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29 騒動の後2

 ナタリーは一瞬ためらったが、それでも迷惑をかけたリズの頼みだからと覚悟を決めたように、震える手でガーゼを外した。


 やけど跡は痛々しかった。

 思わず目をそむけたくなる程、顔の右頬から首筋にかけてデコボコと赤黒くれあがっている。


 リズは決して表情に出したつもりはないけれど、それでも傷ついたナタリーはリズの心の内を読み取ってしまったのだろう、顔をゆがめグッと涙をこらえて下を向いてしまった。


「一体、娘に何をするつもりです?」


 母親がかばうように、隣でうつむくナタリーの肩を抱き寄せた。ナタリーが聖女選定を妨害したからその報復をされるのではないかと、非難するような怯えたようなまなざしを向けてくる。


 案内役の神官も、リズの意図が全くわからず困惑げな表情だ。


 リズはその前で構わず、何度も大きく深呼吸をした。

「集中しろ」と事前に聖竜から言われている。もちろん実際に聖竜が言葉を話したわけではなく、そんな気がしただけだけれど。


 ゆっくりと目を閉じた。


 辺りがだんだん静かになっていく。虫や鳥の鳴き声がうるさいくらいだったのに、それらは少しずつ少しずつ小さくなり、やがて途絶えた。

 日差しがあふれる中、大きな木の枝から一羽の鳥が飛んでいくのが見えるが、羽ばたく音も枝がしなる音も聞こえない。全くの無音だ。


「一体どうしたんだ……?」


 父親が気味悪そうに辺りを見回した。母親の、ナタリーの二の腕に添えられた両手にも不安そうに力がこもる。


 不意に、リズの肩に乗った聖竜の体が白い光を放った。直視できないほど強烈な、まばゆい光だった。


「聖竜が光っている!」

「何なんだ、この光は!?」


 神官とナタリーの両親が驚愕の声をあげた。


(すごい……)


 リズの体が震えた。肩に乗った聖竜が大量の熱を放出していて、それがリズの体内に流れ込んでくる。激しい強烈な力と熱が体中を駆けめぐっている、そんな感じだ。

 歯を食いしばり、両手を体の脇で強く握りしめながら必死でそれを抑える。


(治すんだ)


 強く思った。

 ナタリーのやけどの跡を。絶対に治す。もとの明るく元気なナタリーに戻って欲しい――。


 強い風が吹き、リズの白い髪を舞い上げていった。


 ゆっくりと目を開ける。

 深い赤色の目が、まるで神がかったように、いつもと違う輝きを帯びている。


 目の前には突っ立ったまま、まるで魅入みいられたように呆然とリズを見つめるナタリーの姿。その顔に、痛々しいやけど跡に、リズはそっと両手をかざした。

 やわらかくあわい光があふれんばかりに両手のひらから放たれた。


「……!」


 怯えたように一歩後ずさるナタリーを優しく包み込むように覆う。

 守るように、癒すように。


「きれいな光ね……」


 ナタリーの母親が思わずというように息を吐いた。

 それは聖竜の体から放たれる強烈な光とは違い、例えるならリズの咲かせた聖なる花――あの何ものにも染まらない、凛とした純白の色だった。


 こわばっていたナタリーの肩の力が抜けていく。クシャリと顔がゆがみ、そして


「温かい……」


 と泣きそうな声で小さくつぶやいた。



 やがて光が徐々に弱まり、そして消えた。

 皆が夢から覚めたばかりのようにぼうっとなる中、いち早く現実へと戻った母親が急いでナタリーの顔をのぞきこみ、驚いたように叫んだ。


「何て事! ナタリー、あなたの顔――やけどの跡がなくなっているわ!」

「え……?」


 ナタリーが疑わしげに眉を寄せながらも、ほんのわずかな期待にすがるように恐る恐る右頬を指でさぐった。そして「嘘……」とつぶやくと、慌てて手のひら全体でさわり始めた。

 けれど、どれだけさわっても、あるはずのやけど跡は指にふれない。


 みにくいそれは跡形もなくなっていて、ナタリーの右頬は完全に元の白い肌を取り戻していた。


「信じられない……」


 神官が愕然がくぜんとしている。

 父親も目の前で起こった事に呆然となったまま一言も発しない。


 母親がナタリーの両肩を抱きしめて声を詰まらせた。


「ああ良かった! ナタリー、本当に良かった! まるで奇跡だわ!」


 そしてリズに向かって、地面にれんばかりに深く深く頭を下げた。


「ありがとう、ありがとうございます! 本当に何て言ったらいいのか!」


「いえ、これは私じゃなく聖竜の力で――」というリズの返事は


「ありがとう! 本当にすばらしい! 次期聖女はきっとあなただ。戴冠式で、現聖女様から次期聖女の冠を頂くのはあなた以外にいない」


 という父親の涙まじりの声にかき消されてしまった。


 その前で、ナタリーも涙のにじむ目で何度も何度も頭を下げる。


「ありがとう。ありがとう、リズ……」


 絶望していたヤケド跡がなくなって、ものすごく喜んではいる。

 けれどリズを見る表情はまるで雲の上の者を見るように遠く弱々しいもので、以前の元気にクルクルと表情を変えるナタリーとは別人だった。


(――違う)


