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3 聖女の素質

 リズはカーフェン家の使用人になかば引きずられるように、屋敷へと連れて行かれた。そして昨日と同じ居間の床に、乱暴に頭を押さえつけられた。


「離してよ!」

「おとなしくしろ!」


 もがきながら何とか顔を上げると、カーフェン男爵と娘のエミリア、そして傍観者のような態度でソファーに座る神官ロイドが見えた。

 男爵が汚ないものを見るように顔をゆがめた。


「リズ・ステファン。お前は、王宮からいらした神官、ロイド様の大切な銀の鍵を盗んだそうだな」

「いいえ、そんな事はしておりません!」

「嘘をつくな! 娘のエミリアが昨日の朝早く、屋敷内の客間の辺りをお前がうろついているのを見たと言っている」


(嘘だ! どうして?)


 信じられない気持ちでエミリアに目をやると、エミリアは素早く顔をそむけた。けれど、そむける直前に口角が上がっているのが、下から見上げていたリズにははっきりと見えた。


(笑ってる……)


 がく然とした。


 あまりのショックに言葉の出ないリズの前で、エミリアが神官ロイドに向かって、けなげな感じで訴え始めた。


「ロイド様、私はこのリズがロイド様の鍵を盗むところを、確かにこの目で見たのです。最初はリズが盗んだものは我がカーフェン家の何かだと思っておりました。領民の犯した事ですから、後でこっそりとお父様に相談しよう、そう思っておりました。

 けれどリズが盗んだものはロイド様の鍵だったのです。どうして鍵なんて盗むのか疑問でしたが、昨夜ロイド様が私ではなくリズを聖女候補として王宮に連れて行くと言った時に、わかりました。

 リズは自作自演のために鍵を盗んだのだと」


 リズは驚愕きょうがくして目を見開いた。


 エミリアはこう言っているのだ。

 リズは神官ロイドの鍵を盗んでリズ自身で客間のベッドの下に隠し、それをさも「勘」という不思議な力で見つけたように装った。

 エミリアではなくリズこそが聖女候補だと、神官ロイドをだますために。


 血の気が引く思いがした。


 だって確かにエミリアの言う方が筋が通っている。

 神官ロイドからしたら「魔力持ちでもないリズが『勘』で鍵を見つけました」よりも「リズが自分で鍵を盗んで隠し、見つけたように装いました」の方がはるかに納得できるだろう。


 しかも貴族令嬢のエミリアが盗むところを目撃した、と証言しているのだ。最強だ。

 平民のリズと貴族のエミリア。神官ロイドがどちらの言い分を信用するか、なんて考えるまでもない。


(……やられた!)


 ロイドの視線が突き刺さる。リズは唇を噛みしめた。


 プライドの高いエミリアの事だ。自分ではなくリズが聖女候補に選ばれた事が、どうしても許せなかったのだろう。

 その気持ちはわかる。聖女候補はエミリアだと村人全員が思っていたし、エミリア自身もそう信じていたに違いない。それが違ったとなったら、確かにショックだ。屈辱だろう。


(でも……)


 でも、この嘘はない。絶対に、ついてはいけない嘘だ。


 身分が違うのだ。平民であるリズが王宮の使いである神官をだましたなんて、確実に死刑になる。


 エミリアはリズが殺されてもいいのだろうか。

 ――構わないのだろう。その証拠に、さっき笑っていたじゃないか。

 リズの命よりも、エミリアのプライドの方が上なのだ。エミリアはそう思っている。それは貴族だからか――。


 悲しみのような怒りのような感情がのど元まで込み上げてきて、リズはうつむき、ギリギリと歯を食いしばった。


(今世は自由に、好きなように生きると決めたのに……)


 豪華なドレスをまとい勝ち誇ったような顔で見下ろしてくるエミリアが、前世での貴族令嬢と重なる。

「手切れ金なら用意する」と当たり前のように言い放った。リズが、そして前世のセシルが欲しかったのは、お金なんかじゃない。

 ただ対等に話をして欲しかっただけだ。


 身分が違うなんてわかっている。普段はそんな事、望まない。でも命や人生や、そういうお金で買えない大事なものが関わっている時だけは、誠実でいて欲しかった。高みから見下ろすのではなく同じ場所に立って話をして欲しかった。


 それは、そんなに高望みな事なんだろうか――。


 途方もない悔しさが全身にあふれてきた。

 これでは前世と同じじゃないか。どこへいっても身分差が邪魔をする。


(欲しい。身分なんかに負けないものが。自由に、自分らしく生きていけるものが……!)


