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57 転換

 キーファの側近である若い男――エリックの後輩にあたる――が、部屋へと入ってきた。室内の光景に驚いたように足を止め、そして脂汗の浮かぶキーファを見て顔をこわばらせた。


「殿下、お体をどうされたのですか!?」

「大丈夫だ……何でもない。それより公爵の部下の件か?」


「はい。捕らえた公爵の部下ですが、シーナ・ブライドとの関わりを吐きました。コロラド地方での事も含めて。シーナは元々エミリア・カーフェンで、禁術に手を出し、自らの顔を変えた。そして王太子妃になるため、コロラドの聖女の称号が必要だと考え、コロラド地方での争いを引き起こしたと。

 全てはシーナが考え、実行した。部下の男はシーナに言われるがまま、コロラド地方での伝達役を引き受けただけで、もちろんアイグナー公爵も全く関与していない、と」


 シーナがはじかれたように顔を上げた。


「そんな……! そんなわけありません!」


 自分一人に全ての罪がかぶせられようとしていると悟ったのだろう。蒼白になる。

 キーファが淡々と言い募った。


「もちろん……細部はつじつまが合わないだろう。だが相手は、代々続くアイグナー公爵家の当主。大臣たちも誰も、それ以上は突っ込まないだろう。……宰相もだ。

 君という犯人さえいればいい。それで示しがつく。何しろ君がコロラドの聖女だと国民をだまし、王太子である俺に毒を盛った事は事実なのだから。目撃者もいる」


 部屋のすみで、青ざめながらも何一つ見落とさないというように、侍女たちと兵士がシーナをにらんでいる。


 シーナが床に突っ伏して、うめきだした。「現実」がじわじわと身に浸透してきたのか、全身が小刻みに震えている。


「公爵は君を切ったようだ。もっとも最初からそうするつもりだったのかもしれないが」


 涙も出ず愕然となるシーナを、キーファが追い詰めるように見すえた。


「公爵はどう関わっている? 君の顔を変えた魔術師は、一体誰だ?」


 逃げ道はない。回り道さえもだ。シーナは歯を食いしばっていたが、やがて観念したように口を開いた。


「……私は」


 ついに真相がわかる。リズは身を乗り出した。


「私はアイグナー公爵に――」


 不意に、空気を切り裂くような音がした。エリックがハッと顔を上げて即座にキーファの前に立ち、もう一人の側近の若い男がリズをかばう。

 固く鋭い音とともに、一本の矢がシーナの心臓部分に一直線に突き立った。

 シーナが大きく両目を見開き、声もなく崩れ落ちた。


「シーナ!?」


 リズは慌てて駆け寄った。エリックが手早くシーナの上体を抱き起こす。だがシーナは固く目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。深く矢が突き刺さった左胸から、赤い血が流れ出る。


「この模様は――神殿のものですね」


 手早くシーナの服のそでを引き裂き、止血しながら、エリックが矢羽を見て言った。

 リズはシーナの頬を叩いた。


「シーナ! シーナ!?」


 シーナは動かない。固く閉じられた目。顔からは血の気が引いている。まるで死人のような――。


「そんな……」と、リズはうめいた。全ての真相が明るみに出るところだったのに。


「ここにいたのですね、リズ」


 部屋の入口には、現聖女と武装した神官たちの姿があった。一番前にいる神官が弓をつがえている。

 現聖女が、顔をこわばらせているキーファに向き合った。


「ご無事ですか、殿下? シーナが殿下に毒を盛るなんて。神殿の長として許すわけにはいきません。これ以上罪を重ねる前に、処罰いたしました」


 全てをわかったうえでの微笑みを浮かべる。

 リズは唇を噛みしめた。


「あと一歩のところだったのに……!」


 悔しさが足元からたちのぼってきた。シーナは公爵との関わりを話すところだった。コロラドでの真実も、そして今、目の前にいる現聖女の正体も。

 しかも――。


「罪人のリズを捕らえなさい」


 現聖女の命により、リズは神官たちに再び捕らえられてしまった。

 キーファは毒で動けず、エリックたち側近も動けない。リズは罪人なのだ。リズをかばう事は、すなわちキーファの罪になる。せめて、罪人だが同時に証人であるシーナを死守する事しかできない。


