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61 公爵と魔術師の最後1

 王宮内、キーファの部屋の隅では、神官たちが儀式用の乳香と炭を香炉に入れて焚いていた。白い煙が立ちのぼり、ほのかに甘い香りが部屋中に充満していく。

 キーファの枕元に立った偽の聖女が、ゆっくりと両手を上げた。


「殿下、もう少しですよ。もう少しで全て終わり、そして始まるのです――」


 小さな声で歌うようにつぶやくと、目を閉じたキーファの額の上に両手を重ね合わせた。抑揚なく呪文を唱え始める。

 その瞬間、キーファは上体を起こし、素早く偽の聖女の手首をつかんだ。


「なぜ……!?」


 機敏には動けないはずのキーファの行動に、偽の聖女が目を剥いた。


「アイグナー公爵に言われて何かするつもりだろうが、そうはいかない」


 そしてしっかりと手首を捕まえたまま、公爵に鋭い目を向けた。


「公爵、残念ながらここは俺の治療のための場ではない。あなたの、いや、あなた方の罪を明らかにする場です」


 公爵は一瞬驚いたようだったが、すぐに心の内を見せない、余裕のある笑みを浮かべてみせた。


「いきなり何をおっしゃられるのですか? 罪人のリズをかばったかと思えば、突然おかしな事を言いだすなんて。やはり殿下には早急に治療が必要ですね」


 二人のやり取りを、居並ぶ重臣たちが呆気に取られて見つめている。キーファは構わず、彼らを見渡して言った。


「今ここにいる現聖女様も、本物の現聖女様ではありません。姿形をそっくりに変えた偽者です」

「は? え……殿下、どうされたのですか?」

「偽者……何を言っておられるのです? それよりお体の具合は……?」」


 困ったように顔を見合わせた。その戸惑った表情には、明らかにキーファの病を心配する色が映っている。

 偽の聖女もまた、現聖女ばりの鷹揚な笑みを浮かべていた。


 キーファは彼らをまっすぐ見返した。


(リズ、早く来い。「真実の姿を映し出す鏡」を手に入れて、無事に戻って来い――)



 * * *


 神殿を出たリズたちは、王宮の住居棟を駆け抜けた。

 オリビアの腕の中でペンギンはすこやかに眠っていて、ロイドが聖竜を首輪についた鎖ごと抱えている。聖竜はものすごく嫌そうな顔をしているが、鎖が重くて飛べないのだから仕方ない。


 住居棟の入口にいる警備の兵士たちが、渋い顔をしながらも見逃してくれた。事前にキーファから兵士長へと通達してくれていたからだ。

 もっとも、その通達はずっと以前の事だ。そうでないと現聖女や武装した神官たち、そしてシーナと侍女たち、さらにはロイドまでもがキーファの自室へ来ることはできなかっただろう。


「目撃者は必要です」とエリックが確信を込めて笑っていたのを、リズは思い出した。

 シーナがキーファに薬を盛った後で、シーナを崇拝していた神殿付きの侍女二人と、兵士長からおそらく詳しい事を知らされていなかった若い兵士が、キーファの自室の前へとやって来た。それを見計らい、ドアを開けて中に招き入れたエリックが。


 全ては、この計画のためだ。


(終わらせるんだ――!)


 強い気持ちを胸に抱き、リズは勢いよくキーファの自室のドアを開けた。


 中には、偽の聖女の手首をつかみ真剣な顔をしているキーファと、驚いた顔の国王や重臣たち、そして公爵の姿があった。


「リズ!」と、キーファがリズの無事を確認できて安心したように頬をゆるめた。

 けれど次に視線がリズたちの手元へ移り、ロイドもオリビアも誰も鏡を持っていない事に気づいたようだ。表情が曇った。


「リズ、鏡はどうしたんだ?」


 懸念するように聞かれ、リズは途端に苦い気持ちが込み上げた。

 偽の聖女が楽しそうに微笑んだ。


「あの手鏡を探すために二度目はわざと捕まり、第一神殿へもぐりこんだのですね。それで? 鏡は見つかりましたか?」


 ハデスの最期も、鏡が割れてなくなった事もお見通しだと、笑った目が告げている。

 リズは低い声でキーファに向かって答えた。


「鏡を見つけた。でも粉々に割れてしまったの。ハデスさんが現聖女様そっくりに姿を変えられていて。あの鏡は、一度誰かの真実の姿を映し出すと壊れてなくなってしまう。それに気づけなかった」


