないじゃないか。
「失礼します」
いつもの自分でいたいのに、なぜ、こんなにも簡単に感情が上下に振り切れてしまうのだろう。
リズは唇を噛みしめて、なかば走るようにその場を去った。
(悔しい、悔しい……!)
すがってしまった自分が悔しかった。ユージンの――キーファの心の中に少しでも自分がいる事をまだ願っている、そんな自分が死ぬほど悔しくて、そしてみじめだった。
キーファは追いかけてこなかった。凍りついたように、その場に立ち止まっている。
追い付いた神官ロイドがリズの隣に並んだ。
「リズはいつも冷静なのに、殿下といると感情がむき出しになるよな。普段とは別人のようだったよ」
小さく笑い、視線をよこして、ギョッとしたように顔をゆがめた。
「……何で泣いてるんだ?」
答えず、両手を使って乱暴に顔をこするリズに、ロイドが着ているローブのあちこちに急いで手をやり、探し当てたハンカチを無言で差し出した。