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55 リズの反応は

 公爵の姿が完全に見えなくなってから、キーファが階段を上ってきた。


 部屋の中で、リズの心臓が早鐘を打っている。少しでも鎮めようと、リズは胸の前で片手を握りしめた。

 どういう顔をすればいいのかわからない。キーファのさっきの言葉は演技だ。そうわかっているのに、頭の片隅でそんなわけないと否定する自分がいる。だって、とても演技だなんて思えなかったじゃないか。


 そして、たとえ演技だとしても「セシルではなくリズが好きだ」との言葉は、心底嬉しかった。


 リズたちのいる部屋へと、キーファの足音が近づいてくる。

 どうしよう。どう接すればいい? 心が焦るばかりで、解決手段が一つも思い浮かばない。


 今世では恋愛経験は皆無だが、前世では結婚前提の恋人も――ユージンだが――いて、一緒に暮らしていたのだ。それなりの経験も知識もある。それなのに、何一つ活かせない自分がもどかしくて仕方ない。


 落ち着かないリズの隣で、エリックが満面の笑みでリズを見つめてきた。しかしイラっとする余裕もない。


(――とりあえず)


 とりあえず何でもないふりをしよう。

 やっとの事で出た結論は、何の解決にもなっていない駄作戦だった。


 静かにドアが開き、キーファが顔を出した。リズは頑張って平然を装った。


「キーファ様」とエリックが話しかける。

「アイグナー公爵は、キーファ様の言った事を信じたようですね」


「ああ、だといいが」

「大丈夫でしょう。キーファ様の演技は本物と見まごうほどでしたよ、途中から。ねえ、リズ様?」


 楽しそうな口調のエリックに話を振られた。恨めしい。

 キーファがゆっくりとリズを見た。キーファは真顔だ。真剣な、まるで覚悟を決めたような表情をしている。


(何て顔をするの)


 ただでさえ落ち着かないのに、そんな顔で見つめられたらどう反応していいかわからないじゃないか。頭に血がのぼる。こんな状況で、絶対に顔が赤くなんてなりたくない。


 キーファが黙ったままリズを見てくる。何も言いださないのに、視線をそらす事もない。

 キーファもまたリズの反応が気になって、いっぱいいっぱいなのだろう。そう、わかった。

 だが、かといってこの状況は凶悪だ。


「ねっ、リズ様?」


 エリックが笑顔でたたみかけてくる。リズは瞬間的に口を開いた。


「そうですね。本当に上手だった」


 必死で口調に平然さを保ち、なるべく淡々と言った。


 キーファの表情に変化はない。先ほどまでと同じ真剣な顔で、リズを見つめてくる。


(何、これ)


 ものすごく、いたたまれない。

「そうだろう?」とか得意げに言って大笑いしてくれたら――もっとも、それはキーファではないのかもしれないけれど――さらりと、この場を流せる。


 演技なのか本心なのかわからない、この状況が嫌なのだ。どう対応していいか困る。演技だとしたら、内心でものすごく喜んでしまっている自分が悲し過ぎるじゃないか。


 キーファは何も言わない。リズもそれ以上何を言っていいのかわからず、二人で黙り込んでしまった。

 笑顔だったエリックが、困ったように首をかしげ、そしてキーファに言った。


「キーファ様、そろそろ自室に戻られた方がよろしいのでは?」

「――そうだな。そうしよう」


 次の話題に移り、リズは思わずホッとしてしまった。その瞬間、自己嫌悪した。


「リズ様、参りましょう」


 エリックにうながされ、ドアから出る。すぐ近くにキーファがいる。リズは、ぎゅっと唇を噛みしめた。

 キーファの横を通り過ぎた時――。


「演技じゃない。本心だ」


 ぽつりとつぶやく声が聞こえた。

 リズは、はじかれたように顔を上げた。同時にキーファが視線をそらせた。そして寂しそうに歩き出す。


(ダメだ)


