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56 シーナとエミリア

 東塔の螺旋階段(らせんかいだん)を上った先にある小さな部屋。キーファが幼い頃、ここでよく冒険ごっこをして遊んだようだ。床も壁も石がむき出しで、部屋のすみに壊れた糸車やら空の酒樽(さかだる)やらが積まれて、ほこりをかぶっている。

 物置にすらなっていないこの部屋に近付く者は、ほとんどいない。


 その螺旋階段を、武装した神官たちが駆け上がっていた。

 牢から逃げたリズを捕まえに、だ。


 彼らは先ほど、現聖女から命じられた。


「シーナが伝えてきました。リズが東棟の小部屋にいると。キーファ殿下と側近がそう話していたそうです」


 階段の先にある小部屋のドアに、武装した神官たちが体当たりした。音を立ててドアが開く。

 神官たちが勢いよく、室内へとなだれ込んだ――。



 * * *


 キーファの自室にて、エリックが言った。


「では私は、リズ様の様子を見に東塔へ行ってきます。心配ですので」

「ああ、頼む」


 エリックが出て行く。

 キーファは大きく息を吐いた。椅子から立ち上がりかけて、不意にぐらりと視界がゆがんだ。慌ててテーブルに手をつき、体を支える。


「何……だ……?」


 ギョッとした。言葉がうまく出てこない。口が思うように動かないのだ。


 訳がわからず、とにかく右足を前に出す。またもや視界が揺れて、再び倒れそうになった。体がいう事を聞かない。力の入らない両腕で、必死にテーブルにかじりついた。


 入口のドアが開く音がした。キーファは脂汗の浮かぶ顔を上げた。


 ドアを開けて入ってきたのは、シーナだった。

 シーナが薄く微笑んだ。


「薬が効いてきたようですね」


(薬!?)


 そこで、首の裏側がしびれたように熱を持っているのに気づいた。気づいて愕然とした。さっきシーナに抱きつかれた時に両手を回された部分だ。


「まさか……」

「私は覚悟を決めたのです。何としても王太子妃になると」


 シーナがキーファを見すえて、はっきりと言った。その黒い両目には狂気すら宿っているように見えた。

 王太子に薬を盛ったのだ。発覚すれば、ただでは済まない。

 息を呑むキーファに、シーナが微笑んだ。


「大丈夫ですよ。命の危険はありません。ただ体がしびれて、自分の意思では動かせない。そういう薬です。世間にはあまり知られていませんが。――残念ながら、殿下はご病気になられたのです。これからも、ずっと。けれど心配する事はありません。私が妻となり、生涯殿下を支えますから」


 背筋が冷たくなった。シーナは本気だ。

 シーナがゆっくりと近付いてきた。キーファは逃げようとするが、体が動かない。


「殿下が相談役になってくださり、シーナと親しくなった。本当はリズではなくシーナと愛し合っていたと、宰相が証言してくださいます」


 やめろ! そう言いたいのに声が出ない。

 シーナが笑った。獲物が手中にあって、好きにできる事に満足しているような笑み。そしてキーファの体に手をかけた。獲物をいたぶるように、腹から胸を指でなぞる。必死で逃げようとするキーファを、あざ笑うように。


「――何!?」


 不意にシーナが叫び声を上げた。突然、背後から取り押さえられたからだ。シーナが振り向く間もなく、背中に両手を回され、床に体を押し付けられた。


「キーファ様、大丈夫ですか?」


 エリックだ。キーファに心配そうな目を向けながらも、手早くシーナを縄で縛りあげる。


「まさかシーナがここまでするとは予想外でしたね。私たちの言った事の裏をかいて、再びこの部屋へやって来るとは思っていましたが、まさかキーファ様に薬を盛るとは……」

「……だが……逆に良かっ……」

「そうですね。王太子を害そうとした罪で捕らえられます。現行犯逮捕ですね」


 にっこりと笑うエリックと、笑いたいのに顔の筋肉が動かず変な顔になるキーファ。

 縄で縛られた状態で膝をついたシーナが、呆然としてキーファたちを見つめた。


「なぜ側近がここにいるの!? リズの様子を見に、東塔へ行ったはず……!」

「行っていませんよ。もちろん私だけでなく彼女も」

「……!」



 リズは隠れていた洗面室から、シーナたちの前に進み出た。キーファの自室に備え付けの洗面室だ。

 シーナが蒼白な顔で見上げてくる。


(終わらせるんだ)


 リズは、エリックに支えられ上体を起こしたキーファを見た。苦しそうに息をしながらも、キーファが力強い視線を返してくる。リズは、顔をゆがめたシーナに向かい合った。


「ねえ、シーナ。前に、修道院から逃げ出したエミリアを、ブライド修道院の前で看取ったと言ったわね。でも、それは違う。エミリアのいた修道院の前院長が証言したそうよ。『エミリアはアイグナー公爵の部下が連れ出した』と」


 エミリアのいた修道院の院長は少し前に代わっていた。今の院長は、アイグナー公爵の手の内の者だろう。だから以前の修道院長を捜した。

 だが、その居場所は何重にも隠されており、捜し出すのは苦労したらしい。やっとの事で捜し当てた前院長は、最初は固く口を閉じていたが、エリックが王室の証文の入った肩当てを見せると、観念したように話してくれた。

