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67 最終選定2

(何で?)


 リズは呆気にとられた。心の底からの「何で?」だ。オリビアは扉を見つけたのに、なぜこんな事を言いだしたのだ?


「選定のやり直しだなんて冗談じゃないぞ!?」

「また一から……嘘だろ!」


 青ざめる神官たちの足元から、不意に黒い小さなものがリズへと飛びかかった。偽の聖女の黒い光を思い出して体がこわばったが、すぐに違うとわかった。


 黒ヒョウだ。床にいた黒ヒョウがジャンプしてきたのだ。

 それもリズに向かってではなく、リズの周りを飛んでいた聖竜に向かってだった。

 驚く聖竜の白い腹へと、黒ヒョウが全力で体当たりした。猫パンチならぬ、ヒョウパンチか。


「ギュ!?」と、顔をゆがめた聖竜が鏡のかけらを吐き出した。

 リズの手のひらほどの大きさのそれは、リズの「扉」だった手鏡の一部だ。聖竜の腹に治めてリズの自室へ持ち運び、何とか再び組み立てようとしたがうまくいかなかった。


(まだ残ってたんだ)


 最後のかけらだろうか。キラキラときらめきながら、床に落ちた。


 瞬間、何かの予感がした。心臓を素手でなであげられたような。何かを見落としている。そういう予感が。

 リズは走って近づいた。頭を絞る。


 鏡のかけら。その者の真実の姿を映し出す。

 だから第一神殿で聖竜がこの鏡を見つけた時、そこにはもちろん聖竜の姿が映っていただろう。聖竜は丸くなった体型を気にしていたっけ。うっとりと夢見るように見つめていた鏡面には、聖竜の真実の姿が――。


(……!!)


 全身に鳥肌が立った。

 まさか、だ。だが可能性はある。

 むしろどうして今まで考えなかったのか。扉がなくなったと思い込み、思考が停止してしまっていたのか。


 バカな自分を叱咤するごとく勢いよく唇を噛みしめ、リズは肩の上あたりを飛んでいる聖竜に勢いよく視線をやった。

 その視線の意味がわかったのだろう、「しまった」と聖竜が急いで逃げようとする。そこを素早く両手で捕まえた。


「キュウ!?」


 驚いたようにジタバタと四本の足を動かす聖竜の顔を構わず、床に置かれた鏡のかけらにかざした。

 かけらは小さくて、聖竜の顔全部は映らないが充分だ。


(……やっぱり)


 息を呑む思いとは、まさにこの事か。

 鏡のかけらに映し出されたのは、今の聖竜の顔ではない。聖竜は聖竜だが、今の小さくなった姿ではなく、実から出てきた時の大きな聖竜の精悍な顔だった。


 そうだ。これは「真実の姿」を映し出す鏡なのだ。

 だからあの時第一神殿で、聖竜がうっとりとまるで夢見るように鏡を見つめていたのは、リズの「扉」だったからではなく――。


「シロ!!」

「キュ!?」


 再び逃げ出そうとする聖竜の頬を、怒りを込めて思いきり左右に引っ張った。


「ギュ――!?」


 あの時、聖竜が食い入るように鏡を見つめていたのは、リズの扉だったからではない。

 聖竜は鏡の中に、実から出てきた時の大きかった自分の姿を見たのだ。精悍で格好良くて、そして丸くなる前の「本来の姿」を。


 リズはがっくりと肩を落とした。怒りよりも呆れの方が大きい。そして信じ込んでしまった自分自身のうかつさも。冷静さを欠いていた(おろ)かな自分に腹が立つ。うおお! と、髪を両手でかきむしった。


 聖竜もさすがに反省したようにおとなしくなり、「キュ……」と両耳を力なく垂らしている。


 現聖女が非難するような、仕方なさそうな、温い目を黒ヒョウに向けた。黒ヒョウが肩をすくめる。「聖竜が目障りだからケンカをふっかけただけだ。気づいたのはリズ自身だろう。まあ命を助けられた事だしな」と言うように。


「リズの扉じゃなかったのか? じゃあ、扉は他に……」


 ロイドが呆然とつぶやき、目を見開いた。


「本物の扉はどこだ!?」


 まだ希望はある。今すぐ探しに行こうと、聖竜を抱え駆け出そうとして思い出した。最終選定の内容を告げられた時に、神官長が言っていた言葉を。そうだ、確か「落ち着いて――」


