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37 コロラドの聖女

「リズ知ってる? 『コロラドの聖女』がこの神殿に来るんだって!」


 廊下で、上気した頬の候補者に話しかけられたのは、どんよりした曇り空が広がる昼下がりの事だった。

 アナが選定から外れたので、候補者はリズとマノンともう二人の計四人になった。その二人の内の一人にである。


「コロラドの……ああ、紛争地帯で負傷した人たちの手当てをして救った女性の事ね」


 すごい人だと感心した事を思い出す。その女性が神殿に来る?


「コロラドでの行いを認められて国王様に謁見した時に、神殿にあがりたいと自ら申し出たそうよ。国王様が神殿側に頼んで、今回は特例だって。神殿の看護人という名目で選定には関わらないという条件付きらしいけど」

「へえ」


「すごいわよね。たまたまコロラド地方を訪れていた修道女らしいわよ。名前とか詳しい事はわからないけど、二十歳くらいで黒髪黒目の魔力持ちですって!」

「へえ」


 興奮した様子の候補者はリズの薄い反応が不満だったのか、そばを通りかかった侍女を見つけるやいなや「ねえ知ってます!?」と駆け出して行った。


 その様子をなにげなく眺めていると、肩の上の聖竜にくちばしで髪の毛を引っ張られた。

 賄賂(わいろ)という名の食べ物を要求しているのだ。リズは渋々、小さく小さく切ったリンゴをやった。あげないと扉探しに付き合ってくれないが、パンや鶏肉など食べ続けているせいか、聖竜は最近ちょっと丸くなってきたように思う。


(実から生まれた聖竜も太るんだな)


 丸々とした聖なる竜というのはどうなんだろう。貫禄(かんろく)があって良いのだろうか。いやダメだろう。


「キュ!」


 失礼な事を考えるな、というように再び髪の毛を引っ張られた。



 * * *


「コロラドの聖女」が来るという日は、あいにく朝から雨だった。


 リズが食堂へ行くと、マノンと候補者の二人が同じテーブルで昼食をとっていた。


(人が少なくなったな)


 最初の頃はいくつも並ぶ長テーブルが満員だったのに。クレアやナタリー、アナの事を思い出して少し寂しくなった。


「リズ、良かったらここに座らない?」


 笑顔で呼ばれ「ありがとう」と候補者たちの座る隣に、昼食がのったトレーを置いた瞬間


「あ、来られたわよ!」


 食堂の前の廊下を大きなカバンを持った侍女と上級神官、そしてコロラドの聖女であろう若い女性が歩いて行くのが開け放たれた出入口から見えた。途端に候補者二人が嬉々として駆け出し、マノンもゆっくりと後を追って行く。

 一人残ったリズは湯気の立つスープを口に運びながら、廊下の人だかりを眺めた。


 コロラドの聖女は医療従事者がよく着る、首元からふくらはぎの半ばまで一枚布で作られたワンピースのような赤い服を身に着けていた。その上に同じく足元まである長いエプロン。

 赤い布をヴェールのように頭からかぶり、目元をすっぽりと隠しているので顔はよく見えない。


 神官や侍女たちもぞくぞくと集まって来た。決して狭くない廊下がひしめき合っている。神殿中の人がやって来るのではないかと疑うほどだ。

 神官長も笑顔で話しかけている。盛大な歓迎ぶりだった。


 その時突然、中心にいるコロラドの聖女に重なるように、リズの脳裏に故郷の村の風景が浮かんだ。やせた田畑、小高い丘、そしてカーフェン男爵家の屋敷――。


(どうしてカーフェン家が?)


 コロラドの聖女と接点なんてないだろう。眉を寄せた瞬間、コロラドの聖女がリズへと顔を向けた。


(……?)