 キーファが固い声を出した。


「ここは王宮で、そして王太子である俺の部屋だ。勝手な真似は――」

「失礼ながら、キーファ殿下はリズが罪人だとわかった上で、牢から連れ出されました。それは、ゆゆしき事態かと。お父上である国王様もその事を聞き、ひどく頭を痛めておられますよ。殿下はアイグナー公爵とコロラドでの争いの関わりを、国王様に申し上げたそうですが、証拠がありません。

 そもそも恋愛にうつつを抜かし、罪人のリズを手助けするような者が王太子でよいのかと、宰相や他の大臣たちから声があがっているとか」


 事実を突かれたキーファが、言葉をのみこんだ。悔しそうに、けれど何もできる術がないというように顔をそむけた。

 現聖女が言った。


「だいぶ、お辛そうですね、殿下。私なら治せます。私が治療をいたしましょう」


 心配そうな声音の裏で、舌なめずりしているのだとわかった。リズは血の気が引いた。


「結構だ」


 キーファが青ざめながらも、きっぱりと返す。当然だ。治療だなんて何をされるかわからない。


「遠慮なさらずに。私は現聖女ですよ。王太子殿下の体の不調を見過ごしては、聖女の意味がありません」

「俺は王太子だ。拒否する権限がある」

「では王宮に申し出る事にいたします。王宮側は承知するでしょう。逆に、そこまで拒否する殿下の印象が悪くなるだけかと。罪人に手を貸すだけでなく、神殿にも盾突かれては、ますます王太子としての資質を疑われてしまいますよ」


 キーファが悔しそうに唇を噛む。やがて固い声で言った。


「……わかった。ただし国王や大臣たち、大勢の者たちの前でだ。それに神官長にも立ち会ってもらう」

「承知いたしました」


 現聖女が微笑み、シーナに視線をやった。エリックの腕の中で、シーナはすっかり血の気が失せ、固く目を閉じたままだ。


「殿下に毒を盛った罪人を、なぜ大事に抱えているのか理解に苦しみますが。早く目覚めるといいですね」


 もう決して目覚める事はないけれど――そう言いたげに笑うと、現聖女が部屋を出て行った。


「歩け!」


 神官たちに乱暴に背中を押されたリズは、すがるようにキーファを見つめた。キーファも脂汗を浮かべながら見つめ返してくる。


「さっさと歩け!」


 大声を出す神官を、リズはにらみつけた。


(さっきの幻影――シーナの顔がエミリアに変わった、あれがもう一度できればいいのに)


 この神官たちの前で。たとえ幻でも、疑いを抱かせる糸口にはなる。

 リズは縛られたまま、深く深呼吸した。心を落ち着かせ、集中する。目を閉じた。体の中のエネルギーみたいなものを勢いよく放出するイメージだ。


 勢いよく目を開けた瞬間、いつの間に戻ってきたのか、現聖女と目が合った。全てお見通しだというように、現聖女がニヤリと笑った。口が小さく動き呪文のようなものを唱えたかと思った瞬間、リズの中のエネルギーのようなものが消滅した。

 体中から力が抜けて、リズは糸の切れた人形のように、その場に膝をついた。


「リズ!」


 キーファの悲壮な声が聞こえた。

 神官たちに両脇をつかまれたリズは、無理やり引きずられていく。リズは力の入らない頭を必死で動かし、振り返った。神官たちの体の隙間から、顔をゆがめ一心にリズを見つめるキーファが見えた。


 万策尽きたというように、捨てられた子犬のような情けない顔――を頑張ってしようとしているのが。


 リズは自分の事はさておき、心の中でぼやいた。


(やっぱり演技が下手だな)