「リズ」と、オリビアに声をかけられた。振り向くと、オリビアはとても穏やかな表情をしていた。


「落ち着いて、自分の心に耳をかたむけるの。自分に正直に。そうすれば扉が見つかるわ。私は見つけられた」


 リズはうなずいた。そうだ。神官長はそう言っていた。

 大きく深呼吸をして、ゆっくり目を閉じた。


(正直に、自分の心に耳をかたむける……)


 リズの体が光に包まれた。荘厳で神秘的で、どこまでも白い光。続いて聖竜の体からも輝きが放たれた。目を閉じていても、それがわかった。


「キュ――」


 聖竜が一際高く鳴いた。翼を大きくはためかせて飛び立つ。

 リズは後を追った。



 白くやわらかな光に包まれた聖竜が、一度も振り返る事なく一心に飛んでいく。

 リズは必死に追いかけた。


 祝祭殿を出て、クレアやナタリー、アナやレベッカたちと過ごした第二神殿の廊下を抜け、東の方へ向かっていく。

 オリビアと鏡を持って駆け抜けた第九塔門が現れた。塔門の扉は閉まっている。


 けれど聖竜の飛ぶ勢いは変わらない。ためらう事なく頭から突っ込んだ。危ない! と思った瞬間、聖竜がまとう光に呼応したように、塔門の扉が音もなく開いた。


 呆気に取られるリズの前で、聖竜は偽の聖女を倒した第一神殿に入った。彫像が等間隔で並ぶ長い長い廊下を突き進む。リズも再び慌てて走りだした。


 人気(ひとけ)はない。辺りは静まり返っている。偽の聖女に姿を変えたハデスを倒した部屋の前も、聖竜は視線をやる事もなく飛び抜けていく。

 やる事が、行き先がわかっているというように。迷いのない表情で、前だけを見すえて。


(どこまで行くの?)


 だいぶ奥まで来たような気がする。少し不安になりかけた時、不意に聖竜が進むのをやめた。突き当たりの部屋のドアの前だ。静かに翼を休め、まるで最高敬礼のようにドアに向かって頭を垂れた。


「ここは……?」


 第一神殿の最深部にある部屋。そこのドアが白く輝いている。

「キュ」と、聖竜が澄ました顔で振り向いた。第一神殿の時とは違い、つぶらな赤い目は確信に満ちている。


「……まさか」


(今度こそ、私の『扉』なの?)


 衝撃を受けた。まさか「扉」は、本当に扉そのものなのか?

 最終選定が始まった時に神官長が言った「扉は本の表紙かもしれないし、コップの持ち手かもしれない」などの言葉は何だったんだ。ちょっと悪態をつきたくなった。


「キュウ」


 聖竜がドアの前で小さく頭を下げた。リズに向かって、おごそかに。


 速まる心臓の鼓動を抑えながら、その部屋のドアへと近づいた。

 ひんやりと冷たい石造りのドアにそっと手を当てると、光が強くなった。まばゆいほどに荘厳な光が、リズを包み込む。


 ドアの中心に鍵穴が出現した。

 リズは息を呑んだ。候補者だったアナが言っていた。「扉」に「鍵穴」が出現したと。


(じゃあ、本当にこれこそが私の「扉」――)


 リズは息を呑み、震える手で首から下げた鍵を手にした。瞬間、ロイドに初めて会った時の事を思い出した。

 村のエミリアの屋敷の前で、初めて会った時に鍵の事を聞かれた。なぜあの時、リズに聞いてきたのだろう。魔力も持っていないただの平民だと、見た目ですぐにわかっただろうに――。


 ドアがその輝きを増した。我に返ったリズは、震える手で鍵を差し込んだ。


 手ごたえがあった。ゆっくり鍵を回すと、カチャリと小さな金属音がしてドアが開いた。まるでリズを迎え入れるように。


「この部屋は――?」


 中に足を踏み入れた瞬間、言葉を失った。

 床も壁も一面が白い。天井近くまで達する長い窓から床へと、淡い光がいくつも落ちていて、床に装飾された細かな文様を浮き上がらせている。


「きれい……」


 思わずため息が漏れるほど、その部屋は美しく、また幻想的だった。

 何もないかと思われた部屋の奥、一段高くなったところに白いテーブルが置かれている。そこに白い絹の織物が敷かれており、その上に光り輝く冠が載っていた。


 白い宝石がいくつも埋め込まれた豪華な冠。

 一目でわかった。これはこの世にたった一つしかない、このアストリア国の聖女がかぶる冠だと。


(じゃあ、じゃあこの部屋は――)


