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39 シーナは誰?

「キュウ」


 聖竜がご機嫌でリズの頭上を旋回している。

 シーナは何だ? 歩きながらリズは考えていた。


 昨日あれからキーファに腕をつかまれたまま黙々と廊下を歩き、人気(ひとけ)のない食物庫の前でようやく「すまない」と解放された。

 キーファの目元は苦悩しているようにシワが寄っていた。頬も引きつり顔色も悪い。けれどそんな苦しそうな表情で、こう言った。


「シーナ・ブライドの正体を突き止めよう。セシルに生き写しの女性が今、俺たちの前に現れるなんて偶然じゃない」


 もちろんだとリズはうなずいたが、キーファが冷静な事が何より嬉しかった。救われた気がした。

 安堵のあまり不覚にも涙ぐみそうになり、慌てて下を向く。


 ――うつむいたまま決してばれないようにと必死の表情で両目を開き続けて耐えるリズを、キーファが心底自分が情けないという顔で奥歯をきつく噛みしめて見つめていた。



「キュ」

聖竜(シロ)、ちょっと待ってよ」


 多少丸くなっても飛ぶ速さは変わらない。さすが聖なる竜だと感心したその時


「お散歩ですか?」


 まさにシーナに話しかけられ、リズは足を止めた。


「いえ、選定の一環です。まあ散歩みたいなものかもしれないですけど」

「リズさんも候補者ですものね。しかも有力だと聞きました。すごいですね。魔力持ちでなくても候補になれるんですね」


 トゲがあるように感じるのは気のせいか? いぶかしく感じたが表情に出さないように「そうみたいですね」と淡々と答える。


「最初からリズさんが候補者だったんですか? それとも誰かの代わりで?」

「――最初から候補者でしたよ」


 心の片隅に引っかかるものがあり、その心のままに嘘をついてみると、一瞬シーナの顔から笑みが消えた。怒ったように口元がゆがむ。


(見覚えがある気がする)


 この顔ではなく、この表情に。


 見極めようとするリズの視線に気付いたのか、シーナがハッとしたように元のにこやかな笑顔に戻った。


「そういえば、キーファ殿下は本当に素晴らしい方ですね。昨日も夜に偶然お会いしたんですが、私に優しい言葉をかけてくださったんです」

「そうですか」


「気のせいかもしれないですけど、私を見てまぶしそうに目を細めたり、じっと一途に見つめられたりするんです。もしかして私の顔に何かついてるんじゃないのかな、と思ったら恥ずかしくなってしまって」

「何かついてたんじゃないですか」


「……でも二人でお話している時も、殿下が私から視線をそらす事や目を合わせてくれない事がたびたびあって、そんな時、殿下のお顔が赤くなっているんです」

「暑かったのかもしれないですね」


「……殿下は照れているのだと周りにいた神官様たちは皆そう言ってました。一目瞭然だと」

「神官って意外にノリが良いですからね」


 もちろんロイドさんも含めて、と続けようとしたところ、我慢が沸点を超えたというようにシーナの口元が再びゆがんだ。

 燃えるようににらみつけてくる黒い目には、自分の思う通りに進まない苛立ちと、わかってとぼけているリズに対する憤怒の色が浮かんでいる。


(確かに見覚えがある)


 心臓の鼓動が耳元で直接聞こえるくらい早くなった。


(……エミリア様?)


 故郷の村でリズを陥れようとしたカーフェン家の令嬢、エミリア・カーフェンと同じ笑い方だ。

 そう思った瞬間、目の前のシーナの顔が波打つようにゆがみ出した。セシルと同じ顔が消えていく。そして現れたのは――。


(……!?)


 エミリアだった。ついさっきまでシーナがいた場所に、シーナと同じ看護人の赤い服を着たエミリアが笑みを浮かべていた。まるで顔だけ変わったように。


 リズは息を呑んだ。有り得ない。何だ、これは。


 その瞬間、我に返った。飛び回る聖竜を眺めるシーナは、元のおだやかなセシルの顔をしていた。エミリアの面影はどこにもない。


(何、今の?)


