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54 走るペンギンと告白

 オリビアは第九塔門前にいた。自分の扉を探すためだ。

 そして今、オリビアはイライラしていた。この状況では、誰だってイライラするに違いない。


「ねえ、早く来てよ!」


 振り向き、叫んだ。オリビアの聖なる実から出てきた――ペンギンに向かって。


 白と黒の体、大きなくちばし。ペンギンは体を左右に振りながらヨタヨタと、一生懸命にオリビアに向かって歩いてくる。

 その姿はかわいいが、何せペンギンなので歩みが遅い。


「お願いだから、もうちょっと早く歩けないの?」


 しっかりした気性の、どちらかというとせっかちなオリビアには、ペンギンのゆっくりさが合わない。ペンギンなのだから仕方ないと理解しつつも、何ともイライラしてしまう。早く扉を探したいのに。


 自分の「扉」を見つけるという最終選定が、早い者勝ちでない事はわかっている。それなら、もう神殿にはいないが、一番最初に扉を見つけたアナが次期聖女に決まっただろう。


(見つけた「扉」の内容次第という事?)


 眉根を寄せながら振り向くと、ペンギンの位置は先程と変わっていないように思えた。確かに歩いているのに。

 けれど、こうして待つしかできない。思わずため息が出た。


 ペンギンを抱いて運ぼうとしたり、手を取って歩こうとすると、途端にペンギンが眠ってしまう。なぜかはわからない。そして、しばらくの間、下手すると丸一日起きない。

 何度やっても同じだった。


 オリビアの扉がある場所が、この第九塔門付近だという事はわかっているのだ。しかしペンギンがいないと、扉を指し示してもらえない。

 だからイライラしながらも、こうしてペンギンが追いつくのを待つしかないのである。


(あー、もう!)


 聖竜と聖獣黒ヒョウを見た後で、ペンギンが実から出てきた時は、正直落ち込んだ。レベッカのミミズに比べたらマシだと思おうとしたが、レベッカがミミズを心底好きなのが伝わってくるので、そんな事を考える自分がバカに思えてくる。


 ヨタヨタ歩くペンギンが、やっとオリビアに追いついた。早く先へ行きたいのに、「ふー、やれやれ」と言いたげに、その場にドスンと腰を下ろされた。そのまま手も足も投げ出し、のんびりと空を眺めている。

 オリビアは最高にイラっとした。


 結局は自分の心がけ次第なのだとわかっている。

 ペンギン、いいじゃないか。愛らしいし。心に余裕があるとそう思えるのに、聖竜や黒ヒョウを見てしまうと焦ってしまう。お前は次期聖女にふさわしくないレベルだと突き付けられているような気がする。そして自分のペンギンがひどく粗末なものに思えてしまう。


 ペンギンが立ち上がり、オリビアはやっと扉探しに取りかかれた。部屋を出てから、けっこうな時間がかかった。早くしないと。

 第九塔門前は周壁と地面、きれいに刈りこまれた生垣。その後ろに木が等間隔に並んでいる。

 ペンギンが歩いて行くので、生垣の中をせっせと探しながら、オリビアはちらりと第九塔門を見上げた。この先は現聖女のいる第一神殿だ。


 これだけ探しても見つからないのだ。ひょっとしてオリビアの扉はこの第二神殿ではなく、第一神殿にあるのではないか?

 前から薄々思っていた事が、またもや頭をよぎった。しかし候補者が第一神殿へ足を踏み入れる事は許されていない。


 不意に、かすかな泣き声が聞こえてきた。それと走ってくる、いくつかの足音。


「待って! ねえ、きっと何か事情があるのよ。現聖女様はいつだってお優しい方だもの」

「だって……だって、暇を与えるとおっしゃられたのよ。私たち皆……現聖女様にお仕えする侍女たち全員よ。一体どうして?」


「私もわからないけど……きっと何か事情があるのよ。そのうち理由を教えてもらえるわ。だからそれまで現聖女様のご命令どおり、暇をいただきましょう。

 しばらく実家へ里帰りしたら? 私もだけど、あなたもしばらく帰っていないでしょう? それとも神官長様に相談して、第二神殿で働かせてもらってもいいし」


 オリビアがちょうど生垣のかげに隠れているので、侍女たちは気づいていないようだ。


 オリビアは眉根を寄せた。暇を出された? なぜ?


