49 魔石2
続いてロイドやレベッカ、神官たちを縛り付けていた黒い光が消えていった。
「「すごいな……」」
神官たちが感嘆した。
解放されたハデスが無言のまま、悔しそうに唇を噛みしめている。
その時だ。不意に魔法陣の中心で、魔石が、目もくらむほどのまばゆい光を放った。魔法陣の黒い光が呼応する。魔法陣のあちらこちらから、黒い炎が火柱のように燃え上がった。
「「うわああ!!」」
場が騒然となる。神官たちが魔法で対抗しようと、必死で呪文を唱えだした。
「あの魔石……」ロイドが眉根を寄せる。「すごい。魔法陣に力を与えてる。並の魔力じゃない」
「きゃああ、ミミズン!」
ミミズンが黒い炎に包まれた。レベッカが炎を消そうと、必死にミミズンの体に脱いだ上着を叩きつけている。
しかし炎は消えない。ミミズンが苦しそうにのたうち回る。
「ミミズン!」
リズは急いで駆け寄り、ミミズンを取り巻く黒い炎に両手をかざした。思いきり力を込めるが、炎は消えない。愕然とした。
(どうして? さっきの黒い光は消えたのに)
必死でかざすが、黒い炎はあざ笑うように、ますます勢いが増すばかりだ。
(どうして? どうして!?)
炎で手のひらが熱い。というよりは痛い。それでもリズは歯を食いしばり、手をかざし続けた。
炎は治まらない。ミミズンが痛そうに体を突っ張っている。たまらなくなり、リズは黒い炎に向かって叫んだ。
「消えて!」
ミミズンの体の表面が炎にあぶられて黒くなっていく。ミミズに声は出せないのに、悲鳴が聞こえてくるようだ。
「お願い、消えてよ!」
リズは両手を炎に叩きつけた。焦りと悔しさで体がバラバラになりそうだ。どうして何もできないのだ? どうして! 体の底から情けなさが噴出してきて、ギリギリと歯を食いしばった。
ハデスが、そんなリズを見て、身の程を知れというように笑いながら叫んだ。
「当たり前だ! 魔力持ちじゃないんだからな! さっきのは、ただの偶然に決まっている。いい気になるな!」
「……うるさい」
しつこく言いつのるハデスに、リズはつぶやいた。
魔力持ちじゃないなんて、言われなくてもわかっている。
自分はただのアルビノで、平民で、人より誇れるところなんて何もない事くらいわかっている。
それでも聖女になりたいと思った。心の底から、なりたいと思った。
だから頑張っている。たとえ人から後ろ指を指されようと、それでも歯を食いしばって耐えて、頑張っているのだ。
それをグダグダ言われたり、笑われる筋合いはない。
「うるさい……!」
叫んだ瞬間、リズの白い髪が一気に舞い上がった。赤い目に、さらに強い光が宿る。見る者を圧倒させるほどに。同時に、リズの足元から白い炎が噴き出した。
白い炎は、魔法陣から出る黒い炎へと襲いかかった。双方はぶつかり、反発し、そして白い炎が巻き込みながら吸収した。みるみるうちに、黒い炎が白くなっていく。まるで魔法のように。
リズの足元から円を描くように外側へと、瞬間的に黒から白に変わっていく様は見事だった。
白く変わる直前、黒い炎が勢いを失ったようにボロボロと崩れ、その塵すら巻き込まれ、白くなっていく。
「「……」」
皆、呆然とリズを見つめていた。
残った黒い炎が消える直前、最後の勢いというように魔法陣が黒く浮かび上がった。一筋の黒く鋭い光がリズに向かって突き出された。
まるでリズの顔の中心を突き刺そうとするように、目と目の間の一点を狙って飛び出してきたのだ。
「リズ!」
ロイドが叫ぶ。
けれどそんな弱った光など、リズの敵ではない。赤い目を力強く見開くと、突き出ていた黒い光の鋭い切っ先が、ボロリと腐ったように崩れ落ちた。
続いて少しずつ少しずつ白くなっていき、崩れ落ちる。
やがて黒い光が完全に消え、魔法陣も消え失せた。沈黙。後には元通りの地面が残った。
「そんな……バカな……!」
ハデスが息を呑み、あえぐようにつぶやいた。驚愕したように両目が見開かれている。
その時、再び魔石が光った。魔法陣を消された仕返しだとでもいうように、まがまがしい黒い光が辺りを包み込む。先程の比ではない。
ハデスや神官たちが青ざめた。
リズはゆっくりと上空を見た。
「ギュー……!」
抑えたような鳴き声が降ってきた。聖竜だ。黒い光から解き放たれた聖竜が、燃えるような赤い目で魔石をにらんでいた。頬が紅潮して、明らかに怒っている。
そして――。
