35 聖女になる理由
聖竜を肩に乗せて歩き回り、扉を探す。
今日はキーファはいない。きっと公務で忙しいのだろう。
キーファが言っていた東部コロラド地方のいざこざ――民族同士の対立が内戦へと発展し国軍が出てやっと治まったところだ、と侍女たちが顔を曇らせて話しているのを耳にした。
「コロラドの聖女」と呼ばれる女性がいた事も。戦火の中を確かな薬草の知識と治癒魔法、そして慈愛あふれる看護でたくさんの人を救ったという。
(すごい人よね)
感心しながら歩いていると、中庭の池のほとりで、魚の入ったバケツを抱えた候補者アナに出会った。この前と全く同じ光景だ。マノンはいないが。
「リズ! この前はごめんなさい。風邪を引かなかった?」
「大丈夫だよ。キーファ……殿下も大丈夫だって。扉は見つかった?」
「まだなの。この前と一緒よ、ちっとも進んでない」
相変わらず魚はバケツの中で池の方向に向かってガンガン頭をぶつけている。しかしアナが池に魚を放すと、少しだけ泳ぎすぐさま戻って来る。
「ずっと同じ。もう、どうすればいいのかわからなくて」
アナが苦笑した。そのまま二人で黙って水面を見つめる。
池のある中庭はきれいに刈られた低木に囲まれていて、暖かな日差しが降りそそぐ。風はない。聖竜が辺りを飛び回り、池の水面にキラキラと光が反射した。
「鏡みたいだね」
リズはふと、つぶやいた。
水面にはところどころ藻が浮いているが、それ以外の部分は光を受けてきらめいている。並ぶリズとアナの姿を映し出すそれは水鏡のようだ。
「そうね」アナもつぶやく。不意に風が吹いて水面を揺らしていった。映るリズとアナの姿も揺らめく。途端にアナが急いで顔をそむけた。
「どうしたの?」
「……映った自分の姿がまるで年子の妹のように見えたから。さっき風で水面が揺れて、妹が映ったのかと思っちゃった」
話すアナの顔は苦悩しているように見える。
「あんまり仲が良くないの?」
「良かった。前はね。でも今は……嫌い。私には親が決めた婚約者がいたの。でも彼は私じゃなく妹を選んだ。二人して頭を下げられたわ」
「え……」
アナの心にずっと重くのしかかっていたのだろう。一旦話し始めると止まらないようだった。
「すごくつらかった。死んじゃおうかと思ったくらい。でも、そんな時に私が聖女候補に選ばれたの。見返してやれると思った。だから、ふさわしくない理由だとわかっているけど絶対に次期聖女になりたい。
リズは? どうして聖女になりたいの?」
(それは――)
考え、遠くの木々を見ながら答えた。
「クレアとナタリーに次期聖女になるって約束したわ。それと……昔から何でか貴族令嬢と悪い意味で縁があるというか、目を付けられるというか」
「ああ、わかる! リズって妙に目立つもの。その髪と目の色だけじゃなくて」
うんうん、と全力で同意された。ちょっとショックだ。
それでも、ゆっくりと続けた。
「でも私は平民だから何も言い返せないし、何もできない。結局は向こうの思う通りになる。それが嫌というか理不尽だと思うというか……。地位が違うというのはわかる。築き上げてきたものが違うというのも。
でもせめて対等に話し合えるような何かが欲しい。地位とか肩書とか、そんなものだけで左右されない何かが世の中にあればいいのにと思う。そういうのって、聖女になったらどうにかできないのかなと思って」
ひどく漠然としているせいで説明が難しい。けれど本心だ。
「すごいわね」とアナが素直に称賛し、リズの背後に目をやり「神官様」と目を丸くした。
振り向くとロイドが立っていて「リズ、ちょっといいかな」と手招きされた。
「はい。じゃあ、またね。アナ」
「うん、またね」
アナはリズとロイドが去っていくのを笑顔で見送り、そして表情をかげらせた。