 詳しい事はわからないが、チャンスだと思った。普段は塔門の向こうで必ず侍女たちが見張っている。

 けれど今は騒然としていて、第一神殿内が浮足立っている。第九塔門も開きっぱなしだ。


(今なら、第一神殿へ入り込めるかもしれない)


 オリビアはごくりとつばを飲み込んだ。この選定は常識では図れない。オリビアは絶対に次期聖女になりたいのだ。もしも扉が第一神殿にあって、そこを探さなかったから失格になるとしたら冗談ではない。


(それに最終選定のためと言えば、見つかってもきっと許してもらえるわ)


 オリビアは静かに立ち上がった。そっと塔門へ近づく。思ったとおり、見張りの侍女はいない。暇を出されていなくなったのか、それとも誰かと身の上を相談しているのか。


 驚いたような顔で、相変わらずヨタヨタとついてくるペンギンをイライラしながら待ち、オリビアは第一神殿へと足を踏み入れた。


「ここが現聖女様のおられるところなのね」


 昨日、神官たちの前でリズの罪を暴いた時、久しぶりに姿を見られたのに、すぐに第一神殿へと戻ってしまった。


 長い廊下をそっと歩く。辺りは静かだ。第二神殿と柱の模様や壁の造りなどほとんど同じだが、比較的にぎやかな第二神殿とは違い、ひっそりと静まり返っている。日差しが白い壁に反射して明るいのに、その明るさがどこか作り物めいて見えた。


 王都育ちのオリビアは、ずっと聖女に憧れていた。幼い頃に、式典で現聖女を見たのだ。

 白い豪華なローブと、この世に一つしかない聖女だけがかぶれる白い冠。大勢の熱狂的な国民たちに手を振る現聖女、全てが輝いていた。

 その時に決めた。必ず次期聖女になると。


 憧れの場所に今いる事がひどく誇らしい。けれど同時に、憧れていた頃と比べてはるかに自分の手の届かない距離にあるともわかり、気持ちが暗くなった。


 ふと服のそでを引っ張られた。見るとペンギンがオリビアのそでのレースをつかみ、必死で首を左右にブンブンと振っていた。まるで「やばいよ、早く出ようよ」と言っているようだ。


「大丈夫よ」


 自分に言い聞かせるように笑う。


「それより私の扉はここにあるかわかる?」


 ペンギンが不意に体をこわばらせた。何かの気配を察したように。

 奥の部屋のドアが開いている。必死に止めるペンギンを振り切って、オリビアはそっと中を覗き込んだ。


(現聖女様!)


 テーブルとソファーが置かれた応接間のような部屋で、現聖女が一人、こちらに背を向けて手鏡をのぞいていた。


「あの女、ふざけた物を作って……!」


 何やら悪態をついている。現聖女らしからぬ様子に、胸がざわめいた。


(……何?)


 手鏡に映る現聖女の顔。距離があって、視力のいいオリビアでもぼんやりとしか見えない。けれどそこに映っていたのは現聖女ではない。全くの別人だ。


(どういう事!?)


 頭の中がこんがらがった。本能で後ずさろうとした瞬間、手鏡越しに現聖女と目が合った。


 オリビアはものすごく驚いたが、現聖女はそうでもなかったようだ。笑ったように、口元がゆがむ。ゾッとした。


(逃げなきゃ! 早く!)


 震える体をひるがえし逃げ出そうとした瞬間、目の前に、ふわりと音もなく現聖女が舞い降りた。


「きゃああ!!」


 オリビアは絶叫した。けれど周りに人はいない。現聖女が笑いながら、オリビアに顔を近づけた。


「見てしまったのね。仕方のない子。どう? 助けてあげてもいいわよ。それに私に協力するなら、あなたを次期聖女に任命してあげるわ」




(大変だ!)


