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31 公爵の思惑

(よろしくね、か……)


 食堂で朝食を食べながら、リズは昨日の不敵に笑う宮廷魔術師の娘マノンと、こちらを見すえたまま動かない聖獣黒ヒョウのコンビを思い出していた。

 そこへ「おはよう、リズ」と声がかかる。振り向くと、当のマノンだった。


「――おはよう」

「ギュー!」


 テーブルの上でリンゴにかじりついていた聖竜が毛を逆立てて鋭く鳴いた。マノンの腕の中にいる聖獣黒ヒョウに向かってである。


 黒ヒョウは昨日は立派な大きさだったのに、今はマノンの腕の中にすっぽりおさまるくらいの大きさになっていた。しなやかな毛並みはそのままに、大きな金色の目が聖竜を見つめていたが不意にそらせ、クアッとあくびをして背中を丸めた。


 まるで相手にされていない様子に怒ったのか、聖竜が「キュ、キュ!」と皿の中の野菜を放り投げて攻撃している。


(小さくなれるんだ。聖竜シロと一緒だわ。でも――)


「小さくなったら猫みたいでしょう?」


 思っていた事を先にマノンに言われ、リズは「うん、黒猫だね」と素直にうなずいた。

 マノンが笑いながら隣に座る。そして興味深そうな顔でのぞき込んできた。


「ねえ、リズはどうしてあんなにキーファ殿下と親しいの? だって王太子と一般庶民よ。天と地ほど違うじゃない。しかもリズは王都から遠く離れた田舎の村から来たんでしょう? 接点なんてまるでないはずなのに、何だか昔からの知り合いみたい」


 驚いたせいで食べていたパンがのどに詰まり、むせそうになった。が、何とかこらえた。動揺を悟られるわけにはいかない。


「知り合いなんかじゃないし親しくもないよ。……私がアルビノだから、めずらしくて話しかけてくるんじゃないかな」


「でも聖なる木がまだ芽だった頃に、殿下がリズの植木鉢を広間まで運んできた事があったじゃない? 

 第一塔門の前でリズとアイグナー公爵が話しているのを聞きつけて、キーファ殿下がわき目も振らず駆けつけてリズをかばったのも見たわ。


 それに殿下ったらリズの部屋をよく訪れるわよね。ものすごく遠くからキョロキョロと辺りを確認して、ものすごい勢いで走って来るのよ。

  なるべく誰にも見られないように気を遣っているんだと思うけど、その割に部屋のドアをノックするまでに迷うみたいで時間がかかって、ものすごく緊張した顔で真剣にノックするの。王太子殿下なのにね。まるで一瞬でも気を抜いたら死ぬんじゃないかってくらい。ちょっと、おもしろい。


 でもリズと殿下が愛し合ってるとか、身分違いの恋に苦しんでる風には全く見えない。だからこそ二人の関係性がわからないのよ」


 思わず絶句するリズの前で、マノンがにっこりと笑った。


「私、色々と見ていたから」

「色々――」


「そうよ。でも、あまりキーファ殿下に近づかない方がいいんじゃない? 次期聖女にでもなれれば話は別だけど、まだ候補者の一人なんだし。選定で落ちたらリズなんてただの田舎娘でしょ?」


 リズはまじまじとマノンを見た。以前に同じような事をナタリーに言われた。もっともあれはグレースが言わせたものだったけれど。

 それでも、その言葉を発した人間がどういった意図で言ったかは何となくわかるものだ。それなのに――。


(――何だろう? 何か違う感じがする)