 苦い思いが込み上げた。


 違うのだ。リズが見たかった顔は、ナタリーにしていて欲しい顔は、こんなのじゃない。

 おとなしい委縮いしゅくした姿。こんなのはナタリーじゃない。ナタリーには似合わない。そう、もっと――。


「ねえ」と心の中で祈るように、リズは口を開いた。

「私、前からずっとナタリーに聞きたい事があったの。ずっと気になってて、でもなかなか聞く機会がなくて困ってた」


「……何? 何でも聞いて」

「ちょうどいいというか、今しかないと思うの。今さら聞きにくい事だし、失礼な事だとは思うけど。でも今を逃したら一生わからないままの気がする。それは絶対にダメな事だと思うから」


 リズの真剣な表情に「……何?」と聞くナタリーの顔からは血の気が引いていた。

 何を聞かれるのかと怯えている。あの夜の広間での自分の卑劣な行為についてか、それともそれより前からリズの悪口を言っていた事についてか。


 それでも例えどんな不愉快な質問にも正直に答えようと覚悟を決めたような顔で、リズを見つめ返してきた。


 リズはそれを見すえたまま、ものすごく真面目な顔で聞いた。


「ナタリーの名字って何だっけ?」

「……ええ、え?」


 考えてもいなかった予想外の、というよりは枠外わくがいの質問に、ナタリーはぽかんとほうけたように口を開けた。

 必死に考えるが頭がついていかず――結果、一瞬理性が飛んでしまい、考えるより先に感情が爆発したらしい。


「ネイサンよ、ナタリー・ネイサン! 最初に自己紹介したでしょう、ちゃんと覚えておいてよ!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ。

 これは確かにナタリーだ。


「ナタリー! あなた、やけどの跡を治してくださったかたに向かって何て口のきき方を!」


 対照的に青ざめる母親に、ナタリーはハッと我に返ったようだ。

 自分の立場を思い出し、悲しそうに顔がゆがむ――その直前を、リズはすくい取った。ナタリーの顔をのぞきこみ、目が合った瞬間ニヤリと笑ってみせた。


 嬉しかったからだ。心の底から。


「……!」


 ナタリーが大きく目を見開いた。リズの考えを、思いを理解したように。

 リズは許している。それどころか元のナタリーに、元気で生意気なナタリーに戻る事を心から望んでいるという事を。


「ふ……うっ……!」


 ナタリーの目から大粒の涙がこぼれた。

 感謝や嬉しさといった様々な感情が次から次へとあふれてきて、こらえきれないといったように噛みしめた唇が震える。

 そして、ふんわりとしたスカートを両手でぎゅうっと握りしめ、泣きながら大きく口を開いた。


「私……私、また見に来るわ。リズの、次期聖女の戴冠式を必ず、ここにまた見に来る。

 ……いい!? リズを見に来るんだからね! 現聖女様から冠を頂くリズを見に来るの! 他の候補だったら、すぐ帰るんだから! 私に――無駄足を踏ませないでよ!」


 最後の方は涙でぐちゃぐちゃで良く聞き取れなかったけれど、元のナタリーに戻った事はわかった。

 もとの――元気で遠慮がなくて素直じゃない、子犬のようにキャンキャンとよく吠えるナタリーに。


 リズの言いたい事は、届けたかった事は、ちゃんと伝わった――。


「わかった」


 リズは心から笑ってうなずいた。


「約束よ! 絶対に守ってよ!」

「わかった」

「絶対に絶対よ! 破ったら許さないからね!」

「わかったって」


 少しあきれ気味になるリズに、目を真っ赤にらしたナタリーが笑った。

 広間に置いてきて取りに戻れなかった快活さと明るさを、改めて手に入れる事ができた、そんな笑みだった。


「じゃあ、またね。リズ」


 多大の感謝を笑顔ににじませ、しっかりと前を向いて神殿の外へと歩いて行くナタリーを、リズも笑顔で見送った。

 

 通りすぎざま母親がリズに向かって丁寧に頭を下げた。

 長い間下げ続け、ようやく上げた顔には、先程のやけど跡を治した時の、自分たちとは違う世界にいるような遠い存在を見る目ではなく、確かにそこに、同じ世界にいる、尊い者を見るかのような、まぶしそうな目をしていた。

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