51 それぞれの場合
シーナは王宮の回廊で、宰相と話をしていた。
宰相はアイグナー公爵と懇意にしていて、公爵からシーナの事を頼まれているようだ。もっともシーナがエミリアだったという事までは知らないけれど。
そこへキーファが通りかかった。宰相と話をしているシーナを見て立ち止まり、目を見張る。
宰相がおおらかに笑った。
「シーナから、コロラドでの話を聞いていたところですよ。いや、素晴らしい。聖女とは、まさにシーナの事ですな」
「そんな……やめてください。私はただ、当たり前の事をしただけです」
シーナはうつむき、目を伏せた。
「コロラドの聖女は謙虚ですな。いや、私が若かったら放っておきませんよ。シーナに慕われている殿下がうらやましいですな。では私はこれで失礼しますよ」
宰相がガハハと豪快に笑い、シーナとキーファの双方を意味ありげに見て立ち去って行った。宰相はシーナをキーファの嫁にと押してくれている。
「宰相と親しいのか?」
眉根を寄せたキーファが聞いてきた。
「いいえ、私のような者がまさか。コロラドの聖女という事で、気を遣って話しかけてくださるだけです」
キーファは無言のまま、口元に手を当てて何やら考えこんでいる。
シーナは遠慮がちに微笑んだ。
「キーファ殿下、実は相談したい事が――」
「悪いが、急用を思い出した。これで失礼する」
「……そうですか」
残念そうな声を出し、素直に引く。覚悟を決めたからだ。それでも――。
それでも、内心は失望と怒りで一杯だった。一体どうすればいいのだ? グイグイ攻めても、公爵の言う通り遠慮がちにしても、キーファはシーナに見向きもしないじゃないか。
「ああ、そうだ」
立ち去りかけたキーファが思い出したというように、振り返った。シーナはホッとした。そうだ。顔を変えて身分まで捨てたのだ。このまま終わりなわけがない。期待に顔が輝くシーナに、キーファが淡々と言った。
「やはり相談相手は俺ではなく、神官や侍女たちの方がいいと思う。神殿での業務には関係ない相談を、と聞いたが、それならなおさら神官や侍女たちの方が君の立場に近い。君の不安や悩みも理解してもらえるだろうから」
浮かべた笑みがこわばるのがわかった。
なぜ? なぜ、うまくいかない? キーファの好きな顔と性格のはずだ。いわばシーナがキーファの理想像だ。それなのに、なぜ?
リズなんてシーナと――キーファの理想と、全く正反対なのに。
答えの出ない疑問が、黒い渦を巻く。なぜ? なぜ? 浮かんでくるのは、そればかりだ。なぜ、うまくいかない? なぜ、思い通りにならないのだ? こんなに頑張っているのに。
シーナはうつむき、両手を強く強く握りしめた。
* * *
アイグナー家の書斎にて。使用人の男から報告を受けたアイグナー公爵は、怒りのあまり、持っていたワイングラスを床に叩きつけた。中身が飛び散り、高価なじゅうたんを赤く染める。
「なぜだ? なぜ、キーファ殿下はシーナに惚れない?」
セシルの顔だ。そっくり同じだ。前世のキーファが最期まで想い続けた恋人。裏切られたと思っても一途に愛し続けた事を、前世で執事だった公爵が一番よくわかっている。
キーファがセシルの顔だと認識した事は間違いない。シーナを初めて見た時、幽霊でも見るように青ざめて固まっていたというから。
しかも「コロラドの聖女」という清らかな存在で、性格もセシルの模倣だ。惚れないはずがない。それなのに、なぜ?
「あの娘が原因なのか? リズ・ステファンが――」
キーファが気に入っているという、聖女候補者の平民の娘。
これでは、まるで前世と同じじゃないか。ユージンをグルド家のお嬢様と結婚させたかったのに、平民のセシルが邪魔をした。障害物を全て排除し、セシルがユージンを裏切ったと嘘をでっちあげまでしたのに、ユージンは決してセシルをあきらめなかった。
今も、そうだ。キーファとシーナを結婚させたいのに、シーナに首ったけになってもらいたいのに、あのリズという平民の娘が邪魔をする。エミリアをシーナに仕立てあげまでしたのに、キーファはリズから興味をそらさない。
公爵は歯を食いしばった。
夢半ばで終わった前世の二の舞はごめんだ。今世こそ必ず望みを叶える。そうでなくては、何のために前世の記憶を持って生まれ変わったのかわからない。
公爵は顔を上げた。やはり、あの魔術師の言う通りにするのが一番か。
「魔術師を呼べ」
「もう、いるわよ」
いつからいたのか、カーテンの向こうから魔術師が顔を出した。驚く公爵と使用人に、魔術師が笑みを浮かべた。
「お困りのようね。やっぱり、あの魔石を神殿に仕掛けておいて良かったでしょう?」
鷹揚に笑う魔術師に、公爵は襟元のタイをゆるめながら苦笑した。
「全くだ。最初、話を聞いた時はあきらかにやり過ぎだと思ったが」
「そんな事ないわ。選定中の今しか――あの女が姿を変えている今しか、できない事よ。あなたと違って、私の目的は最初からあの女ただ一人。予定通り、あの女を排除できたわ」