 はじけるような思いが体中に充満した。リズの赤い目が燃えるような勢いで輝き始める。


「ちょっと……何よ……」


 圧倒されたようにエミリアが後ずさった。

 途方もない威圧感、決して認めたくないのに体が震えて止まらない、といったように。


 エミリアは助けを求めるように視線をさまよわせて、扉の前にいる使用人に向かって叫んだ。


「何とかして! 早くリズを押さえなさい!」 



 その様子を黙って眺めていた神官ロイドが小さく微笑んだ。

 何かを確信した笑みで、エミリアに話しかける。


「リズが僕の鍵を盗むところを、エミリア嬢は目撃した。確かかな?」

「え、ええ、もちろん。どこでだって証言してみせますわ。私は確かに見たんですから!」


 リズなんかに怯えてしまった自分をしかるように、エミリアが声を張り上げた。


「そうか」


 神官ロイドは小さく息を吐き、そして小さな鍵を取り出した。例の鍵だ。

 確かに黄色いヒモのついた銀の鍵だった。リズの脳裏に見えたとおりの。


 神官ロイドはリズとエミリア、そして男爵を見回して静かに聞いた。


「僕の手に何か見える?」

「何かって……」


 鍵でしょう、とリズが言おうとしたところで、男爵が「何もありませんが」と困惑気味につぶやいた。


(え、何を言ってるの?)


 わけがわからず目を見張るリズの前で、神官ロイドは今度はエミリアに質問した。


「昨日も聞いたけど、僕は何を持っている?」

「……ふざけておられるのですか。何も持っておりません」


 エミリアはきっぱりと言い放った。からかうなと怒るように。

 最後に、ぼう然としているリズに向き合うと、神官ロイドは楽しそうに笑った。


「さて、リズには何が見えるかな?」

「……鍵です」


「ふざけないでください!」とエミリアが怒りで顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「その通りですな。こんな茶番は今すぐやめていただきたい」と男爵も怒りをあらわにしている。


 なぜかはわからないが、二人にはこの鍵が見えないのだ。

 ロイドは眉も動かさず、二人の前に鍵をのせた手のひらを差し出した。


「さわってみなよ。だまされたと思って」


 エミリアたちはいぶかしげに顔を見合わせて、それでも神官の言葉は無視できないのか、渋々といった感じで手を伸ばした。


「……何なの、これ!? 何もないはずなのに!」

「どうして指に感触があるんだ? これは――鍵か!?」


 二人が驚愕の声をあげる。リズにはただ鍵をさわって驚いているようにしか見えないけれど。

 神官ロイドが苦笑した。


「現、聖女様から預かった鍵だよ。聖なる力で守られているから、聖女の素質を持つ者にしか見えない。もちろん神官である僕にさえね。

 おととい客間で、鍵ごとカバンの中身をぶちまけてしまった時には焦ったよ。何しろ見えないからさ。だから――」


 一転してロイドの軽蔑するような冷たい視線がエミリアに突き刺さった。


「だから、この鍵が盗めたはずはないんだよ」


 最初から嘘だとばれていたのだ。

 一瞬で青ざめたエミリアは、屈辱と怖れに体を震わせ始めた。


「君には聖女の素質はないよ。資格もない。確かめるまでもなかった」


 たたみかけるように言うと、男爵に視線を移した。


「わかっていると思うが、この事は上に報告する。聖女候補に起こった事すべてに報告義務があるんで」


 男爵も一瞬で青ざめた。


  カーフェン家は爵位と領地を取り上げられるだろう。そしてエミリアは捕まり、罪に問われる。本物の聖女候補をおとしいれようとしたのだ、行った事が全て白日はくじつもとにさらされ、皆に好奇の目で見られる。それはプライドの高いエミリアにとって、これ以上ない程の屈辱だ。


「そんな……嘘よ……」


 エミリアが魂の抜けたように、その場にへたり込んだ。



(終わったんだ……)


 押さえつけられていたせいで痛む肩を、ぼう然となでるリズの前へと、神官ロイドが進み出てきた。リズの手のひらに鍵をのせる。


「どうぞ。これは君の物だ」


 途端に鍵がほのかに光を放った。白くやわらかい光はリズの手を優しく包みこむ。


 微笑むリズの前で、ロイドが静かに床に片膝をついた。このアストリア国に伝わる忠誠の証だ。

 そして、あっけにとられるリズを見上げて、おだやかに微笑んだ。


「王宮へご案内いたします。次期聖女候補、リズ・ステファン様」


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