44 メダル
それから数日後、「扉」探しで疲れたリズが食堂で昼食をとっていると、またもやシーナがやって来た。年配の侍女と一緒だ。
嫌がるそぶりのシーナを、年配の侍女が強引に連れてきた、そういうふうに見えた。
リズはスープをすすりながら、一応、足を引っ込めてみた。自衛の意味で。
だが残念ながら、意味はなかったようだ。年配の侍女が強い口調で言った。
「リズさん、シーナさんのメダルがなくなったそうです。国王様に謁見した時に頂いた、大切な金のメダルだそうで」
途端に、リズは思い当たった。思い当たって、さらにうんざりした。
ロイドがリズたちの村に、候補者であるエミリアを迎えに来た時と同じじゃないか。
シーナが細い声で訴えた。
「カバンの中に仕舞ってあったんですが、なくなっていて。必死に探したんですが、見つからないんです。それで必死に記憶を思い返してみたら、私の部屋から誰かが出て行くのを、ちらっと見た覚えがあるんです。
それが白い髪の人物でした。白い髪って、リズさんだけですよね……別に、リズさんを疑ってるわけではないんです! ただ国王様から頂いたメダルなので……」
それをリズと二人きりの時でなく、わざわざ人がたくさん集まる昼時の食堂で言う事に、そもそも悪意を感じる。皆、注目しているではないか。
「白い髪といえば、神官長もそうよね」
隣のテーブルで昼食をとっていたマノンが、しれっと言った。
「神官長様って……まあ白いっちゃ白いけど。でも半分ないよね」
と、向かいに座る候補者が噴き出した。
シーナの頬が、屈辱を受けたようにこわばる。
「でも、私は確かにリズさんを見たんです! 嘘じゃありません!」
「リズでなく、白い髪の人物を見たんでしょう? そう言ったわ」
事実を述べるマノンに、シーナの頬だけでなく顔全体がゆがんだ。年配の侍女がかばうように、シーナの前に出た。
「シーナさんが見たとおっしゃってるんですよ! リズさんが盗んだに違いありません!」
激昂する侍女たちに、食堂内がざわめく。
リズは大きく息を吐き、そしてシーナを見た。まばたきもせず、じっと赤い目で見つめ続ける。
「……何ですか?」
けげんそうに聞くシーナに、リズは「わかりました」と言った。
(何だろう?)
同じく食堂内で配膳していた若い侍女は、驚いてリズを見た。
若い侍女は数日前も食堂にいたが、リズがシーナにわざと足を引っかけて転ばせた、なんて信じていなかった。その場面を誰も見ていないし、神殿でずっと候補者たちの世話をしているのだ。候補者たちの性格は、全てではないがわかる。
特に目下の者に対する態度に、その者の性格が顕著に表れる事を、侍女は知っていた。神殿での立場はもちろん、候補者が上、侍女が下である。
リズは違う。確かに愛想はないが、横柄な態度は一度もされた事がない。侍女たちに対する言葉遣いも丁寧だし、何かしてやると、きちんとお礼の言葉を言ってくれる。
笑顔はなくとも、言葉の端々にこもる気持ちは伝わってくる。
もちろん、人を使い慣れた貴族と、平民との違いはあるだろう。しかし平民の中にも、候補者になれて勘違いしたのか、元々の性格なのか、侍女たちをあごで使ってきた者はいた。
(でも……)
でも、シーナもコロラドの聖女だ。コロラドでの行いと、普段の優しい微笑みと振舞いは知っている。
特にシーナをかばう年配の侍女なんて、コロラドの隣の地区出身だ。内戦の中、シーナに親戚を助けられたという。「本当に、聖女様のようだよ」と興奮して話していたのを聞いた。
シーナが嘘をつくなんて思えない。
つまりは、わからないのだ。
息を詰めてその場を見守っていると、リズが決心したように大きく息を吐いた。
「わかりました」
何がわかったというのか。侍女が不思議に思った時、心を決めたように、リズがの赤い目が輝きを放った。放ったように見えた。吸い込まれそうな色だ。どこまでも深い赤。
見とれていて、ふいに気付いた。室内なのに、リズのワンピースのそでが、すそが、風に揺らいでいる。
侍女は慌てて見回した。窓は開いているが、風なんて吹いていない。誰の髪も、服も風に吹かれてはいない。それなのに――。
リズの、ただでさえ白い頬が、さらに透きとおるように白くなった。まとう雰囲気が、いつものリズとは全く違う。
候補者たちが息を呑んだ。マノンも目を見開いてリズを見つめている。
「「何、これ。すごい……」」
侍女たちも魅入られたように、つぶやいた。彼女たちは魔力を持っていないが、神殿に勤めているのだ。神官たちの魔法は何度も目にしている。それでも魅入られるほどの神々しさだった。
皆の注目の中、リズの赤い唇がゆっくりと開いた。
「メダルは、シーナさんの部屋の中。鏡台の引き出しに入っています」
天啓のような言葉に、シーナがはっきりと動揺した。
侍女たちが騒然となった。
