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38 リズの気持ちと王太子

「セシル? まさか、そんな……」


 視線はシーナに吸い付けられたままキーファがあえぐように口を開いた。


「いや、そんなわけない。リズはここにいる。君は誰だ?」


 まるで熱に浮かされたような様子のキーファを、その場にいる全員がぽかんと見つめてる。確かに普通に聞いたらキーファはおかしな事をしゃべっている。


「彼女はコロラドの聖女ですよ、殿下。シーナ・ブライドです」


 見かねた神官が再確認のように説明するも


「そんな事はわかっている。彼女は誰だ! なぜ、ここにいるんだ!?」


 果たして殿下は大丈夫なのかという微妙な空気がただよう。


「リズ!」キーファがぐるんと勢い良く振り返った。

「話がある」


 もちろんだ。



 廊下の突き当たりで向かい合ったキーファの顔は、青ざめるを通り越して青白くなっていた。それなのに目が血走っている。よほど衝撃を受けたようだ。


(そりゃ、そうだよね)


 ますます気持ちが重くなった。


「彼女は誰なんだ? なぜセシルと同じ顔をしているんだ?」

「……わからない。セシルの親戚筋の子孫というわけでもなさそうだし。可能性としては、他人の空似とか?」

「そんなの有り得ないだろう!」


 もちろんだ。


「お話し中、失礼します」


 背後から声をかけられ、ものすごく驚いた。恐る恐る振り向き絶句する。

 そこには笑顔のシーナがいた。


 たとえ相手が庶民のリズであったとしても、王太子の私的な会話に入り込んでくる者など今までいなかった。それなのにシーナは全く悪びれる様子も遠慮するふうもなくニコニコと笑みを浮かべている。


「お二人で内緒話ですか? 仲が良いんですね」

「……そんな事は」


 ないですけど、とリズがかすれた声で答えようとすると、それをさえぎるようにキーファが「何か用か?」と低い声を発した。戸惑うあまり必要以上に固い声になってしまったというように。


 シーナの顔が悲しそうに曇った。


「ごあいさつが途中だったので……。でも、お邪魔だったようですね。申し訳ありません」


 目を伏せてうつむく姿は、内気で控えめだったセシルを彷彿(ほうふつ)とさせた。


 キーファが息を呑んだのがわかった。同時に、吸い寄せられるようにシーナを一心に見つめているのも。ずっと会いたくてたまらなかった人が、そのままの姿で目の前にいるのだ。(あらが)いたいのに抗えない。そんな感じで。


 リズの胸の内がざわめいた。

 違う、その人はセシルじゃない。セシルは私であって、その人じゃない。訴えたいがそんな事できない。


 シーナがキーファに一歩近づき、ゆっくりと見上げた。


「私、ずっとキーファ殿下にお会いしたかったんです。本当です。ウワサですがお仕事ぶりをずっと尊敬していて、だから殿下が公務でコロラド地方に何度も来られた時も実際にお会いできると思って楽しみにしていたんです。

 でもなかなかタイミングが合わずに会えなくて……。だから今日は本当に嬉しいです。幸せです」


 こんな事をセシルの顔で言われて、キーファが嬉しくないはずがない。


 無邪気な笑みを浮かべるシーナの前で、キーファが再び固まっている。どうしていいのかわからないのだろう。理性ではこれはセシルでないとわかっているのに本能が邪魔をする、必死に戦っている。その様子がうかがえて、リズはつらくなった。


 リズとしての人生を生きると決めた。生まれ変わった事に悔いはない。

 けれど今初めて、なぜ自分はもうセシルじゃないんだろうと思った。なぜもう、キーファとユージンがずっと想い続けてくれた恋人じゃないんだろう。

 胸が張り裂けそうに痛くなり、そんな自分に驚いた。


 だってこの痛みを知っている。前世でユージンと出会ってから何度も感じたものだ。

 行き違いで連絡がとれなかったり、他の女性と楽しそうに話しているのを見た時、この胸の痛みに襲われた。そしてハワード家へ行ってしまい、グルド家のお嬢様と結婚すると知らされた時はもっと――。


(……まさか。そんなはずない)


 とっさに全力で否定した。

 相手は王太子だ。前世は恋人でも、今世は全くの別人同士。ただ前世でずっと好きだった相手で、そしてシーナが前世の自分と全く同じ顔をしているから、ちょっとモヤモヤするだけだ。それだけだ。


