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50 キーファの場合

『一生をかけて償う。そして今度こそ必ずリズの力になる。前世のユージンの分も――』

 リズから話を聞き、前世の真相を知った時、キーファは自分にそう誓った。


 二度と会えないと思っていたセシル、その生まれ変わりであるリズに会えた。感謝しかない。

 リズが生きている。生きて、動いて、食べて、走って、笑って。キーファに笑いかけてくれる事はほぼないけれど、他の候補者たち相手に笑うリズを見る事ができる。

 それで充分だ。この世界に彼女がまた生きていてくれる。それだけで充分すぎるくらいだ。



「初めまして、キーファ殿下。ようやくお会いできました」


 神殿の食堂前で、セシルの顔をしたシーナが微笑んだ。

 驚いた、なんてものじゃない。一瞬で前世へと引きずり込まれた。ここは、あの古い集合住宅の一室で、セシルが目の前で微笑んでいる。そんな気がして目まいがした。

 けれど同時に、


「セシル? まさか。リズはここにいる。君は誰だ?」


(あり得ない)


 そう強くも思った。

 セシルと同じ顔をした者が存在して、そしてキーファたちの前に現れるなんて、あり得るわけがない。


 それでもセシルが動いているのを実際に見ると、心が揺らいだ。シーナに惹かれたわけではない。別人だとよくわかっている。

 ただ、前世で生き別れた愛しい恋人が生きてくれているようで、心底嬉しかっただけだ。


 大事なものは何かわかっている。シーナを見てものすごく驚いたけれど、それでも大事な人は、守りたい人は誰なのか、ちゃんとわかっている。


 ところがリズは、


「それじゃあ、私はこれで」


 と青ざめながらも、さっさと立ち去ろうとした。シーナのもとにキーファを置いて。


 ショックだった。リズが自分を見ていない事は知っている。リズが求めているのは前世のユージンで、キーファではない。

 それでもキーファにとって、リズはとても大事な人だ。


 とっさにリズの腕をつかんだ。つもりが、なかば後ろから抱きしめるような形になり、ものすごくうろたえた。間近にリズの頭があり、胸に腕にリズのやわらかい体がふれる。

 混乱するほど焦ったのに、リズの反応は冷たいものだった。「何?」と、ものすごく冷静に聞かれた。どれだけ意識されていないのか思い知り、落ち込んだ。


「シーナ・ブライドの正体を突き止めよう。セシルに生き写しの女性が今、俺たちの前に現れるなんて偶然じゃない」


 そう言うと、リズが泣きそうな顔でうつむいた。安心したように。キーファもホッとしたが、同時に、まるで「よくぞ言った」と言われているようだと思ってしまった。どれだけ頼りにされていないのだろうと、さらに落ち込んだ。


 その翌日、廊下で後ろから声をかけられた。振り向くとシーナがいて、キーファは固まってしまった。


「殿下……」


 微笑みながらシーナが近づいてくる。キーファが一歩下がると、一歩近づいてくる。決してキーファから目をそらさず。


(やめてくれ)


 頭を抱えて叫びたくなった。

 シーナは隠そうとしているが、心の内がだだ漏れだ。

 自分の顔がキーファに与える威力を知っていて、それを誇示している。キーファがうろたえるのを、心底楽しんでいる。


 嫌悪感がつのった。セシルの顔なのだ。他の姿なら構わない。だがセシルの顔で、そんな事をしないでくれ。


 キーファだって前世はほぼ平民だったから、王族がどんな目で見られるか、国民にとってどんな価値を持っているのかわかっている。近付きたいという欲求も理解できる。

 別に、それで構わない。ただ少しでも、その者の事を心から想っていれば。


 シーナの目はキーファを見ていない。シーナの目に映るのはキーファではなく、王太子と親しくなる事によって得られる「他人にうらやましがれる、華やかで、きらびやかなシーナ自身」だ。

 キーファから与えられるもの、恩恵を受ける自分自身。シーナの目に映るのはそれだけだ。平民も貴族も王族も、全てを経験したキーファにはわかる。


「キーファ殿下……」


 いわば初対面のキーファの体に、シーナがふれようとさえした。舌なめずりするように。頼むからやめてくれ、と泣きたくなった。セシルの顔でそんな姿は見たくない。顔をそむけた。


「実は私、リズさんに嫌われているようなのです……」


 寂しそうなシーナの声に、ハッと我に返った。


「私と二人きりの時だととても冷たいのに、他に男性がいると途端に愛想よくなるんです」


 シーナは切々と訴えるが、キーファは「リズ」という言葉に、サッと風が吹いたような気がした。閉塞感のある暗い室内の窓が開いて、新鮮な空気が吹き込んできたように。

 元気が出て、キーファは笑ってその場を去る事ができた。



 後日、リズの部屋で、真剣な面持ちで言われた。


「シーナはセシルに顔を変えた別人だと思う」


 その時、頭の中で何かがつながった気がした。

 以前リズから「アイグナー公爵を見ていたら、前世の光景が見えた」と言われ、調べたものの、つかんだと思ったらするりと手の中から逃げていく。そんな情報たちが。


 わざわざセシルの顔に変えて、シーナをキーファの元によこした。キーファがユージンだと知っている。

 そして公爵は昔から、自分の娘グレースを何とかキーファと結婚させようとしていた。


 そして今回の、巧妙なやり口。

 もし、リズがセシルの生まれ変わりだと知らなかったら、キーファはシーナをセシルの子孫だと思っただろう。セシルが結婚した(と思っていた)相手との間に生まれた子供の子孫。シーナは孤児だと言ったから。これは運命だと、きっと思っただろう。

 いや、公爵はそう思わせたかったのかもしれない。


 前世と、そっくりだ。人の気持ちなど構わず、ただ自分の望むままに人を駒のように動かす。


(まさかハワード家の筆頭執事、バウアーなのか――?)


