40 修道院からの返事
シーナがエミリアだとすると神殿へ来た目的は何か。次期聖女候補の座がどうしてもあきらめきれず、何とかして選定に近付く方法を探っているのだろうか? それとも全く違う目的なのか? そもそも、なぜセシルの顔をしている?
(わからない)
髪をかきむしりたい衝動にかられながら、昼食を終えたリズは廊下の角を曲がった。すると、まさにキーファがリズの部屋の前に立ち、ドアをノックしようとしているところだった。
思わず足が止まってしまった。なぜかと自問している途中で、気配を察したのか、キーファがノックする手を止めてこちらに顔を向ける。
目が合った。
途端にキーファの顔が曇った。どこか敬遠されている事を瞬時に悟ったようで、自分を責めるかのように頬に影が差す。
(ダメだ)
リズは自分を戒めた。このモヤモヤする感情は自分の心持ち一つであって、キーファのせいではないのだから。
「どうぞ、入って」
部屋の中にキーファが足を踏み入れた時、ベッドの上の聖竜が「キュウー!」と激しく鳴いた。
「……ひょっとして寝言なのか?」
聖竜は口をぽっかりと開けてベッドの真ん中で昼寝の最中だ。大の字に翼を広げ、何度口を閉じてやっても、しばらくするとまた開いてくる。動物好きの王太子が微笑んだ。
「少し丸くなった気がするな」
やはりか。
「だが丸い聖竜もかわいい」
頭を蹴られる人と蹴られない人の間にある確かな差を、リズは一瞬で理解した。
ソファーに腰を下ろしたキーファが固い口調で言った。
「驚くと思うが――シーナの身元は確かだった。赤ん坊の時からコロラドへ出向くまでずっと修道院にいたと院長や他の者たちが証言したそうだ。シーナが育ったブライド修道院は施療院も兼ねていて、彼女の治癒魔法や薬草や看護の知識はそこで身に着けたと。そしてシーナの似顔絵を見せたところ、確かにシーナ・ブライドだと確認された」
そんな……。セシルの顔をしたシーナが実在の人物だというのか。
ショックを受けるリズの前で、小さなテーブルをはさんで、キーファも納得できないように眉を寄せている。
リズは膝の上の両手を強く握りしめた。でも、それでも――。
「前に、私には不思議な力があると言ったよね? それによるものなんだけど、シーナはセシルに顔を変えた別人だと思う」
キーファが頭を何か固いもので殴られたような顔になった。
「顔を変えた? そんな事どうやって……」
「それは、まだわからない」
「別人とは誰なんだ? 心当たりがあるのか?」
「その人物に確信も、まだないの。その人はセシルを知らないはずだし。今、ロイドさんに調べてもらっているところだから、詳しい事は返事をもらってから伝える」
「――なぜ、俺じゃなくロイドなんだ?」
てっきりシーナの件について質問されると思っていたので、リズは反応が遅れた。
そしてキーファもまた自分が発した言葉に驚いているようだった。呆気に取られたように目を見張り、そして気まずそうに視線をそらせる。
「その別人を実際に知っているのは、ここではロイドさんだけだから――」
「ああ、わかっている。すまない」
リズの言葉におおいかぶせるような早口の口調は、こんな重大な時に無意識にだが私事を持ち込んでしまった自分への苛立ちと、思いがけない自分の気持ちの激しさに戸惑うような響きがこもっていた。
気まずい空気が流れる。
やがてキーファが低い声で言った。
「セシルの顔に変えたという事は、その別人はセシルを知っている事になる。五百年前だぞ。どういう事だ?」
「わからない」
リズは首を横に振った。まだ、わからない事だらけなのだ。エミリアがセシルの事を知っているとは思えない。長年、故郷の村で一緒だったけれど、エミリアに前世の何かを感じた事は一度もないからだ。
そう、エミリアよりはむしろ――。
「アイグナー公爵か?」
リズの考えを読み取ったかのように、キーファが鋭くつぶやいた。
「以前、言っていたな。アイグナー公爵を目の前にした時、前世の光景が見えたと」
リズは再び、うなずいた。
眉を寄せたキーファが考え込むように口元を片手でおおった。
「公爵がハワード家の事を詳しく調べさせていたのは確かだ。だが、どれだけ調べてもアイグナー家とハワード家との間に接点は見つからなかった。だがもし公爵が前世でセシルと関わりがあった人物だったとしたら、ハワード家を調べていた説明もつく――」
まわりの温度が急激に下がったような感じがした。
証拠は何もない。シーナがエミリアと同一人物という事すらもまだ確実ではないが、それでもゾクリと背筋に冷たいものが走った。
まるで蜘蛛の巣だ。前に見えた蜘蛛の巣のイメージが再び眼前に現れた。一人きりで糸に絡めとられて身動きできない。逃げられない――。
思わず身震いする中、キーファがぽつりとつぶやいた。
「リズがいてくれて良かったよ。リズがセシルの生まれ変わりだと知らなかったら、セシルの顔をしたシーナを目の前にして平静でいられた自信がない」
リズは、まじまじとキーファを見つめた。自嘲するように口元をゆがめたキーファは、とても寂しげに見える。
けれどロイド同様、普通は有り得ないと思われるリズの「勘」を信じてくれていることはわかった。シーナが実在の人物だと確認されても、変わりなく。
前世のユージンと同じように、キーファもまたリズを心から信頼してくれている。
