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ロイドの場合

(貧乏くさい娘だな)


 ロイドが初めてリズを間近で見た時、抱いた感想はそれだった。


 聖女候補者のエミリアを、王都から遠く離れた村へ迎えにいった時の事だ。

 リズは着古したワンピースに色あせたブーツを履き、木イチゴの入ったカゴを大事そうに抱えていた。透きとおるような白い肌は人目をひくが、それだけといえばそれだけだ。


 事前にエミリアの屋敷のメイドから、リズという、失くし物を見つけられる不思議な娘がいると聞いていた。だから急いで「鍵」を、わざと客間のベッドの下へと押し込んできたのだ。

 メイドの言葉が本当か確かめてやろうという軽い気持ちだった。


「おかしな事を聞くけど、銀色の小さな鍵を知らないかな? ずっと探しているけど見つからなくて」


 ロイドは王都からきた神官で、こんな田舎の村人なら、普通は顔を輝かせて興奮するところだろう。

 それなのにリズはうさんくさそうな、若干迷惑そうですらある顔で、ロイドを見てきた。


(おもしろい)


 少し興味を持ったところへ、


「黄色い紐がついた銀色の鍵ですよね。カーフェン様のお屋敷の客間、右側のベッドの下にありますよ。そんな気がします」


(――嘘だろ!?)


 実物を見てもいないのに言い当てた。しかも紐の事まで。驚いたなんてものじゃない。

 事前に神殿で現聖女から言われていた。「聖なる力を少しでも持つ者になら、鍵は必ず見えます。ですがついている紐は、そう簡単に見えるものではありませんよ」と――。


(聖女の器だ)


 その時、確信した。


 神殿へ連れていってからも、とにかくリズは変わっていた。王太子と会った事もないはずなのに知り合いのようだったり、突然穴を掘り始めたり、規格外の聖なる木を生やしたり。楽しかった。見ていると飽きない。

 そして最初は敵意の塊だった周りの者たちを、だんだん惹きつけていった。


(リズが次期聖女だ)


 魔力持ちでなかろうと。確信は強くなるばかりだった。


 リズを意識し出したのはいつからだっただろう。見守るべき候補者としてではなく、女性として。

 そんなに早い時期ではなかった。むしろ遅過ぎたくらいだ。だからその頃にはすでに、リズはキーファを愛していた。


(またキーファ殿下がいい人だから、タチが悪いんだよ)


 キーファが嫌な人間ならよかったのだ。権力をかさに着て、周りの者たちの事を考えずに好き放題するような。


 けれど、そうではなかった。たまによくわからない言動をして周りを戸惑わせてはいるが、芯から優しい人だ。

 偽の聖女の策略によって現聖女と神官長が危なかった時も、そんな事をする必要なんてないのに、ロイドをなぐさめてくれた。元気づけようとしてくれた。


(……何か、前世がどうとか?)


 リズとキーファの間には秘密がある。二人は隠しているようだが、漏れ聞こえてくる会話をつなぎ合わせれば、二人は五百年前の前世で恋人同士だったと推測できた。


(前世って)


 苦笑しかない。しかも、アイグナー公爵もそこに絡んでくるらしい。


(できすぎだろ)


 よほど彼らの縁が深かったという事か。

 それとも次期聖女になるほどの力を持つリズが、その力をもって引き寄せたとでもいうのか。もっともリズ自身に、そんな自覚はないかもしれないが。


(まあ、でも関係ないよな)


 リズは今世のキーファを好きになり、キーファもまた今世のリズを愛しているのだから。

 だからロイドが自分の気持ちに気づくのが遅過ぎた。それだけだ。


 神殿の中庭の通路から、ロイドは空を仰いだ。今日もよく晴れている。

 リズを困らせたくはない。ロイドは小さな事ではリズにちょっかいを出したり、からかったりするのが大好きだが――まあ、リズは全く動じていないが――本当に大切な部分では困らせたくない。