 全身に鳥肌がたった。すさまじい怒りがわいてきて必死で抑える。これは憶測だ。証拠をつかまないと。


「その顔を変えた別人とは誰なんだ!?」


 キーファは身を乗り出した。

 その別人は公爵と関わりがあるに違いない。


「わからないの。今ロイドさんに調べてもらってるところだから、わかったら教える」

「――なぜ俺じゃなくロイドなんだ?」


 正直な気持ちが、ふと口から出て青ざめた。


(最低だ)


 再びリズに会えた。リズが生きている姿を、この目で見られる。それだけで充分だ。感謝しかない。


 それなのに、リズがロイドと一緒にいるのを見るたび、慣れた様子で、キーファといる時よりよほどリラックスした様子で話しているのを見るたび、チクリと心にとげのようなものが突き刺さる。


 前世では結婚を約束した恋人同士だった。セシルの心はユージンに向いていた。けれど今世は違う。リズはキーファの恋人でも、ましてや親しい友人でも何でもない。ただの他人だ。わかっていたはずなのに。


 キーファはリズに償おうと思っている。そのためにリズを守り、リズの幸せを全力で応援する。けれど、それは将来リズが誰か他の男を愛し、その男と結ばれるのを、笑顔で、心から笑って見送らないといけない――。


(嫌だ)


 胸が締めつけられる。苦しくてたまらない。そして自己嫌悪におちいる。

 この感情が何なのか理解している。前世で覚えのある感情だ。セシルが近くのパン屋の息子と仲良く話すのを見かけるたび、夕飯を食べながらのセシルの何げない話に職場の男の話が出るたび、わき起こった。

 嫉妬だ。


 その時はセシルを引き寄せて、強く抱きしめる事ができた。そうするとセシルが幸せそうに笑って抱きしめ返してくれた。でも今は違う。


(何て、わがままなんだろう)


 落ち込むばかりだ。

 おこがましいにも程がある。リズが想っているのはユージンで、キーファの事なんて何とも思っていない。それなのに、当たり前にそばにいるロイドを、リズが頼りにしているロイドをうらやましく思うなんて。


「その別人を実際に知っているのは、ここではロイドさんだけだから――」

「ああ、わかっている。すまない」


 戸惑いながら答えるリズに、急いで言った。気まずい空気が流れる。キーファは慌てて話を変えた。


「その別人はセシルを知っている事になる。どういう事だ?」


 リズはどこまで気付いているのだろう。公爵が執事かもしれないと思っているのだろうか。


「アイグナー公爵か?」


 聞いてみたが、リズは身震いしてうなずいただけだ。怯えているのだと思った。いつもは堂々としているのに、今はとてもはかなげに見える。大丈夫だ。俺が守るから。でも、そんな事は恥ずかしくて言えない。


「リズがいてくれて良かったよ」


 これで精一杯だ。リズがまじまじと見つめてくる。その深く赤い目で表情を読み取られそうで、キーファは内心、慌てた。


「リズがセシルの生まれ変わりだと知らなかったら、セシルの顔をしたシーナを目の前にして平静でいられた自信がない」


 焦るあまり、よくわからないフォローになってしまった。さらに墓穴だ。けれど、


「私も、ちゃんとわかってるよ」


 リズが穏やかな顔で微笑む。先程の怯えた様子はどこかに消えてしまったように。


「――そうか」


 良かった。そう思い、キーファもゆっくりと微笑んだ。



 宰相がやって来た。


「シーナの相談役? なぜ俺なんですか?」


 神殿の事なんてわからないのに。宰相が笑顔で告げた。


「殿下が適任ですとも。シーナも知り合いがおらず寂しいでしょうから、話し相手とでも考えて下されば」

「しかし――」

「シーナは殿下をずっと慕っていたと言っていますし。何より国民に人気のあるコロラドの聖女が、殿下と親しいとアピールできれば、王家の好感度にも直結いたします」


 キーファは宰相を見つめた。宰相は公爵と仲が良い。昔から、公爵が王宮に来るたび、よく話していた。


(断らないほうがいい)


 公爵とシーナとの関係も、まだつかめていない。シーナと話していた男が、アイグナー公爵家の使用人と似ていたとの報告くらいだ。公爵はタヌキだ。わかってはいたけれど。

 キーファはため息を吐いた。公爵の方からつかめないなら、シーナの方から攻めた方がいいのかもしれない。


 それに最近、王宮が何やら騒がしい。問題を少なくするためにも、早めにシーナと公爵との関係をつかまなくては。


「わかりました」



 神殿にある調合室の隣の部屋は雑然としていた。そこでシーナと会った。

 なぜこんな場所へ案内されたのか。正直、気が進まなかったが仕方ない。隣の調合室からは聖竜の「キュー!」という鳴き声が聞こえてきて、思わず微笑んだ。続いて何人もの声。リズもいるのだろう。相談役を頼まれたとはいえ、シーナと二人きりの所を見られたら誤解されそうだ。言っておこうと腰をあげたところ、シーナが口を開いた。


「お疲れのようですね。大丈夫ですか?」


 優しい、本心からキーファを労わるような声音と微笑み。


 驚いた。勢いよく顔をあげ、思わずシーナをまじまじと見てしまったほどだ。


(何だ?)


 今までのシーナとは、まるで雰囲気が違う。今までの、自分の欲望のためにキーファを手に入れようとしていたシーナとは。

 まるで一皮むけたように、何かの覚悟を決めたように感じられた。


(どうなってる? 公爵の指示か何かと関係があるのか?)


 思っていたものとは違うものが飛び出してきた。そんな気がして、キーファはシーナから目が離せなかった。


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