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30 魔術師の娘と聖獣

 ナタリーが家に帰るため神殿を出て行ってから数日後――。


 神官長は第二神殿の東側にある第九塔門へと向かっていた。その先に第一神殿があるのだ。

 第一神殿――すなわち現聖女が住まう場所である。


 お付きの神官が塔門の扉に付いたノッカーを鳴らす。

 扉のすぐわきにある小さなのぞき窓からこちらをうかがう気配がして、すぐに扉が開き、現聖女付きの侍女たちが「どうぞ」と迎え入れてくれた。


 彫像が等間隔で並ぶ長い廊下を歩き、やっと現聖女のいる聖堂へと着く。

 お付きの神官をその場に残し、神官長が一人で中へ入ると、天井近くまで達する長い窓から床へと淡い光がいくつも落ちてきていた。


 何も置かれていない、ただただ広い石造りの床に描かれた細かい文様もんようが光を受け、浮き彫りのように宙に浮き上がって見える。


 その中央で跪き祈りを捧げていた現聖女が立ち上がり、ゆっくりと振り返った。


 この世に一つしかない、アストリア国の聖女だけに与えられる白い冠をかぶり、首元まで詰まった白のドレスに、金糸で刺繍のほどこされたストールを肩にかけている。


(年をとられたな……)


 見慣れたはずなのに、なぜだか今日は強く思った。

 髪こそ不思議とまだ黒さを保っているものの、神官長を見つめる顔にも、体の前で重ねられた手の甲にもシワという老いの象徴がしっかりと根を下ろしている。


 自分はどうなんだと問われればそれまでだが、神官長はふと寂しくなってしまった。


 ふと目が合い、現聖女が笑っているのに気付いた。瞬間、自分を恥じた。

 現聖女は神官長の心の中を見透かしている。そして何でもない事だと、おかしな事を考えるものだと笑っているのだ。


「何用ですか?」


 笑みを残したまま、少ししわがれた声で現聖女が聞いた。

 神官長は姿勢を正して一礼した。


「次期聖女候補のナタリー・ネイサンの顔に残ったやけど跡ですが、リズ・ステファンが自身の持つ聖なる力で跡形もなく治してみせたと報告がありました」

「本当ですか……!」


 現聖女が目を見張る。


「はい。聖なる実から聖竜を生み出した事もあり、次期聖女はリズに決まりではないかと、第二神殿内ではもっぱらのうわさになっております」

「聞いてはいましたが、そこまでとは……」


 絶句し、そして考え込むように目を閉じた。


 やがて神官長の前で、ゆっくりと目を開けた現聖女が再び笑みを浮かべた。


「――ですがどうやら、そう決めつけるのは時期尚早じきしょうそうのようですよ。次期聖女選定はこれからまだ波乱がありそうです」



 * * *


 ためらいがちに、リズの部屋のドアがノックされた。


「どうぞ」


 ゆっくりとドアが開き、そこに立っていたのは何とキーファ王太子だった。

 神殿には関係者以外出入り禁止なのだが、王宮の保護下にあるため、直系の王族であるキーファは選定に関与しない限り自由に出入りできるのだと最近知った。


 最後に会ってからそれほど日にちは経っていないが、様々な事があったせいか久しぶりに感じる。リズは思わずキーファを見つめた。


「色々と大変だったそうだな。肝心な時に力になれなくて、すまない」


 キーファが顔を曇らせた。

 色々とは化け物の実に襲われそうになった事や、聖竜の吐く白い炎に焼き尽くされそうになった事か。けれど神官でもないキーファが謝る必要なんて全くない。


「大丈夫。キーファが気に病む事じゃないよ」


「そうか……」とキーファが寂しそうな笑みを浮かべた。

 その顔をまともに見てしまい、リズは急いで顔をそらせた。


 どうしてキーファが寂しそうな顔をしたのかわかってしまったからだ。

 自分には関係のない出来事で、例えその場にいてもどうしようも出来なかった事は充分承知しているけれど、それでもリズのそばにいたら体を張ってでも守ってやれたのに、そう思っている。そして、それが出来なかった自分を責めている。


 リズは唇を噛みしめた。キーファの気持ちがちょっと嬉しかったのだ。

 そんな自分を全力で呪った。


「キュ! キュウ!」


 うつむいていたリズの頭に、なぜか突如聖竜が突撃してきた。鼻頭で思いきりぶつかられる。


「痛い!」


 側頭部を押さえてうめくリズの前で、キーファが目を見張った。


「大丈夫か!? ――ひょっとして、これが神官たちがウワサしていた聖竜か?」

「確かに聖竜はこれだけど……もしかして竜が好きなの?」


 キーファの顔が興奮したように輝いていたからだ。


「ああ。動物はみな好きだ」


(聖竜って動物の範疇はんちゅうなの?)