 リズはキーファに向かって、勢いよく片手を突き出した。


「……!?」


 リズの右手はちょうど、キーファの体の前に一直線に突き出された。キーファの歩みを無理やり止めるように。

 リズも驚いたが、キーファはもっと驚いたようだ。告白したら攻撃をくらったのだから当たり前か。目を大きく見開いて呆然としている。


(ショックを受けたような顔をしてる)


 それも当たり前だ。

 リズはその顔を見すえて、片手を突き出したまま言った。


「私も……ユージンを好きなのはセシルであって、私じゃないから」


 声こそ小さくなったが、一語一句はっきりと言った。


 キーファが呆気に取られた顔で、リズを見つめてくる。


 リズは頑張ってキーファを見つめ続けた。背中を冷や汗が流れ出した。心臓の鼓動が早い。顔も赤くなっている気がする。それでも頑張って見つめ続けた。

 だって本心だ。本心なのだから。


「「……」」


 しばらくして、リズがもう限界だ! と髪の毛をかきむしりたくなる頃に、キーファがふと微笑んだ。


「そうか」


 とても嬉しそうに。

 見る者を釘付けにするような、そんな笑顔で。


「うん。そうだよ」


 と、リズは大きくうなずいた。



 * * *


 シーナは長い廊下を走った。焦りと不安で、心がちぎれそうだ。


 先ほど宰相に呼ばれて王宮へおもむいたら、宰相と談笑するアイグナー公爵の姿があった。そして宰相が席を外した隙に、公爵に冷たい目で告げられたのだ。


「君には失望したよ」


 たった一言だったが、シーナには充分だった。恐怖が足元から這いのぼってきた。見捨てられてしまうという恐怖だ。


 キーファがリズを牢から連れ出した事を、シーナも知っている。

 神殿は大騒ぎだ。何しろ魔石がいくつも見つかり、さらには候補者であるリズがそれらを持ち込んだ犯人で、その犯人を王太子がかばっているのだから。


 それを神官たちから聞いた時、どす黒い怒りのような感情が体中に充満した。

 どうしてリズなんだ。平民で、アルビノで、とてもじゃないがキーファとなんて釣り合わない。シーナの方がふさわしいのに。なぜ私じゃないんだ、という強い感情が。


 そして今、シーナは王宮の廊下を走り、キーファを捜している。


 キーファは一人で自室にいた。ノックをして入ると、


「シーナ」


 と驚いた顔をされた。


「何か用か?」

「……ええ、そうです」


(どうして?)


 シーナが近づいて行っても、キーファは純粋に驚いているだけで、以前のように動揺し視線をそらせたりしない。


(どうして? どうして!?)


 わいてくるのは単純な疑問だ。理由がわからない。公爵の言う通りにした。血を吐くような思いで頑張った。その結果が、キーファに気に入られて王太子妃になる事のはずだ。リズだって見返せる。他の女性たちからもうらやましがられる。それが報酬のはずだ。それなのに、なぜキーファが手に入らない?