 パンを片手に持ったまま黙りこんでしまったリズに、マノンは薄く笑みを浮かべると黒ヒョウを抱いたまま「じゃあ、またね」と席を立った。


 そこを「ねえ」と呼び止める。


「何?」

「マノンも次期聖女になるために、ここにいるのよね?」


 リズの訳の分からない質問に、マノンが再び薄く笑った。


「そりゃそうでしょう。他にどんな理由があるっていうの?」

「何となくだけど、マノンにそんな気がないように感じたから」


 虚をつかれたようにマノンが目を見張った。大きく見開かれた漆黒の目には先程までのからかいの色は消えている。


「……そう? 気のせいじゃない?」


 動揺したようにかすれた声で返すと、早足で食堂を出て行った。


「キュ! キュ!」


 聖竜が皿の中の野菜を、マノンと黒ヒョウの後ろ姿目がけて追い払うように放り続ける。もちろん肉や魚は食べた後の残したにんじんや玉ねぎだけだ。

 リズは無言でテーブルに散らばった野菜たちを集め、まとめて聖竜の皿へと戻してやった。


「キュ……」


 ばれたかという感じで聖竜が目をまん丸にする。

 そこへ、めずらしい事にまた神官長がやって来た。


「おはよう。今度は聖獣が生まれたと聞いて来てみたんだが」

「ついさっき食堂を出て行きましたよ」

「そうか……」


 行き違いになったタイミングの悪い神官長が、ちょっと寂しそうに肩を落とす。


「それより神官たちには伝えたが、明後日に第三回目の選定を行う事にした。聖なる実がついた事が合格の条件だ。十一人中ナタリーとグレースはすでに選定から降りておるから、残り九人。まあリズとマノン・ノイザはすでに実がなり、それぞれ聖竜と聖獣が生まれておるので問題はないとは思うがな」



 * * *


 アイグナー家の館、前庭に面した二階の書斎には壁をおおうように本棚がずらりと並んでいる。背表紙がすりきれ文字もかすれて読めないほど古い本もあるが全てが価値あるもので、それらに囲まれて一人ワインを飲む時間がアイグナー公爵は好きだった。

 けれど今日は――。


(……まずい)


 顔をしかめた。

 最高級品のワインなのに。原因はわかっている。娘のグレースが次期聖女選定で失態を犯したからだ。せっかく神官のトマをかねの力で味方にして、リズの故郷での暮らしぶりまで調べてやったというのに。


 苛立ちのあまり、ワイングラスを乱暴にデスクに置いた。マホガニー製の傷一つないデスクにワインのしずくがポトポトとこぼれ落ち、さらに苛立ちがつのった。


 グレースをキーファ王太子と結婚させるどころか、犯罪者として囚われの身となってしまった。公爵も方々、手を尽くした。アイグナー公爵家の力をもってすればグレースの罪を消し去り、関わった者たちを闇に葬る事なんて簡単なはずなのに、今回は勝手が違った。


 神殿内での出来事だったのだ。


 神殿がアストリア王宮の保護下にありながらも、現聖女を頂点とする独立した権威を持っているという知識はあったが、まさか自分の権力がここまで及ばないなんて思ってもいなかった。


 公爵自ら出向き、これでもかと良い条件を提示してやったのに、対応に当たった神官は喜んでうなずくどころかニコリともしなかった。

 それだけでも苦い思いがしたのに、どこからともなくノコノコと現れた神官長が


「ご安心を、公爵。ここは聖女様が守られる聖なる神殿です。地位や階級など全く関係のない、その者の行いや言動だけが判断基準となります。グレースも例外ではありません。真実をありのままに、公平に判断致しまして罪状を決めますゆえ、どうぞご安心を」


(皮肉か)


 とても良い笑顔で話す神官長に、はらわたが煮えくりかえる思いがした。



(――だが、まあいい。まだ手はある。例の娘は順調にいっている)


 書斎の壁についた使用人を呼び出すベルを鳴らそうとすると、それより早く扉がノックされ使用人の男が入って来た。無口だが目も耳も利く男で重宝している。


「旦那様のお耳に入れておいた方が良いかと思いまして。実はキーファ殿下についてですが」

「何だ?」

「それが今は没落してすでにないのですが、およそ五百年前に王都内にあった『ハワード家』という貴族と旦那様との関係について調べさせているようなのです」


 天地がひっくり返ったかと思うくらい驚いた。


「ハワード家については、殿下が幼少の頃からずっと調べていた事もわかりました。十年ほど前に、子孫の男が詐欺にあった時も秘密裏に手を回していたようです」


 震える口元を手でおおい隠す。

 もしやとは思っていたが、やはりキーファには幼い頃からユージンとしての記憶があったのだ。


まさか公爵が前世の執事だと気付いたのか。いや、それならもっと動きがあるはずだ。その前の段階――気付いてはいないが、何かしら疑っているという事か。


(なぜだ? なぜ気付いたんだ?)


心臓の早鐘のような鼓動が頭に響く。いくら考えても自分に落ち度があったとは思えない。


けれど今世は王太子だ。前世の執事の行いや嘘がばれれば、公爵ともどもアイグナー家をどうとでもできる地位にいる。


(何という事だ)


 前世のユージンは(おろ)かな若者だった。自分の思う通りに動いてくれたのに。

 舌打ちしたい気持ちで顔を上げ、男に命じた。


「キーファ殿下と、殿下が気に入っているというリズ・ステファンについてもっと調べろ。あと例の娘の件も早急に進めろ。秘密裏に、そして確実にだ」

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