 すなわち「アイグナー公爵の使いの者がエミリアを迎えに来た。しかしその事は、公爵から固く口止めされた」と。


 シーナが薄く笑った。


「それならエミリアは公爵のところから逃げたんでしょうね。そもそも公爵と関わりがあったのは私ではなく、エミリアでしょう?」


「コロラド地方でシーナとよく話していた現地の男が、公爵の部下に雇われていたと吐きましたよ。その公爵の部下も捕らえました。全てを話すのも時間の問題です。彼にとって最後まで守るべきは公爵であって、あなたは一番に切り捨てられる対象ですからね」


 静かな声で話すエリックに、シーナは答えない。

 ただ無言でリズをにらみつけてくる。その目には怒りが込められていた。お前なんかにという、さげすみからくる怒りだ。

 リズはそれを真正面から受け止めた。


「エミリアがいなくなって、シーナが現れた。あなたは違うと否定するけど、私にはわかる。あなたはエミリアよ。私がよく知るエミリア。私が聖女候補になった事で、あなたに冤罪を着せられた。あの時に殺されていたかもしれないのよ。忘れるわけがない」


 シーナが薄く笑った。


「本当に、殺されていれば良かったのに」


(エミリアだ)


 心が冷えると同時に、確信した。

 故郷の村で、エミリアの生家で、あの時は、今とは反対にリズが床に転がっていた。冷たく見下ろしてきたエミリア。あの時も笑っていた。

 もしエミリアの嘘のせいで、リズがあのまま殺されていたとしても、同じように笑っていただろう。ただ生まれついた身分が違うというだけで。

 そして今も、エミリアは何も変わっていない。


 心の底が冷たくなった。リズが、リズたちが何をしたというのだ。ただ懸命に生きているだけだ。それを、エミリアのただのプライドのためだけに、害されていいはずがない――。


 リズの赤い目が、力強く見開かれた。


「私にはわかる。ちゃんと見える。あなたの本当の、元の姿が――!」


 リズの体が発光した。曇りない、純白の光。それが神々しいほどの輝きをもって、リズを包み込む。

 その中で一点、赤い目が深く、また見ていると吸い込まれそうなほど怪しく、強烈に光り出した。


 シーナの顔がこわばった。以前に自分の生家で、エミリアはリズに気圧(けお)された。その時と同じ威圧感。いや、あの時よりはるかに強くなっていないか。青ざめた頬が、そう告げている。


 キーファとエリックも声もなく、ただただ目を見張ってリズを見つめていた。


 白い光が周囲を包み込む。キーファとエリックを、そしてエミリアを。その瞬間――。


「……何なの!?」


 シーナが叫んだ。シーナの頬が汚らしく変色し始めたのだ。額も目元も、みるみううちに同じように変色し、ボロボロとはがれ落ちていく。


「何よ、これ!?」


 シーナが縛られたまま、悲鳴をあげた。痛くはないのだろう、ただショックで呆然としている。自分の顔がまるで溶けるように、原型をとどめなくなっていくのだから。


「いやー! どうなってるの!?」


「「……!」」


 キーファとエリックが同時に衝撃の声をあげた。

 シーナの顔がなくなり、奥から表れた顔はシーナのものではなかった。全く別人のものだ。シーナより整った、派手な顔立ち。


 キーファとエリックはエミリアの顔を知らない。それでも表れた顔が誰のものかわかっただろう。

 そしてシーナもまた、鏡を見なくても、キーファとエリックの反応で、誰の顔に戻ったのか悟ったようだ。


「どうして……どうして!?」


 魔術師から、決して元のエミリアの顔には戻らないと言われたのに。そう言いたげに、顔をゆがませて絶叫した。


 周囲をおおっていた白い光が、急激に薄れていく。そして同時にリズの目も、輝きを失った。赤い目から怪しい光がゆっくりと消えていき、リズは力尽きたようにその場に膝をついた。


「リズ!」


 キーファが急いで駆け寄ろうとするが、薬のせいでまともに動けない。悔しそうに唇を噛むその前で、我に返ったようにエリックがリズを抱き起こした。


「リズ様、大丈夫ですか!?」


 しかし抱き起こそうとした直前、一瞬ためらったのは、リズの不思議な力を目の当たりにしたからだろう。呼びかける声も、若干こわばっている。


 そしてエリックが恐る恐るシーナを見た。見慣れたシーナの顔だ。衝撃のあまり青ざめてはいるが、皮膚なんてどこもはがれていないし、別人の面影もどこにもない。


「……今のは何だったんだ?」


 幻か? と、少し薄気味悪そうにエリックがつぶやいた。


 その時、細く開いたドアの向こう、廊下から大きな物音がした。何かがぶつかったような音。


 エリックが素早くドアへと向かい、大きく開け放す。そこには座り込んだ年配の侍女二人と、若い兵士の姿があった。

 侍女二人は腰が抜けたように床にしりもちをつき、青ざめ怯えた様子で抱き合っている。同じく蒼白な顔で呆然と立ち尽くす兵士。


(あの侍女たち、見覚えがある……)