温かいものがグッとのど元に込み上げてきて「一緒だね」と、リズは小さな声で言った。
「何が?」
「考え込む時に視線が右下に流れるの。前世のユージンと一緒だ」
「……知らなかった」
驚きに目を見開くキーファに、小さく微笑む。
「私も、ちゃんとわかってるよ」
一緒に真相を探ろうとしてくれているキーファの誠意を。前世のセシルに、そして今もまたリズに寄せてくれている誠実さを。ちゃんと知っている。
「――そうか」
固く張り詰めていたキーファの目元が、ゆっくりとゆるんだ。
「結論を言う。エミリアはずっと修道院にいる」
待ちわびたロイドの返答はこうだった。
そんなバカな。薄暗い文書室で燭台を間にはさんで、リズは愕然とした。
「エミリアを預かっている修道院長に手紙を出して、その返事が届いた。
『エミリアは確かにここにいる。たまに不満そうな顔を見せる事はあるが毎日きちんとお勤めを果たしている。更生の日は近そうだ。コロラド地方どころか今まで修道院の敷地を出たこともない』との事だ。
残念だけど今回は勘が外れたのかもな。シーナはエミリアじゃない」
足元がガラガラと音を立てて崩れていくような気がした。
勘が外れた? そんな……。
真っ白になる頭で、それでも歯を食いしばり考える。ともすれば呆然となる中、必死で脳を振りしぼると何かが片隅に引っかかった気がした。
(手紙……)
そうだ、手紙だ。
もちろん修道院長が嘘をつく理由はない。けれど前世のセシルとユージンは、ハワード家の執事が書かせた嘘の手紙に騙されたのだ。あの時少しでも疑っていれば前世は変わっていたかもしれない。
真相を知ったあの時、もう二度と同じ間違いはしないと決めた。
リズは身を乗り出した。
「それって手紙のやり取りだけですよね? 実際に会って聞いたんじゃないんですよね?」
「そうだけど」
リズの言いたい事がわかったらしく、ロイドが顔をしかめた。
「まさか手紙が嘘だっていうのか? 疑い過ぎだろ。ちゃんと修道院長の印鑑も押されているし、だいたい修道院長が嘘をつく理由がない」
「それはわかってます」
どうしても引かないリズに、やがてロイドがため息をついた。
「わかった。明日そっち方面に向かう神官がいたはずだから、修道院に寄って実際にエミリアがいるか確認してきてもらうよ。でも時間がかかるぞ」
「ありがとうございます。でも、なるべく早くお願いします」
マジか、と言いたげにロイドの顔がゆがむ。
「――全く、ただでさえ冷たくて無愛想な性格なのに、さらに疑り深くなってきたなんて最悪だろ。聖女候補としてどうなんだよ?」
ひとり言でさえどうかと思う文句を面と向かって、しかも顔をしかめながら心底嫌そうに言われたので、リズは無視して文書室を出た。
* * *
エミリア・カーフェンは窓辺に腰を下ろし、神殿内の緑あふれる中庭を眺めていた。
たっぷりと陽光が差す広い芝生は、かつて過ごした屋敷の前庭とどこか似通っている。
(思い出すわ)
――「エミリア、君を迎えに来た。アイグナー家の当主が、ぜひ君に会いたがっているんだ」
アイグナー公爵の使いだという男に連れられ修道院を出たエミリアは、アストリア国東部ザック地方の山間にある、人里離れた屋敷へと向かった。公爵の別邸の一つだというが、その広さにも関わらず使用人はほとんどいなかった。
豪華な居間に通されたエミリアは、初めて公爵と向かい合った。
「初めまして、エミリア。私は君の事を良く知っているよ」
にこやかな笑顔だが、エミリアには疑問しかない。
「なぜ私を――?」
「君は知っているかい? リズ・ステファンだが、何と次期聖女の有力候補にまでのし上がったようだ。それに、キーファ殿下がリズに多大な興味を持っているとの情報もある」
(嘘よ……)
体中の血液が一気に足元まで下がった後で、怒りと悔しさで体中の血管から血を噴きそうになった。
「全く、おかしな事が起こったものだ。本来なら今、神殿にいるのは君だったはずなのに。聖女候補の座も、もしかしたら王太子妃の座も、君が手に入れていたはずのものをリズは全て奪っていった」
その通りだ。体のわきで両手をきつく握りしめる。
リズが今、手に入れているものは全てエミリアのものなのに。
憤怒に震えるエミリアを見て、公爵が満足げに小さく笑った。
「そこで提案だが、私の言う通りに行動すれば本来の君のものをリズから取り返せるだろう。さすがに、この国の次期聖女にするのは無理だが、違う形で聖女と呼ばれ敬われる事は可能だよ。
リズは次期聖女候補から外してやればいい。簡単な事だ。そうすれば元のみじめな村娘として生きていくしかないのだから。そして――」
公爵が小さく笑いかけてきた。
「そして君は王太子妃にもなれる。キーファ殿下と結婚し、ゆくゆくはこの国の王妃だ。どうかな?」
エミリアは呆然となった。だって、まるで夢物語ではないか。
元より異存などあるはずもないが、リズを見返してやれる事に、エミリアの心は躍った。
そのためなら何でもする。あの全てを奪っていった憎いアルビノ娘を再起不能にできるのなら、エミリアは魂だって売り渡す。
燃えるような色を黒い目に宿すエミリアを、公爵が満足そうに見つめた。
「では、まず治癒魔法の開花、そして薬草の知識を頭に叩きこんでもらおう」