 じわじわと、(おそ)れのような喜びのような相反する感情が込み上げてきた。

 ここは聖堂なのだ。代々の聖女が祈る時に使う場所。


 不意に冠が光った。白く淡い光。誘われるようにリズは手に取った。

 呼応するように冠の光が強くなった。まるで手に取った者を認めたかのように。


 その瞬間、確信した。自分がこの冠に選ばれたと。

 なぜかと言われればわからない。けれどアナやオリビアが言っていたように、リズにもわかった。扉を見つけて、その意味が心に染み込むようにわかった――。


 背後から、いくつもの嘆息が聞こえてきた。驚きや不快に満ちたものは一つもない。結果に満足している、そういうように聞こえた。


 同時に、やわらかい衣擦れの音もした。いくつもいくつも重なるように。


 リズは振り向いた。


「……!!」


 神官長と神官たちが、床に片膝をついてリズを見上げていた。いくつもの黒い目に宿るのは尊敬と従順と、そして確信の光。


 目の前の光景に、リズは息を呑んだ。とても現実とは思えない。

 神官たちの横に立っていた現聖女が笑みを浮かべた。


「最終選定はこれで終了ですね。『扉』は確かに示しました」


 神官たちの一番前で、真剣な顔の神官長が重々しく口を開いた。


「我ら神官一同、この命と誇りを以て、生涯お仕えいたします」


 立ち尽くすリズを優しい目で見つめ、ゆっくり丁重に頭を下げた。


「次期聖女、リズ・ステファン様」


 居並ぶ神官たちが続けて頭を垂れた。おごそかに、最高敬礼をもって。 


 一番端にいたロイドと目が合った。今まで見た事もないくらい満足そうな笑みを浮かべていた。そして他の神官たちと同じように頭を下げた。


 リズは呆然となった。頭の中が真っ白で思考が停止している。それなのに体が震えてくる。それが畏れからなのか、武者震いなのかはわからない。


(私が次期聖女……?)


 心ではわかっていても、頭がついていかない。


 沈黙が辺りを支配した。のどの奥で言葉が詰まったように出てこないリズの前で、神官たちは身じろぎもせず頭を下げ続けている。


 不意に、


「キュ――!!」


 と、天井近くを飛び回っていた聖竜が高らかに鳴いた。

 それに呼応するように、現聖女が微笑んで拍手し始めた。その逆側に立っていた国王と重臣たちが、それに続く。


 神官たちの背後にいるレベッカが泣きそうな顔で力一杯手を打ち鳴らす。胸元にいるミミズンは、さぞびっくりしている事だろう。

 その隣に立つオリビアも、笑顔で「おめでとう!」と口の形で示した。ペンギンも真っ赤な顔で、一生懸命両方の翼をぶつけて、ペチペチと水っぽい拍手を送っている。


「キュ!」


 天井近くを旋回していた聖竜が嬉しそうに、リズの肩へと降り立った。


(――私が次期聖女……)


 本当なのだ。次期聖女なのだ。決まったのだ。真っ白になっていた頭の中が晴れてくると同時に、じわじわと嬉しさが()いてきた。

 頭のてっぺんからつま先まで充実感で満たされていく。これ以上の喜びはない。


 泣きたい気持ちと笑いたい気持ちが混ざり、こわばった顔でリズはキーファを見た。

 現聖女の隣で、心底嬉しそうな笑顔で拍手していたキーファが見つめ返してくる。目が合った瞬間、キーファがさらに嬉しそうな顔で祝福するように笑った。


 目の前で、床に片膝をつき頭を下げ続けている神官長とロイド、そして神官たち。

 満足そうに微笑んでいる現聖女。国王や重臣たち。オリビアにレベッカ。


 リズは震える体で、揺れる目で、彼らをぐるりと見渡した。

 窓から降り注ぐ日差しが、リズの白い髪を、顔を、光に溶かす。


 白く輝く光の中で、リズは皆に感謝を込めてゆっくりと笑った。心からの笑顔で――。


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