48 魔石1
ちょっと長めです。
「これです」
奥庭にて、リズが草むらをかきわけて黒い石を見せると、ロイドが目を見張った。
「魔石じゃないか。しかも位置がわからないように結界が張ってある」
「魔石?」とリズが聞き返した時、
「おい! 勝手に近づくんじゃない!」
怒鳴り声がした。振り向くと、青いローブを着た中年の神官がいた。ガタイが良く、眉も腕も声も太い。
彼は大またで歩いてくると、リズを押しのけて、ロイドの正面に立った。二人の身長は同じくらいだが、細身のロイドと、がっちりした体つきのこの神官とでは受ける印象が全く違う。
ロイドが目をすがめた。
「ハデスさん。何かご用ですか?」
「お前が呼んだんだろう。神官長様は今、こちらに向かっておられる。俺は一足早く来てやったんだ」
偉そうな態度だ。ニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべながら話すのも、気にいらない。
(あれ? この人は確か――)
リズは見覚えがある事に気付いた。神官長のお付きの神官の一人だ。会うたび、ロイドに怒鳴っていたので覚えている。ロイドは気にもしていない様子だが。
ハデスがわざとらしく肩を揺らし、ロイドをも押しのけて、草むらをのぞきこんだ。途端に息を呑んだ。
「おい! これは魔石じゃないか!」
さっきロイドさんが言っていたな、とリズは思った。
「しかも結界が張ってある!」
それも言っていたな、と考えていると、ハデスが顔をゆがめて振り返った。
「驚くほど強力な結界だ。俺でさえ、こうしてこの目で見るまで、ここにあるとはわからなかった。ロイド、お前はなぜ、わかったんだ?」
先に見つけられた事が心底悔しいような、憎々しげな表情だ。
ロイドが、にっこりと笑った。
「侍女の手伝いで草刈りをしていたら、偶然見つけたんですよ」
ロイドがとぼけている事に気づいたのだろう、ハデスの顔が憤怒で真っ赤になった。
リズはちらりとロイドを見た。ロイドが目線で「何もしゃべるな」と言っているのがわかり、視線を戻す。
ハデスがロイドに詰め寄った。
「ふざけるな! なぜ、わかった!?」
「――リズ!」
そこへ聖竜を抱いたレベッカが、息を切らしながら走ってきた。
「突然、飛び出していくから驚いたわ。それで、リズが見つけたっていう変な石は、どこにあるの?」
ロイドが嫌そうに顔をしかめた前で、ハデスの顔色が変わった。有り得ないと言いたげに、不快感をあらわにした表情で、リズをにらんできた。
「魔石を見つけたのは、リズ・ステファンなのか!?」
その声の大きさに、レベッカがビクッと肩を震わせる。そして顔をゆがめたハデスと、複雑そうな表情をしているリズとロイドを交互に見回して、青ざめた。
「ごめん。私、よけいな事を……」
「おい、リズ・ステファン!」
ハデスがリズの前に立った。威圧感がある。
「なぜ、ここに魔石があるとわかった!?」
「……最終選定の扉を探していたら、偶然見つけただけです」
「では、お前は魔力持ちではないのに、なぜ、これが魔石だとわかったんだ?」
決して言い逃れはさせないという、鋭い眼光だ。
けれど、こんな目で見下ろされる覚えはない。リズは見返した。
「魔石がどういうものかわかりません。ただ変わった石だなと思っただけです」
ハデスが鼻で笑った。
「魔石が何かもわかっていないのに、神官長様や俺たちを呼ばせたのか? ふざけるな。天啓だとでも言うつもりか? 聖竜を出したから何だというんだ。魔力を持っている事が、聖女候補者の最低条件のはずだ。それをロイドが勝手に連れてきて。俺は最初から反対だったんだ。神官長様も、現聖女様も甘すぎる」
吐き捨てるように言い、次にロイドをにらんだ。
「神官長様はなぜかお前をかっているようだが、俺は認めていない。いい気になるなよ」
ロイドはハデスに嫌われているようだ。そしてリズも。
ハデスが、ふと気づいたように眉根を寄せた。
