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43 ナスビとシーナ

 リズが食堂へ行くと、聖女候補者の一人であるマノンの姿があった。

 マノンはすでに朝食を食べ終えたようで、何やら皿からつまみながら、お茶をすすっている。


「おはよう、マノン。ねえ、それ何?」


 マノンの前にある皿には、しなびた黒っぽいものが山盛りになっていた。


「発酵させたナスビよ。私、これが大好きなの」

「へえ」


(そういえば現聖女様も、発酵させたナスビが大好物なんだっけ)


 以前、穴掘りをしていて地中から壺を見つけた。その時に侍女が、現聖女の大好物だと言っていた事を思い出した。


(マノンも一緒なんだ……)


 フォークでナスビをぶっ刺しては、幸せそうに口に運ぶマノンを見つめていると。


「リズも一緒に食べる? パンにのせて食べてもおいしいし、サラダに混ぜてもいいし、何ならハーブティーの中に沈めてもおいしいわよ。ハーブの香りがナスビについて、ちょっと変わった風味がするの。それに甘いデザートと一緒に食べても、酸味が効いているから個性的な味になって、なかなかいいわよ。まあ、そのまま食べるのが一番おいしいけど」

「……そうだろうね」


 どれだけナスビが好きなんだ。ちょっと、あきれた。


 前方のカウンターの方から、コンソメスープのいい匂いがただよってくる。リズもさっそく、配膳してくれる侍女から朝食を受け取り、マノンの向かいに座った。

 今日のメニューは丸パンと湯気をたてるコンソメスープ、数種類のハムに野菜サラダ、バターたっぷりのスクランブルエッグだ。


「おいしそう」


 リズの目が輝く。

 故郷の村では貧乏暮らしだったので、神殿へ来てからというもの、毎度の食事が楽しみでしょうがない。初めて口にする食材や、見た事もなかった料理もたくさんある。そのせいか、痩せぎすだった体に少し肉がついてきた。


(まあ、いいよね。こんな、おいしいものが食べられるんだから)


「キュ!」


 早くしろというように、テーブルの上で待機していた聖竜が鳴いた。

 聖竜の前にはリズと同じ一人前の料理が、ちゃんと用意されている。以前はリズの分を分けていたが、今では侍女たちが毎食用意していて、順番を取り合うように運んできてくれる。


 その理由はもちろん、聖竜のあざとい仕草だ。侍女が持ってきてくれれば「キュ」と甘えるように鳴き、小首をかしげてみせる。侍女たちは大満足だ。

 しかも聖竜仕様に肉多めの野菜少なめで、スープもちゃんと冷ましてある。まさに至れり尽くせりである。


「いただきます」

「キュウ!」


 リズと聖竜が並んで食べるのを眺めていたマノンが、笑った。


「リズと聖竜って似てるわね。がっつき方が同じ」


 失礼な。リズは遠慮なく顔をしかめた。聖竜も同じく不満そうな顔をしていたようで、マノンがさらに笑う。けれど笑っていても、ナスビを刺したフォークは離さない。こんなナスビ大好き人間に笑われたくない。


「そういえば黒ヒョウは? 一緒じゃないの?」と、リズは聞いた。


 マノンだけで、聖獣黒ヒョウの姿はどこにもない。


「部屋にいるわ。人間のように毎食なんて食べないもの。たしなむ程度よ。聖なる実から生まれた聖獣だし、本当の動物とは違う。食べなくても大丈夫なのよ」


 驚いた。そうなのか。


「聖竜は毎日三食、食べてるけど」


 おやつの時間も食べているし、それ以外にもリンゴやらパンやら、よくかぶりついている。


「だからなのね……」


 マノンが意味ありげに、ハムをぱくついている聖竜を見た。何を言いたいのかはわかる。「聖竜、丸々としてきたわよね」だ。

 ハッとして、リズは慌てて聖竜に手を伸ばした。これは禁句だ。たとえ言葉に出さずとも、雰囲気を感じ取った聖竜に、リズもロイドも蹴られたり髪を引っ張られたりと、色々攻撃された。


「ダメよ、聖竜(シロ)! ――あれ?」


 ぽかんとなった。聖竜がマノンを一瞥しただけで、すぐさま食事に戻ったからだ。


(何で?)


 そこへ、


「皆さん、おはようございます。気持ちの良い朝ですね」


 と、シーナが現れた。


「シーナさん! よく眠れましたか?」

「ええ、おかげさまでぐっすり。ありがとうございます」

「シーナさん、ここへ座りませんか? コロラドでのお話を聞きたいんです!」

「まあ、私のような者の話で良ければ。どれだけでもお付き合いいたします」

「私も聞きたい!」


 侍女たちから大人気だ。それも当然、シーナはコロラドの聖女という有名人なのだから。

 ついこの間、リズの前で見せた勝気な表情や雰囲気は、かけらもない。やわやわとしていて、人を包み込むように優しく、それでいて凛とした雰囲気をただよわせている。見事なほどに。


 リズの胸の奥に、じわりと嫌な感じがわき上がってきた。自分の「勘」を否定するつもりはない。ずっと信じて生きてきたのだから。

 それでもシーナが戦火の中、人々を無償で手厚く看護したという功績。それは事実だ。リズの知るエミリアとは、全くといっていいほど結びつかない。


 けれどシーナが本当にエミリアならば、リズにはとても許せない。ロイドが聖女候補としてエミリアを迎えに来た時に、冤罪をふっかけられた。下手したらリズは死刑になっていたし、エミリアは罪を償うはずの修道院から抜け出した事になる。