 決して表には出さないが、それが本心だ。


 戴冠式を終え、名実ともに聖女になったリズは忙しそうだ。当分は現――前聖女について回り、聖女の職務を覚えていくのだという。

 第一神殿の西側の広大な区画を住居スペースとして与えられ、大勢の侍女や神官たちがリズにつき従っている。ロイドもその一人だが、あくまで「その中の一人」だ。今までのように一番近い立場ではない。


 だからロイドがリズと、これまでと同じ距離にいようとするならば、ロイドが次期神官長になる事が条件なのだ。


(次期神官長ねえ)


 まさか自分が目指す事になろうとは。考えると笑えてくる。それほど縁遠い事だった。


 孤児だったロイドは、幼い頃に神殿に引き取られた。実の親の顔も知らない。それでも前聖女や神官長、神官たちがいつでも近くにいた。だから寂しくはなかった。ずっと親代わりだったから。だから神官になったのも当然の道だった。仕事は嫌いだけれど。


 このままいくのだと思っていた。適当に神官としての職務をこなし、毎日を過ごしていくのだと。リズに会うまでは――。


 近々、次期神官長の選定が行われると聞いたのは、つい先日の事だ。


「立候補者を募り、その中から幹部神官たちの投票で選ばれるらしいぞ」


 神官たちが初めて見る聖女候補者とは違い、よく知っている間柄だからこその投票制だろうとは思ったが。


(やばい。これ無理だな)


 ただでさえロイドは神官たちから信頼されていない。特にロイドより十歳も二十歳も年上ばかりの幹部神官たちからは。


(何か策を考えないと……ばれないように一服盛るか?)


 腕組みしながら廊下を歩いていると、向こうから歩いてくる神官長とお付きの神官たちに出会った。正直、今は会いたくない。お付きの神官たちは、ほぼ幹部神官で構成されているからだ。だが、


「どうも」


 片手を上げて軽く笑ってみせると、「生意気な!」と言いたげに神官たちの顔がゆがんだ。

 笑顔なのは神官長だけだ。


「ロイド、次期神官長に立候補したらしいのう。いや、めでたいめでたい」

「めでたいんですか?」

「しかし頑張らんとな。他の候補者たちの顔ぶれを見たか? お前と違って、いずれも真面目で勤勉で、自ら率先して働く、他の神官たちから信の厚い者たちばかりだぞ。お前と違って」

「頑張るも何も、投票制でしょう?」

「そうだった。……こりゃダメだな」


 神官長が片手でピシャっと額を叩いた。無駄にいい音だ。やはり面積が広いと音もいい。


「しかし何でまた、お前が次期神官長を目指すのだ? 一番興味がなさそうだったのに」

「……リズの力になれるんなら、少しでも支えてやろうと思っただけですよ」


 神官長が驚いたように目を見張った。お付きの神官たちもだ。

 ロイドらしくない言葉だったからだろう。ロイド自身もそう思ったほどに。それでも――。


「でないと、すぐにショベルを持って穴を掘り始めたり、池に飛び込んだりするので」


 戴冠式で自ら腕まくりしてみせたり。思い出して笑いの浮かんだロイドを、神官長がじっと見つめている。そんな神官長に気づき、ロイドは小さく笑った。


「意外ですか?」

「そうだな……いやでも、そうでもないかな」


 どっちだ。呆れるロイドの前で、神官長が笑った。


「意外ではないよ。お前はそういう奴だ。幼い頃から見てきたから、よく知っている」


 今度は、ロイドが目を見張る番だ。


「だがそれを上回るくらい、不真面目で適当だがな」

「どうせ。……そうだ、神官長様。この際、次期神官長の選定方法を変更しま――」

「嫌じゃ」

「……」


 前聖女もそうだが、神官長もなかなかいい性格をしていると思う。ロイドの性格がゆがんでいるとか素直じゃないとか言われるのは、きっと育てたこの人たちの影響を多分に受けたからだ、きっと。