聖竜が大きく口を開いた。たまった怒りを吐き出すように、魔石に向かって白い炎が噴き出した。空を焼き尽くすのではないかと思うほどの強烈な炎だった。
辺りに充満していた、まがまがしい黒い光ごと、魔石を一瞬で包みこんだ。
魔石がうめくように、もだえている。まるで意志を持っているかのように。恨めしそうな、うめき声が聞こえてきそうだ。
そこへ、さらに追い打ちをかけるように、聖竜が何度も何度も炎を吐いた。
「うわああ!」
「やりすぎだろ! 助けてくれ!」
白い炎のあまりの威力に、神官たちが慌てて逃げ出す。
続けて吐き出される白い炎は、すさまじかった。
魔石が苦しむように空中に浮き上がった。とどめだというように、さらに白い炎が追加される。魔石はもがきながら、だんだんと白くなり、やがて音をたてて割れた。
粉々になった魔石の残骸が地面に散らばり、煙を吐きながら消えていく。
神官たちが衝撃を受けたように息を呑み、おそるおそる聖竜を見上げた。
「小さくなったら、あざとい、ただの食い意地のはった竜だと思っていたが……」
「すごいな。驚いた……。さすが聖竜だ……」
「それより、リズ・ステファンだ。魔法陣の黒い光を消したぞ。しかも炎までも白くなった。あれは何だ……?」
「ミミズン、大丈夫!?」
レベッカの叫びが聞こえた。魔法陣が消え失せたと同時に、ミミズンはあっという間に小さくなり、元の大きさに戻った。けれど黒い炎に焼かれたミミズンは、すでに虫の息だ。
レベッカの両手のひらの上で、ミミズンは力なくうねうねと動き、やがて力尽きたように動かなくなった。
「嘘……ミミズン! ミミズン!?」
レベッカが必死で叫び、細いミミズンの体をさするが、動かない。
「お願い、目を覚まして……」
レベッカの声は涙声になっている。リズはそっと近寄った。ナタリーの時と同じ事ができるだろうか。
レベッカの両手のひらの上で動かないミミズンに、そっと手を重ねた。
「リズ……?」
救いを求めるようなレベッカの声に、応えたいと思った。
手のひらに力をこめる。白い、やわらかい光が放たれた。優しく包み込むような光が、ミミズンをおおう。
そして――。
ムクリとミミズンが頭をもたげた。
「ミミズン!?」
レベッカの声に応えるように、ミミズンがうねうねと動く。普段通りの元気な動きだ。
「ミミズン……!」
泣きそうな声で、祈るように両手のひらに顔を押し付けるレベッカの鼻先に、ミミズンがキスをするように頭をちょんとくっつけた。
「リズ、ありがとう。本当にありがとう!」
レベッカが満面の笑みを浮かべた。リズも笑い返した。
目の前の光景が、起こった事が信じられないというように、ハデスがひたすら呆然と突っ立っている。そこへロイドが笑顔で近寄って行った。
「ハデスさん、リズがいて良かったですね。まあハデスさんが言う通り、魔力持ちでは全然ないですけど」
「――何だと?」
噛みしめた歯の間から絞り出すように言うハデスの後ろで、神官たちがざわめく。
「そうだよな。リズ・ステファンがいなかったら、正直危なかった」
「俺たちの魔法が効かなかったぞ。すごい魔力だった。何なんだ、あの魔石は?」
「聖竜の炎がなかったら――いや、待て。聖竜を出したのはリズか」
周囲がひとしきり盛り上がるのを待ってから、「ね?」とロイドが笑顔で言いつのった。
血がのぼったようにハデスの顔が赤黒くなる。けれど言い返す事もできず、腹立たしそうに顔をそむけた。
「キュ」と聖竜が澄まして、リズの頭の上に降り立った。
「シロ」
リズは頭の上に手を伸ばし、聖竜を両脇からつかんだ。目の前に下ろして、じっと見つめる。
途端に聖竜が「キュ……」とうなだれた。反省の意だろう。拾い食いには懲りただろうから。
そこへロイドが近寄ってきた。
「魔法陣の時、聖竜使わずにリズだけの力だったよな? 力が強くなってるんじゃないか?」
「そう……ですかね」
リズは両手のひらをじっと見つめた。詳しい事はわからないけれど、そうだったら嬉しい。
顔を上げて、本殿へと続く通路のかげから、リズをじっと見つめるシーナを見つけた。目が合ったと思った瞬間、シーナが勢いよく身をひるがえして通路の奥へと歩いて行った。
けれど身をひるがえす直前、シーナの顔がこわばっていたのが、リズには見えた。
そして、いつもの穏やかな表情とはまるで違う、悔しさと嫉妬と憎しみが、その目にうず巻いていたのも――。




