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63 精霊召喚

 公爵と宰相に引き続き、シーナが兵士に連れられて部屋を出て行く。牢へ戻るためだ。その姿を、リズはじっと見つめた。

 もうセシルには見えない。あれはエミリアだ。


 不意にシーナが顔を上げた。目が合う。シーナの黒い目には、かつてリズに向けられた憎しみや恨みの色はなかった。ただ全てをあきらめ、気の抜けたような色だけだった。

 公爵からの濡れ衣を着せられる事はなくなったが、自分が犯した罪は償わなくてはならない。その事実がやっと体中に浸透し、その重さに耐えようとしているかのように。


 国王と重臣たちが今後の事について話している中、その輪から抜け出したキーファが、心配そうに神官たちに聞いた。


「本物の現聖女様はどこにおられるんです? ご無事なんですよね?」


 神官たちが顔を見合わせ、そして一斉にロイドに詰め寄った。


「現聖女様はご無事なのか!?」

「ロイド! お前は、あの者が偽者だと知っていたんだな。なぜ言わない!?」

「神官長様も知っておられたんだな? 神官長様もどこにおられるのだ!?」

「――僕、頭いいんですよね。人が気づかない事に気づくっていうか?」

「「何だと!?」」

「神官長様は精霊を呼び出しています。現聖女様を助ける方法を教えてもらうために」


 神官たちが目を剥き、そして納得したように肩を落とした。


「そうか……。精霊降臨術は大変難しいと聞く。成功しそうなのか?」

「わかりません。でも他に方法はありませんから」

「そうだな……。現聖女様はどこにおられるのだ?」


 ロイドが振り向き、リズを見た。試すように目を細める。


「わかる?」


 リズは一呼吸おいてから答えた。


「――マノン、ですよね?」

「さすが。わかってたんだ」


 ロイドが小さく笑った。リズはうなずいた。


 今になってみれば、どうして気づかなかったのだろうと自分を責めたくなる。

 マノンが神殿にいる目的がリズや他の候補者たちとは違うと、「勘」で思ったのが最初だ。

 現聖女と同じく発酵させたナスビが大好物で、聖竜も不思議とマノンにだけは髪の毛を引っ張ったりなど攻撃をしなかった。


 そして地中に埋められていた聖なる種の入った壺。あれを埋めたのはマノンだ。

 種をもらってからしばらくして、リズは第一神殿付近、第九塔門前の周壁沿いで、何やらゴソゴソしていた候補者の後ろ姿を見かけた。誰だったかずっと思い出せなかったけれど、マノンが現聖女だと気づいた途端、ぴたりと点と点がつながった。


 今思えば、グレースの実の騒動の時に、神官長の姿が広間になかったのもそのせいだったのだ。

 神官長は言っていた。「聖なる木に咲いた『もの』に危害を加えられたり、下手をすると食われてしまう事もあるかもしれん。充分に気をつけてもらいたい」――。


 その言葉の通り、リズの実から出た聖竜も、グレースの化け物の実も、神官たちの魔力では太刀打ちできないほど強烈なものだった。そんな時に、たとえ一日だけといえど神殿を留守にするわけがない。

 だがマノンがいた。マノンに姿を変えた現聖女が第二神殿にいて、皆を守っていた。だから神官長は安心して留守にできたのだろう。



「マノンがどうした!? もしや現聖女様は、マノンと同じ施療院におられるのか!?」


 神官たちが焦った口調でロイドに詰め寄っている。

 その時、青ざめた顔の兵士長が部屋の中に駆けこんできた。動揺を隠せない様子で、早口で話す。


「申し上げます! 施療院に入院中の候補者のマノンですが、その……マノンの姿が現聖女様に変わったと、神官が知らせに参りました。どうやら現聖女様がマノンに姿を変えておられたようだと。ですが病状が悪くなるばかりで、どうしたらいいのかわからない、一刻も早く神官長様を呼んできて欲しいと……!」




 施療院に駆けこんだキーファたちは、ベッドの上のマノンを見て絶句した。すでにマノンではない。現聖女の姿をしていた。


 神殿の外にある施療院へは、リズたち候補者は来られない。不安を赤い目に忍ばせて見送っていたリズに、「きっと大丈夫だ」としか言えなかったが――。


(これは……)


 言葉を失った。キーファが現聖女を見るのは久しぶりだ。それでも覚えのある現聖女とは違い過ぎた。

 固く閉じられた目と蒼白な頬からは、今も生気が失われていっているように感じた。事実、そうなのだろう。偽の聖女が「最初から助ける気などなかった」と、はっきり言ったと聞いた。本物の現聖女は、ゆるゆると死に向かっているのだ。


