47 ミミズを出す方法
「レベッカ、そこを押さえててくれる?」
リズの言葉に、長身のレベッカがうなずいた。聖竜の背後から長い両手を回し、聖竜の口を大きく開ける。
「聖竜、ちょっと我慢してね。すぐ終わるから」
リズは聖竜の口の中へと、慎重に指を差し入れた。もちろん「グエッ」と、えずかせて吐き出させるためである。
聖竜が不安そうな顔から目を見張った瞬間、さらにのどの奥へと入れて、素早く抜いた――はずが。
「え?」
なぜかリズの指どころか、右手ごと聖竜ののど元へと吸い込まれていた。ちょうど聖竜の口から、リズの手が生えているように見える。
「ええ!?」
「きゃああ!」
気味悪い光景に、レベッカが悲鳴をあげた。リズも焦ったが、当の聖竜はケロリとした顔をしている。
(やっぱり、聖なる実から出てきたものは、ちょっと違うのか)
悲鳴をあげ続けるレベッカの前で、リズは力を込めて、リズの右手首まで飲み込んでいる聖竜を引きはがした。
「次は、吐き気薬というか催吐薬をもらいにいこう。強烈なやつを」
調合室では、薬師たちが薬草を干したり、すりつぶしたりと作業していた。事情を話すと、すぐに粉末状の薬を水に溶いてくれた。そして得意げな、確信に満ちた顔で渡してくれた。
「人間用だが、動物にも効く。まあ聖竜にはわからないが、猛獣にも効き目はあったから大丈夫だろう」
「ありがとうございます。聖竜、口を開けて」
器に入ったドロドロの緑色の薬を、一気に聖竜の口へと流し込む。
「待った、一口でいいんだ! 飲みすぎだ!」
薬師が大声で止めたが、もう遅い。聖竜は全て飲み干したところだ。
「グウッ……!」
聖竜の体内から聞いたこともない音がした。火山が火を噴く前触れのような、気味悪い音だ。
リズとレベッカは期待を込めて見守った。その後ろでは、薬師たちが急いで薬草や調合道具などを持って、壁際へと避難している。
「ゴウッ……!」
聖竜のもともと白い顔がさらに白くなり、両目が泳ぎ始めた。そして――。
何も起こらなかった。
白くなった聖竜の頬は、みるみるうちに血色を取り戻し、なぜなのか、すっきりしたような顔で「キュウ」と鳴いた。
「どうして!? 薬師さん、もっと強いのください。強烈なやつを!」
「いや、それが一番強力な薬だ! 巨大な猛獣でも、たった一口で、腹の中のものを吐き尽くしたのに……」
「さすが聖竜だな……」
「すげー」
薬師たちも青ざめて、目を見張っている。
方法がない。リズは聖竜に向き直った。
「聖竜の力で出せないの? グレースの聖なる実をやっつけた時みたいな力で」
小さくなった今は、ただのあざとい、食い意地の張った竜だが、大きかった時は圧倒されたほどだから。
言外の意味に気づき、聖竜はカチンときたようだ。「見てろ」というように、翼を広げて胸をそらせた。赤い目がカッと見開かれ、輝きを放つ。
「……!」
聖竜の体が白く光り、口を大きく開けた。――が、何も出ず、ただ苦しそうにゴホゴホと咳をし始めただけだった。
「……無理って事?」
情けなそうに、聖竜がうなだれた。
薬師の一人が口を開いた。
「そうだ! シーナさんなら、王都にはない種類の薬草を知っているかもしれません。隣の部屋にいるので聞いてきますね」
シーナがいるのか。胸が騒いだ。
駆け出していった薬師が、なぜか隣の部屋の前で唐突に立ち止まる。気になったリズは、薬師の背後から室内をのぞいた。そして目を見張った。
入口近くの天井から、乾燥した薬草の束が、たくさんぶら下がっている。そんな雑然とした広い室内の奥にはシーナと、そしてキーファの姿があった。
ぶら下がる薬草のせいで、こちらがよく見えないせいか、二人ともリズたちに気付いていない。
リズの心臓の鼓動が早くなった。
(なぜ二人きりでいるの?)
そして思い出した。キーファをシーナの相談役にと、宰相が言っていたという事を。
のどの奥が詰まったように、声が出てこない。リズは戸口から、じっと二人を見つめた。
キーファは笑みを浮かべてはいるが、疲れたような顔をしていた。侍女たちが言っていた、王宮内でのゴタゴタが響いているのか。
そして表情にこそ出していないが、遠目にもシーナに警戒しているのがわかった。リズはホッと息を吐いた。
そして、ひどく複雑な気持ちになった。安心した自分が情けないような、それは当たり前だろうと自分を正当化したいような。そして何より、そんな自分が嫌になるような。
シーナが口を開いた。
「お疲れのようですね。大丈夫ですか?」
優しい、本心からキーファを労わるような声音だった。
リズは目を見張った。不安がムクムクとわきあがってくる。
今までのシーナとは明らかに違う。今までは、やわやわしているのは表面だけで、一皮むけば違った。キーファと仲がいいのを人に見せつけたいという、我の強さが透けて見えた。
けれど今は違う。心から優しい、思いやりあふれる態度。これは、まるで――。
キーファも驚いたように目を見開いている。まるで目の前のものから、思っていたものとは違うものが出てきたというように。
リズは思わず両こぶしを握りしめた。
シーナがエミリアに見えない。セシルに見える。それも、凛とした強さを足したセシルに。
今までは外見はセシルでも、中身が違った。エミリアだった。でも今は、外見も中身も別人だ。
キーファの視線はシーナから離れない。離せないのだ。全くの別人だとわかった上で、それでも。
そんなキーファに、シーナが微笑みかける。驕りの色はどこにもない、慈愛あふれる聖女のような微笑み。
リズの指先から、血の気が引いて冷たくなっていった。
シーナはエミリアだ。証拠はなくとも、自分の「勘」を疑ってはいない。それでも目の前で、こんなシーナを見たら心が揺らぐ。
考えたくなかった事だ。もし今世にセシルがいたら? 外見も、そして中身も――優しくて思いやりがあって、謙虚で――そんなセシルのような女性がいたとしたら?