「きゃあ!」


 不意にシーナの小さな悲鳴が聞こえた。

 納得できない気持ちを半ば抑えつけるようにして顔を上げると、ちょうどシーナがキーファに正面から倒れかかり、キーファが反射的に抱きとめたところだった。


「ごめんなさい。よろけてしまって」


 おずおずと謝るシーナがキーファの胸に手をそえたまま顔をあげ、キーファの視線と絡み合う。キーファが急いでシーナの両肩を持ち、体を離そうとしたところ


「待ってください。髪の毛が殿下のボタンに絡まってしまって……」


 そのままの体勢でキーファの胸元についたボタンを探り始める。どうする事もできず、両手を宙に浮かして耐えるように突っ立つキーファ。


(ちょっとタイミングが良すぎない?)


 倒れこんだだけで髪の毛が相手のボタンに絡まるものなのか? まるで小姑みたいな事を考えてしまった自分が嫌になった。けれどシーナの背中で隠されているので、本当に髪の毛が絡まっているのかリズの方からは見えない。


 長い時間が経ったように思えた。モヤモヤがイライラにかわり、どうして自分がイライラするんだと、その理由を認めたくなくてさらにイライラしてきた時、やっと「取れました」とシーナが身を起こした。


「申し訳ありませんでした」


 恥ずかしそうに笑うシーナを、記憶の底にある大事なものと重ね合わせるようにキーファが目元を赤くして見下ろす。


 リズは両手を強く握りしめた。

 このまなざしを、表情を知っている。前世で自分に向けられていたものだ。途端に体の奥底に何か重いものが詰まったような気分になった。


(――嫌だ。これ以上、この二人を見ていたくない)


 強い感情がわき上がり


「あの!」


 気が付くと声を発していた。

 キーファがハッと我に返ったように青ざめてリズを見た。まるで惑う自分自身を叱責するように端正な顔がゆがむ。


(そんな顔しないでよ)


 リズは顔をそむけた。キーファが悪いわけではないし、シーナが悪いわけでもない。キーファがシーナにどんな表情を向けようと、リズに何か言う資格なんてない事も充分わかっている。

 ただ、ぶつけようのない悔しさと、みじめな敗北感がごちゃ混ぜになって心のやわらかい部分をチクチクと刺してくるのが嫌でたまらないだけだ。


「あの、それじゃあ私はこれで。失礼します」


 これ以上ここにいると本来の自分じゃなくなりそうで、急いで身をひるがえした。


「はい。さようなら」シーナが無邪気な笑顔で手を振り、嬉しそうにキーファを見上げた。これで二人きりですね、と言うように。


 心の内が締め付けられるように痛くなる。それを無理やり心の片隅に追いやり、足に力を込めて一歩踏み出した。

 その時、リズの左腕が後ろへと引っ張られた。そのまま強い力で引き寄せられ、次の瞬間リズは肩含め腕ごとキーファにしっかりと抱きとめられていた。キーファの体の感触と温もりがそのまま伝わってくる。


 驚いて振りあおぐと、頭の上にキーファの顔があった。焦げ茶色の髪の毛がリズの頬にふれそうなくらい近い。形の良い唇を引き結び、同じ色のまつ毛がかすかに震えている。


「何?」と驚きすぎてリズは逆に冷静な声が出た。


 何しろ近いのだ。間近過ぎて落ち着かない。とりあえず少しでも距離をとろうと思い離れようとするが、キーファにがっちりと抱え込まれているので身動きできない。


「ちょっと放し――」

「どうして一人で行こうとするんだ」


 固い声だった。誤解しているリズに対して傷ついたような、そして誤解させてしまった自分自身に対して怒っているような、そんな表情をしている。

 まっすぐリズだけを見つめてくる目には懇願するような色さえ浮かんでいた。


 返答を考えているリズの腕を抱え込んだままのキーファが、充血した目でシーナを見た。


「丁寧なあいさつをありがとう。こちらこそ王宮や神殿の者たちともども、よろしく頼む。では、俺たちはこれで」


 表情こそ硬いものの、きっぱりとした意志のこもった言い方に、シーナの頬にサッと影が差す。


「行こう」


 キーファに腕を取られたまま、リズは半ば連れ去られるようにその場を後にした。


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