「現聖女様!?」

「何て事だ……!」


 神官たちが悲壮な声をあげて、うなだれた。全身で悲しんでいる。それがわかった。

 国王の顔が曇り、重臣たちも肩を落としている。


 まるで火が消えたようだ。そう感じた。この国を照らす光が消えようとしている。


 一番後ろに目をやると、ロイドが壁にもたれて、じっと現聖女を囲む人垣を見つめていた。その表情はいつもと変わりないように見えたが、胸の前で組まれた両手がかすかに震えていた。キーファは胸が締めつけられるように痛んだ。


 近づきかけて、ふと足を止めた。

 何と声をかければいい? 現聖女の容態についてはロイドの方が詳しいだろうし、キーファは王太子だが魔力持ちでも何でもない。できる事は何もないのだ。


(無力だな……)


 わかってはいたが、喪失感が胸を去来した。

 それでも心のままに一歩踏み出した。ロイドと向き合い、キーファは言った。


「現聖女様はきっと大丈夫だ。神官長もいるし、神官たちもいる。それに君もいる」

「――僕には何もできませんよ」

「そんな事はない。俺よりは遥かに役に立っている」


 自信をもって言い切ると、ロイドがぽかんとした顔になった。「何を訳のわからない事を言ってるんだ、この王太子は」とか何とか思っているのだろう。

 キーファは構わず、ロイドの隣に、同じように壁にもたれて立った。横顔にロイドの視線を痛いほど感じる。


 やがてロイドを取り巻いていた、張り詰めた空気が、かすかに緩むのを感じた時、視界に何か黒いものが映った。現聖女の眠るベッドの下から出てきたのか、人垣の間をぬうように、黒く丸いものがフラフラと姿を見せた。ギョッとしたが、その何かはすぐにわかった。


「黒ヒョウ……!?」


 ロイドが声をあげ、抱き上げる。

 キーファも見覚えがあった。マノンの聖獣、黒ヒョウだ。ロイドの腕の中でぐったりと力を抜いている。マノンの容態が悪いから、黒ヒョウにも影響しているのだろう。


 ロイドの腕の中で、だらんと四本足を下げる黒ヒョウは、以前の孤高で気高い姿とはまるで違う。現聖女の状態を投影しているようで寒気がした。現聖女はすでにマノンの姿を保っていられないのだと、キーファにもわかった。それに使う力を、体の回復に努めないと命を保っていられない。


「おい、どうにかできないのか!? このままでは現聖女様が……!」


 重臣たちが神官たちに詰め寄っているが、神官たちにもどうにもできないのだろう。


「神官長はどうした!? こんな時に、現聖女様のそばを離れてどこにいるんだ!?」

「神官長様は現聖女様を救う方法を探しておられます。精霊を呼び出されておられるようです」

「それで方法が見つかるのか!?」

「わかりません。精霊の召喚は上級魔法です。それに精霊は気まぐれで……」


 歯切れの悪さに、重臣たちが青ざめた。


「まさかそれで神官長も……なんて事にならぬだろうな?」


 答えず、視線をそらした神官に、重臣たちの顔色が変わった。


「何て事だ……。この国は終わりだ。どうしてこんな事に……!」


 うめき声が狭い部屋に充満した。




 第一神殿の地下、重い扉の先にある一室に、神官長は一人きりでいた。薄暗い部屋の四隅には大きな燭台が置かれ、火が灯っている。

 部屋の中央には、神官長が自ら記した魔法陣。その前で神官長は跪き、ずっと呪文を唱えていた。

 精霊を呼び出すために。


 張り詰めた雰囲気が漂う中、神官長は一心に呪文を唱え続ける。声が枯れてきたが、そんな事はどうでもいい。現聖女を救えるなら。


 魔法陣から黒い煙が噴き出してきた。神官長はかすかに目を見開いた。

 怯えてはいけない。心の中にある戸惑いや恐怖をちらりと見せでもすれば、たちまち命を持って行かれる。コントロールするのだ、自分の心を。


 精霊召喚術は上級魔法だ。呼び出す精霊の性質は、実際に姿を現すまでわからない。どんなものが出てきても対応できる魔力と精神力が必要なのだ。


 煙の中から不気味な笑い声が聞こえてきた。まるで地の底から這い出てきたような、人の恐怖の根幹を揺さぶるような声。


 神官長は微動だにせず、膝をついたままの姿勢で、じっと待った。魔法陣を見つめるその顔には、何ら感情は見当たらない。

 笑い声だけが部屋中にこだまする。実体はないのに、声だけが神官長の周りをぐるぐると取り囲むように回っている。


(――遊んでいるのか?)


