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65 現聖女を助けよう

 候補者が神殿の外にある施療院へ行けないためと、神殿の方がリズの力が強まるだろうという考えのもと、現聖女が慎重に第二神殿の祝祭殿へと移された。

 一緒に運び込まれたベッドで、現聖女が眠っている。


 香炉で乳香と炭が焚かれ、辺りに甘い香りが充満した。要人の治療などの儀式に用いられるものらしい。

 神官長が現聖女の細い手を、祈るようにそっと握った。


 神官たちや重臣たちの期待の視線が自分に集まるのがわかり、リズはカラカラに乾いた口の中で、何とか唾を飲み込んだ。頭がガンガンする。

 どうすればいいのだ。せめて助ける方法を知っていればいいが、それすらわからない。


 神官長が振り返って言った。


「ではリズ。頼んだ」


 ちょっと待て。後ろへ下がろうとする神官長のローブを、慌ててつかんだ。


「どうすればいいんですか? やり方なんて知りません」

「私も知らんよ」


 真顔で返された。


「大丈夫。リズなら、きっとわかるはずだ。何せ魔力を打ち消せる力を持つのだから。だから、きっとわかるに違いない」


 神官長が微笑みながら、リズの肩をポンポンと何度も叩いた。希望的観測というやつか。

 不意に、神官長の表情が真剣なものに変わった。


「私たち神官はリズの援護をする。何せ、あの性格の悪い偽者が力を込めたくさびだ。あの者は死んだが、何が起きるかわかったものではないからのう」


 それはわかる。リズがうなずいた瞬間、神官長が下がっていってしまった。


「頼む。リズ・ステファン」


 国王直々に声をかけられ、反射的に現聖女の枕元に立った。

 一挙手一投足を見られている。膝が震えた。こんなプレッシャーは今まで感じた事がない。


 ゆっくりと振り向くと、すぐ後ろで神官長と神官たちが床に両膝をついて、リズを見上げていた。そしてさらにその後ろでは、国王や重臣たち、オリビアやレベッカもリズを一心に見つめていた。彼らの目の中に共通して浮かんでいるのは、「懇願」の色だ。リズに希望を託している。


 神官たちの一団の端にいたロイドと目が合った。真剣な顔で「頼む」と言われたのが、口の動きでわかった。

 そして国王の隣に立つキーファ。優しく微笑み、大きくうなずいた。「リズにならできる」と言っているようだ。


 リズは小さくうなずき返して、現聖女の姿に視線を落とした。土気色の顔からは生気がほとんど感じられない。痛ましい思いが込み上げてきた。


 足元から腰の辺りまで白い布がかぶせられている。初めて見る現聖女の顔は、まさに偽の聖女そのもので、着ている服は見慣れたマノンのものだ。


(私にできる……?)


 不安しかない。現聖女を救うなんて大それた事が、本当に自分にできるのだろうか。

 それに、自分が魔力持ちだったなんて。ずっと魔力持ちではないと思い生きてきたのに、今さらそんな事を言われても戸惑いしかない。

 でも、その力で現聖女を、ずっと一緒にいたマノンを救えるというのなら――。


 やるしかない。リズは小さくうなずき、覚悟を決めた。


 ベッドの足元、クッションの上でぐったりしている黒ヒョウの周囲を、聖竜が落ち着かない様子で飛んでいる。「シロ」と呼ぶと、一度黒ヒョウに視線をやってから、リズの肩に飛び乗ってきた。


 大丈夫だ。一人ではない。現聖女の事を何も知らなくても、皆に愛されているのはわかる。この国に必要な方だという事も。だから絶対に――。


(助けるんだ!)


 リズの全身が光り輝いた。重臣たちのどよめきが聞こえた。

 心を落ち着かせて集中し、現聖女の左胸に両手をかざした。


 そこに黒いくさびが刺さっているのが「見えた」。偽の聖女は確かに現聖女の命を奪うつもりで、そこにくさびを差し込んだのだ。

 ただ直前で、現聖女がありったけの力をそこに込めた。だから何とか生き延びている。そうでなかったら、現聖女はとっくに命を落としていただろう。


 リズの背筋に冷たいものが走った。


 それでも、ありったけの呪いが込められたくさびは強力だ。現聖女は耐えるのが精一杯で、消耗している。マノンの姿を保っていられないほどに。


 同じ、姿を変える高等魔術だが、現聖女のそれと偽の聖女のそれとでは質が違うのだと、神官長が言っていた。

 現聖女の魔術は自分にのみしか使えない。

 対して偽の聖女は、何度も自分の姿を自由に変えられ、なおかつ他人の姿まで変えられる。だから禁術なのだと。


 現聖女は次期聖女選定のため、上から候補者たちを見下ろすのではなく、同じ目線で候補者たちの本質を確かめたかった。この国の将来のため、ひいては国民のために。


 けれど偽の聖女は違った。自分の欲望のためだけに誰かを傷つけ、泣かせても平気だった。

 高等禁術を使える力。才能もあったし、血を吐くような努力もしたのだろう。けれどそこまでの力があるのなら、もっと別の事に使えば良かったのだ。自分が幸せになるために。こんな事をして、最終的に本当に幸せになれるかどうか、もっとちゃんと考えるべきだった。