 いぶかしげな様子のキーファにためらいなく近づくと、シーナは躊躇(ちゅうちょ)せずその体に抱きついた。

 キーファの体がこわばる。


「何を……!?」


 引き離そうとするキーファに半ばしがみつくようにして、シーナは言った。


「あなたが好きです」


 キーファの引き離そうとする力がゆるみ、呆然とシーナを見下ろしてくる。

 シーナはキーファの焦げ茶色の目をとらえて、もう一度言った。


「好きです。あなたを愛しています」


 固まるキーファの首に両腕を回す。豊かな胸を押し付けるようにして、体全体ですがりついた。このまま全てを捧げてもいい。それで王太子妃になれるなら。望みが叶うなら。

 しかし――。


「やめてくれ」と降ってきた声には嫌悪も、かといって興奮も何もなかった。ただ冷静で、淡々とした響きしかない。

 キーファの首に回した、シーナの両手も断固として外された。


「どうしてそんなに……私を嫌うのですか?」


 意味がわからない。今の自分は、キーファの理想の女性のはずなのに。

 キーファが寂しげに小さく息を吐いた。


「君は俺を愛していないよ。君の目に映っているのは俺じゃない」

「そんな事ありません!」


 キーファを愛している。シーナの目に映るのはキーファだけだ。だってキーファと結婚するのはシーナなのだから。


「君の目に映っているのは俺じゃなくて、君自身だ。俺と――この国の王太子と結婚して、王太子妃になった君自身。そこに俺はいない。君の隣にいるのは『王太子』という立場の男だ。俺じゃなくてもいい。王太子でさえあれば他の誰でも」

「いいえ、そんな訳ありません! 私はあなたを、キーファ殿下をお慕いしているんです!」


 シーナは必死で叫んだ。ここでキーファに否定されては、シーナに存在価値はなくなる。

 どうすればキーファに信じさせられるのか。どう言えば、キーファを陥落できるのだ? 

 シーナはものすごい勢いで首を横に振った。


「本当です! 私はあなたを愛しているんです! 他の誰でもなく!」


 どうしてシーナを受け入れない? こんなに頑張っているのに。


 駄々をこねるようなシーナをじっと見つめていたキーファが、まるで遠い昔を思い出すように、視線を上に向けた。


「訳あって俺は平民も貴族も、そして王族の気持ちも、自分の事のようによくわかる。だから王族に憧れる君の気持ちもわかるよ。今の俺が言うのも何だが、王族というのは国民にとって雲の上の存在で、だからこそ手を伸ばしたい。手が届きそうだと思ったのなら、なおさらだ。近付くことによって、自分の価値が上がったように感じるのも、よくわかる」


 シーナは顔をゆがめた。だったら、何の問題もないじゃないか。


「だが」


 キーファが言葉を切って、シーナを見つめた。


「だが、それは相手に対して失礼だ。王太子でさえあれば誰でもいい、そういうのは、あまりにも――俺に対して失礼だと思う」


 キーファの表情も口調も揺るぎない。シーナは息を呑んだ。


「それでもいいという王族もいるかもしれない。だが、俺はごめんだ」


 シーナは愕然とした。頭の中で雑音が鳴り響く。キーファが何を言っているのかわからない。ただ自分が否定された事だけはわかった。心の底から。


 キーファが求めるのはシーナではないのだ。キーファが選ぶのは――。


(どうして!?)


 激しい感情が、心の中でうずを巻いた。



 キーファの部屋を出て、シーナがまず思った事は、リズの居場所を突き止めないとという事だった。

 キーファがどこかに隠している。大事に守られている。そんな資格も身分もないくせに。だがリズの居場所をキーファに聞いても、答えてもらえないだろう。


 シーナは長い廊下を歩き、角を曲がった。そこで、しばらく待つ。沸き立つ心とは裏腹に、頭はひどく冷静だ。

 頃合いを見はかり、足音を忍ばせてキーファの部屋の前へと戻った。幸運にもドアが少しだけ開いていて、エリックと話すキーファの小声が聞こえてきた。 


「リズは大丈夫か?」

「はい。リズ様には東塔の小部屋に隠れてもらいました。よろしかったですか?」

「ああ、ありがとう。見つかったら神殿の牢へ連れ戻されるからな。それだけは何としても阻止しないと」


(東塔の小部屋……)


 小部屋がどこかまではわからないが、東塔は上まで長い螺旋階段が続く。きっと、それを上った先にあるのだろう。


(リズがそこにいる)


 シーナは目を見開いて、そっとキーファの部屋の前を離れた。


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[気になる点] 王宮の警備がゆるゆる、王太子の部屋の前に警備がない、廊下を走る曲者を止める人がいない。抱きつかれちゃう王太子は暗殺されてしまうかも。何で迷わず王太子の部屋に行けるかな~。
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