62 公爵と魔術師の最後2
「あの者が偽者だとしたら、本物の現聖女様はどこへいってしまわれたのだ……?」
「おい、そこの神官! お前は先程、『本物の現聖女様を助ける方法は?』と聞いていたな? もしや、あの偽者が現聖女様に何かしたのか!?」
我に返った重臣たちが騒ぎ出す。
答えにくい質問に、ロイドが無言で顔をしかめた。答えたのはキーファだ。
「それは、アイグナー公爵が知っていますよ」
「え……?」
ぽかんとなる重臣たちの前で、公爵が苦笑した。
「殿下はどうしても、私を罪人に仕立てあげたいようですね。偽者が現聖女様に化けていたとは、私も驚きました。殿下は私と彼女に関係があると言われましたが、あり得ない事です。彼女に聞いてみればわかります――まあ、もう聞けませんけどね」
残念そうに首を横に振る。
偽の聖女は消えてしまったが、公爵にとってはむしろ好都合なのだと、リズにもわかった。シーナに続いて、公爵の行った事を知っている者がいなくなったのだから。
キーファが構わず続けた。
「大丈夫ですよ。公爵の罪はちゃんとわかっていますから。内乱罪、および国家反逆罪です。あなたはシーナをコロラドの聖女に仕立て上げ、俺の妻とするべく王宮へ寄越した。そして仲間である偽の聖女を現聖女様に仕立て上げた。
この国を裏から操るために、将来の王妃と現聖女を手の内に入れようとしたんです。そのために、わざとコロラド地方の紛争を起こさせた。自分の野心のためだけに――!」
さすがに重臣たちの顔色が変わった。
だが公爵は失笑した。まるで、おかしな事を言いだした子供をなだめるような顔をして、
「とんでもありません。私は断じてそのような事は致しておりません。失礼ながら、殿下は毒のせいで混乱されておられるようです」
と、国王に切々と訴え始めた。
それを無視し、キーファがドアに向かって呼びかける。エリックがドアを開けると、若い側近が、縄で後ろ手に縛られた人物を連れて入ってきた。
「――シーナ!?」
目を見張った公爵が、思わずというように立ち上がった。
シーナがゆっくりと顔を上げる。公爵を見つめるその目には、裏切られ全ての罪をかぶされそうになった静かな恨みの色がこもっていた。
公爵があえいだ。
「なぜ……!?」
「生きているのか――ですか?」
キーファが鋭く問うと、公爵が青ざめた顔を向けた。そこには先程までの余裕はない。
「生きていますよ。会話もできます」
答えになっていませんよ、と言いたげに、エリックが温い笑みを浮かべた。もちろんリズも同感だ。
――矢で胸を射抜かれたシーナは、神官長の魔術のおかげで一命をとりとめた。目を覚ました時、取り囲む兵士たちと厳しい顔つきのキーファたちを見て、瞬時に自分の状況を思い出したようだ。自分の罪と、そして公爵に捨て駒にされた事を。
元々、公爵の意図にも薄々感づいていたのかもしれない。ただそれを認めてしまうと自分の存在意義がなくなってしまうから、あえて考えまいとしていただけで。
キーファが目線でシーナをうながす。
シーナが震える声で、しかし心を決めたように両手を強く握りしめて話し出す。本当の事を話さないと、公爵の行った罪の全てが自分のせいにされてしまう、その事がよくわかったというように。
「私は――元はエミリア・カーフェンです。アイグナー公爵の部下に連れられて、ザック地方の山間にある公爵の屋敷へ行きました……。
そこで魔術師に顔を変えられ、公爵からシーナとして生きろと言われました。そうすれば王太子妃にしてやると。そのために公爵はコロラド地方で争いを引き起こし、私をコロラドの聖女にするべく現地の男をつけて、争いの起こる場所へと誘導しました」
「……嘘だ。でたらめですよ、国王様」
「本当です! 魔術師は現聖女様に姿を変えました。禁術が使えたんです。元の姿は知りません。屋敷で私が見ていた魔術師の姿も、本来のものではないようでしたから。
神殿の中に置いてくれと、魔石も渡されました。結界が張ってあるから気づかれる事はない。その混乱に乗じて、本物の現聖女様とすり替わるからと。それは公爵も承知の上だと…!」
「嘘です! その女は嘘をついているんです!」