 ペンギンは走った。走ったといっても、体を左右に振りながらヨタヨタとなるべく早く歩くので精一杯だが。

 オリビアが捕まってしまった。助けを求めないと。近くに仲間の匂いがする。捕まってはいるが強力な仲間だ。

 ヨタヨタと、ペンギンは一生懸命歩い――走った。



 * * *


 地下牢の一番奥、西側の壁の端。二方向から同時に強く押すと、石の壁がちょうど人一人分開く仕掛けになっていた。

 そこから細い通路がつながっている。


 シロも捕まったはずだが、地下牢のどこにもいなかった。おそらく偽者の聖女のいる第一神殿に連れられたのだ。

 しかし今、リズは神殿へは戻れない。もう一度捕まったら今度は逃げられないだろう。


(シロ、待っててね。必ず助けに行くから)


 狭い通路は王宮の奥庭へと、つながっていた。草が密集していて、まるでふたをするように入口が隠されている。


 リズは王宮に来たのは初めてだ。まさか自分が足を踏み入れるだなんて、故郷の村にいた頃は想像すらしなかった。


「こっちだ」


 キーファが先に立ち、案内していく。

 神殿の広さにも呆れたが、王宮はそれ以上だ。リズは呆気にとられ、キョロキョロしながら長い回廊を歩いた。回廊だけでも見た事がないくらい豪華だ。


 見ていると吸い込まれそうになるほど高い天井。天井近くの壁に、びっしりと描かれた絢爛豪華な壁画。大きな窓から降り注ぐ明るい日ざしは、おそらく床のどこに日が落ちるかちゃんと計算されているのだろう。等間隔に描き出された太陽の円が、床の模様と絡み合っていた。まさに夢の世界だ。


 キョロキョロし過ぎて、思わずつまずきそうになった。

 キーファが振り向く。リズはとっさに姿勢を正し、つまずいてなんかいませんよとアピールするように澄まして、胸を張った。


 キーファが無言で前を向く。ばれていないとホッとしたが、次の瞬間キーファの肩が震え出した。笑っている。ばれていたのかと、リズは自分を呪った。


「キーファ様」


 音もなく現れたのは、キーファの側近エリックだ。エリックがリズに微笑むと、頬の傷も一緒に微笑んだ。


 公爵はこれから宰相と、王宮で会う約束をしているそうだ。

 キーファがリズに言った。


「最初に言っておく。俺は演技が下手だ」

「そうだろうね。何となく、わかるよ」


 正直に返すと、キーファがショックを受けたような顔になった。リズは気にせず続けた。


「まあでも、私も演技は苦手だから」

「だろうな。わかるよ」


 その、つい心の底からの素直な気持ちが口に出ましたという響きに、リズは顔をしかめてキーファを見上げた。

 キーファがしまったというように、急いで視線をそらせた。



 しばらくして公爵がやって来た。

 以前会った時から嫌な予感はしていたが、前世の執事だと思ったらリズの全身に鳥肌がたった。


「これは、キーファ殿下」


 キーファが牢からリズを連れ出した事を、すでに耳にしているのだろう。だがそんな事はおくびにも出さず、公爵が穏やかな笑みを浮かべて一礼した。

 そして声をひそめ、いかにもキーファの身の上を案じている様子で言った。


「罪人のリズ・ステファンを、牢から殿下が連れ出したと、神殿が大騒ぎしているようですが大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。リズは罪人ではありませんから」

「そうなんですか。現聖女様がそうおっしゃられたと聞きましたが。リズはどこに?」


「……安全なところです」

「失礼ながら、リズを早く引き渡した方がよろしいかと。何しろ、あの現聖女様が自ら捕らえさせた罪人です。もし殿下に共犯の疑いがかかっては大変です。王族の品位も疑われてしまいます」


 心配そうに顔を曇らせて忠告する姿は、まさに忠臣だ。

 リズは心の中で悪態をついた。


 二階にある一室。そこの壁に開いた無数の小さな穴から、下の回廊の様子がよく見える。すなわちキーファと公爵が対峙する姿が。

 もちろん回廊側からは壁画が飾られているようにしか見えないので、室内からのぞいているリズたちの姿は見えない仕組みだ。


 キーファが小さく息を吸い込む。そして、言った。


「俺はリズと結婚しようと思います!」

「……は?」


 会話の流れを無視した、しかも前ふりも何もない突然の宣言に、さすがに公爵がぽかんとなった。

 キーファが構わず続けた。


「今から、父上に報告に行くところです。公爵、俺たちの結婚式にはぜひ参列を!」

「……殿下、何を言いだされるのですか。リズは罪人ですよ。おまけに平民です。お父上である国王様も、お許しになるはずが――」

「俺はリズを愛しています! 愛し合う二人の間に、障害はありません!」


(下手だな)