「排除ね。君は全く怖れを知らない」
魔術師が薄く笑う。
公爵はゆるめたタイを再び結び直した。今さら後には引けない。引けないなら勝つしかない。必ずだ。
窓のカーテンを開けた。月明かりの下、王宮と、そして神殿の屋根がぽっかりと浮かび上がるのが見えた。
* * *
リズと聖竜が魔石を壊した直後の事。奥庭で集まっていた神官たちが騒ぎ始めた。
「神官長様はなぜ来られないんだ? いくら何でも遅すぎるだろう!」
もっともだと、ロイドはうなずいた。ロイドも気になっていたのだ。
そこへ一人の神官が血相を変えて駆けつけてきた。ローブのすそが焼け焦げたように黒くなり、顔にもすすがついている。何よりその表情は青ざめ、こわばっていた。
彼はロイドたちの様子を見回し、「ここにも魔石があったのか……一体どうなってるんだ?」とつぶやいた後、叫んだ。
「大変なんだ! 他に、小神殿わきの生垣と、第九塔門前でも、魔石が見つかったんだ! 一つは神官長様、もう一つは候補者のマノンが封じ込めたが、マノンが対峙した魔石の方がものすごく大きくて、何とか封じ込めはしたものの、マノンが大けがを負って! さっき施療院に運ばれた!」
ロイドは青ざめた。不安で心臓の鼓動が早くなる。
「ロイドさん? どうかしたんですか?」
リズの声を背中に、ロイドは施療院へと走った。
施療院の前には、心配そうに顔を曇らせた神官が数人いた。マノンをここまで運んできた者たちだろう。
「お、ロイド――おい、どうしたんだ!?」
彼らには目もくれず、ロイドは施療院の建物の中へと飛び込んだ。
診察室の前には神官長がいた。めずらしくお付きの神官たちはいない。神殿内で事態の収拾にあたっているのだろう。
神官長は両手を体の前で組み合わせ、祈るように目を閉じていた。左手の甲をやけどしたのだろう、赤くなっている。
「神官長様」
「ロイドか」
目を開けた神官長に、ロイドはずばりと聞いた。
「マノンは――現聖女様の容態はどうなんですか?」
神官長はかすかに目を見張ったが、すぐに目元をゆるませた。
「気づいておったのか……。今は眠っておられる。まだ様子見だそうだ。しかしあの魔石は、一体誰が――」
顔が曇る。そして同じく表情を暗くしたロイドを元気づけるように、神官長が微笑んだ。
「いつ、マノンの正体に気づいたのだ? まあ、一回目の選定の時、ロイドが聖なる種の入った壺を見つけて持ってきた時から、もしかしたらとは思っていたがな」
「見つけたのはリズですよ。でも僕が気づいたのは最近です。あの壺を埋めたのはマノンですね。マノンが――現聖女様が作った種なんだから、あんなものなくても発芽させられる。あの種は、見つけた者へのヒントのつもりだったんですか?」
「なぜ私に聞くのかね?」
「神官長様もグルでしょう? そうでないと選定が成り立たない。おそらく現聖女様が候補者たちの自然な様子を見たい、とかいう理由から、マノンに姿を変えてもぐりこんだんでしょうけど。それに僕は子供の頃から、現聖女様を近くで見てきました。わかりますよ」
ロイドは小さく息を吐いた。
聞きたい事はこれじゃない。
「現聖女様はマノンに顔を変えている。そんな禁術のような魔術が使えるのは現聖女様くらいです。シーナもそうですか? 魔術でシーナの顔を変えたのは、現聖女様なんですか?」
神官長がぽかんと口を大きく開けた。その表情が本当に驚いているだけなのか、それとも知っていてとぼけているのかわからず、ロイドはたたみかけた。
「シーナがリズの言う通りエミリアだとすると、治癒能力を開花させたのも現聖女様という事にな――」
「待て、待て!」
神官長が愕然とした顔で言った。
「何の話だ? エミリアとは誰なんだ?」
「エミリア・カーフェン。リズと同じ村の出身で、最初に僕が迎えに行った候補者です――」
説明しながら、どうやら神官長は何も知らなかったようだと安心した。
神官長は考え込むように白いひげをなでていたが、しばらくして、ふうっと長い長い息を吐いた。
「話はわかった。だが、その魔術師とやらは現聖女様――マノンではない。マノンはずっとこの神殿にいたし、そんな事をする意味がない」
「じゃあ誰なんですか? そんな禁術を使えるほどの魔術師なんて、他にいるんですか?」
「……さあ。わからんよ」
神官長が首を左右に振る。その時、一人の神官が駆けこんできた。
「神官長様! 良かった、ここにいらしたんですね。現聖女様が神官長様をお呼びです。すぐに第一神殿へ来てもらいたいと」
ロイドは目を見張り、急いで室内をのぞきこんだ。ベッドには確かに血の気の失せたマノンが眠っている。
神官長もぽかんとなった後、かすれた声で聞いた。
「……現聖女様が今、第一神殿におられるというのか……?」
「ええ、そうです。どうかされましたか? いつものように神官長様を呼んでおられますよ」