公爵がめずらしく腹の底からの大声を出した。目には燃えるような怒りの色がある。
キーファがさらりと受け流した。
「そうですか? エミリアに薬草の知識を与えた薬師を捕らえましたよ。壮年の、口をあまり動かさずボソボソと話す陰気な男です。彼が、あの屋敷には確かにエミリアがいて、自分が教えたと証言しました。
それにエミリアのいた修道院の院長も。公爵は院長に固く口止めしていたようですが。言っていましたよ。確かに公爵の部下の男が、公爵の命令でエミリアを迎えにきたのだと」
公爵が息を呑んだ。
「それに他の使用人たち。公爵のザック地方の山間にある屋敷、そこの下男や荷物を納入する通いの者たちにも話を聞きました。シーナやエミリア――彼らは別人だと思っていたようですが――と公爵が話す姿を。そして女の魔術師とも密談していたとね。
ある時から、外に出ていないはずなのにエミリアの姿をぷっつりと見なくなったので、彼らは公爵がエミリアを始末したと思っていたようです。発覚を恐れて数人しか雇っていないようでしたが。下働きの者たちや通いの者たちにも、あなたはもっと気を配るべきでした」
キーファが万感の思いを込めたように、公爵を見すえた。
「昔と――同じですね。五百年前もそうだった。あなたは下々の者たちに気を払わない。ただの駒、そこにいるだけの家畜以下だと思っている。だから関心を寄せない。好き勝手にする。
でもね、その者たちも同じ人間で、目も見えるし耳も聞こえる。口だってきける。何より、きちんと考えられる頭があるんです。俺にはよくわかります。馬鹿にされれば悔しいし、いないものとして扱われたら悲しいし、不幸な目に合わされたら心底悔しいんですよ」
前世のユージンたちのように――。
キーファの思いが、リズにはわかった。公爵にも伝わっただろう。公爵の頬がこわばり、苦々しげに顔をそらせたから。
だがすぐに顔を上げ、まだ余裕で反撃できると言いたげに口角を上げた。
「ですが、それでは私がコロラドの紛争を引き起こしたという証拠にはなりませんね。シーナの証言だけでは。確かに、私はあの魔術師と知り合いです。その嘘をついた事は謝ります。魔術師が『自分は顔を変えられる』と言ってきたので、つい……。
ですがエミリアをシーナに変えてもらったのは、養女にするためです。娘のグレースが罪を犯し、良家との縁を取り結ぶ、嫁に送り出せる娘が欲しかったのです。そのためシーナが争いの起きたコロラド地方へ自ら出向き、そこで活躍し、コロラドの聖女となった事は本当に嬉しかった。神殿へあがれた事もです。
ですが見込み違いだったようですね。まさか恥ずかしげもなく嘘をつく女だったとは……! それに誓って言いますが、あの魔術師がまさか現聖女様に成り代わろうとしていたなんて、私は知りませんでした」
恥ずかしげもなく言い切ると、最後の仕上げというように冷たい目をシーナに向けた。
「神殿へあがりたいと言ったのは君だ。――そうか、君はあの魔術師とグルだったんだな。グルになって殿下をたぶらかし、王太子妃の座を射止めようとした。
そして魔術師も現聖女様に成り代わろうとし、お前たち二人でこの国を裏から操ろうと考えたのか。何て浅ましい……!」
浅ましいのはお前だ。リズは即座に思った。
シーナの顔色が変わる。あまりに激しい感情が湧き上がってきて、それが口に出るのか追いつかないというようにワナワナと体を震わせている。
キーファが小さく息を吐いた。
「そのコロラド地方に住む地元の男が証言しましたよ。自分は公爵の部下に雇われて、争いの起こる地域へとシーナを誘導した。しかもその部下に言われ、わざと民族の感情を逆なでし、対立をあおったと。それも全て命令されたからだと」
「……!?」
公爵の顔が蒼白になった。あり得ないと思っているだろう。牢には暗殺者を解き放った。シーナ同様、コロラドの男と公爵の部下の口封じをしたはずなのに、と。
「牢に忍び込んだ者を、昨日兵士が捕らえました。暗殺を請け負う闇の稼業の者のようです。残念ながら、供述させる前に自死してしまいましたが。
ですがその者のなきがらを見せた途端、公爵の部下の男も話し出しました。全て公爵に命じられて、行った事だと」
「嘘だ……!」