 リズは心の中でぼやいた。突拍子もない事を言わなければならないのはわかるし、とりあえず公爵が足を止めて聞いているのは成功といえる。しかしキーファの演技が下手過ぎる。

 隣に立つエリックが、リズの考えを読んだかのように苦笑した。


 公爵があやふやに笑う。まるで突拍子もない事を言いだした子供のご機嫌をとるような笑みで。

 実現できるはずがないと知っている。公爵がその場を去ろうとする雰囲気に、リズは焦ってキーファを見た。


 キーファはじっと公爵を見つめていた。キーファも焦っているのか、それともこれも予想内なのか、その表情からは読み取れない。


 キーファがゆっくりと口を開き、真摯な口調で告げた。


「俺はリズが好きです」


 リズの心臓が飛び跳ねた。これは演技だとわかっているのに。


「俺は昔からずっと、心に想う人がいました。昔ひどい裏切りを受けて、それでもずっと忘れられない人でした」


 セシルの事だとわかった。公爵にもわかっただろう。公爵の表情が真剣なものに変わった。


「とても優しい女性で、一緒にいると安らげました。最初、俺はリズを、その人に重ねようとしていたんです。でもリズの性格は、その人とはまるで違いました。もう全然、これっぽっちも似ていません」


 そこまで言わなくてもいいだろう。リズは内心で毒づいた。


「ある時、何の偶然か、その人と同じ顔をした女性が俺の前に現れました。しかもその女性は、どうやらその人の血を受け継いでいるようです。運命ではないかと匂わされました。――ですが俺は、最初は確かに驚きましたが、どうしても興味を持てませんでした」

「……なぜですか?」


 公爵の声が割れる。まるで身を乗り出して問い詰めたい気持ちを、必死で抑えているようだ。


「その人は、殿下の想い人にそっくりなんでしょう? しかも血を受け継いでいるというなら、なぜ――!」

「その人を好きなのは昔の俺です。今の俺ではありません」


 キーファがきっぱりと言った。

 公爵が息を呑む。


「今の俺は、リズが好きなんです。その人とは似ても似つかない。強くて、凛としていて、動じなくて、愛想がない。他の女性たちが悲鳴を上げて怖がる虫を、一撃で倒して平気な顔をしているような、そんなリズがいいんです」


 キーファが微笑んだ。その目には、あふれんばかりの愛しさがこもっているように見えた。


 リズはぎゅうっと両手を握りしめた。心臓の鼓動が速い。激速だ。叫び出したくなるほどの感情が心の中に渦巻いている。

 表情には出すまいと思うのに、顔が赤くなっているのが自分でわかった。


 何だ。一体どうなってるんだ。キーファは演技が下手なはずなのに、途中から別人のように上手かった。いや、演技とは思えないような。まるで本心をさらけ出しているように見えた――。


「愛の告白ですね」


 隣からエリックが興味深そうにささやいてくる。なぜか楽しそうだ。イラっとして誰かを思い出し、リズはそっけなく答えた。


「違います。演技ですよ」

「本当に? 本当に、そう思ってます?」


 顔をしかめるリズに、エリックがにっこりと笑った。


 回廊で、キーファが公爵に淡々とした口調で告げた。


「リズは冤罪です。なぜ現聖女様が、リズが犯人だと言われたのかはわかりませんが、リズはそんな事をしていないのだから現聖女様が間違っているんですよ。

 最近姿を見ていないと神官たちが言っていたので、何かあったのかもしれませんね。その事も一緒に父上に伝え、重臣たちを集めて解決策を導きたいと思います。もちろん神官長にも意見をあおいで」


「そうですか」と公爵が微笑む。けれど、その頬が一瞬こわばったのが見えた。

 頭の中で様々な思いがうず巻いている事だろう。


「殿下。所用を思い出しましたので、私はこれで」


 礼儀正しく一礼し、けれど決して笑っていない目をした公爵が去っていった。


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