 偽の聖女は現聖女に負けたのではない。自分に負けたのだ。目先の欲望に、憎しみに打ち勝てなかった自分に――。


 手ごたえがあった。実際に触ったわけではない。だが確かに、つかんだとわかった。

 現聖女の胸にかざしていた両手に力を込めて、リズはゆっくりと引き上げた。白い光に包まれた両手につられるように、現聖女の左胸から黒いくさびが浮き上がってくる。


「おお……!」


 背後から、思わずといった歓声があがった。

 だがその瞬間を狙いすましていたのか、くさびが最後の抵抗だと言いたげに、まがまがしい光を帯びた。偽の聖女は死んだのに、どれだけ憎しみが深かったのかと背筋が冷たくなる。


 瞬間、くさびが自ら割れた。パキパキと乾いた嫌らしい音を立て、細かく砕けたくさびのかけらが、何十個何百個と、並ぶ人々に向かって飛んでいった。


「何だ、これは!?」

「助けてくれ!」


 息を呑む国王と、逃げ惑う重臣たちの前に、神官長の手から放たれた魔法の壁が出現した。くさびのかけらが勢いよく壁に突き刺さる。神官長が呪文を唱えると、くさびのかけらごと壁が包み込んで固めていった。


「キーファ殿下!」と、ロイドの鋭い声が聞こえた。思わず振り返ると、キーファが襲ってきたくさびのかけらをかろうじて避けたところだった。

 くさびのかけらが、壁際に置かれた大理石のテーブルの足に、いくつも突き刺さる。かけらが光を放ち、重そうなテーブルごと浮き上がった。


「「嘘だろ……?」」


 キーファとロイドが同時につぶやいた瞬間、黒い光に包まれたテーブルが、キーファ目がけて飛んできた。ロイドの魔法で、すんでのところで光の壁ができ、テーブルが激しい音をたててその壁にぶつかる。

 リズはホッと息を吐いた。けれど、テーブルはまるで意志を持ったように、さらにその壁をぶち破ろうとしている。強烈過ぎる。


 そこへ聖竜が白い炎を吐いた。断末魔のような音をたてて、テーブルがくさびのかけらごと燃え尽きた。

 そして、ついでだと言いたげに、うごめきだした神官長の魔法の壁にも炎を吐いた。


「ありがとう、シロ。助かったよ!」


 安心したように笑うキーファに、聖竜が「まあ、お前はなかなかいい奴だからな」と言いたげにうなずき、


「やるじゃん、聖竜」


 と笑顔になったロイドに、「お前は『デブ竜』とか言うから嫌い」といった冷たい目を向けた。

「リズは!?」とキーファが声をあげる。


 くさびのかけらはもちろん、リズ目がけてもいくつも襲ってきていた。

 だがリズを取り巻く白い光にはばまれ、リズの体まで到達することなく、燃え尽きた炭のように崩れ落ちていく。魔石の時のように。


「すごい……!」

「あれが神官長様のおっしゃっていた、『魔力を無効にする力』なのか……」


 オリビアとレベッカを守っていた神官たちが、どよめいた。


 その陰で、くさびのかけらの一つから、まるで騒動の隙を狙ったように黒い光が消えた。目立たなくなったかけらが、狙いすましたように現聖女の左胸目がけて飛んでいく。

 まるで偽の聖女が乗り移り、ニヤリと笑ったように。


 やっと気づいた神官たちが悲鳴をあげた。


 だが再びかけらが胸に突き刺さるより、リズが右手を伸ばした方が早かった。


 予想内だ。偽の聖女の性格の悪さは、扉を失ったリズが身を以て知っている。

 リズは確実に、そのかけらをつかみ取った。そしてその手に力を込めて、


「消えろ!」


 カッと目を見開いた。まさに鶴の一声だ。

 かけらも最期の望みのように頑張ったが、リズの白い光が集中したこぶしの中では、ひとたまりもない。

 あっという間に燃え尽き、滅した。


「おお……!」


 神官たちの間から感嘆の声がもれた。


 くさびは消滅した。


 リズは固唾を呑んで、現聖女を見つめた。

 背後からも、息を呑むように張り詰めた視線を感じる。


 肌がピリピリするほどの緊張した空気がただよう中、やがて現聖女の顔に血色が戻ってきた。

 息を吹き返したように、土気色だった肌に赤みがさし始める。


 そして――現聖女の目が開いた。


 マノンと同じ漆黒の目がゆっくりとまたたき、リズを見た。


(偽の聖女とは全然違う)