 キーファが息を呑んだ。


「それは残念でしたね。せっかくキーファ殿下に助けられて牢から逃げられたのに。けれど次はありませんよ」


 偽の聖女が神官たちの方を向き、言い放った。


「リズを捕らえなさい。もちろんロイドもオリビアも一緒に、です。共犯ですから」


 神官たちが顔を見合わせた。頼りなげな表情から迷っている事が見てとれた。


「どうしたのです? 国王様の御前ですよ。早くしなさい。まさかキーファ殿下の戯言を信じているわけじゃないでしょうね?」


 偽の聖女が苛立ったように命じたが、神官たちは決めかねているように動こうとしない。


「ちょっと、あなたたち!」

「……現聖女様は以前おっしゃいました。『私の言葉がおかしいと思った時は言いなさい。そして自分自身でそう判断したのなら、私の言葉に従う必要はありません』と。……今まで付いてきましたが、最近の現聖女様はおかしい。リズの事に関してもそうです。今までとは、まるで別人のようです。

 キーファ殿下はあなたが偽者だと言われましたが、あなたが本物なのか偽者なのか、我々には区別がつきません。ですがどちらだとしても、自分たちで判断しました。今のあなたには従えません」

「なっ……!?」


 偽の聖女が信じられないと言いたげに、目を身開いた。

 神官たちは彼女が本物か偽者かわからないから従わない、と言っているのではない。偽の聖女自身には従えない、とそう言っているのだ。


「……冗談じゃないわ。私は現聖女なのよ。それを……!」


 怒りに震えながら「オリビア!」と、振り返った。血相を変え目が吊り上がった表情は、本物の現聖女からはかけ離れている。オリビアが怯えたように後ずさる。その拍子にペンギンが床に落ち、しりもちをついてハッと目を覚ました。


「リズとロイドを捕らえなさい! そうすれば先ほど第一神殿で、私に逆らった事を許してあげます。あの神官たちも絶対に許さないわ。あなたは賢い未来を選ぶでしょう?」

「ハデスさんのように、と言いたいのか?」


 ロイドが低い声で言った。リズはちらりとロイドを見た。その横顔はいつもと変わらないように見える。けれど怒っているとわかった。ものすごく怒っているのだと。

 オリビアが恐怖を振り払うように顔を上げ、腹の底から大声を出して思いをぶつけた。


「第一神殿で、もう選んだわ! 私はあなたには従わない。あなたは私が憧れ続けた現聖女様とは全然違う! 外見はそっくりでも中身は全くの別物よ。みにくいくらいに。――だから六十年前、あなたは聖女になれなかったのよ!」

「この小娘が……!」


 偽の聖女の顔色がはっきりと変わった。青筋の浮き上がった表情で、オリビアに向かって攻撃魔法を放つ。切っ先鋭い、まがまがしい黒い光が、オリビアめがけて飛んでいった。


「その黒い光は魔石の時の――!?」


 やはり犯人はリズではなかったのだと、神官たちが息を呑んだ。

 ロイドが素早くオリビアの前に出た。ペンギンもまたオリビアをかばおうと、両方の翼を前後に振りながら一生懸命ジャンプしている。


 首輪に力を吸い取られながらも、聖竜が懸命に白い炎を吐き出した。相殺された黒い光がボロボロと崩れ落ちた。


「この……!」


 頬をゆがめた偽の聖女が、さらに黒い光を飛ばそうとした。


 やっぱり偽者じゃないか。リズは確信した。外見も中身も偽者。その証拠に、誰一人信用していない。味方にならない。

 外見だけ変えても無駄なのだ。中身が伴わなければ、人の心に届かなければ、本物の聖女にはなれない事が、どうしてわからないのだろう。


「リズ、今だ!」


 ロイドの声に、リズは聖竜に向かって手を伸ばした。聖竜の口を大きく開けて、思いきり手を突っ込む。聖竜の体と同じ大きさほどの、いびつな形の鏡を取り出した。


 けろりとしている聖竜とは裏腹に、神官の一人が気味悪そうに顔をゆがめた。神殿の調剤室で見た顔だ。薬師の彼は、以前に聖竜がレベッカのミミズンを飲み込んでしまった時、吐き出させようとしたリズの手をも丸ごと飲み込んだ事を思い出したようだ。


 鏡は不格好な四角形をしている。まるでもっと大きな鏡が砕けて、その一部であるというような。

 その鏡の破片を両手で持ち、偽の聖女の前に立ちはだかると、リズは頭上に高々とかかげてみせた。

 偽の聖女が鼻で笑った。


「何のつもり? 代わりに、そこらの鏡でも割って持ってきたというわけ?」

「そう、代わりよ。本物の現聖女様は、ちゃんと保険をかけておいた。あの手鏡が壊れた時のために、あの部屋の壁の後ろにもう一つ、同じ魔術を込めた鏡を隠しておいたのよ」

「……何ですって?」


 鏡をかざしたまま、リズは目を閉じた。

 これで終わらせる。五百年前から続く因縁を。

 全てを映し出せ――!