 汗のにじんだ手のひらを、ばれないように質素なスカートにゴシゴシとこすり付けた。


 何かというのは、もちろんわかっている。リズの「勘」だ。ただ、あまりにも突拍子もない事だから信じがたいだけで。


 ――シーナはエミリア様という事?


(嘘でしょう?)


 思わず笑いそうになってしまった。

 エミリアはコロラド地方からもこの王都からも、遠く離れた修道院に預けられたと聞いている。元々魔力持ちではあるが治癒魔法が使えるなんて聞いた事がなかったし、薬草の知識もなかった。


 それに、そもそも「コロラドの聖女」のような、貧民たちを無償で救うようなそんな見上げた性格ではなかった。下手したら殺されていたリズが一番よくわかっている。

 顔や姿形を替える魔術なんて聞いた事もないし、そもそもエミリアが五百年前のセシルの顔を知るわけがない。


 けれど


(――確かめないと)


 赤い目に力を込めて、リズはうなずいた。




 外はすでに薄暗い。


 目当ての人は文書室にいた。書類の束がうず高く積まれた机に、渋々といった感じで向かっている。手燭(てしょく)に照らされた後頭部の一部の髪が、なぜかグシャグシャになっていた。


 リズは背後から声をかけた。


「ずっと仕事をさぼっていたから、一人きりで残業を命じられたんですか?」


 ロイドが振り返って目を見張った。


「どうしてわかったんだ?」


 当たりか。

 リズはロイドの前に回り込んだ。


「ロイドさん、今から突拍子もない事を言いますけど聞いてくれますか?」

「今さらだよね。リズはいつも突拍子もない事を言ってると思うけど」


 仕返しなのか、ロイドが鼻で笑う。


「シーナはエミリア様だと思うんです」


 さすがにロイドの顔から笑みが消えた。まじまじとリズを見て、そして考え込むように机に頬づえをついて息をつく。

 それでも「何をバカな事を言ってるんだ?」とは言わなかった。


「エミリアって、故郷の村でリズを陥れようとしたあのお嬢様だよな? もしその通りだとしたら顔形を変えた事になるぞ。そんな魔術は聞いた事がないし、もしあったとしても禁術だ。使える者は限られてくる。それこそ現聖女様レベルじゃないと」

「わかってます」


「しかも彼女は確か国の北西部にある修道院に預けられたんじゃなかったか? コロラド地方とはずいぶん離れてる。それに何より、戦地で見知らぬ貧民を無償で助けるような性格じゃなかっただろう」

「わかってます」 


「シーナ」と「エミリア」が同一人物なら、もしかして「コロラドの聖女」と「シーナ」の方が別人なのか、とも考えた。「コロラドの聖女」は他にいて「シーナ」がコロラドの聖女の名を(かた)っているだけだろうか、と。それなら、とりあえず性格の件は納得がいく。


 だがそこまで考えて、いや有り得ないと思い直した。シーナは「コロラドの聖女」として王宮で国王様や重臣たちに謁見したのだ。偽者だとしたらそれこそ大事だし、そこには神官長やお付きの神官たちも参列していたのだから。


 やはり「コロラドの聖女」は「シーナ」であり、そして「エミリア」なのだ。


 リズの赤い目が思い詰めたように、ろうそくの明かりで揺れる。

 ロイドが低い声で聞いてきた。


「それは『勘』か?」


 リズはうなずいた。


「わかった」ロイドが大きく息を吐いた。

「エミリアが預けられた修道院に、今もエミリアがいるか聞いてみるよ」


 信じてくれた。両手をぎゅっと強く握りしめる。


「いいね。リズがいると退屈しない」


 ロイドが楽しそうに笑った。そして不意に笑いを引っ込め真剣な顔になった。


「あとさ、前から言おうと思ってたんだけど」

「はい」

「聖竜、丸くなってきてないか?」


 やはりか。


「まあ少しは。でもそんな態度を見せると怒ってきますよ。髪の毛を痛いほど引っ張られたり、頭を蹴られたりします」

「あれは少しじゃないだろ。それに、もう蹴られた」


 ロイドの後頭部の髪がグシャグシャなのは、そのせいだったのかと理解した。


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