 出てきた精霊は子供なのか? そう考えた瞬間、煙が晴れた。魔法陣の中央に浮かんでいたのは、かわいらしい姿をした精霊だった。身長は神官長の半分ほど。透きとおる二枚の羽が背中から生え、金色の髪とばら色の頬をした、十歳くらいの子供の精霊だ。

 精霊がにっこりと笑った。


 神官長は衝撃を受けた。恐怖と後悔が心をむしばみそうになるのを必死でこらえる。

 精霊の本当の姿はわからない。決まった形があるのかも不明だ。だから彼らは呼び出す者の頭の中を読み取って、その通りの姿に変えて現れる。

 今も、神官長が子供なのかと思ったから、子供の姿で現れたのだ。無邪気な笑みを浮かべて。けれど実態はどうなのか。


 冷や汗が背中を流れるのがわかった。

 耐えろ。現聖女を助けるのだ。強く誓うと、精霊に問うべく言葉を絞りだした。


「……現聖女様を助ける方法を教えていただきたい」

「そんなの、ない」


 心を乱してはダメだと、強く思った。精霊はこちらを試しているのだから。自分が知恵を授けるに、力を貸すに値する相手かどうかを。


「……何を引き換えにすれば、教えていただけるのです?」

「命」


 笑って、胸の真ん中を指差された。


「差し上げます。ですから教えてください」


 精霊が不思議そうに小首をかしげた。


「あなたが死ぬよ? それでもいいの?」

「はい」

「そこまでして助けたいのは、なぜ?」


 なぜ? たくさん答えはある。この国にとって現聖女は必要な方だ。次期聖女もまだ決まっていない。そんな中、突然亡くなったとなれば国は揺れるだろう。


 聖女は神官をたばね、自身の持つ多大な聖なる力で、この国の祭祀や儀式を司っている。国民の信仰、そして安寧の対象だ。精神的なよりどころ、と言っていいかもしれない。

 神殿はもちろん国王の配下にあるが、聖女は国王とはまた違う意味で、国全体に多大な影響力をおよぼすのだ。


 そんな方が亡くなったとなれば、国は混乱する。現聖女は国にとって、神殿にとって、そして神官長にとってもとても大事な人だ。それに――。


 神官長はふと微笑んでしまった。精霊がますます不思議そうに首をかしげた。


「もし私が逆の立場になって死にかけていたら、現聖女様はきっと同じ事をしてくれるでしょう。精霊を呼び出して、私を助ける方法を聞こうとするでしょう」


 それが国にとって望まざる事だとしても。現聖女はそういう方だ。


「……へえ」


 感心したのか呆れたのかわからないような返事をすると、精霊がくるんと宙返りをした。

 次の瞬間、かわいらしい子供の姿だった精霊は、いかつい角が生えた牛王に姿を変えていた。堂々たる体躯は魔法陣からはみ出しそうだ。

 神官長は息を呑んだ。


(これが本当の姿なのか?)


 いや、違う。言葉が通じても、精霊は人と根本的に違う生き物だ。わかりあえたかもしれない、などと思いあがってはいけない。


「『聖女』とは孤独なものだ。皆に慕われていても、唯一無二の存在。わかりあえる者はいない。だから『神官長』は、それを支えられる存在でないといけない。己の全てを捧げて聖女を支え抜く。それが『神官長』になる者の使命だ」


 表情には出さないが驚いた。神官長に任命された時に、前神官長に言われた言葉とそっくり同じだったからだ。

 あの時は何と答えたか。確か「もちろんです」と答えたはずだ。「神官長」は「聖女」に尽くすもの。それが使命だから。では今、同じ事を問われたら――?


「何と答える?」


 まるで神官長の心の内を読んだようだ。いや、確かに読んだのだろう。さすが人智を超えた存在は違う。少し状況に慣れてきた神官長は、感心するあまり片手で額を叩いた。髪が後退してしまっている額は、ピシャッと思いのほかいい音をたてた。だが精霊は笑ってもくれない。当たり前か。


「そうですね。『もちろんです』と」

「以前と同じか」

「いえ、言葉は一緒でも心持ちが違います」


 以前答えた時は使命に燃えるだけだった。もちろん現聖女を尊敬していた。それは今も変わらない。だが何十年も一緒にいて、一番近くで仕えてきた。現聖女の人となりを感じて、さらに「支えたい」思いは増している。

 つまりは幸せなのだ。現聖女に仕える事ができて。本当に。


 微笑みながら思いを巡らす神官長を、じっと見つめていた精霊が、不意にそっけない口調で言った。


「魔術を打ち消す力を持つ者がいる。無効化させる魔力だ」

「打ち消す……?」


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