「まさか、リズ・ステファン、お前がこの魔石を神殿に持ち込んだんじゃあるまいな? ――そうだ。現聖女様でさえ、かすかな気配しか感じられなかったのに、お前などが気づけるはずがないじゃないか」
あまりにも自分本位な考え方と、断定的な物言いに、半分うんざりして半分心が冷えた。そこへ、
「そんなわけありません!」
と震える声で、しかし精一杯反論してくれたのはレベッカだ。
「私たち候補者は、神殿の外へ出られません。神官様も、よくわかっておられるでしょう。言いがかりはやめてください!」
しかしハデスは、まるでたわごとだとでも言いたげに、フンと鼻を鳴らすだけだ。さすがにロイドが口を開いた時、
「ロイド! ハデスさん!」
と他の神官たちが走って、やってきた。ハデスが彼らに、苛立ったような大声を出した。
「この草むらのかげに魔石がある! 結界の張られた、強力な魔石だ。誰が置いたのかは不明だ。だがこの神殿内にあり、俺たち神官にも気づかれず、現聖女様も気配しか感じられなかった。それにも関わらず、なぜかリズ・ステファンが見つけたそうだ!」
わざとらしく、リズの方へあごをしゃくってみせる。神官たちが顔を見合わせた。
「リズ・ステファンが見つけた? どうやって!?」
「ハデス様の言われるとおりだ。どうして、わかったんだ? 奥庭のすみ、しかも草むらの中だろう? たまたま見つけられる場所じゃないぞ」
気味悪そうな視線と、不審そうな視線が、リズに集中した。さらに、うんざりだ。
不意に、魔石が黒い光を放った。同時に、パキッと乾いた小枝を踏むような音がして、魔石の結界が解ける。まるで、この場に人が集まるのを待っていたように。
声を出す間もなく、魔石を中心にして、複雑な魔法陣が四方に浮き彫りになる。全員を取り囲むように、魔法陣からも怪しげな黒い光が放たれた。
「しまった! 何だ、これは!?」
「体が動かないぞ! どうなってるんだ!?」
怒号が飛ぶ。場が騒然となった。黒い光が縄のように、人々の体に巻きついていた。皆、力を込めて逃れようとするが、光はしっかりとからまっていて身動きできない。
(何、これ!?)
リズも力を振り絞るが、黒い光はその努力をあざ笑うように、ますますきつく締め付けてくる。
ふと黒い光が何かに気づいたように、火柱のように上空へと舞いのぼっていった。
つられて見上げると、レベッカの腕から飛び出していた聖竜が、羽ばたきながら大きく息を吸い込んでいるところだった。グレースの聖なる実の騒動の時にみせた、あの白い炎を吐く気だ。
聖竜が口を開くのと、黒い光が強く揺らめいたのが同時だった。
「キュウ――!!」
一瞬遅かった聖竜が、黒い光に包まれた。黒い光が、太い縄のように何重にも巻き付いて、聖竜の小さな体をギリギリと締め上げる。
「聖竜!」
リズは叫んだ。
「ギュー……!!」
聖竜が苦しそうに顔をゆがめた。そして青ざめながらせきこみ、「グボッ」と腹の中のものを吐き出した。
ミミズと黒光りする虫が上空から降ってきて、虫嫌いらしい一人の神官が悲鳴をあげた。
「ミミズン!」
レベッカが叫び、体を縛る黒い光を外そうとして、もがいている。
こんな時ではあるが、リズは思ってしまった。名前はミミズンなのか!? と。
落下する途中で、黒光りする虫が白っぽい羽を震わせ、一目散に飛んでいく。
ミミズンだけが地面に落ちた。レベッカが駆け寄ろうとするも、体が動かない。
黒い光がもう一度揺らめき、地面で力なくうねっているミミズンを包み込んだ。ミミズンの体が、縦に横に、どんどん大きくなっていく。
「何なんだ!?」
「ミミズがでかくなって……!」
騒然とする人々。あっという間に、ミミズンはリズの倍くらいの大きさになった。
その光景に、神官たちが絶句した。青ざめ、必死に悲鳴をのみこんだ者もいる。巨大化したミミズンは――聖なるミミズといえど、質感も見た目もヌメヌメしていて気味悪い。おまけに全身にびっしりと短い毛が生えている。
それが頭をもたげて、うねうねと動いているのだ。
「嘘でしょう? ミミズン……」
レベッカが呆然とつぶやいた。