「シーナさんの部屋の中? シーナさんって、いつも部屋に必ず鍵をかけているわよね。病的なくらい几帳面に」
「そうよ、私も知ってる。その鍵も、肌身離さず持っているって……じゃあ、シーナさんが自分で置き忘れたって事?」
侍女たちの視線がシーナに突き刺さる。顔をこわばらせながらも否定しようとするシーナに、リズは淡々と言った。
「じゃあ今から確認しに行きましょう。私もついて行きますから」
「僕も一緒に行くよ。なんなら、ここにいる全員で行こうか?」
いつの間にいたのか、戸口から顔を出したロイドが楽しそうに笑っている。
騒然とする食堂内で、シーナが悔しそうに唇を噛みしめた。
(こんな顔もするんだ)
若い侍女は驚いた。いつもの穏やかで優しいシーナからかけはなれた、悪意ある表情だったから。
けげんな視線に気付いたのか、シーナが我に返ったように笑みを浮かべた。それでも、いつもの余裕ある表情からはほど遠い。
「……いえ、結構です。そう言われれば、引き出しにしまったような気がします。私の勘違いだったようですね。ご迷惑をおかけしました」
シーナが深く頭を下げた。
けれど侍女には見えた。シーナが両こぶしを強く強く握りしめているのを。爪が食い込んで、今にも血が流れるのではないかと思うくらい、きつく握りしめているのを。
ふう、と大きく息を吐いたリズを、ロイドが笑顔で手まねきしている。
「解決して良かったです。それじゃあ、私はこれで」
リズがスタスタと食堂を出て行った。
* * *
リズはロイドと一緒に、文書室へと向かった。
中に入ると、ロイドが座っていたであろう机には、書類がうず高く積まれていた。おかしい。
「けっこう前に見た時から、書類が減っている気がしませんが」
ロイドは書類仕事のため、残業していたはずだ。
「そう? 気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないです」
「――それより本題だけど」
ロイドが椅子に座り、机の上の書類の束を無造作に押しのけ、そこに頬づえをつきながら言った。
「エミリアのいた修道院へ行ってもらった神官が、先日戻ってきたんだ」
リズは身を乗り出した。
「そこの修道院長の返事は、手紙と同じく『エミリアは確かにここにいる』だってさ。他にも修道僧たちや、通いの下働きの者たちにも聞いてみたらしいけど、みんな答えは同じ。
で、実際にエミリアに会わせてくれと頼みこんだら、部屋ののぞき窓から見るだけならと、渋々了承したそうだよ。何でも罪の償いのために、エミリア自身が一人きりで修養したいと言っているそうで。
で、見てみたらしいんだけど」
ロイドに見つめられた。
「エミリア――らしき者がいた。遠目だし、頭に布のヴェールをかぶっていたから、はっきりと顔は見えなかった。でも疑っていなかったら信じるレベルには似ていた、ってさ。
これも、出発する前に僕が書いて見せた似顔絵のおかげだよね。まあ、でも、はっきりと姿を見せないって事は――」
「エミリアじゃない」
やはりエミリアは、あの修道院にはいない。
シーナだ。シーナになって、この神殿にいる――。
思わず体の震えるリズに、ロイドが感心したように言った。
「にしても、エミリアとシーナが同一人物って本当みたいだな。最初、リズに言われた時は半信半疑だったけど」
(は?)
「……ロイドさんは、私の『勘』を信じてくれたんじゃ?」
「ううん、全然」
「……」
「そっちの方が、おもしろそうだったから。まあ、結果として良かったから、いいんじゃない?」
最低だ。
冷たい目を向けるリズに、ロイドが真剣な顔つきに変わった。
「実はさ、神官長に頼み込んで書いてもらった紹介状も、一緒に持って行ってもらったんだ。それでも、そこの修道院長は、エミリアはいると言い切った。神官長相手に、ひいては神殿相手に嘘をついた。
それって、よっぽどばれない自信があるか、それとも、ばれても大丈夫なくらい大きな後ろ盾がついてるか、どっちかだろうな」
よほど大きな後ろ盾――。
「アイグナー公爵……だと思います」
「そりゃ、すげー。大物だ。でも、おそらく彼だけじゃない。それに一番は、エミリアの顔を変えた奴だよ。禁術が使える魔術師なんて一体……」
そこで、ふと気づいたように眉根を寄せた。
「そういえば、数日前に神官長から神官全員にお達しがあったんだ。神殿内で何か見つけたり、気付いたら、すぐに神官長に報告するようにって」
「何か、って何ですか?」
「さあ? 他の神官たちが問い詰めたけど、詳しくは教えてくれなかった。というより神官長自身も知らないんじゃないかな。そんな気がした」
「そうなんですか。ありがとうございます」
リズは大きく息を吐いた。ロイドが頬づえをついたまま聞いてきた。
「で、これからどうするんだ?」
「エミリアをつつきましょう。やぶの中には蛇がいるはずです」