 それはまさに、ふざけんな! だ。


「どうかした?」


 リズのただならぬ様子に気付いたのか、マノンが眉根を寄せて聞いてきた。


「……別に。何でもないよ」

「そう?」


 その時、


「きゃあ! 嫌だ、私ったら何て事を!? 申し訳ありません!」


 一人の侍女が悲鳴のような声をあげた。彼女がティーポットに入っていたお茶をこぼし、シーナの服のそでにかかってしまったのだ。


 リズは息を呑んだ。

 故郷の村で、同じような事があったからだ。


 あれは村で行われる豊穣祭の時。

 普段、エミリアたち領主家の者が、リズたちのような領民と一緒に食事をする事はない。が、祭の時だけは別だ。

 村の広場で宴会をしていると、エミリアの父や祖父がお酒や珍しい食べ物を持ってきて同席する。そこに娘のエミリアもちらりと顔を出すのだ。もっとも「本当は嫌だが、お父様が言うから仕方なく来てやったのだ」と顔に描いてあるが。


 その時、お酒をついで回っていた村の女性が、エミリアの着ているドレスにお酒をこぼしてしまった事があった。

 エミリアの顔色がはっきりと変わった。普段からわがままで横暴なエミリアだから、当の女性はかわいそうなほど青ざめた。泣きそうな顔で、地面に頭をすりつけて謝っていた。


 その時は祭の席だからとなだめられ、エミリアは怖ろしいほど怒りに顔を引きつらせてはいたものの、何もなく終わった。


 だが後日、その女性の幼い息子の姿が消えた。女性は半狂乱で、村人たちも総出で捜したが見つからなかった。村人の多くは誰のしわざか知っていた。その女性も知っていただろう。それでも領主家には逆らえない。


 エミリアはそういう事をする。人の弱みを見つけて、そこを的確に突く。

 そういう事ができる人間だと、リズは知っている。



 だから今も、リズはお茶をこぼした侍女をかばおうと、とっさに立ち上がった。ところが――。


「構いません。私の方こそ邪魔な位置に立っていたようで、申し訳ないです」


 シーナが頭を下げた。リズは驚いて、テーブルに両手をついた状態で固まった。

 侍女も驚いたようで。


「とんでもありません! すぐに拭きますから!」

「本当に大丈夫ですよ。実を言うと、ちょっと暑いなと思っていたんです。だから涼しくなって、ちょうどいいですわ」


 罪悪感を感じている侍女をはげますように、やわらかな笑みを浮かべる。さらに「お気になさらず」と優しい口調で告げる姿は、全身全霊で祈りたくなる「聖女」そのものだった。

 愕然とするリズの前で、


「シーナさん……!」


 侍女が感極まったように目をうるませる。


「何て優しいの。やだ、泣きそうになっちゃった」

「ねっ。すごいわよね。あれぞ、まさに『聖女様』だわ」


 他の侍女たちも、うっとりとした口調で話している。


「『あれぞ、聖女』ね――。あんな人が神殿にいて、しかも次期聖女候補者じゃないんだから、私たち候補者は肩身が狭いわね」


 マノンが苦笑した。続けて、ひとりごとのようにつぶやいた。


「そのうち、シーナこそ次期聖女にふさわしい、と言ってくる人たちが出てくるかもね」

「そんな……」


 リズはテーブルについた両こぶしを握りしめた。

 侍女たちの陶酔するような視線の中、シーナがこちらに歩いてきた。リズには視線もよこさない。それでもリズの真横を通り抜ける途中で、


「きゃあ!」


 シーナが小さな悲鳴をあげて、突然、床に転んだ。リズは驚いた。聖竜もだ。かじっていた丸パンが半分口から出た状態で、「キュ……」と固まっている。


「イタタ……」

「シーナさん、大丈夫ですか! どうされたんですか!?」


 侍女たちが急いで駆け寄ってきた。シーナが右足をさすりながら、情けなさそうな顔で微笑んだ。


「大丈夫です。何かにつまずいてしまったみたいで。恥ずかしいんですけど」

「つまずいたって、テーブルの足に……ですか?」

「いえ、そういうものではありませんでした。何でしょう? もっと、やわらかいものというか……そう、人の足のような……!」


 必然的に、すぐ真横にいたリズに、一斉に視線が集まった。リズの胸の奥に、じわっと嫌な気持ちが広がった。

 だって、これではまるで、リズが足を引っかけてシーナを転ばせたようじゃないか。たとえ、わざとでなくても。


 そんな子供のいたずらのような事はしないと笑い飛ばしたいが、そんな雰囲気ではない。


「私は何もしてません」


 淡々と冷静に否定するリズの言葉にかぶせるように、シーナが大声を出した。


「ごめんなさい、きっと私の勘違いです! 人の足なんかではありませんでした。そう、テーブルの足でしたわ! 確かに、そうでした。間違えてしまってごめんなさい……!」


 焦ったように言い、弱々しく微笑む。そして、まるでリズを恐れるように、二、三歩後ずさり、侍女の背後に隠れた。


(これは……)


 まるで、シーナがリズをかばっているようにしか聞こえない。

 侍女たちの冷たい視線が、リズに突き刺さった。

 弱々しく見えるシーナと、ふてぶてしいリズとでは、明らかに不利だ。リズは息を吐いて、顔をしかめた。


読んでいただき、ありがとうございます!

活動報告にも書かせてもらいましたが、6月にアリアンローズ様より書籍化いたします。よろしくお願いします。

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