声を震わせる公爵に構わず、キーファが続けた。
「コロラドの男とは違って、彼はそれまであなたをかばっていました。どれほど問い詰めても、全て独断で行った事だ、公爵は一切関係ないと。本当に、見上げたくなるような忠誠心でした」
前世の執事バウアーのように。ハワード家の当主であるユージンの父親に心から仕えていた、かつての公爵のように。
「そんな彼に反旗を翻させたのは、あなた自身です」
部下の男は、公爵が自分の口を封じさせようとしていたと悟ったのだ。
「あなたの敗因は今を生きていない事です。前世に気を取られ、今世を生きていない事だ」
自信のこもった静かな口調に、公爵があえいだ。逃げ場がないと悟ったのだろう。助けを求めるように重臣たちを見回すが、厳しい顔を向けられ、宰相には視線をそらされた。
国王が無言で公爵を見つめている。その視線に耐えられないと言いたげに、公爵が大声で訴えた。
「これは間違いです、国王陛下。……そう! 誰かが私をはめたのです。私は誓ってコロラドの紛争に何の関与もしておりませんし、魔術師に関しても無実です!」
そこには、かつての余裕と穏やかさはみじんもない。ただ完膚なきまでに証拠を突きつけられ、何とか罪を逃れようとする浅ましい男の姿だけだ。
すがりつくような表情の公爵に、国王が口を開いた。
「残念だよ、公爵」
冷たい口調。完全な否定だ。公爵の顔がサッと青ざめた。
「キーファから、公爵がコロラドでの紛争に関わっているようだと言われた。その時から、私は私で調べていたんだよ。だからキーファの言った事に一切の嘘はないとわかっている。
そして君と宰相との関係についてもだ。他にも大なり小なり、君の仲間がいるようだね。この国を乗っ取ろうとした逆賊たちだ。君を泳がせて、彼らを一網打尽にするために」
宰相もまた狼狽し、青ざめた。
国王が公爵に視線を留めたまま、体の奥から思いを吐き出すように言葉を絞り出した。
「君は一体、人の命を何だと思ってるんだ――?」
頬が紅潮している。表情からはわからないが、内心ひどく怒っているのだろう。
けれど同時に、公爵の企みに気づけず民たちを危険にさらした。国王としての責任も感じている。
「君が私の事を、可もなく不可もない無害な王だと、そう思っているのを知っている。だが私は、王は自身の強固な意見を押し通さなくてよいと思っている。独善的になってしまうからだ。周囲の者たちの意見をきちんと聞き、吟味して取り入れる事が何より大事な事だと思う。民たちに対して誠実であるために。
だが、そのために後手に回ってしまった。コロラドの民たちにはとんでもない迷惑をかけてしまった。失われた命は決して取り返せない――」
誰も一言も発しない。国王の心の底からの懺悔に、皆が息を止めたように一心に見つめていた。
沈黙を破ったのは宰相だ。裏返った声で訴えた。
「国王様! 私は、私は何も知らなかったのです! 公爵がこんな大それたことをしようとしていたなんて――!」
「話は後でたっぷり聞こう。連れて行け」
国王がきっぱりと言い放った。宰相がそこまで関与していなかった事は調べがついていると、キーファが言っていた。それでもこうして脅しておく事で、宰相は公爵について知っている事を全て話すともくろんでいるのだろう。むしろ、そう仕向けている。
一気に老け込んだように憔悴した公爵と、必死に訴え続ける宰相が、兵士たちに連れられていく。
重臣たちが顔を見合わせ、唾を飛ばす勢いで話し出した。
「まさかアイグナー公爵がそんな大それたことを考えていたなんて……。驚きましたよ!」
「怖ろしい事です。宰相もグルだったとは……!」
不意に公爵がつまずいた。誰かが故意に足を出したのだ。床に無様に両膝をついた公爵は、残ったプライドを傷つけられたのだろう。燃えるような目でにらみつけた。
「申し訳ありません」と正面から見返し、冷たい声で謝ったのは騎士団の団長だ。
なぜ? と思ったリズの耳元に、キーファが口を寄せてささやいた。
「彼はコロラド地方で紛争を止める指揮をしたんだ。現地の状況を知りつくしている。大勢の部下に危険を負わせ、死傷者も出た」
納得した。それを公爵がわざと起こしたなんて許しがたい事だろう。それも自分の欲望のためだったのだから。