 赤い目を大きく見開いた瞬間、リズがかかげた不格好な鏡から、まばゆいほどの光が放たれた。光は偽の聖女と、その背後にいた神官たちに振りそそいだ。

 光を浴びた神官たちは(おのの)きの声を上げたが、彼らの身には特に何も起こらない。戸惑った顔で辺りを見回した、その時。


「……!?」


 光を浴びた者たちの中で、反応したのは偽の聖女だけだった。

 泡を食って逃げようとしたが遅かったようだ。声にならない声をあげ、両手で顔をおおい、全身でもだえ始めた。

 両手の甲が、髪の毛がどろどろと溶けていく。ハデスと同じだ。


 国王が、重臣たちが、そして神官たちも、声もなく、ただただ怖れと驚きに頬をこわばらせて見つめている。

 宰相が押し殺した悲鳴をあげて逃げ出そうとした。エリックがサッとドアの前に立ち、通せんぼした。キーファが衝撃に目を見張りながらも、静かな口調で言った。


「ちゃんと見ていてください。これが現聖女様にすり替わった者の正体です」


 表面の皮膚が溶けていき、浮き彫りのように本来の顔が現れ出る。偽の聖女は執拗に顔を両手で隠し続けていたが、そこへ「キュー!」と聖竜が突撃していった。


「くっ……この……!」


 偽の聖女が、たまらず顔から手を離して応戦した。

 その場にいる者たちが驚愕の声をあげた。


 そこにいたのは、現聖女とは全くの別人。年は同じくらいだが、知らない老女の顔だ。

 見ている者の身の毛がよだつほど、表情がみにくくゆがんでいる。痛みからではない。屈辱からだ。


「現聖女様が別人になったぞ! 殿下の言った事は本当だったのか!?」

「何という事だ……あの老女は誰なんだ? 本物の現聖女様はどこへ行ってしまわれたんだ!?」


 重臣たちが動揺した様子で騒ぎ出す。無言のまま成り行きを見守っている国王のななめ後ろで、公爵がはっきりと青ざめた。


「お前の正体は、六十年前の前聖女選定にいた候補者だ。最終選定で、本物の現聖女様に敗れた」


 悔しそうに歯ぎしりをする偽の聖女に、ロイドが冷たい声で言った。


「……そういえば前聖女選定の最終候補は、現聖女様ともう一人だけだったと聞いたぞ。双方ともに年端もいかない年齢の少女で、いつも以上に注目を浴びた選定だったと」

「じゃあ敗れたあの者が現聖女様に恨みを持って、成り代わろうとしたのか……!?」


 皆の視線が、完全に元の姿に戻った偽の聖女に集中した。

 ロイドが体の底から絞り出すように聞いた。


「本物の現聖女様を助ける方法は?」


 偽の聖女がニヤリと嫌らしく笑った。助ける方法はないのだと、リズにもわかった。偽の聖女は、本物の現聖女を助ける気など最初からなかったのだ。

 ロイドも薄々わかっていて、それでも最後の望みを捨てずにいたのだろう。打ちのめされたように唇を噛みしめた。


 不穏な殺気を放つ偽の聖女の皮膚が、じわじわと茶色くなってきた。砂になって消える前のハデスと同じだ。偽りの姿に変わった者の最期はこうなるのか。リズは怖れを感じた。


「この……!」


 偽の聖女がリズをにらみつけてきた。光を浴び続けた体はすでに満身創痍だが、それでも執念というべきか、黒い髪を振り乱し呪詛を吐く。

 彼女を囲むように魔法陣が浮かび上がり、まがまがしい黒い光が何本もリズに襲いかかった。


 リズは力を振り絞った。負けてたまるかという強い気持ちが、体の奥底からのぼってくる。こんな奴に負けない。負けるもんか。

 クレアを、ナタリーを、アナを思い出した。選定に落ちて神殿を去っていった者たち。そして「扉」をなくしたリズもまた、最終選定に落ちる――。


 悔しい気持ちはわかる。やりきれない気持ちも、どうして自分だけがという気持ちも。

 けれど、これは聖女選定だ。逆恨みし、他人の事なんてどうでもいいとしか思わない。自分のことしか考えない、そんな自分勝手な者が聖女にふさわしいわけがない。そんな自分が選ばれると思っているなら、お笑い草だ。


「――消えろ!!」


 赤い目が、強い光を放つ。誰よりも他人に寄り添いながら、誰よりも誇り高い光。リズにしか出せない輝き。


「私が、私が消えるなんて、そんなバカな事が――!!」


 絶叫とともに偽の聖女の顔が、体が、さらさらとこぼれていく。砂のように風に吹かれ、姿が消えていく。

 誰も一言も発せず、ただただ見つめるしかない。


 身に着けていた者をなくした聖女の白いローブと冠が、カランと乾いた音をたてて床に落ちた。


 聖竜の首に食い込んでいた重々しい首輪が、ボロボロと炭クズのように崩れ落ちる。同時に、リズがかかげていた鏡に亀裂が入った。亀裂は見る見る間に深くなり、鏡は音をたてて真っ二つに割れた。偽の聖女の本当の姿を映しだし、役目を終えたのだ。


 リズが勝った。それが皆にもわかっただろう。

 鏡の破片に囲まれて大きく息を吐くリズを、皆が声もなく粛然と見つめていた――。


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