 疑問に思ったが、キーファの目は一心に聖竜の後ろ姿を追いかけている。


「名前はあるのか?」と勢い込んで聞かれ、リズはもちろんと得意げにうなずいた。

 きのう付けたばかりだ。なんせ聖竜は全身が白いから――。


「シロ」

「……何というか聖竜らしくない名前だな、犬のような……。いや、もっとこう荘厳で強そうな名前にした方がいいんじゃないのか? 何しろ聖なる存在なんだし」

「――グレイト・シロ?」

「そういう事じゃない」


 じゃあ、どういう事なんだと真剣に問うている顔のリズに、キーファはこれ以上求める事をあきらめたようだった。


 聖竜が飛ぶのをやめて、短い足で床をテクテクと歩いてくる。そしてリズを無視し、キーファの前まで行くと赤い目で見上げながら「キュ」と小首をかしげてみせた。


「かわいいなあ!」思わずといった感じで叫ぶキーファは実に嬉しそうだ。デレデレである。


(前世のユージンは動物が苦手だったよね)


 リズはふと思い出した。

 ユージンは小さい頃に孤児院で犬に噛まれたそうで、犬はもちろん猫などの小動物や、荷馬車を引く馬やロバなども嫌いまではいかないが苦手にしていた。


(キーファとは真逆だな)


 今世は全くの別人なのだから当たり前なのに、モヤモヤしてしまった自分がちょっと嫌になった。


 その時、開け放たれた部屋のドアから神官ロイドが顔を出した。めずらしく焦ったような表情をしている。


「リズ、ちょっと――うわ、キーファ殿下がおられますよ」


 驚いたように足を止めたものの、聖竜のあざとさにまんまと、はまっている様子のキーファに、かわいそうな人を見る目になった。


「ロイドさん、聖竜をシロと名付けたんですけど変ですか?」

「うーん。変か変じゃないかって聞かれたら、ものすごく変だと思うけど、別にいいんじゃない? 僕の名前じゃないし」


 そして、こんな事をしている場合じゃないと真剣な顔を向けてきた。


「それより大変な事が起こったんだよ。一緒に来てくれ」



 広間が、聖竜の吐き出した炎により修復中なので、候補者たちの聖なる木は第二神殿の北側にある祝祭殿へと移されている。


 廊下を早足で歩きながら「何があったんですか?」とロイドに聞くが「行けばわかるよ」というそっけない返事しか返ってこない。


「おかしいな。聖竜を出したリズで決まりだと思ったんだけどな」


 ブツブツとつぶやきながら歩き続けるロイドと、その隣で不安そうに眉を寄せてロイドの横顔を見続けているリズとを、後ろからついて行くキーファがじっと見つめていた――。



 祝祭殿に着くと、いつもは人気ひとけがなく静かなのに、今は異様な熱気というか興奮したようなざわめきが聞こえてくる。

 中では、たくさんの神官や聖女候補たちが壁のように室内の中央を取り囲んでいた。


「あ、リズよ!」


 候補の一人が声を上げた途端、その場の全員が一斉に振り向いてリズを見た。

 興味津々で顔を輝かせている者もいれば、気まずそうに目をそらせたり、心配するように顔を曇らせる者もいる。


(何なの?)


 リズが顔をしかめた瞬間、肩に乗っていた聖竜が勢いよく翼を広げた。赤い目が燃えるように輝き、人々の壁の向こうを威嚇するかのように「ギュウ――!!」と鳴いた。いつものかわいらしい、あざとい鳴き声ではなく敵意を感じた時の激しい鳴き声だ。


 一体どうしたんだと驚いていると


「おい、動いたぞ!」


 と神官の慌てたような声がして、人々の壁が逃げるように左右に割れた。

 そこにいたのは――。


「……!」


 リズは息を呑んだ。


 つやのある真っ黒な毛並みと金色に輝く目。四本足でしなやかに立っていたのは聖獣――黒ヒョウだった。


 鋭い爪のついた頑丈そうな足元には、植木鉢と数枚の黒い花びらが散らばっている。それと真っ黒な聖なる実――の残骸ざんがいも一緒に落ちていた。


 聖獣である黒ヒョウは、この実から生まれたのだろう。


 床に散らばるフリルのような真っ黒な花びらには見覚えがあった。聖女候補の一人、宮廷魔術師の娘のものだ。


 突如リズと聖竜を見つめていた黒ヒョウが咆哮ほうこうをあげた。空気がビリビリと震える。

 その神々しいまでの迫力に、みな声もなく後ずさった。


「こら、ダメよ。やめなさい」


 黒ヒョウの背後から現れた宮廷魔術師の娘がたしなめると、黒ヒョウは途端に大人しくなり娘の足元に丸くなった。


「聖竜の次は聖獣が出るなんて――」

「こんなの、アストリア国が始まって以来の事じゃないのか?」


 神官たちがざわめきながら、怖々とリズと魔術師の娘を見比べている。


 リズは娘を見つめた。

 リズと同じ年くらいで、同じくらいの背格好だ。紫がかった黒い膝丈のドレスを着て、肩より少し長いくらいの黒髪、そして漆黒の目。


 今まで目立たなかったのはどうしてだろうと疑問に思うくらい、見ていると吸い込まれそうなオーラがあった。


 魔術師の娘――マノン・ノイザもリズを見つめ返し、にっこりと笑った。


「聖竜と聖獣、おもしろい戦いになりそうじゃない? これからよろしくね、リズ」

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