「厳しい取り調べになるだろう。罪も重い」
リズはうなずき、公爵に近寄った。まだ伝えていない事がある。
床に両膝をついたまま、公爵は呆然としていた。騎士団長にまで冷たい視線を浴びせられ、ようやく自分の今と、そしてこれからの状況が頭にしみ込んだのかもしれない。
そんな公爵の前に、リズは立った。
ワンピースのポケットから花の飾りがついた髪飾りを取り出す。シーナが持っていたものだ。前世でセシルがユージンにもらったものを模して作られた。
それを視界に入れた瞬間、公爵の顔がゆがんだ。
本来なら、これのおかげでキーファがシーナを愛する予定だった。それなのにリズが持っている事に怒りを覚えたのか、それとも平民に見下ろされることがどうしても我慢ならないのか、みにくいくらい盛大に顔をゆがませた。
怒りに満ちたその顔を、リズはまっすぐ見返した。不思議と怖さは感じない。
前世のハワード家の執事。セシルだった時は、人を人とも思っていない目で見下ろされ、嘘をつかれた。あの時は逃げ帰るしかなかった。
でも今は違う。一人ではない。キーファがいる。聖竜もロイドもいる。味方がたくさんできた。リズ自身の力で。
そして、リズ自身にもできる事がある。
「この髪飾りは、私がもらっておきます」
褒めるのも変だが、よくできていると思う。前世を彷彿とさせるほどに。
それに材質こそ安物だが、公爵が名工シルファーに作らせた一級品だとわかっていた。
リズの意図がわかったのか、キーファもそうだなと言うようにうなずいた。
「ふざけるな。なぜお前なんかに――!」
唾を飛ばしながらわめく公爵に、リズはゆっくりと言った。
「利子です。五百年分の」
意味がわからないのだろう、公爵が眉根を寄せた。
「五百年前、ユージンがハワード家で働いた分の給金を、私は受け取っていませんから」
ユージンがセシルに送ってくれと執事に頼んだ給金を。
「……何?」
公爵が不審そうに眉をひそめた。必死に考えていたようだが、しばらくして驚愕の表情になった。今までの事全てに合点がいった、というように。
「まさか……お前の前世の姿は……!」
かすれた声であえぐ公爵を、リズは静かに見すえた。赤い目に力を込めて。
幾多の困難を乗り越えてきた、全てを見通すような深い色合い。リズの全身を取り巻く神々しいまでのオーラのような光を、公爵もまざまざと感じとったようだ。気圧されたように息を呑んだ。
キーファがリズを守るように隣に立った。腰に下げた、王族の紋章の入った飾りが揺れる。
立ち膝の状態だった公爵の腰ががくりと折れて、床に尻をついた。気力と同時に、体を保つ力すらも失ったようだ。
前世とは違う。
自分が敵に回していた、なめてかかっていた者たちの真価を実感したように――。
公爵が両手で頭を覆い、この世の終わりのようにうめいた。
「立て! 行くぞ!」
兵士に怒鳴られ、公爵がヨロヨロと立ち上がった。将来がなくなった絶望が、体中を取り巻いているように見えた。
引き連れられるように、公爵たちが部屋から出て行く。最後に少しだけ振り向いたその姿は、望みを失い、一気に何十年分も年を取ったように見えた――。
リズは大きく息を吐いた。
(終わったんだ……)
どっと疲労感が押し寄せてきて、ゆっくりと右手に視線を落とした。手の中の髪飾りは古びている。本当に古びたのではなく、わざと古く見せているのだが、リズの記憶にある髪飾りはピカピカの新品だ。
その事に五百年の歳月の重さを感じていると、キーファがその髪飾りをそっと取った。
「この髪飾りは高価だが偽物だ。リズにはふさわしくない」
優しく微笑んだ。
「新しい髪飾りを贈るよ。リズに似合う、リズにふさわしいものを」
五百年前、ユージンに言われた言葉がよみがえった。『セシルに指輪を贈るよ』――。
むせ返るような思い出が、一気に込み上げてきた。楽しい記憶ばかりではない。それでも――。
「うん。ありがとう」
リズは笑い返した。
今世は前世とは違う。前世を否定した時もあった。どうしてこんな苦しい記憶を持って生まれたのか、負担に感じた事も。
けれど、前世があってこその今世だ。
その事を誇りに思おう――。