 外見は全く一緒なのに、取り巻く雰囲気が、オーラが違う。包み込まれるようにやわらかく、温かい。

 目が離せないリズに、現聖女がゆっくりと微笑んだ。


「感謝します。リズ」


 かすれた声には、多大な謝意が込められている。

 リズは安堵の息を吐いて、微笑み返した。


「うわああ! 現聖女様――!」

「すごいぞ、リズ・ステファン!!」


 あふれんばかりの歓声が、祝祭殿中に響いた。


 神官たちがリズに感謝の祈りを捧げ、オリビアとレベッカが手を取り合って喜んでいる。重臣たちが称賛の拍手を送った。


「よかった」と、笑みを浮かべて近づいてきた国王に、現聖女が急いで起き上がろうとする。それを止めて、


「そのままでいい。本当によかった」


 心底嬉しそうに微笑んだ国王に、ベッドの上で上体だけ起こした現聖女が、深く礼をした。

 国王が微笑んだまま、リズに顔を向けた。そして、


「ありがとう」


 と、頭を下げた。リズは再び固まりかけて、気づいた。キーファは国王と顔が似ていない。キーファは亡くなった先代王妃に似ていると聞いた。

 だが目の前で揺れる髪は、キーファと同じ焦げ茶色だ。


(……よかった)


 温かい気持ちが込み上げてきた。

 キーファは前世とは違い、いい父親に恵まれたのだ。

 平民のリズに対しても、自分のプライドよりも国のために頭を下げて頼む事のできる、そして感謝の念があれば、ためらいなく心から礼を言えるような、そんな父親に。


 神官長が手でゴシゴシと目元をこすっている。嬉しいのだろう、その目元は赤い。


「心配をかけました」


 現聖女が労わるように微笑みかけて、ふと眉根を寄せた。


「神官長、少し見ない間にずいぶんと髪が後退し――」

「ふれないでください」


 復活した黒ヒョウがのそっと顔を上げ、しなやかな動きでベッドにのぼった。

「キュ……!」と聖竜が嬉しそうに鳴きかけて、ハッと気づいたように口を閉じた。黒ヒョウはそんな聖竜をちらりと見て、ふいっと顔をそむける。


 ロイドが心底安心したように片手で額を押さえ、長い息を吐いた。リズが微笑んでみせると、ロイドも小さく笑う。

 そこへキーファが顔を輝かせて駆け寄ってきた。


「本当にすごいな。驚いた」


 焦げ茶色の目が興奮に輝いている。そこにはリズへの尊敬と、確かな愛情が見えて、嬉しい反面寂しくもなった。 


 もうすぐリズは神殿を出なくてはならない。もし侍女として雇ってもらえたとしても、相手は王太子だ。候補者の立場でも釣り合いなんてとてもとれなかったのに、さらにだ。

 前世とは違う。立場が違ったら、そばにもいられない。


 だから今だけ。今だけだ。

 込み上げてくる感情を押し殺して、リズはキーファを見つめた。焦げ茶色のやわらかそうな髪と目。優しい笑顔。

 目に焼きつけておこう。遠い村に戻っても、細部までくっきりと思い出せるように。


 

 そんなリズから、ロイドが小さく、寂しそうに微笑み顔をそらした。


 ベッドから起き上がった現聖女と神官長が顔を見合わせ、何やら相談している。現聖女の体を心配するように渋る神官長に、現聖女が押し切るように何かを告げた。神官長がうなずき、そしてリズたち候補者を見回して言った。


「突然だが、今から最終選定を行おうと思う」

「は? ええ!?」

「今からですか!?」


 候補者と神官たちの間から驚きの声があがる。神官長が笑顔で続けた。


「そうだよ。今から。皆が顔をそろえておるし、ちょうどいいと思ってな。さてオリビアにレベッカ、そしてリズ。自分の『扉』は見つかったかね?」


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― 新着の感想 ―
誰かが書き込んだかもしれませんが気になるので書き込みます。 現聖女様は現段階では聖女様なので、ただ聖女様で良いのでは? あと、聖女様にまでお笑いの片棒を担がせなくてもw
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