リズは「セシル」には、敵わない。
キーファが前世で、心から愛したセシルには――。
「リズ、どうしたの? 大丈夫?」
いつの間にか背後にいたレベッカに、声をかけられた。リズの顔が青ざめていたのだろう、心配そうに顔が曇る。
「大丈夫。何でもないよ」
リズは慌ててごまかした。今はレベッカの聖なるミミズを、聖竜の腹の中から助け出す事が先だ。自分を戒めるように、勢いよく首を左右に振った。
ふわふわして現実味のない両足を、懸命に前に出して、調合室へ戻る。その途中で、ふと思った。ユージンの事を考えなかったな、と。
今までキーファを見ると、自然とユージンを思い出したのに。それなのに、さっきはキーファの事だけで、ユージンの事は頭に浮かんでこなかった――。
「ギュウウッ!」
と変な声が聞こえてきて、ハッと我に返った。聖竜だ。
調合室の中央で、聖竜が何とかミミズを吐き出そうと、体をひねったり反り返ったりして頑張っていた。レベッカが涙ながらに応援する。
「聖竜ちゃん、頑張って!」
「ギュウウ……!」
それでも出てくる気配はない。
リズは大きく深呼吸した。そして、もう一度首を勢いよく左右に振りながら、髪をかきむしった。キーファとシーナの事を頭の中から追い出すためだ。今、自分がすべき事は、それではない。
(――こうなったら、聖竜のお腹を切り裂いて出すしかないんじゃない)
結論が出た。
「聖竜、お医者のところへ行こう」
「ギュ!?」
聖竜が固まった。
そこへ「何してるんだ?」とロイドが通りかかった。事情を説明すると、「ふーん」と首をひねる。
「そんなの腹を切り裂いて出せば、話は早いじゃん。聖なる竜なんだし、腹くらいなら大丈夫だろ」
「そうですよね。私も、そう思いました」
真剣な顔のリズと、おもしろそうな顔のロイドが、聖竜を見る。
「ギュウウ――!!」
聖竜が青ざめた。
「じゃあ、僕は行くよ。聖竜の腹の中を見られないのは残念だけど、仕事があるから」
仕事があるのか!? と驚くリズに、「何度も言うけど、本当にそれ失礼だから」とロイドが顔をしかめた。そしてリズの耳元に口を寄せてきた。
「内緒だぞ。第二神殿で何か変な気配がするって、現聖女様がおっしゃったんだよ。で、神官たちが総動員で探してる。まあ何を探せばいいのかもわからないから、雲をつかむような話ではあるけど」
そこで思い出した。
「そういえばロイドさん、さっき変な石を見つけたんですよ。真っ黒な石で、何と言うか嫌な感じのする――」
「どこでだ!?」
目を見張るロイドに、勢いよく肩をつかまれた。
ちょうど調合室に荷物を届けにきた下級神官に、ロイドが「すぐに神官長に伝えろ!」と叫んだ。下級神官があたふたと走っていく。
「リズ、行くぞ!」
ロイドが調合室を飛び出したので、リズも慌てて後を追った。
「奥庭だな!?」
「はい」
隣を走るロイドは、口を真一文字に横に結び、真剣な表情をしている。軽口を叩く余裕もないのか、ひたすら前を見て無言で走る。
そのすごみを感じるほどの真剣さに、リズは一抹の不安を感じた。
「神官長の言っていた事と関係ありますか? ……私の勘違いで、実はただの石かもしれません」
自分の勘を疑ってはいない。ただシーナの事や選定の事で、ちょっと自信を失ってしまっただけだ。
だがロイドはリズに視線をやることもなく、早口で答えてきた。
「リズの『勘』だろう? だったら大丈夫だろ」
まるで考える余裕もなく、つい心のままにしゃべったといった感じだ。
リズは驚いて、隣を走るロイドを見上げた。が、ロイドは自分が発した言葉の意味を反芻する余裕はないようだ。
「でもちょっと前に、シーナの事で、ロイドさんは私の勘を信じてなかったと言いましたよね?」
「ああ。あれは嘘だよ、嘘――」
そこまで言ったところで、ロイドはようやく我に返ったようだ。目を見開いてリズを見下ろすその顔には、明らかに「しまった」と描かれていた。
「……まあ、そっちの方がおもしろいしね」
一瞬ぽかんとした後で、リズの心にくすぐったい笑いが込み上げてきた。
「ロイドさんは、あれですね」
「あれ、って何だよ?」
「別に」
「別に、って何だよ?」
しつこくからんでくるのも、めずらしい。よっぽど後悔しているようだ。
リズはニヤリと笑った。
「余裕がなくなると本音がでる、って事ですよね」
「……」
ロイドが顔をしかめる。さらにめずらしい事に、悔しそうにそむけた顔は、ちょっと赤くなっているように見えた。