「リズは自分の事だけじゃなくて他の人の事も思ってるのね。私とは違う……」
私怨のような気持ちで選定に臨んでいる自分が恥ずかしくなった。
思い出すとつらくてたまらないから今までふたをしてきた自分の気持ちを、そっとのぞき込む。
「すまない」と頭を下げる元婚約者と妹。アナが幼い頃から元婚約者を見つめてきたように、元婚約者が妹を見つめていた事を知っていた。そして妹もまた――。
アナの家は大きな商家で、でも姉妹ゆえ跡継ぎがいない。元婚約者は両親が選んだ大事な入り婿だった。
「仕方のない事もあるよ」両親は言った。「アナにはもっと良い相手を見つけてやるからね」
両親は元婚約者が婿に入って家を継いでくれるなら、その相手はアナでも妹でもどちらでもいいのだ。そして元婚約者自身もその家族も、取引先だって親戚だって、そしてアナの妹だってそうだ。
アナの味方はどこにもいない。
アナだけが我慢すれば全てが丸く収まる。
そう思って耐えてきた。
理不尽な事は世の中に多々あって、不公平に降りかかってくる。
その理不尽からアナは目を背けて逃げ出したのに、リズは立ち向かっているのか。何とかしようとしているのか。
「本当にすごい……」
両手で顔をおおう。心の奥底でずっと抑え付けていた気持ちがムクムクと頭をもたげてきたような、そんな感じがした。その時
「え……?」
不意にバケツの中の魚が光を放った。呼応するようにポケットの中の鍵も光り出す。
「何これ!?」
そして目の前で、池の水面もまたあざやかな水色の光を放ち始めた。
信じられない思いで目を見開くアナは確かに見た。光る水面の中心に黒く落ち込む小さな闇。その独特の形。
「まさか鍵穴……?」
じゃあ、これが「扉」なのか。
神官長が言っていた。「扉」を見つけた者が次期聖女だと。
「嘘でしょう……」
アナは震える手で鍵を握りしめ池の中へと入って行った。光る水をかきわけて鍵穴の手前で立ち止まる。ゆっくりと鍵を差し込むと、水のはずなのに手ごたえがあった。
カチャリ、とかすかな音をたてて鍵が開いた――。
「ロイドさん、どうしたんですか?」
鋭く周囲を確認しつつ歩くロイドに連れられたのは人気のない納屋の裏だった。
「ロイドさ――!」
「しっ! 大きな声を出すな」
「キュウ!」
「お前も!」
ロイドが右手でリズの口を、左手で聖竜の口をふさぐ。
「前にリズが掘り出した壺があっただろ。聖なる種が一粒だけ入っていたやつ。あれを神官長に届けたら神官長の様子が変だった。僕の勘だけど、神官長は聖なる種があの場所に埋められていた事を知っていたね。まあ問い詰めたら、案の定とぼけられたけど」
ロイドが悔しそうに口をとがらせる。
とりあえずこの手を離して欲しい。リズはもがいた。両手で引きはがそうとするが意外に力が強い。
「ギュウ!」
「痛っ!」
聖竜が怒りのままにロイドの手に噛みつき、リズもやっと解放された。
「何なんですか、いきなり!」
「誰かに聞かれるわけにはいかないだろ? ここは神殿だぞ。聖女様と、そして神官長が治める場所だ。スパイでもいたらどうするんだ!?」
スパイって何だ。冷たい目をするリズの前で、ロイドが聖竜に噛まれ赤くなった手をさする。
「そういえばキーファ殿下は一緒じゃないのか?」
「別にいつも一緒にいるわけじゃありませんよ。コロラド地方の紛争の後処理や支援で大変みたいです」
「ああ、聞いたよ。王宮が大わらわだって――ふーん。じゃあ忙しい中、わざわざリズのそばにいるために貴重な時間を割いてるって事か」
ニヤニヤ笑いにイラっとしたその時、遠くから神官たちが叫ぶような声が聞こえてきた。ロイドと顔を見合わせて慌てて駆けだす。
中庭を横切る通路で騒ぐ神官の一人をロイドが捕まえた。
「どうかしたのか!?」
「ああ、ロイド! すごいぞ。候補者のアナが『扉』を見つけたそうだ!」