「まあ、頑張る事だな」


 笑いながら神官長が行ってしまった。

 ロイドをじっと見ていたお付きの神官たちが、やっと視線をそらして、神官長の後を追った。



「あれ、ロイドさん」


 数日後、第九塔門前で、今度はリズに会った。聖女のローブを身に着けたリズが、ロイドはまだ見慣れない。

 リズはうんざりした顔で、大量の書類を手にしていた。後ろに幹部神官の一人がついていて、その両手にはさらに大量の公式文書類が抱えられている。


「これ全部、今日中に確認してサインしないといけないそうです」


 リズが少し疲れたような口調でぼやいた。


「見ずに、適当に全部サインしちゃえばいいじゃん」


 耳元でこっそりささやくと、リズの眉根が寄った。いいのかなと考えているのだろう。


「リズはまだ新米聖女だからさ、後で神官たちがちゃんと見直すよ。不備があったら言ってくるって」


 リズの赤い目が不敵に輝いた瞬間、後ろに控える幹部神官が大声を出した。


「おい、ロイド! 今何か、よからぬ事を吹き込んだだろう! リズ様、こんな口車にのせられないでください。聖女様なんですから」

「……はい」


 リズが渋々うなずいた。そしてリズ自身気づいていないのだろうが、小さくため息を吐いた。疲れているようだ。

 そうだろう。正式なものから非公式なものまで、聖女の仕事を一気に教え込まれているのだから。


「ロイド、次期神官長に立候補したそうだが、こんな事では誰もお前に投票せんぞ!」


 神官の立腹した言葉に、リズが目を見開いた。


「ロイドさん、立候補したんですか?」

「うん」

「聞いてませんよ」

「言ってないからね」

「聞いてませんよ」


 赤い目がカッと見開かれた。


「……何か、威厳が出てきたよね」

「何よりです」


 見つめ続けられて、ロイドは視線をそらした。


「まあ、でも」と、リズの口調がやわらかくなり、

「よかったです。早くなってくださいね。次期神官長に」


 赤い目が微笑んだ。透きとおるような白い肌。その中で宝石のような赤い目が微笑むのは、ひどく幻想的だ。

 一瞬見とれたのは、きっとリズが聖女のローブを着ているからだ。きっと、そのせいだ。


「じゃあ、また後で」


 書類を持ち直したリズが去っていく。その後ろ姿は、先程までの疲れたような姿とは打って変わって元気を取り戻したように、はずんでいた。

 神官が驚いたように目を見張り、慌ててリズの後を追っていく。


 残されたロイドは、廊下の壁にもたれて、ゆっくりとまばたきをした。

 そうすればリズの微笑んだ顔が、目に焼き付いたように離れない姿が、まぶたの裏から消えてくれるかもしれない。


「……無理か」


 苦笑して、片手で黒い前髪をかきあげた。そしてそのまま、吐き出しようのない気持ちを持て余すように髪を触り続けた。


 次期神官長の投票が終わり、開票結果が出たと聞いたのは、それから十日後の事だ。


 公平を期すために、幹部神官たち以外には期日を知らせずに行われたらしい。

 ロイドの同輩のひょろりと背の高い神官が、興奮した様子で走って教えにきてくれた。


「ロイド、聞いたか? 次期神官長が決まったぞ!」

「誰に!?」

「それがさ――!!」



 投票が行われた祝祭殿はすでに片付けられていた。ロイドが走って飛び込んだ時に、中に残っていたのは幹部神官が一人だけだ。


「おお、ロイド」

「どうして僕に決まったんですか!?」


 食ってかかるような物言いに、ロイドより二十歳ほど上の幹部神官が、眉根を寄せた。


「何だ、嫌なのか?」

「そうではありませんが、不思議に思うだけです」


 ロイドが次期神官長に決まった事が。

 幹部神官たちに嫌われているはずなのに。

 目の前の幹部神官は、ロイドの言いたい事がわかったようだ。


「確かにお前は能力はあるのに、不真面目だし仕事もすぐさぼる。人をからかってばかりいるし、態度もふざけているから、たまに本気でイラっとする」