 * * *


 現聖女と神官たちが、リズを連れて出て行った。エリックが指示し、若い側近が侍女たちと兵士を部屋の外へと、うながす。


 しばらくして、部屋の中へと入ってきたのはロイドだ。手に小さな茶色い瓶を持っている。


「大丈夫ですか? 必要ないかもしれませんが、シーナが盛った毒に効く薬をお持ちしました」


 ありがとうと言いかけて、キーファは顔をしかめた。緊張がほぐれて一息ついたら、体中がしびれたように痛むのに改めて気づいた。


「痛そうですね。シーナが何か仕掛けてくるとわかっておられたんでしょう? 直前で止めて、毒に侵されたふりだけでよかったのでは?」


「演技は苦手なんだ。シーナは俺を殺しては本末転倒だから、致死量でない事はわかっていたしな。毒には多少慣れている。毒殺を恐れて、幼い頃から少しずつ毒に慣らされてきたから。

 まずシーナが信じなければ、偽の聖女は俺を信じない。それに治療目的で、偽の聖女を第一神殿から引き離せる。好都合だ。――エリック、シーナは大丈夫なのか?」


 公爵が命令し、偽の聖女がシーナの命を奪った――はずの。


「大丈夫です。息はあります。すごいですね。確かに矢は心臓をつら抜いたのに」


 感嘆するエリックに、ロイドが肩をすくめた。


「まあ、まがりなりにも神官長ですから」


 神官長が事前にシーナにかけた魔法のおかげで、シーナはすんでのところで命を保っている。もっともシーナ自身は、そんな術をかけられた事に気づいていないだろうが。


 シーナを追い詰めたら、公爵や偽者の聖女の事を吐くだろう。それを防ぐために、公爵はシーナの口を封じようとするはず――とキーファたちは読んでいた。

 だから事前に神官長に頼み、予防線を張った。

 公爵たちはシーナが死んだと思い、安心しているだろう。


 キーファが公爵に対峙している時に、キーファの若い側近に、神官長とロイドに話を伝えてもらった。

 現聖女が偽者だと言ったら、二人はひどく驚いた顔をしたという。けれど、ロイドはすぐに「ああ、リズの勘ですね」と笑った。


「詳しい事は言えませんが、殿下たちに協力していると、偽の聖女にばれるわけにはいかないのです。協力できる事は限られますが、どうかご勘弁を」


 神官長が悲痛な面持ちで言った。


「本物の現聖女様の事で、何かあるのだと思います」と若い側近が真剣な口調で言い、キーファもそうだろうと思った。



 キーファは痛む体を起こして、ロイドに向き直った。


「リズが捕まった。偽の聖女は治療という名目で、こちらに引き付けておく。予定通り、その間にリズが第一神殿で、聖竜と例の鏡を探す手はずだ。俺も一緒にいたいが、さすがに第一神殿で見つかったら言い逃れできない。リズをよろしく頼む」


 ロイドはじっとキーファを見つめていたが、しばらくして小さく笑った。


「僕を疑わないんですか? 僕も神官ですよ。もしかしたら、偽者の聖女の方に仕えているかもしれません」


 キーファは微笑んだ。


「それはない。大丈夫だ」

「……なぜ、そう言いきれるんです? 殿下も葉っぱをむしったんですか?」

「葉っぱ?」


 何の話だ。ぽかんとなるキーファの前で、ロイドがしまったという感じで「いえ、ずっと前――聖なる芽の事で、リズと同じような話をしたなと思い出しまして……」と、ごにょごにょつぶやいている。


 全く何の話かわからない。けれど、


「リズが君を信頼している。だから大丈夫だ」


 確信を持って、キーファは笑った。


「……そうですか」


 リズと同じような事を言いますね、とロイドが嬉しそうに、けれど少し寂しそうにつぶやいた。


 ロイドが第一神殿へ向かうため部屋を出ていった。


「いよいよですね」


 エリックが微笑んだ。今世での公爵や偽の聖女の悪行は話したが、前世の事もセシルの事も何も伝えていない。それなのにエリックは全てを承知したように、穏やかに笑う。もっともこれくらい図太くないと、王太子の側近は務まらないのかもしれない。


「ああ」と、キーファはうなずいた。


 終わらせよう。

 前世から、五百年前から続く、この因縁を――。


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