 ぼうっとする頭でリズは考えた。

 第二神殿の侍女たちだ。しかも一人は、シーナを盲目的に支持する侍女だ。以前にシーナが「国王様からいただいたメダルが盗まれた。犯人はリズではないか?」と嘘をついた時、ずっと隣にいてシーナをかばっていた。


(確か、コロラド地方の隣の地区出身とか何とか……)


 親戚がコロラドの内戦に巻き込まれ、シーナに助けられたと聞いた。だからシーナを崇拝している。

 あの兵士はおそらく王宮にいる侍女たちを不審に思った、王宮の警備の者だろう。

 しかし神殿の侍女たちが、なぜここに?


 侍女たちが震える声で言った。


「シ、シーナ様が今日はいつもと違う恐い顔をしていらして、心配でずっと見ていたんです。そうしたら……神殿の調剤室から、薬を持ち出されたんです。効き目の強い薬で、その、毒にもなりうる……。そのまま王宮へと行ってしまって……」

「その事を彼女から聞いて心配で、二人でこっそりと後をつけてきたんです。そうしたら、そうしたら、シーナ様がキーファ殿下にその薬を……! そして、そして……今の何? どうしてシーナ様の顔が別人に!?」


 思い出したように、侍女たちが悲鳴のような叫び声をあげた。

 キーファがテーブルに寄りかかったまま、苦しそうな息をしながら言った。


「残念だが……これがシーナの本当の姿だ。姿形も、そして俺に薬を盛った行いも」

「違う! 違うのよ!」


 シーナが大声を出す。目を見開き、焦っているのが見て取れる。当たり前だ。キーファやエリックといったリズの味方だけならいざ知らず、シーナの味方であるはずの侍女たちに目撃されてしまったのだから。


「これは間違いなの、誤解なのよ! ねえ、あなたたちならわかってくれるでしょう? だって私はコロラドの聖女なのよ。あなたの親戚だったかしら? その者を救ったのよ!?」


 目を見開き、必死で訴えている。しかし侍女たちは答えない。怯えた顔が、シーナを拒否していた。


「ねえ、わかるでしょう!?」


 シーナがヒステリックに叫んだ。


 リズはふと気づいた。


「なぜ公爵がコロラドの男を雇うの? シーナとよく話していたって……まさか」


 キーファが苦々しげにうなずいた。

 さすが王族、毒には多少慣れているようだ。ゆっくりと話せるまでになったようだが、相変わらず顔色は悪い。


「おそらくな。コロラド地方の争いに公爵が手を貸したか、もしくはそもそもを引き起こしたか。シーナをコロラドの聖女に仕立て上げて、俺に近付けるために。何百年も争いのなかった地域なんだ」

「そんな……」


 リズは息を呑んだ。あり得ない。何て事を……。両手を強く握りしめる。


 そしてシーナが青ざめた先で、侍女たちはもっと青ざめた。侍女たちの顔全体が、今にも崩れてしまいそうなほど激しくゆがむ。シーナを見る目が、悪魔を見るそれに変わった。


「何て事を……!」

「この、この人でなし!」


「違うの! 違うのよ!」とシーナは必死で訴えるが、侍女たちのシーナを見る目は変わらない。王太子に毒を盛ったのをその目で見たのだから、無理もない。


 リズはシーナの前に立った。首から下げた銀の鍵を握りしめる。シーナが不審げに眉根を寄せたが、たとえ見えなくても、それが聖女候補の証である鍵だと気付いたようだ。

 自慢されているととったのか、ギリギリと歯を食いしばりながら、リズをにらみつけてきた。


 リズは目をそらさず、シーナをまっすぐにらみ返した。


「この鍵が見えないのと同じ。あなたには何も見えていない。コロラドでわざといさかいが引き起こされた、それを知っていて手伝った。その事は絶対に許せない。でも、そこでした事は本当だったんでしょう? たとえ心が偽物でも、傷ついた人々を命がけで救った行為は本物だったんでしょう?」


 リズは振り返った。シーナをかばっていた侍女が泣き崩れている。こんなショックな事はないだろう。


「あの侍女の尊敬も、コロラド地方の人たちの笑顔と感謝も、きっと本物だった。でも、あなたには見えていなかった。何一つとして。そんな人に、この鍵は絶対に見えない」


 きっぱりと言い放つ。凛と立つリズの姿は、誇り高い。身分なんかではない、心の誇り。


 シーナにも、それがわかったのだろう。瞬間的に、勢いよく大きく口を開けた。けれどどうしても言葉が出てこない、そんな感じでやむなく口を閉じる。

 再びリズをにらもうとし、侍女たちの強い視線を感じたのか、力なく目をそらせた。


 そして悔しそうに、心底悔しそうに呻き声をあげ、その場に力尽きたようにうずくまった。



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[一言] 公爵が世の中を牛耳るかのために、色々な人を巻き込んで行って、巻き込まれた方も問題はあるにしても怖いですね。王太子が悪い人でなくて、良かったです。
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