「……じゃあ、何で?」

「立候補者たちの中で一番、リズ様の力になりたいと思っているのはお前だと思った。そして、リズ様がそう思っているのもお前だと」


 ロイドは目を見張った。


「もちろん、そうは思わない幹部神官もいる。だが私はそう思ったし、他にもそういう者たちが多かった。それだけの話だ」


 言葉が出てこない。信じられないというよりは、戸惑いの方が大きい。けれど柄にもなく胸の中が熱くなった。

 幹部神官がロイドの肩を軽く叩いた。


「よろしくな、次期神官長様」



 その日の夜、ロイドはリズの自室を訪れた。聖竜の姿はない。聖女の聖獣という事で、聖竜にも専用の部屋が用意された。きっとそこで、ぽってりとした腹を出して寝ているのだろう。

 侍女がお茶の入ったカップを二人の前に置いて、部屋を出ていった。

 外からかすかに虫の声が聞こえる中、二人で黙ってお茶をすすった。


「リズ、あのさ」

「はい?」


 じっと見つめると、リズも迷わず見つめ返してきた。紐に通した青い石のついた指輪が、リズの胸元で鈍い輝きを放っている。

 そしてリズの右耳の上には、赤い小さな実と緑色の葉っぱを模して作られた金の髪飾りが、宝物のようにつけられていた。

 それはキーファが贈ったものだと聞いた。


 胸がざわめいた。

 戴冠式の前に、これでリズの事をあきらめようと思ったのに、ちっともあきらめきれていない。自分の弱さに情けなくなった。それでも必死に自分の気持ちを押し殺して、軽い調子で言った。


「似合ってるよ。その髪飾り」

「ありがとうございます」


 リズが嬉しそうに笑った。本当に嬉しそうに。


 胸の中が、さらにざわめいた。

 今、手を伸ばしたらどうなるだろう。テーブルを挟んで向かい合って座っている。手を伸ばせば届く距離だ。


 戴冠式の前はリズの髪と首と鎖骨と、そこまでしか触れられなかった。

 だが今、触れようと思えば触れられる。鎖骨よりもっと下、体の隅々まで。

 力で抑え込める。片手でリズの両手を封じ込めてしまえば、もう片方の手でリズの体の奥へと――。


 ロイドは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いて、顔を上げた。


「――なんてね」

「え?」


 向かい合ってお茶を飲んでいたら、突然意味のわからない言葉を発したロイドに、リズがぽかんとしている。


「冗談だよ。想像上のね」

「何がですか?」

「だから、冗談。想像上の」

「だから、何がですか?」


 顔をしかめるリズの前で、ロイドは小さく笑った。

 ちゃんとわかっている。本当にしたいのは、そんな事じゃない。ただ自分の望みを果たすために、リズを傷つけて全てをぶち壊す、そんな事じゃない。


 神官長として、リズを生涯支えていきたい。支え続けていきたい。どんな時も。

 それが本当の望みだ。本心からの。


 戴冠式の前、不敵な笑みを浮かべたリズが、神官長のいる場所をまっすぐ指差して示してみせた。あの時に、心は決まった。

 リズがロイドを求めた、あの時に。


「僕が次期神官長に決まったよ」

「そうですか」


 リズに驚いた様子は見られない。逆にロイドが驚いた。


「……知ってたのか?」

「いいえ」


 意味がわからない。ではなぜ、そんなに落ち着いているのだ。眉根を寄せるロイドに、リズがゆっくりと笑った。あの時と同じ、不敵ともとれる笑顔で。


(――ああ、そうか)


 その笑みでわかった。


(信じてたのか)


 ロイドが次期神官長になる事を。

 ロイドが、リズこそが次期聖女だと、ずっと信じていたように――。


「よろしくお願いします。これからもずっと」


 微笑みながらまっすぐ見つめてくるリズに、


「うん。こちらこそよろしく、聖女様」


 ロイドも笑ってつぶやいた。


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