 ヴェールからのぞく口元に見覚えがあるような気がした。


 コロラドの聖女がすべるような足取りで食堂内へと入ってくる。皆が不思議そうに見守る中、ゆっくりとリズへと近づいてきた。


 まるで蜘蛛(くも)の巣だ。なぜか、そう思った。蜘蛛の巣にからめとられて動けない。リズは獲物なのだ。そしてそれを頭から食べようとしている蜘蛛は――。


 リズとテーブル越しに向かい合うようにコロラドの聖女が立ち止まった。髪を片手で押さえながらヴェールを脱ぐ。現れたのは――。


「……!?」


(何!? 何で!?)


 全身に鳥肌が立った。

 勢いよく椅子から立ち上がり、大声で叫び出しそうになるところを何とかこらえる。


 これは夢だ。白昼夢だ。こんな事、断じてあり得ない。

 だって、この顔は――。


(セシルだ……)


 髪と目の色は違う。前世のセシルは薄い茶色の髪に青い目だったが、目の前にいるコロラドの聖女は黒髪に黒目だ。

 でも顔の造りはセシルそのものだ。前世、毎日鏡越しに見た自分自身の顔だった。


 あまりの驚きで声が出ない。


「初めまして」


 目の前で、五百年前の自分が微笑んだ。



「シーナ・ブライドです。よろしくお願いします」


 声はセシルのものより若干低めだ。もちろん前世では自分自身を通して聞いた声だから他人に聞こえるものとは多少違うかもしれないが。口調も落ち着いている。けれど顔は全く同じだ。よく言えば控えめ、悪く言えば地味だと言われた顔に。


「シーナ……さん、出身はどこですか!? もしかして王都内? 親兄弟はいますか? 修道院にいたと聞きましたけど」


 珍しくグイグイくるリズの姿に、皆ぽかんとしている。けれど、そんな事は気にしていられない。


 セシルは幼い頃に両親を相次いで亡くし、兄弟姉妹もいなかった。シーナはひょっとしてセシルの両親の兄弟や親戚、それらの子孫に当たるのだろうか。けれどそんな薄いつながりで、ここまでそっくりになるものなのか?


 焦るリズに、シーナが寂しそうに微笑みながら答えた。


「私は捨て子なんです。コロラドの隣、ザック地方のブライド修道院の前に捨てられているのを発見され、それ以来ずっとそこで育ちました。生まれは王都内ではないと思います。ザック地方からはかなり離れていますから」


 セシルとは関係ないのか。他人の空似というやつか? そんなバカな。


「あの、キーファ殿下にお会いして、ごあいさつしたいのですが。神殿によく来られると聞きました。コロラド地方でも王宮でもタイミングが合わず、一度もお会いできていなくて」


 無邪気に微笑むシーナに、リズは一気に体温が下がったような気がした。だってセシルに生き写しのシーナをキーファが見たら――。


(嫌だ。会って欲しくない)


 考えていたよりもずっと強い感情が込み上げてきて自分でも驚いたくらいだ。

 そこへタイミング悪く


「やけに、にぎやかだな」


 廊下の向こうから戸惑ったような声が聞こえてきた。リズの心臓の鼓動が早くなる。体の中心が冷たい。


「そうか、コロラドの聖女が着いたのか。神殿に来ると父上から聞いたばかりだ。驚いたよ」


 神官と話すキーファの声が近付いてくる。


 来てほしくなかった。せめて今だけでも。

 自分がそんな事を思う資格なんてないのは充分わかっている。それでも願わずにはいられない。容易に予想できるキーファの反応を見たくなかった。


(来ないで。来ないで!)


 祈るように、首から下げたユージンからもらった指輪を手が白くなるくらい強く握りしめる。


 けれど必死の望みは叶わなかった。


「……セシル」


 かすかに震えるキーファの呆然としたつぶやきが、リズの耳に届いた。


 キーファが青ざめたまま固まっている。その視線はまるで糸で縫い付けられたようにシーナから離れない。

 予期していたとはいえ、リズは胸の内が激しく締め付けられた。


「初めまして、キーファ殿下。ようやくお会いできました」


 生き別れた最愛の恋人に目の前で微笑まれて、キーファの顔が激しくゆがんだ。


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