巨大化したミミズンが、戸惑ったように動き出した。普通に進んでいるだけなのだろうが、体の大きさが大きさなので、進むたび地響きのような振動が起き、地面の石がはじき飛ぶ。
進行方向には神官たちの姿があった。
「来るな!」
青ざめた神官たちが、逃げようともがく。けれど黒い光のせいで身動きできない。
「早く、この光を何とかしないと!」
「くそ! 取れない!」
必死に抜け出そうとするが、黒い光はまるであざ笑うように、彼らをますます締め上げていく。
「ミミズン、ダメよ! お願い、止まって!」とレベッカが叫ぶのと、
「皆、落ち着け!」とハデスの、恐怖の連鎖を断ち切るような力強い声が響くのが同時だった。
ハデスが黒い光に捕らわれたまま目を閉じ、何やら呪文を唱え始めた。神官たちの期待に満ちた目が、ハデスに注がれる。
それを全身に浴びながら、ハデスがカッと目を見開いた。
「「おお、さすがハデス様……! ――あれ?」」
ハデスに巻き付いた黒い光は消え失せるどころか、少しも緩んでいない。
「おい……何も変わっていないぞ」
「まさか。だって、神官長のお付きのハデス様だぞ。そんなわけないだろう……?」
神官たちが顔を見合わせた。
部下たちの前で恥をかいたハデスの顔が、みにくくゆがんだ。そして、うねうねと動いているミミズンを見すえて、再び呪文を唱え始めた。
ミミズンに向かって、ハデスの光の矢のようなものが飛んでいく。長い体に突き刺さり、赤い血が流れた。ミミズンが苦しそうにもがく。
「ミミズン!? お願い、やめてください!」
泣きそうなレベッカを無視して、ハデスがニヤリと笑った。そして得意げに首を振って、どうだと言いたげに神官たちを見回した。
リズは苦い気持ちになった。確かに、巨大化したミミズンは危険な存在だろう。けれどレベッカにとっては、とても大事なミミズだ。
(それに――)
それに、ハデスは黒い光をどうにもできなかったから、代わりに簡単なミミズンを標的にしただけにしか見えない。
「さすがハデス様!」と戸惑いながらも喝采をあげる神官たちに気をよくしたのか、再びハデスの魔法の矢が飛ぶ。ミミズンの頭や体に深く刺さり、ミミズンがのたうち回りながら苦しんでいる。
「お願い、やめて! やめてください!」
レベッカが泣きながら声を張り上げた。
その前で、ハデスが鼻高々に笑っていた。自分のプライドのためだけに――。
リズはきつく唇を噛みしめた。
こんなの嫌だ。間違ってる。どうにかしたい……! レベッカのミミズンを助けたい……!
「……!」
リズの中で、何かがはじけた感覚があった。
途端に体が、頬が、ほのかに白く輝きだした。赤い目に光がともる。意志の強さを表すような、誇り高い輝きだ。
リズの体を縛り上げていた黒い光が次々と、ボロリと消し炭のように崩れ落ちていった。リズが発する白い光に触れて、負けたというように。
それを見ていた神官が驚愕の声をあげた。振り向いたハデスが目を剥く。
「おい、リズ・ステファン! お前……黒い光はどうした!? なぜ、解放されている!? 確かに、捕らわれていたはずだぞ!」
「そうなんですが、取れました」
「……はあ!?」
上空で黒い光に何重にも巻き付かれ、もがいていた聖竜が、力尽きたように落下してくる。リズは慌てて落下地点に走り寄り、受け止めた。
そっと膝に抱いた聖竜の体から、黒い光を力任せに引きちぎる。
神官たちが衝撃を受けたように青ざめた。ハデスが有り得ないと言いたげに、蒼白な顔を左右に振る。
「何だ……一体、どうやって――?」
あえぐハデスの前でちょうど、黒い光が再びリズを捕らえようと、一斉に襲いかかってきた。だがその先端は、リズの体にふれるかふれないかの所で白くなり、全てが散りぢりに消えていく。
焦ったように次々と襲撃してくるが、結果は同じだ。
黒い光が悔しそうに、けれど為すすべがないというように、リズの周りでうごめいている。
「……すごい」
レベッカがぽかんと口を開けた。ハデスも神官たちも呆然とリズを見つめている。
ロイドだけがかすかに目を見張り、そして楽しそうに噴き出した。




